(貧)NEW GENERATION 第9話 板橋まなまの爆乳時代
ある日の放課後、板橋まなまが倉庫のような部室に入ると、比入ひのでと前玉うおるが、二人で携帯画面を見せ合っていた。
比入ひのではゲラゲラ笑っていて、前玉うおるは冷静で無表情だった。
「あっ、まなま部長。これ見てくださいよ」
「なに? カクシコの情けない写真でも撮れた?」
板橋まなまは、比入ひのでのひび割れた携帯画面をのぞき込んだ。
「いまウチのなかで、このアプリがアツくって」
見るなり、板橋まなまは低い声を出した。
「……やめなさい」
「え?」
画面に映し出されていたのは、比入ひのでの姿であった。
まるで生きているみたいに自然に動いていた。
そのままの制服姿ではなく、水着姿で、しかも胸が肥大化していた。
バーチャル世界のフィクションひのでだった。
「別に本物の胸をどうこうしたわけじゃないんだし、よくね? ウチ巨乳とか似合わねーって、笑ってただけっすよ? ね、うおる」
前玉うおるは静かに頷いた。事実だったからだ。
しかし、板橋まなまは怒りを抑えきれずに言うのだ。
「だとしても、画面の中だけの偽物なんて虚しい! やめなさい!」
「えー、おもろいのに。ほら、胸さわると揺れたりするんすよ、これ。ぷるるんて」
「やめろって言ってんでしょ!」
ついに、まなまがひのでのスマホを取り上げた。
「ちょおっ! なにすんの部長! それ取り上げるのは有り得んて!」
「やめますって言いなさい。二度としませんごめんなさいって言いなさい。そしたら返すから!」
「はぁ? なんなん? わけわかんない!」
ひのでが強い怒りを抑えきれないでいると、見かねた前玉うおるは情報検索をはじめた。自身の内部に格納されたデータベースから記録を引っ張り出すことで何らかの解決策を見つけ出そうと考えたのだ。
それらしい情報が、すぐに見つかった。
「ひので。どうやら部長には、事情があるみたいよ」
「じじょー? どんな理由があっても、携帯とるのはダメっしょ」
「いいから聞いて。実は、まなま部長は以前、動画配信者だったの」
その言葉を耳にして、部長は目を見開き、勢いよく前玉うおるに視線を向けた。
比入ひのでも、驚きを隠せない様子だった。
「うそぉ、部長がぁ?」
ギャルの問いに、暴露系後輩はうなずいた。
「それも爆乳テューバーだった」
「えっ、見たい見たい! へえー、部長、そんなことしてたの」
「いや何で知ってんの。やば。やばすぎ。ま、まあでも? もうネットからは跡形もなく削除したから? 誰もみれないもんね!」
「えー、なんで消しちゃったんすか。もったいない。まなま先輩の配信とか、面白そうなのに」
「なにそれ。どのへんがよ」
「まなま部長が酷い目に遭ってるとさぁ、ガチで面白いんすもん」
「人格歪みすぎじゃない? どういう育ち方したの」
「普通ですよ。平たい平均レベルっす。ちょっと両親は仲悪かったけど」
「あー。……でも、そうね。よく考えてみれば、わたしもカクシコが痛い目みてるとき、最ッ高に愉悦してるわ」
「ね。だったら普通なんすよ。貧乳って卑屈ですからね」
「あんた、広範囲に大きめの火の粉をばらまくのやめなさい」
「やーすみません。え、でも、ほんとに、なんでなんですか? 続けたらよかったのに。配信者」
「決め手はあれね、荒らしの連投コメントで言われたのよ。『ないチチ日本代表のくせに』とか。すごい勢いで流れてくるの。なんでバレたんだろうって背筋が寒くなったのと同時にさ、嘘まみれの自分が急に恥ずかしくなっちゃって、嫌になっちゃってね」
「ねえ、うおる、持ってないの? その画像とか動画とか」
前玉うおるは再び自分の中のデータベースを検索してみたが、やはり存在しない。首を振るしかなかった。
「残念ながら無いわね。知ったのは削除された後だもの」
うおるが静かに返した時、勢いよく開いた扉の音とともに、やかましい声がきこえてきた。
「あーら呼んだかしら!」
大平野カクシコだった。
しかし、勢いよく開いた部室の扉は、「よんでねえ」と即座に反応した部長の手で冷たく閉められた。
それでも、再び激しい音を立てて開く。
「ちょ、まちなさいよ、まなま! 話は聞かせてもらったんだから」
「なーに聞き耳立ててんだ。さっさと消えろ」
「あーら、そんなこと言っていいのかしら! あたしはね、まなまの前世動画とか持っているのよ?」
前世動画。それは、まさしく今しがた可愛いギャル後輩が「見たい」と口にした呪物だった。爆乳アニメ絵の板橋まなまの最初で最後の配信動画だ。
「おい! なんだそれ! なおさら敷居をまたぐんじゃあねえ! てか、なんで持ってんの、そんなの」
大平野カクシコは視線を逸らした。
「べっ、べつに? き、決まってるでしょ。いつか弱みになると思って保存しといただけよ」
「……え、まって。そのまえにさ、なんであたしがバーチャル爆乳テューバーやってたこと知ってんのよ。まじで誰にも言ってなかったのに」
「それは、だって、みてたし。当時。リアルタイムで」
「荒らしたりしてないよねぇ」
「まさか! でも、他のリスナーさんに向けて、本当のことをコメントで教えてあげたりはしたわよ。この女は実は爆乳なんかじゃない。巨乳ですらあるわけない。『ないチチ日本代表だ!』ってね!」
「おぅ、おおお、お前かぁ!」
「あら、なによ、ワナワナしちゃって。怒ることじゃないでしょ? 真実を教えてあげて、いいことしたじゃないの?」
「わたしにとっては最悪だぁ!」
前玉うおるは、記憶を更新した。
――板橋まなまは、バーチャルで爆乳になる虚しさを身をもって知っていて、もはやそれは思想が合わないと思っている。だからこそ、大平野カクシコが偽のおっぱいを築乳した出来事は、まさにその合わない思想そのものであり、それが敵対の大きな理由の一つにもなっているようだ。
――しかし、大平野カクシコが偽の巨乳を抱えようと思うようになったのは、バーチャルで爆乳化した部長に対抗するためというのが一因となった可能性もある。
――墓場というものに入れるのかわからないけれど、そんな事実を部長が知ったら、悲しんだり悔しがったりするかもしれない、死ぬまで誰にも言わないでおこう。
――いや、どうかな。この場合、みんなにバラして、部長が悔しがる姿で愉悦や爆笑をしてみせたほうが、並の貧乳らしいのかな。
そして、前玉うおるは、所持していた板橋まなまの初配信動画を、比入ひので、大平野カクシコと一緒に、皆で鑑賞した。
「すっご、乳揺れヤッバ」
「部長じゃないみたいねぇ」
「あたしのこと偽乳なんて言えなくなったわね! これを機に、みんな、あたしの『ないちち賞賛部』に移籍しない? どう、ひので」
「それとこれとは話は別っすよ。てか、もっかい最初から再生していいすか」
部長は「やめろぉ!」と悲痛に叫んだ。
部員たちは、普段は見られない部長の姿を心ゆくまで鑑賞し、とても楽しんだけれど、まなま部長は頭をかきむしって、アアー、ウワウワ、ヤダヤダ、黒歴史イィと鑑賞を妨害するかのように、何度も何度も叫んでいた。




