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ないチチびいき  作者: クロード・フィン・乳スキー
時空超越篇
34/80

第34話 願いと呪い3 願いの力

  ★


 俺は、鍵を握るアイテム『願いを叶えるランプ』の、そのフタを手に入れた。


 さっそく使用済みランプ本体にはめ込んでこすってみたが、反応は無かった。


 予想していた展開である。


 占い娘との話し合いを経て、俺たちが出した結論は、本体とフタの両方が未使用であることが発動条件ってことだ。加えて、他にも何か呪文のようなもので鍵が掛けられている可能性がある。たとえば、携帯端末をパスワードや暗証番号でロックするような形にされていたら、そのままでは使用できない。


 いろいろ考えなくてはならないことは多いが、一つ一つ解決していくしかない。


 次は、未使用の本体を手に入れること。これについても、簡単に入手の目処がついた。一週間も経たないうちに、篠原家が探し出してくれたのだ。


 なんともあっさりだ。あまりに苦労がなさすぎる。


 変な感じがする。


 トントン拍子に事が運びすぎる。作為的なものを感じるほどだ。


 これは奇跡なのだろうか、それとも顔も知らない誰かが望んだからなのだろうか。


 その誰かってやつが俺たちを巧みに誘導しているんだとしたら……。


 そう考えると、恐怖をおぼえる。


 とはいえ、「願い」エネルギーを使って過去を改変したがる者が、そこまで大きな悪意を持った人間だとは、俺は思っていない。何か過去改変者同士でいざこざ起きるとしたら、それは、不しあわせなすれちがいによるものなんだと思う。


 貧乳派と巨乳派の争いだって、つきつめれば、すれちがいから端を発したものだった。


 それに、まだ誰かのしわざだと決まったわけじゃない。


 ただの偶然の可能性だってゼロじゃない。


 誰のもとにだって、時々、奇跡みたいなことが降ってくるものだろう。


 さて、篠原から届いたメールには、『よゆーで見つかりました』とあった。


 連絡を受けて、俺と氷雨と占い娘は待ち合わせ場所に向かった。迎えに来た篠原家の長い車に三人で乗った。


 数時間のドライブでたどり着いたのは、以前、貧乳パラダイスを体験した洒落(しゃれ)た洋館であった。今回は目隠しされなかった。


 洋風の赤レンガでできた高級そうな屋敷。明治や大正時代を思わせるような建築だ。入るとすぐに階段があった。


 今回は貧乳たちの出迎えは無かった。かわりに、篠原家の有能執事の森田がいた。大きな階段を背景に立っていて、俺たちが入るなり、


「お待ちしていました。大平野好史様、比入氷雨様、占い娘様」


 そう言って、かしこまった感じの礼をした。


 すらりと伸びた背筋。スーツ姿の森田は、そのピシッとした服装とは対照的に、眠そうな顔だ。あくびを繰り返しながら、俺たちをある一室に導いた。


 ノックの後、扉が開けられ、ぞろぞろと中に入る。なんとなく振り返って、閉められた扉をよく見てみたら、とてもきらびやかな装飾がされていて、篠原は本当に金もちなんだなと嫌でも思わされる。


 扉の向こうには、今まで見たことのない貧乳美女がいた――と思ったら、よくみると、その子は、篠原こやのだった。メガネをしておらず、しっかりと化粧がされていたので、知らない人かと思った。


 椅子に浅く腰かけていた。なめらかな光沢のあるドレスを着て、ヒールを履いていた。肩から腰にかけての女性らしいラインには、絶妙な気品というべきものがあった。


 もっと早く、このようなスレンダー美女モードの篠原に出会えていたら、もしかしたら俺の運命も変わってしまっていたかもしれないと思うほど、息をのむ美しさだ。


 ゆっくり振り返り、静かに立った篠原は、髪も顔も身体も美しく整えられている。非の打ち所のない美人の姿があった。


 よい姿勢を全く崩さず、こちらに向けて軽く会釈した。なんという麗しさ。いや、むしろ普段の変態メガネの方が仮の姿で、本当はこっちが本当の篠原なのかもしれない。


 と、思ったのだが、次の瞬間。


「いやいやぁ、ようこそ。先輩がた! とくに! 占い娘先輩と氷雨先輩は、本当にお久しぶりです!」


 普段と同じしゃべり方をされると、折角の美しさも半減である。服装に合わせたお(しと)やかな言動を期待していたのだが、やっぱり普段の変態メガネが本当の篠原なのかもしれない。


「どうでしょうか、この服。似合いますかねぇ? この服で突撃したら、アキラ先輩も小川先輩を捨てて自分を選んでくれるんじゃないかと思うんですけど、どうですか?」


「そうだな、すごいきれいな服だぞ」俺が言うと、


「あ、先輩。今、(ガワ)はすごいけど中身はダメだな、みたいなこと思ったでしょ?」


 ばれたか。


「そういうこと言ってると、手に入れてもらったもの渡しませんよ?」


「おお、すまんすまん。すげえ可愛いぞ、篠原。ありがとうな」


 篠原はにやりと笑った。


「いやいや、先輩がありがとうを言うべきは、外にいる執事の森田です。国内外を走りまわって、好史先輩が望む品を三つも集めてくれたんで」


「三つ? すごいな。……でも、やっぱ、篠原にもありがとうって言わなきゃな。きっと、すごい金がかかったよな。旅費だけでも何百万もかかったはずだ。……俺、一生かけて返すから。なんなら子孫にも請求してくれて構わんぞ」


「別にいいっすよ。人の命がかかってますし。それに、お金は無尽蔵に湧いてきますが、ほんものの人間関係は、お金じゃ買えませんので、こういう時に糸目はつけませんよ」


 金が湧いてくるとかいう発言は、まったく共感できないものであるが、とにかく、篠原は本当にいい貧乳娘だ。


 何でアキラはリオちゃんを選んでしまったんだ。いや、リオちゃんも健康的で素晴らしい貧乳だが。


 不意に、篠原は両手を広げた。その瞬間、照明が一斉に落とされた。


 なんだなんだ、どうしたどうしたと三人で戸惑いの声を上げていると、今度は実に荘厳(そうごん)な音楽が流れ出した。威風堂々とした感じの、重厚なクラシックの音色が、真っ暗な部屋に響く。


 ゆっくりと照明が一部分だけを照らし出し、下から何かがせり上がってくる。


 あらわれたのは、台だ。何かきらっと光るものを乗せた台。


 ガラスケースに入った物体が光を反射し、きらきらと光っている。


 続いて、その物体の両側からもまた、ガラスケースが登場した。三つのランプが床下からせり上がってきたのだ。


 金色のランプ、白いランプ、二色がまだらに混じったランプ。


 色とりどりの照明が、それぞれを照らす。


 エレクトリカル宝物紹介。


 なんだこの、過剰演出は。


 音楽もいよいよクライマックス。


 ガラスケースが自動で折りたたまれて台の溝に吸い込まれていく。


 (たかぶ)り切った音色が、高いまま落ち着き、心地よい余韻を残したまま終わった。


 電気が復活して部屋が明るくなった。


 こりゃ一体なんなんだという視線を篠原に送ってみると、彼女は誇らしげに笑った。


「この日のために作曲させました」


 篠原の頭の中は、とても愉快なのかもしれない。


「いやはや先輩がた! 本当は、もっとすごい演出を考えたんですがね……、でもね、あの器をよく見てください。ところどころハゲちゃってるやつがあるし、そもそもフタがついてるのが一つも無いんすよ。この三つの他にも、破片になって砕け散っているやつがあったんですけど、足りない欠片が多すぎて修復が難しいそうです。この三つのうち一つでも完全な品があったら、オーケストラとか呼んで、花火とかも上げて、素敵な女性をいっぱい並べちゃおうと思ってたんですけどねぇ」


 悪い成金趣味だよそれは。いや貧乳パラダイスを一時とはいえ楽しんでしまった俺


「演出はともかく、本当にありがとうな、篠原」


「好史先輩にも、占い娘先輩にも、恩がありますからね。氷雨先輩にだって、これからの長い長い人生のどこかでお世話になるかもしれないんで、恩返しとか、恩押し売りとか、そのへんだと思っていただければいいっすよ」


 篠原は言うと、豪華な椅子に掛けてあったゴージャスな上着を着込みだした。


「どこ行くんですか?」と占い娘。


「ちょっとパーティみたいなのに出席しなきゃならないんすよ」


 それで(うるわ)しい姿をなさっていたのか。


 篠原は、上着に袖を通し切ると、柔らかく笑いかけてきた。


「何より、自分はそろそろ退散しますね。先輩たち三人の大切な場に立ち会うのは野暮ってもんです」


 そして玄関に車を待たせておきますので、と言って、扉を豪快に開けて出ていった。


 残された俺たちの前には、フタの無いランプが三つ残された。


 すべて同じ形をしているものの、メッキの剥がれ具合に違いがある。


 一つ目は全体が白かった。


 二つ目は少し擦り傷があるけれどだいたいは金色だった。


 三つ目、最後の一つはところどころメッキがはがれていて、ボロボロだった。


「ちょうど三つあるなぁ。どれが本物か当てっこしようぜ」


 とはいっても、正解は一つだけではないかもしれない。二つが動くかもしれないし、三つともうまくいくかもしれない。逆に、全部ダメという恐れだって無くはない。


「あたしは白だな」


 氷雨はメッキが完全に無くなっているホワイトを選んだ。


「真っ黒いのは無いんですね。今から染めてしまいましょうか」


 そう言いながらも、金色を選んだ占い娘。


 結局そうなるよな。俺が一番小汚いのを引くっていうのは、予想通りだ。


 だが彼女たちは後悔することになるだろう。わが国には、「残りものには福がある」という言葉が伝えられている。一番最後に残ったこいつには、きっと幸福をもたらす何かが詰まっているはずだ。


「じゃあ、俺から試してみるか」


 俺は、ランプにフタをはめ込む。突起を人差し指と親指で持ち、ねじのようにくるくると回していく。回転が止まったところで、一つ咳払いする。そして、願い事を良い声で唱える練習をする。


「えー、氷雨にかけられた呪いが、きれいさっぱり無くなりますように」


 しかし、そこで物言いがついた。


「好史さん。御自分への呪いを忘れてますよ」


「ああ、そうだった。俺の不死身の呪いも解かないとな」


「好史さんと氷雨さん、二人に掛けられた呪い、という形でどうでしょう」


「それでいこう」


 俺は頷き、ランプをこすった。


 沈黙。


 何も起こらない。


 静かすぎる。


 ここ篠原家別邸が、街からかなり離れていることや、冬であることも手伝って、とても静かな時間が流れた。


 ハズレ、か。


「おかしい。ネジの巻き方が緩かったのだろうか。あるいはズレていたとか」


 往生際の悪い俺は、一度外してから、再びはめてみた。無意味であった。


 次は占い娘の番だ。


「次は私がやります。フタをこちらへ」


 試した。


「だめでしたー」


 あっさり終わった。金一色のランプでもダメか。正直に言うと、金色のやつが一番可能性ありだと思っていた。真っ白になっている今山家のオフタ様が、元々ちゃんとした金色だったという情報があったから。


 しかし、あえなく撃沈となってしまった。


 これは、厄介なことになるかもしれない。ここのランプも全て使用済みなのか、それとも、この今山家に伝わるオフタ様が使用済みなのだろうか。


 期待していたため、焦りの感情に襲われてしまうが、もとからうまくいく確率なんて低いのだ。使えるものが残っている可能性はほぼ無いとさえ思っていた。それに、ランプの発動条件だってハッキリしない。


 だいたいにして、実はメッキの方が大切で、何らかの物質で全体をコーティングしてやらないと動かないパターンも考えられる。


 もしも、もう一度、世界中をくまなくさがして、動かないランプしか無かったとしたら、もっと研究や実験が必要になる。ランプ以外の別の方法を模索しなけりゃならない。


 それこそ、時間を戻す技術を、自力で発明してしまうとか。


 何年、いや何十年、何百年かかるだろう。


 そのパターンでは、氷雨の呪い発動の日には、まず間に合わないな……。


 いや、待て待て。外れると思い込んでいたら、当たるものも当たらない。まだチャンスは残されている。


 最後に挑むのは、氷雨だ。


「貸せ、占い娘」


 白い器に、白いフタが設置される。しなやかな手つきでフタが回されていく。しっかりと固定された。氷雨は品質チェックをするかのように、持ち上げて底を見つめたり、こつこつと指先で叩くなどした後、覚悟を決めた。


「いくぞ」


 どうか、うまくいってほしいと願う。


 願う。心から。


 占い娘は目を閉じて、祈りのポーズを捧げている。


 俺は、覚悟を決めて、結果を信じて見守った。


 ゆっくりと、氷雨の指がランプの白い肌をなぞる。


 四往復ほどした頃だろうか。白い文字が光り出して、浮かび上がって来た。


 そして煙が――。


「あれ?」


 一瞬だけ白い煙が出たのだが、すぐランプに吸い込まれてしまった。こすり方が足りないのかと思った氷雨が、さらに力を込めてごしごしするが、なかなか煙が出てこない。


 予想していた成功パターンは、ランプの精を名乗る煙が勢いよく飛び出してきて、願いを言いなさいと語りかけてくる場面だ。しかし、ランプは沈黙している。


 煙が出そうになったということは、前の二つとは違うということ。使える可能性があるということだ。


 氷雨は、イラついた様子で、またいろんな角度からランプを見始めた。


「お? なんだこれ。なんかスイッチみたいのがある」


 底面に何かがあることに気付いた氷雨は、迷わず押した。


 その瞬間、また少量の煙と、今度は爆発音を伴い、虚空に黒い画面が現れたではないか。


 激しい音にびっくりした氷雨は、思わずランプを手放してしまった。


 当然、ランプは床に向かって落ちていく。


 加速してゆく。


 氷雨が「やばっ」と声を上げた。


 占い娘が目を見開いた。


 まずい。


 このままでは一秒もかからず砕け散る。いくら氷雨が素晴らしい反射神経を持っていたとしても、重心が背中側にある状態からランプを救いだすのは困難だ。


 俺はヘッドスライディングで飛び込んだ。


 このランプからは煙が出たんだ。今までにないことだった。爆発してないのに、爆発音がした。黒い画面だって出たままだ。もしかしたら、幾重(いくえ)にもかけられた防御策かもしれない。


 もしかしたら、すべての時空で、ただ一つの使えるランプかもしれないんだ。


 何とか、希望を掴み取ってみせる!


 だが……ランプは無情にも、俺の目の前で床に落ちていく。


 届かない。


 絶望的に届かない。


 全然惜しくもなんともない。


 俺とランプとの間には、二十センチくらいの空間があった。


 ゆっくりに見える視界の中で、ちょっとずつ落ちていくランプ。


 あごを擦りむいている感覚があった。そんなものは、すぐに治るのだからどうだって良い。


 あってはならない。


 俺の氷雨が、自分自身の命が尽きる時を知って、心のどこかでそれに怯えて暮らすなんてこと、あってはならないんだ。


 氷雨はずっと貧乳でいほしいと思う。だけど、巨乳になっちまってもいいから、氷雨と一緒に生きていきたい。


 信念なんか、喜んで曲げてやる。


 なのに、どうして届かないんだ。


 落ちる、間もなく割れる。


 最後の一瞬まで諦めない。


 関節が元に戻らなくなってもいい。二度と貧乳に触れない体になってもいい。


 誰か、誰か、どうにか、俺に、あと二十センチをくれ。


 不意に、ランプが消えた。


「え……」


 戸惑う俺に、「こっちですよ」と声をかけた女の子がいる。


 占い娘。両腕でランプをしっかりと抱えていた。


「無事なのか? 氷雨の命は、命のランプは……」


「大丈夫です。私がなんとかしました!」


「どうやって……」


「コレです!」


 取り出したのは、折り畳み傘の形をした何かだった。


「なるほど、また傘型タイムストッパー君か。本当に、君には助けられてばかりだな」


 俺は傘のような物体のT字になっている部分を撫でてやった。


 ひとしきり感謝を終えた後で、氷雨を見た。


 氷雨は視線に気付いて、占い娘の胸のあたりを指差した。


「なあ、好史、何か出てるぞ」


 見れば、確かに、占い娘の持つランプから扇子のような形をした黒い平面図形が浮かび上がっていた。どうやら何かを入力する画面のようだ。


 いくらかの文字が書かれているものの、大半は何もないスペースであり、その広い領域にパスワードか何かを書き記せと言わんばかりだ。


 占い娘が呟きながら、画面にタッチした。


 触れたところに白い点や線が生まれた。


「これは、おそらく……」


 暗証番号確認みたいなものなのだろう。


 占い娘が描いた見覚えのある文字列は、ランプ本体やフタに書かれているものと同じだ。ぐにゃぐにゃした、わけのわからない文字。数字列で『〇二八一』という意味だったか。


 入力を終えるや否や、ランプは一瞬のうちに金色にコーティングされ、すっかり輝きを取り戻した。これは、本来、とても驚くべきことなんだろう。


 だが、氷雨はウヌウヌと頷きながら、


「未来のテクノロジーってやつだな」


 占い娘と出会ってからというもの、不思議な出来事に対して、すっかり耐性ができてしまっていた。


 俺は、信じ切れずに、喉の奥から声を出す。


「これは成功ってことでいいんだよな。占い娘」


「その通りです。好史さん」


 占い娘は、ようやく、ほっとした笑顔を浮かべた。


 さて、それじゃあ一刻も早く呪いを解こうか。


 占い娘が氷雨にランプを手渡し、氷雨の手でランプがこすられる。


 白い煙がもくもくとランプの口から現れ、だんだんと人の形を成していく。


 俺は氷雨の手を握った。氷雨は逃げも殴りもしなかったし、俺の手を握りつぶしもしなかった。


 氷雨がランプを床に置き、占い娘の手を握った。戸惑いの表情を浮かべた占い娘だったが、やがて恥ずかしそうに、だけど嬉しそうな表情で、氷雨の手を握り返した。


 三人並んで、ランプの精を迎える。


『やあ、ワタシはランプの精だよ。キミの願いを一つだけ叶えよう』


 俺は氷雨に願いを言うよう促した。占い娘も同様に、目で合図した。


 俺たちは三人、頷き合う。


 氷雨が代表して願いを唱える。


「――あたしたちに掛けられた呪いを、解いてくれ」


『よかろう』


 役目を終えた白煙は、高級な壁紙に吸い込まれるように霧散した。


 しばらく待って、俺が止めていた息を吐いたのを合図に、繋いでいた手を解いた。


 実感がない。これで本当に、呪いは解けたんだろうか。氷雨の命は助かったんだろうか。十数年過ぎて呪い発動の日を迎えても、氷雨が死なないように未来が変わってくれたんだろうか。


「なあ、占い娘――」


「今、調べています」


 さすが占い娘だ、俺の考えなど先回りして、水晶玉で未来を垣間見てくれている。


 そして、心からの笑顔で、初めて見るような晴れ晴れとした笑顔で言うのだ。


「未来が変わりました。氷雨さんは長生きします。もちろん好史さんも」


「本当か?」俺は興奮を抑えきれなかった。


「はい、こんな私のことを、信じてくれるなら」


「あたりまえだろ! ありがとう、占い娘!」


 俺は占い娘を抱きしめてた。ぎゅっと強く抱きしめた。


 もともとクセのある髪がさらにぐしゃぐしゃになるくらい頭を撫でてやった。


 わはは、うふふ、と彼女と戯れる。あまりの嬉しさに、周囲が見えなくなるくらいに喜んだ。


「おい好史」


 その声に、はっとする。


「あっ……と……な、なんだよ。氷雨」


 素早い動きで占い娘から離れると、氷雨を受け入れる姿勢をとった。さあわが胸に飛び込んでおいでとばかりに両腕を広げる。


 ところが、俺の愛する貧乳の氷雨さんは、俺の胸に飛びつくなんてことはなく、いつもより険しいしかめ面で、


「お前さぁ……あたしを祝福する前に、占い娘を抱きしめるってのはどういうことだ!」


「いいか氷雨、よくきくんだ」


「何だよ」


 怒れるワニさんのごとき目でにらみつけてくる。こわい。


「俺は、お前に伝えたいことがある!」


「……なんか、誤魔化(ごまか)そうとしてないか?」


 正解である。だが、誤魔化しだろうが何だろうが、後には引けないんだ。


「していない。未来が約束されたこの瞬間に、どうしても、やりたかったことなんだ」


 俺は氷雨の肩に手をかけ、彼女の耳元で囁いた。ほんの小さな、かすれ声で。


「氷雨、目を閉じてくれないか?」


「んッ」


 氷雨の肩に力が入った。一つ息を吐いた。氷雨は緊張したのが見て取れた。彼女はのどを鳴らして、静かに目を閉じた。


 そして俺は、愛する彼女の唇にキスを……すると思ったら大間違いだ。


 俺の手は肩から離れ、するすると氷雨の貧乳へと伸びていく!


 このいい感じの雰囲気の中!


 油断して目を閉じている間!


 これなら、氷雨の貧乳に手を触れることができると考えたのだ。


 しかし、掴まれた、腕。


 ゆっくりと開かれる、まぶた。


 その奥に激怒の炎が見て取れる。


「氷雨。なぜわかった……」


「好史。お前ってやつは……」


「ちょ、ちょっと待ってね、氷雨さん。俺はもう――」


 最後まで言わせてもらえなかった。迫力ある拳が俺の視界を支配する。


「しねぇ!!」


「ぐはぁ!」


 いつものように殴り飛ばされてしまった。


 こんな――。


 こんな終わり方ってあるか。


 ランプの力で、呪いは解けたはずだ。


 俺たちに掛かった呪いが解けたのなら、俺はもう不死身じゃないことになる。


 それなのに、氷雨の破壊力をマトモに受けたら再起不能になってしまうんじゃないのか。それどころか、冗談なしに命を落としてしまう。


 スローモーションの空中遊泳をしながら氷雨の顔を見たら、思いっきり「やっちまった」って焦った顔をしていた。


 これが人生最後の光景か。


 お洒落な壁に激突する。骨が折れた感覚。内臓がグシャアっとなる感覚。


 脳がダメージを軽減するために快楽物質を過剰分泌する。きもちいい。


 不死身の時だったら、何の問題もない。快感だぜウヒヒくらいの気持ち悪い反応をしてやる余裕さえある。けど、不死身の呪いが無いとなれば、そんな心の余裕は無い。


 死別エンドなんて嫌だ。


 でも、あきらめるしかないかもしれない。


 この高さから落ちたらもう……。


 ああ、こうなったら、もう逆に考えるしかない。


 ――愛する氷雨の手に掛かって死ねるなら本望だ。


 ただ、思い残すことがあるとしたら…………一度でいい……氷雨さんの貧乳に触りた……かっ……た……。


 俺は、ぐしゃりと顔から床に落ちた。


 絶対に立ち上がれないような甚大なダメージだ。


 こんな攻撃を受けて立ち上がれるようなやつは人間をやめていると言っても過言ではない。


 ああ大変だ。


 これは死んだ。


 あーもう、絶対死んでしまった。


 やばいやばい。どうしようもない。


 寂しい、痛い、悲しい、こわい、助けて。


 天国に行けるのかな、地獄行きかな。


 なんてこった。


 もう不死身でもなんでもない俺はこんなところで死んでしまったのだ。


 ていうか、あれ、即死級の一撃だったはずが、なかなか意識がなくならないな……。


 あれ?


 おかしい、俺の肉体は修復されていく。


 いつもと何ら変わらない展開なんだが、これは一体どういうわけだ?


「おい大丈夫か、好史」


 息を切らして焦りながら、これまでで最も心配して駆け寄ってきた氷雨だったが、俺の姿を見て過去最大の驚きと安堵を見せた。


 血はいっぱい出ているものの、俺が無傷で寝転がっていたからだろう。


「お前、呪いが……」


「ああ。解けてないみたいだ。治っちまった」


 俺は不死身のままだった。けれど、氷雨の呪いは解けたという。


 追いついてきた占い娘は呼吸を整え、人差し指を立てて推測を語る。


「おそらく、叶えられる願いが一つだけだったから、種類の違う二つの呪いを同時に解くことができなかったのでしょう。だから、氷雨さんの呪いはなくなりましたが、好史さんの呪いは残ってしまったのだと思います」


 占い娘は言ったけれど、俺は、少し違うと思う。


 知っての通り、ランプの力は絶大だ。すべての女性を巨乳にしてしまうことさえ可能だった。そんな強力な代物が、たった二人に掛けられた呪いを解けないはずがないだろう。


 だから、そう。俺にかけられているのは、きっと「呪い」ではないんだ。誰かが俺に生きててほしいと願った。そういう「願い」だったから、俺は不死身のままなのだ。この世界は、誰かの「願い」によってつくられていると言ってもいい。


 本当のところどうなのか。


 それは、今の俺には、わからない。


 この先も、解明されることは無いだろう。


 だけど、そういう誰かからの「願い」の存在を信じて生きるっていうのも、きっと悪くないと思うのだ。


 過去に行ける技術が存在することは善くないことだ。時間移動の技術は、すべての時空を現在にして、戦いの場所にしてしまう。互いの未来を潰し合い、そして得られるものは、勝者に都合の良い未来のみ。


 白紙の未来を自分自身で切り開けるような世界に戻すためには、過去へ行く技術を跡形も無く消し去らねばならないだろう。


 だけど、過去を変えたいと、そう思うこと自体は悪くない話なんだと思う。


 占い娘を取り巻いて起きた一連の事件っていうのは、結局のところ、悲惨な過去を無かったことにしたいと考えた人が、たくさんいたからこそ発生したのだ。


 過去を無かったことにすれば、自分が存在したはずの未来も無かったことになる。歴史が書きかわり、苦しみの中で頑張った人のことも忘れ去られる。苦しみの中から編み出された技術も思想も消え去ってしまう。


 それでも、そういうことになってでも、しあわせに生きたい、しあわせに生きてほしいと占い娘は願った。


 ――過去を変えたい。


 それは、きっと未来のために。


 未来のために行動した結果、占い娘は孤独になったとも言える。


 だけど、残ったものも、ちゃんとあったんだ。


 誰にも共感されず、ただ罪の意識だけを背負う孤独な娘になってしまった。一人きり。もう未来に帰っても、誰ひとりとして自分を知る者はいない。誰ひとり、自分の人生に共感してくれる人がいない。それでも占い娘は、俺たちを助けてくれた。氷雨のことを一度見捨てはしたけれど、確定した未来を打ち破る鍵となり、氷雨を悲惨な運命から救い出してくれた。


 だから、俺は占い娘に何度だって「ありがとう」と言いたい。


 これまでのことを許したい。


 あのランプを生み出した人々だって、最悪な現実や最低な過去があるからランプを生み出したわけで、ということは、きっと多くの大失敗と大後悔の果てに残されたランプだったわけだ。


 ランプが俺たちを救ってくれた。ランプを使うという発想をしたのは誰だった?


 占い娘がいなかったら、俺たちの呪いは解けなかった。


 誰が一人欠けても、呪いは解けなかった。


 俺たちがこれから願うのは、「過去を変えよう」なんて誰も思わないような、そんな世の中を生きていくことだ。


 占い娘が、自分の生まれ故郷である「未来」を犠牲にして築いてくれた今この時を、精一杯生きていくことだ。


 新しく築き上げていく未来の中で、もう二度と過去を変えにやって来る占い娘のような存在が生まれてしまわないように……。


 占い娘のことは好きだし、占い娘に出会いたくなかったわけではない。けれど、できれば、彼女の元の世界のような悲しい世界には、どうかならないで欲しいと思う。


「なあ、占い娘」


「何ですか、好史さん」


「人ってのは、変われるもんだよな」


 占い娘と出会って、氷雨と出会って、俺は変わることができた。


 巨乳を貧乳にしようと暴れることがなくなった。


 巨乳好きの天海アキラだって、貧乳を巨乳にしてしまう大事件を起こしながらも、そのことを恥じて大反省した。


 そんな風に、いろんな人の心が育って、歴史が変わり、未来が好転したのだった。


 そして、人が変われるって言うのなら、占い娘だって変われるはずだ。


 いつまでもずっと暗黒を背負って生きなくていいんだ。


 占い娘は、笑顔をつくりながら、


「そうですね好史さん。人の心は変わるものです。でも、氷雨さんの貧乳に触ろうとして殴られた今の好史さんが言っても、あんまし説得力ないですけどね」


「確かにな」


 そうして笑い合ってたら、氷雨さんが指をバキバキ鳴らしながら近づいてくる。「また占い娘と仲良くしやがって」とでも言わんばかりだ。


 氷雨が元気になってくれて、俺は嬉しい。


 だが痛いのは嫌だ。


「好史が不死身のままならさあ、まだまだぶっ飛ばせるってことだよなぁ?」


「まてまてまてまて、それは野蛮だって! 俺が一体何をしたと言うんだ!」


「ふざけんな! あの場面で、あれはないだろ! 貧乳狂いの変態野郎が!」


 占い娘が慌てて窓を開けた。冷たい冬の風が一気に吹き込んでくる。氷雨は俺を思い切り蹴り飛ばした。


 俺は開け放たれた窓から飛び出し、悲鳴を上げながら、ほうき星になった。


 ――見下ろす町の子らよ、空飛ぶ俺を見て願い事を言うといい。奇跡を起こした俺たちだ。もしかしたら願いを叶える力を御裾分(おすそわ)けできるかもしれないからな。


 なんてな。


 俺は悲鳴を上げながら、篠原家別邸の庭にあった噴水に突っ込んだ。


 身体はすぐに治ったし、心も非常に軽くなった。


 もうしばらく、冷水に濡れて氷雨を待とう。必ず心配して見に来てくれるから。





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