第30話 時をかける4 帰還
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映像の途中だったが、俺は立ち上がった。
ベンチで俯く占い娘に何の言葉をかけることもなく、食べかけのカップヤキソバも放置で走り出した。
氷雨を連れ戻してやる。氷雨の呪いを解いてやる。
氷雨の貧乳オーラをたどって、夕焼けに染まったマンションを見つけた。占い娘の映像にあった建物だ。
大平野好史は四〇四号室に住んでいる。
特にエントランスにロックが掛かっているわけではなかった。簡単に建物に入ることができた。階段を駆け上がり、俺はインターホンも押さずに、ノックもせずに扉を開けた。俺の家なんだから、何の問題もないはずだ。
玄関で靴を脱いで、上がり込み、リビングへと続く扉を開けた。
「好史?」
氷雨がいた。
もう一人いた。
「俺……なのか?」
大人になった俺は驚いた顔で呟いた。
二人で仲良く夕食を楽しんでいる最中だった。箸を止めてこちらを見ていた。
氷雨と一緒に仲良く……。
こんな俺にも、こんな幸福っぽい未来が約束されている。それはとても素晴らしいことだと思う。だけど、氷雨は時が来たら命を落としてしまう。そんなの許せない。
だって、何か避けようもない自然な亡くなり方をするわけじゃなく、未来からの呪いと、占い娘の選択の果てに逝ってしまうんだ。
氷雨は、ものすごく申し訳なさそうに箸を置いた。
「よ、よお、久しぶりだな、好史」
何だその軽い挨拶は。
こいつは、俺がどれだけ心配したのか、わかってないようだ。
「お前な、連絡くらいよこせよ!」
俺が言うと、氷雨は不快感を示した。
「無茶言うなって。当時の最新スマホをもってしても、未来じゃ全面的に圏外だったんだから」
「じゃあ氷雨。なんで帰って来なかった? 占い娘に本気で頼めば帰って来られたはずだろ」
「それは……その……」
「まさか、若い俺よりも、こっちの俺の方がいいとか言いだすんじゃなかろうな……?」
「う……」
「おいこら、俺のこと浮気すんなとか言って殴っておいて、自分が浮気してるんじゃねえか!」
「浮気じゃないし。だって、お前も好史だけど、こっちだって好史だもん」
開き直った。ショックだ。
「いいから帰るぞ。お前の世界は、ここじゃないだろ」
俺は氷雨の腕を引っ張って立たせた。氷雨は抵抗しなかった。
だが、そう簡単に氷雨を連れ戻すことはできないらしい。
突然の痛みとともに、視界が揺れた。
「……ってぇ」
俺は、俺に殴られたのだ。
未来の俺の拳は、非常に重たかった。
だが、俺は殴られるようなことはしていない。
ただ、俺の恋人の比入氷雨を連れて帰ろうとしただけだ。
俺の時代の氷雨なんだから、この俺のものだ。
大人の俺は、もう一度俺を殴った。
「俺の氷雨を、どこに連れていく気だ」
「何言ってんだ、氷雨は俺のだ!」
やり返した。大人になった俺を思い切り殴ってやった。未来の俺は机に突っ込み、夕飯が台無しだ。
「絶対に連れていかせないぞ! 氷雨は俺が守る」
大人の俺は両腕を広げてみせた。今度こそ守りたいということらしい。
でも、俺は俺に向かって言ってやる。一番効くであろう言葉を。
「氷雨を守るのは俺だ! お前は守れなかったじゃないか!」
「……この野郎!」
俺が、俺に殴りかかって来た。
そこからはもう、めちゃくちゃに殴り合った。
お互いに不死身の肉体を持っているため、どうあっても長期戦になる。
皿が割れる。机の脚が折れる。テレビの画面にひびが入る。鉢植えが倒れる。花瓶が落ちて砕ける。窓も割れる。壁に穴が開く。氷雨がやめろと言う。だがやめない。決着をつけてやる。
殴るだけじゃなく、蹴りや、頭突きや、引っ掻きなども織り交ぜ、俺たちはひたすらに暴力をぶつけ合った。自分自身が相手だけあって、実力は互角。
蹴飛ばして、殴られて、血をぬぐって、股を蹴りあげられて、体当たりして、関節技をキメられて。床も壁も俺たちも、無残な姿になって、でも肉体だけはすぐに治って、そして最後に、
「やめろっつってんだろ!」
俺たちはマンションの外に飛ばされ、道路に頭から落っこちた。二つ、頭蓋骨が砕けた音がした。
それでも、またしてもすぐに治っていく。俺たちは丈夫なのだ。
久しぶりに味わう死ぬほどの痛みが何故か嬉しくて、俺はウヒヒと笑う。未来の俺も、同じように笑っていて、だけどそっちの俺は笑うと同時に泣いていた。
大人の俺は、夕陽を見つめながら、さっきまで殴り合ってたのが嘘のように、弱々しく語り出す。
止めどない涙をぬぐいながら。
「わかってたんだ……わかってたんだよ。今の氷雨は、俺の氷雨じゃないってこと。占い娘のやつが、過去からインチキで連れて来た氷雨だったってこと。そりゃ、氷雨ともう一度会えて嬉しかったさ。だけど、あの氷雨は、俺と一緒に過ごした多くの時間を、その記憶を、持っていないんだ。何て言ってプロポーズしたのかさえ、知らないんだ。
さっきまでの幻みたいな生活が幸せじゃなかったと言ったら嘘になるし、続けたくないって言うのも嘘になる。これからあの氷雨のことを好きになっていけるかもしれない。……でも、俺の氷雨は、もういない」
俺は、何と言ったらいいのかわからず、未来の可能性の一つである自分自身のことを、どう呼べばいいのかもわからず、ただ黙っていた。
そしたら、間もなく消えていく未来の俺は、この俺に向かってこう言った。
「なあ、氷雨のこと、今度こそ守ってやってくれよ」
当たり前だ、と言いたかったが、言葉を返せなかった。
口やら喉やらのダメージが大きくて、言葉を発することができなかったのだ。
氷雨が降りてきた。自分でぶっ飛ばしておいて、「大丈夫か」と心配しながら駆け寄ってくる。
先に、大人になった俺の手を取ったのが、ひどくショックだった。
大人になった俺は、「今ので死んだよ」と笑いながら言った。
氷雨は、「いいのか……?」と心配そうにのぞき込む。
「ごめんな。いるべきところに帰るといい」
そして、未来の大人になった俺は起き上がり、夕焼けに向かって叫ぶ。
「ありがとう!」
誰に向けての言葉だったんだろう。
★
大人の俺は、静かに家に帰った。
俺たちは路上に座り込み、怪我が回復して動けるようになる頃には、すっかり日が沈んでいた。
占い娘は氷雨を見殺しにした。最低だ。
占い娘は氷雨を道具扱いした。ひどい裏切りだ。
だから許せないと、さっきはそう思った。
だけど、冷静になって考えてみたら、占い娘は一つの大いなる可能性を切り開いてくれている。
だって、平和になった未来で楽しく暮らしていけばいいものを、わざわざ周囲の目を盗んで水晶玉を使って過去へ飛んできたんだ。
だとしたら占い娘は、どういう形であれ、俺たちへの呪いを気にかけてくれていたということにならないだろうか。たとえ自分勝手な欲望にとらわれてしまったんだとしても、呪いが残ったってことを忘れもせず、大人になっても、ずっと心に留め置いてくれていた。
氷雨を見殺しにした、その行動は、やっぱり簡単に許すわけにはいかないけれど、もしもこれから、俺の氷雨の呪いが解けてずっと一緒に生きられることになったなら、ぎりぎりチャラにしてもいいと、俺はそんな風に思うのだ。
氷雨と手を繋いで歩いていたら、フードをかぶった黒い女が現れた。
ずっと俯いていて、何の言葉も発さない。
罪悪感は、呪いみたいなものだろう。この呪いを解くのは、つぐないの時間しかないんだと思う。
きっと彼女からは話しかけられない。そんな勇気は失われている。
だから、こっちから話しかけてやった。
「占い娘、頼みがある」
彼女は、しばらく沈黙した後、また泣きそうな声で、
「なんでしょうか」
「氷雨を助けてやってほしい。一生のお願いだ」
占い娘は、一瞬だけ顔を上げ、また俯く。
「もし……」
「何だ。教えてくれ。どんな方法で呪いを外せるんだ?」
しかし、占い娘は俺の大事な質問に答えず、逆に質問してきた。震えそうな声で。
「もしも私に呪いがかけられたとしたら……誰かが私のこと、助けようとしてくれますかね?」
どうにも答えられなかった。俺が助けてやりたいとは思う。だけど氷雨はこの時代、十数年後の未来で、占い娘に見殺しにされている。
だから、何も言えなかった。
「――その時は、あたしが助けてやる!」
氷雨の声が、夜の住宅街によく響いた。
占い娘は、その場にしゃがみこんで、顔をおさえて泣き出した。声にならない声を漏らしながら。
「私は……何てことを……」
氷雨は駆け寄り、彼女の肩を優しく抱いた。
「どうしたんだよ、占い娘。泣きたいのはこっちの方なんだぞ?」
ああそうか。
氷雨は、この占い娘の涙を、「比入氷雨が亡くなることに対しての同情の涙」だと思っているんだ。占い娘が、自分のために泣いてくれていると勘違いしてるんだ。
それならそれで、そう思わせておけばいい。
すべてが終わって、二〇三一年なんかとっくに過ぎ去った頃に、俺は氷雨に、占い娘がやらかしたことを打ち明けることにする。なんなら、墓まで持って行ってやってもいい。
そのためには、まずは氷雨を助けないと話にならない。
こんな、未来の俺がひとりぼっちになるような未来はいらない。
絶対にぶっ壊してやる。
他ならぬ、俺自身のためにもな。
「行くぞ、二人とも」
俺たち三人にまとわりついてる呪いを、きれいさっぱり消してやる。
★
水晶玉の力で時空の扉が開かれ、こんなに簡単に移動できて良いのかってくらいあっさりと、縄づけされた時代へと移動できた。慣れ親しんだ自分の時代に降り立った。
「さむっ」
俺と氷雨は、あまりの冷気に同時に同じ言葉をもらした。
それで、まだちゃんと俺たちは強固なつながりを保てているように思えて、嬉しかった。
夜の和井喜々学園に降り立った俺たちの足元は、なんだかじゃりじゃりしていた。
よく見れば、ガラス状の欠片たちが広がっている。砕けた水晶玉だ。二代目か、三代目か。どっちだろうか。一つは俺が十数年後に飛んだ時に砕け、もう一つは、こっちの世界で砕け散っていたらしい。
「占い娘ちゃん、すまん。水晶玉の墓を暴いちまった」
「構いませんよ」
「俺たちが踏みならしちまってるのは、どっちの水晶玉だ? 二代目か?」
「どっちでもいいと思います。どっちも同じものですし」
「え、そうなの?」
「今だから明かしますが、水晶玉をどうやって手に入れているかというと、ちょっと裏ワザ的なテクニックを使うんです」
「どんなだ?」
「手順はおよそ次の三つです」
占い娘は人差し指を立てた。
「一つ目は、まず未来技術の結晶である水晶玉が一つあるとします。これを、どこか大事に保管できる環境に置きます。何かの聖域っていうか、普通の人が入れないところとか、入るのが禁止されているような場所がいいですね。ほかにも保険として地球外や深海など、その時代には人類未踏の地だったところとか。このとき、ちゃんと私以外には使えないようにロックをかけるのを忘れないようにしないといけません」
占い娘は人差し指に加えて親指を立てた。
「二つ目の手順は、水晶玉を回収するために、いくつかの時代に縄づけをしていきます」
占い娘は人差し指、親指に加え中指も立てた。三本の指が立った。
「そして三つ目、最後の手順です。といっても、あとは回収するだけです。できるだけ未来にあるものから順番に水晶玉を回収してくれば、同じ時代に何十個も水晶玉を存在させることができます。たまに置いてあるはずの場所から無くなったり壊れたりしているんで、そういう時には諦めて、次に縄づけしている過去に行きます。
以前は未来で演算機が働いていたから、面倒くさい手順を踏めば縄づけしていなくても過去に飛べたんですけど、縄づけした方が簡単に飛べるんですよね。ちょっと出現時間がアバウトになりますけども。今になって、その時の縄づけが役に立っているのですから、詰めが甘い自分の性格にちょっとだけ感謝できます」
占い娘は手を引っ込めて、少し考え込み、思い出した顔をして、こう言った。
「あとは……取りに行く時に厄介なのは、水晶玉が本気で崇められてしまってる場合です。これを回収しようとすると、現地の人に抵抗されたり追いかけまわされる場合があったので、あの頃は師匠に取りに行ってもらうことが多かったです」
「待てよ。じゃあ、悪用すれば……」
「そうですね。いろいろできます。お金儲けも、やり放題です」
「夢のような話だな。未来を知って金儲けなんて」
「実際、貧乳派の拠点だった和井喜々学園は、未来で仕入れた情報を最大限に利用して資金を集めていましたし、私たちがこちらの世界で活動する時の資金は、だいたい汚いお金でしたね」
「それってさ、法に触れないの?」
「もちろん未来の法律によって禁止されていましたけど」
また一つ、占い娘に犯罪歴が追加されていく。
「でも、その法律がある未来自体が、もうありません」
よし、犯罪歴取り消し。それでいいのかって話だけども。
「タイムパトロール的なものとかないのか?」
「しいて言うなら、私のような平和を守るタイムトラベラーがそれにあたる存在と言えるかもしれませんが、もう私がパトロールとか言う資格ありません……」
そう言った後、長い沈黙。がっくりとうなだれている。
氷雨は、占い娘を心配してフードの中をのぞきこみ、そして次の瞬間、俺が殴られた。
「あてっ! なんだ氷雨。何で殴るんだよ!」
「占い娘さっきから元気ないだろ! お前、占い娘に何かしたろ!」
何もしていないと言えば嘘になる。深く考えもせずに怒りをぶつけてしまったのは反省すべきことかもしれない。冷静な話し合いを途中で放棄した時点で、俺が彼女を一方的に傷つけてしまったと言われても仕方ない。
「……まあな、さっき、ちょっといじめちまった」
「あやまれよ」
「占い娘ちゃん。すみませんワン」
「てめぇ……しにたいのか? なんだ今の謝罪」
重苦しい空気をなんとかしたくてふざけたが、誰も笑ってくれなかった。
「すまんすまん」
俺は占い娘にしっかりと謝るために、彼女のフードをはぎ取った。
「ごめんな、占い娘ちゃん」
「私こそ、ごめんなさい」
占い娘の目の下には、くっきりとしたクマがあった、かなり参っていた。
「ああもう、暗くなるの禁止だぜ!」
だけど、きっと占い娘は、氷雨を助けるまで笑えないのだろう。
氷雨を助けても元気を取り戻せるかどうか、わからない。
そのくらいのことを、しでかしてしまったんだ。
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俺たちが俺たちの時代に降り立ったのは、俺が氷雨を探しに出た日の真夜中のことだ。だから、もう二月。氷雨が失踪してから半年が経っていることになる。俺は氷雨に、一度ちゃんと家に帰ったほうが良いと言って聞かせた。
「だけどさ好史。どう言って敷居をまたげばいいんだよ」
「とにかく顔を見せて安心させてやった方がいいだろ? お前のお父さんが、捜索願まで出してたんだぞ」
「でも……」
嫌がる氷雨を比入氷雨の家に送り届けたのだが、氷雨は、どういうわけかおそるおそる、まるで忍び込むように家に入っていき、そしてすぐに氷雨の「出てってやるよぉ!」という叫び声が響き渡り、続いてガシャーンと皿が割れる音がした。
氷雨が外に出てきた。
「ど、どうしたんだ? 感動の家族の再会になるもんじゃ……」
「あたしの家、そういうとこじゃないから」
悲しそうに笑ってた。
氷雨は、家族と仲が良くない。以前、付き合い始めたころに氷雨から聞いた話では、自宅にいる時間が極端に少なく、家族団欒の時間など皆無なのだという。家では寝て起きる以外はヘッドホン装着で、音楽を聴いたり映画を観たりするだけだという。
だからこそ氷雨は、家族で過ごせるやさしい時間に対して強く憧れているはずだ。そういうものを、二人で一緒につくっていけたらいいと思うのだが。
「俺は、お前のこと大事にするからな」
「あたしのことだってェ? あたしの貧乳を、だろ? お前の言うことは、もうわかってんだよ。ふざけやがって」
「ふははは、そうだな。お前の貧乳を一生大事に扱ってやろう。俺より先に、いなくなってはだめだぞ、俺の貧乳!」
俺は彼女の胸に話しかけてやった。愛をこめて。そしたら氷雨は不満そうに、
「もうちょっと成長しろよな。まったく」
「お前はもう成長しちゃだめだぞ、まったく」
またしても胸に話しかけてやったら、氷雨は、むかっときたようだ。俺をぽかっと殴った。やさしい一撃だ。
それにしても、どうしたものか。この時代に帰って来たは良いが、泊まるところが無い。
俺は自分の家に帰れば問題ないが、氷雨と占い娘という女子二人を真夜中の路上に放置するわけにはいかない。安全が確保される場所に送り届けるまでは、安心して帰ることができない。
まずは、知り合いの家に、一日だけ置いてもらう作戦でいこうと思う。
手始めに、父親が未来に帰ってしまって一人暮らしとなった天海アキラくんなんてどうだろう。と、思って連絡してみたものの、連絡つかず。寝ているんだろうか。そりゃそうだ。深夜には寝るもんだ。
続いて、スポーティポニテ娘の小川理央ちゃんのところはどうかと思ったが、あそこは兄弟の多い大家族らしいので無理だ。ただでさえ部屋が少ない所に押しかけていったら大迷惑だろう。
じゃあ、二つ結び系女子の今山夏姫はどうだ。もう深夜一時だけど、あいつなら深夜ラジオとか聴くために起きているだろう。そう思ってメールしてみたが、散らかってるんで無理っす。と二秒で返って来た。そこを何とか、と頼み込んでみても、返って来た答えは、ダメ絶対。
ならば変態メガネの篠原こやの。あいつはスーパー金持ちだから、きっと豪邸に住んでいて、部屋の一つや二つや三つや四つ、あいてるはずだ。泊めてほしいとメールを送ったところ、向こうの携帯から電話が掛かってきた。
「よう、篠原か? 大平野好史だ。お前の家、金持ちだろ? 部屋いくつか空いてないか? 泊めてほしいんだが」
しかし、電話してきたのは男だった。この声は……執事の森田さん!
『このような時刻に、こやのお嬢様にメールを送信する。まったくもって非常識極まりない輩はどのような人間なのかと思いましたら、あなた様でしたか。深夜にこやの様に連絡をし、睡眠を妨害することによってホルモンバランスを崩し、こやのお嬢様のお胸様をこれ以上成長なさらないようにすることが目的なのでしょう。
しかし残念ながら、こやのお嬢様は、巨乳様になることをお望みです。ゆえに、あなたの行為は決して許されることではありません。まして、『泊めろ』などと、身の程をわきまえた方がよろしいのではないでしょうか? おそらく、大平野好史様のことです、すべて、こやのお嬢様のお胸様を狙ってのことでしょうが、いかなる狼藉も、この森田が許しませんので、どうかお手柔らかにお願いいたします』
「ごめんなさい! ねぼけてました!」
冷汗ですべりそうになる指先で電話を切った。ここもだめだ。あの人には勝てない。
「なあ好史。お前って、人望ないんだな」
「貴様に言われたくはない」
「あたしは、けっこう後輩に好かれるんだぞ。お前と違って」
「だったら泊まるところくらい自分で探せ」
「いいだろう」
そして氷雨はスマートフォンを取り出したが、電池切れだった。
十数年後の未来から帰って来たばかりだからなぁ。
氷雨は、俺の携帯を取り上げて、「うっわ、古いな、なんだこのケータイ」とか文句を垂れつつ、今山夏姫に電話した。冬の静寂の下だったもんで、電話から声がよく響き、会話は筒抜けだった。
『もしもし、好史先輩ですか? 無理って言ったじゃないですか。まず男の人を泊めるなんて無理ですし、たとえ好史先輩が女だったとしてもダメです。まじ散らかってますから』
「おい泊めろ」
『え? その声って、まさか氷雨先輩? 無事だったんですか?』
「ああ。何不自由なく、健康的な毎日を送っていた」
『よかったぁ。あ、そうだ氷雨先輩。好史先輩が、すごいぼろぼろになってたんですよ。氷雨先輩が居なくなってから、心配しすぎで全然元気なくて。精神的にかなり参っちゃってました』
おいおい、そんなことは言わなくていいんだよ夏姫ちゃん。なんか恥ずかしいじゃないか。
「へぇ全然そうは見えないけどな。いつものふざけた顔だぞ」
なんとひどいことを言う。
今山夏姫は電話の向こうで、深く溜息をついた。
『はぁ……いいっすね、氷雨先輩は。心配してくれる人がいて』
「大丈夫だ。好史は、きっとお前の貧乳が無くなったときにも心配してくれるぞ」
『あはは、違いないっすね』
「それで、どうなんだ。お前の家に泊まることできないか?」
『おっぱい触らせてくれたらいいっすよ』
「貴様もか。好史といっしょに、しなせてやろうか?」
『いやぁ、冗談です。でも、まじめな話、かなり危険なので、無理っすよ』
「大丈夫だ。泊まるのは私と……もう一人も女性だから、女子二人だけだからな。貧乳好きの変態に襲われる心配はしなくてもいいぞ」
『いやぁ、そういう危険は心配してなくって、いま、陶器やら磁器やらガラスやらの破片が散らばってて、足の踏み場が無いっていうか』
「なんだそれ。両親が夫婦喧嘩でもしてんのか? 皿が飛び交う現場なら、あたし慣れてるぞ」
『あはは、ご冗談を。でも喧嘩とか、そういうのじゃないです。実は昼間、転んだ拍子に、天井まで届くようなでっかい飾り棚をガシャーンって倒しちゃって。そこに飾ってたものが無残な姿に……』
「おいおい、それってやばいんじゃないのか? 怒られるやつ」
『はい……両親が早朝に帰ってくるんですよね。しかも恐ろしい祖父を連れて。だから叱られてるとこ見られたくないっていうか……だってこれ、ひいおじいちゃんが集めてきたもので、海外で何百万も出して買った貴重なものもたくさんあって……取り返しつかないし、どうしようかなあ……でも、どう見ても、全部変なものしかなくて、そんな価値のあるものには見えないけど……うう、どうしたらいいと思います?』
「そんなのあたしにきかれてもな。別のもの飾ったらいいんじゃないか? 百円ショップにいろいろ売ってるだろ」
『それ絶対おわりますって』
「じゃあ猫のしわざ」
『飼ってませんよ』
「友達がやらかしたことにするとか。たとえば好史が悪いってことにすればいいんじゃないか。こいつなら貧乳のかわりに拷問とか受けても、死なないどころか喜ぶだろ」
『ひどすぎますよ、ひとでなしです、さすがに』
「泥棒や強盗に入られたって設定はどうだ?」
『おおごとになってから嘘がバレたら大変なことに……今山家の恥じゃぁ、とか言われて一刀両断されますって』
「もう正直にあやまるしかないんじゃないか?」
『うー、どうしようかなぁ……とりあえず、てきとーに修復してみるか!』
「そうか、がんばれ」
『はぁい、すみませーん』
通話が終了した。
氷雨は俺の方に向き直ると、あっさりとした口調で、
「無理だな。今山家は大変な修羅場になる」
「ああ、きこえてたよ」
「今山がダメだったら、もうアテはないな。残念だ」
「え、お前の交友関係、すげえ狭いのな」
「誰のせいだぁ!」
「ぐほぁぁあぁぁぁ」
俺は近所迷惑な叫びをあげながら、星空を切り裂く流れ星となり、樹木に引っ掛かって止まった。
占い娘が氷雨に歩み寄り、氷雨の背中にそっと触れた。
「あの、氷雨さん。よかったら、私の家に泊っていきますか?」
「ん、なんだよ、占い娘の家があるんだったら先に言えよ」
まったくだ。
占い娘はどんよりと俯き、
「すみません……」
占い娘よ。とりあえず、もう謝るな。




