第27話 時をかける1 氷雨の行方
俺は、命を燃やすくらい本気だった。全力だった。
頭の血管から血が噴き出るくらい真剣に、「貧乳スコープ」を発動させた。
世界中の貧乳を元に戻すことで完全に覚醒した俺の特殊スキルだ。
俺が世界で最も愛している貧乳を探した。
――いない。
どこにもいない。
俺の貧乳がいない。
世界中の貧乳オーラを探し尽くしても、見つけられなかった。
そんな馬鹿な。
どこに行ってしまったのか。
無事なのか。
何故見つからないんだ。
手がかりが無さすぎて、どうすればいいのかわからない。
おそろしいほどの情報力を持つ篠原家に頼み込んで探してもらった。
それでも見つからない。
みんな、記憶はちゃんと残っている。彼女の存在を忘れている人間はいない。
俺も、天海アキラも、今山夏姫も、小川リオも、篠原こやのも。普段あまり話しかけてこないクラスメイトですら、「最近見ないけどどうしたんだ」って言って心配してくる。
こっちがききたい。どうしているんだ。
どうしてこうなった。どこに消えた?
――氷雨は。どこに。
★
占い娘が未来に帰ったのが、八月三十日のことだ。
その日の夜あたりから、比入氷雨と連絡がつかなくなった。
メールは返ってこないし、電話をかけても定型アナウンス。
電源が入っていないか圏外なので繋がらない。
それでも新学期はすぐに始まるし、季節の変わり目に体調でも崩したんだろうと思っていた。
もしかしたら、知らぬ間に俺が彼女に怒られるような何かをやらかしてしまい、それで彼女がメールも電話も全部無視しているのか、とも思ったけれど、身に覚えなんてあんまり無かった。
新学期が始まり、すっかり秋になった。
まだ氷雨は俺の前に姿を見せなかった。
俺に黙って別の学校へ転校して行ったとか、貧乳学園に出戻りしたとか、ありえない可能性まで考えてしまって、いろんな人に聞いて回って……。
最近じゃ、いろんな人から「元気出せ」って言われる。
だけど、氷雨の貧乳がいないと、元気なんか出ない。
葉が鮮やかに色づきはじめるころ、氷雨がいなくなってだいぶ経ってから、氷雨が正式に行方不明になった。氷雨の父親がようやく捜索願を出し、俺も警察に事情を聞かれた。本当に、どうしてしまったのだろうか。
未来は、よくなったはずではなかったのか。貧乳と巨乳が争う未来が無くなって、俺が教科書に載るような事件を起こすこともなくなって、ハッピーエンドでお別れしたはずじゃなかったのか。
誰のしわざだ。
貧乳穏健派?
巨乳穏健派?
貧乳過激派?
巨乳過激派?
それとも別の勢力か?
俺たちが変えた未来では、貧乳と巨乳が争い合うことなく、胸による差別や迫害なんて考えもしないくらいに平和な世界になっているという。
過激派の連中だったら何をしでかすかわからないけれど、変わった未来では、どっち派にも過激派が成長する土壌が無いはずだ。
考えたくもないことだが、もう、氷雨はすでに……。
そんなわけない。やめろ。違う。
だけど、感じられないんだ。氷雨の貧乳オーラが。
どれだけ頑張っても、どれだけ命を削っても、気配がないんだ。氷雨一人が発している、俺の大好きな貧乳オーラが。世界の、どこにも。
いなくなる兆候なんてなかった。
俺との未来を選んでくれていた。
秋からも、ずっと一緒に、ふざけ合うのが当たり前だと思っていた。
誰のしわざだ。
たとえば誘拐されたんだとして、氷雨を狙う目的は何だ。またどこかで何かの歯車が狂って、貧乳派と巨乳派に分かれちまったのか?
それはないはずなんだ。
歴史は変わったんだ。天海アキラが将来、巨乳信仰団体の教祖に担ぎ上げられることもなくなった。
俺が歴史的な事件を起こさなくなった。
だったら今、氷雨を連れ去っても何がどうなることもない。氷雨がいなくなっても世界は大きく変わることはない。平和な未来のままだ。大海原に小石ひとつ落とすようなもんだ。
平和であることは何も変わらない。
だったら個人の犯行か?
未来の誰かが氷雨に惚れて連れ去ったとか。
だったら何だよ。
どうすりゃいいんだよ。
犯人が未来のヤツだったと仮定して、氷雨が未来に連れて行かれているとしたら、どうすりゃ助け出せる?
……考えてはいけなかったかもしれない。
ただ氷雨の帰りを信じて、祈り倒して、待っていた方がよかったのかもしれない。
考えれば考えるほど、絶望的な状況ばかりが脳裏に浮かび上がってくる。
★
「どうにかして未来と連絡をつける方法は無いか?」
俺は後輩に訊ねた。
そいつは女装の名人で、巨乳好きで、両親が未来人だったことが判明した。だから、時を越える連絡手段を持っているかもしれないと思った。
未来に連絡できれば、少なくとも、何が起きたのかということは確認できる。氷雨の安否を確認して安心したい。
でも、そいつはヤバいやつを見る目で、わけがわからないという顔をしながら、
「わかりました、好史さん。無理だとは思うけど、やってみますね」
まるで記憶を失ったみたいだった。
「頼んだぞ、アキラ」
俺は必死の表情をしていたと思う。
それから、一か月くらい、毎日欠かさずアキラにメールした。たまに電話もした。連絡がついたかどうかを聞いた。何度も。そのうちに、面倒になったのか、返信が無くなった。電話にも出なくなった。進展があったら、こちらから連絡しますというメールが最後だった。
氷雨は死んでいない。
未来に連れていかれたんだ。
そう思わなければ、どうにもならない。
手がかりになり得るものは、未来とのつながりを残すもの。
未来と……。
無い知恵を絞って、必要な記憶を必死に思い出す。
愛する人の命がかかってる。
学校も大事だが、氷雨のいない場所に通っている暇があるものか。手がかりを探さなくてはいけない。
考えて、考えて、とにかく手がかりが欲しくて、どんな小さなものでも未来のものを集め、庭に並べてみることにした。
庭で普通のママチャリと化している『未来自転車バイバイバイシクル』。効果抜群の『虫さされ薬』。そして別れ際に占い娘からもらった『貧乳銃』。俺が持っているのは、これだけだ。あと、もう一つ、俺の部屋に『貧乳ドール』も残されているが……。
全然、何の手がかりにもならない。
諦めかけた時、未来自転車の前かごに、キラリと光るものを見つけた。
「これは……?」
二センチほどの、尖ったガラス片。セロハンテープにっくっついて、かごに引っかかっていた物体は、他の人からみたら、とても意味あるものとは思えないだろう。きっと単なるゴミにしか見えない。
だが、これは……。
前かごは、占い娘の指定席のようになっていた。だったら、占い娘の持っていた水晶のかけらじゃないのか。
そこまで考え至った時、一瞬のうちに連想され、蘇ってきた記憶があった。
止まった時の中で、貧乳巨乳戦争を繰り広げた時、ギリギリのところで助けが来た。
その長身の美女は、どこから来た?
小さな占い娘は、どこから未来へ帰って行った?
――和井喜々学園だ。
あの学園の、体育館の横。花壇のあたりじゃないか。
ガラス片をポケットに入れて、未来グッズを庭に放置したまま自転車にまたがった。
あの花壇の上には、カーテンの裂け目のように、時空の歪みがあった。未来への道があった。今もまだ、残っているかもしれない。
季節は二月の上旬。だが俺は、寒さも忘れて薄着のまま飛び出していた。
レンガの塀にあいた卵型の抜け穴。秘密の出入り口から入っていく。
授業中のようで、道中に学生の姿はなかった。
体育館横の花壇に着いた。体育でバレーボールをやっているようで、女子の甲高い声と、ボールの弾む音。ジャンプの音や着地音が響いてくる。
今は体育館の揺れない貧乳を鑑賞している余裕はない。
氷雨がいないのだから、それどころではない。
俺は頭上をみた。裂け目があった場所だ。
そこには何も無かった。
ただ建物の壁と、いくつかの窓と、その向こうに雲と空が見えるだけ。手で見えない裂け目を掴み取ろうとしても、無駄だった。
だけど、あきらめてたまるか。
何度も何度も、空を引っ掻く。
無意味な時間が続く。
「くそ、どうすりゃいい。ここじゃない別の時空に氷雨がいるかもしれないのに、行き方がわからねぇ」
勢いをつけて飛び込めば、ドアをぶち破るように入口を開けるのではないか。
俺は、裂け目のあったあたりに全力で突進をしかけた。
全速力で駆け抜けてみても、そこには冬の空気があるだけで、氷雨のいる時空には行けない。
「角度が違うのかもしれない。もう一回だ!」
何度目かの突進で、俺は無様にも転び、花壇の土に突っ込んだ。
「くっそ……」
顔についた土を払いながら、足を引っかけた場所を見る。土が不自然に盛り上がっている場所があった。
「ちくしょう、なんだこれ!」
こんもりと盛り土がされている二つの山。
高く作られていて、貧乳好きの俺には、まったく好ましいものじゃない。
うまくいかないのが頭にきて、俺は情けないことにその二つの山に、八つ当たりをした。
飛び散る土。崩れる山。そこに――。
「まじかよ……こんなことって……」
セロハンテープでツギハギされた、未来アイテムがあった。
土まみれの姿でそこにあった。
もしかしたら、いけるかもしれない。
俺は、埋められていた二つの水晶玉を掘り出した。
墓あさりをしてでも、俺は氷雨に会いたい。
占い娘が残していった、重大な未来の痕跡。俺を苦しめた水晶玉でもあり、俺に大事なことを気付かせてくれた水晶玉でもある。そして、みんなを守った水晶玉でもある。すっかり光を失って泥まみれだった。
不法侵入中の和井喜々学園の水飲み場で、水晶玉と手にこびりついた泥を落とした。泥がひび割れたところに染み込んでしまって、完全な透明に戻すことはできなかった。
花壇の前に戻り、レンガの地面に座り込み、水晶玉の再起動を試みる。
光らない。
沈黙。
どういう仕組みで動いてたんだろう。
占い娘は、よく指で押したり撫でたり球面上で図形を描いたりしていたが。
触っても、叩いても、おでこを当てても、何も動かない。
思えば、占い娘は二つの水晶玉が使えなくなったから捨てていったのだ。修理が可能ならば、この過去世界にそんなオーパーツを置いて行ったりするわけがない。
未来がまた揺れ動いてしまうかもしれない行為を占い師匠が許可するとも思えない。
「だけど。壊れていたとしても」
試せることは何でもやろう。
俺は、拾った水晶玉の破片を、パズルの最後のピースを合わすように泥色の水晶玉にはめこんだ。
するとどうだろう。水晶玉が、奇跡の復活を遂げた。
二度ほど、ふわふわと光を放ったのだ。
「挨拶はいい。氷雨がどこにいるか、教えてくれ!」
復活はしたが、いつまで動くかわからない。
氷雨の居場所を突き止められなかったら、意味がないんだ。
なかなか氷雨の場所を教えてくれないので、必死な俺は水晶玉をばしばしと叩いた。
もしかしたら、それが復活の時間を短くしてしまうかもしれなかったが、冷静さを失っている俺は、そこまで考えが及ばずに、何度も何度もバシバシごつごつと、乱暴に扱った。
焦りまくる俺に、水晶玉が出した答えは――。
空に、時空の裂け目が出現した。
次の瞬間。俺は氷雨を感じ取った。
確かに感じた。ほんの一瞬。ほんの微かに。
氷雨だ。氷雨の貧乳の気配。
俺が氷雨の貧乳オーラを他と取り違えるはずがない。
頭上の裂け目、カーテンの隙間のその奥の奥からだ。
別の時空にいけるかどうかわからない。帰ってこれなくなるかもしれない。そもそも氷雨にたどり着けないかもしれない。時空のはざまで永遠にさまよい続ける結果になるかもしれない。
けど、この時の俺は、迷わず飛び込んでいた。
氷雨のいない世界で過ごすのは、どっちにしろもう限界だ。
どうやって別の時空に行くのか?
そんなの一切わからなかったけれど、とにかく必死だった。
裂け目に入ると、視界が歪んだ。色とりどりの細い線が目の前を支配している。それらはすべて、束になったり、絡まったり、幾重にも重なったり、千切れたり、太くなったり細くなったり、いろいろに変化している。
貧乳スコープが、水晶玉の力を借りてさらなる覚醒を迎えたのかもしれない。
片手には、まだぎりぎり光っている水晶玉。
「こっから、どうすりゃいいんだ」
時空の裂け目から氷雨の貧乳オーラを確かに感じた。
「くそ、占い娘から、時空のはざまの歩き方とか、聞いておくんだったぜ」
手がかりは、もう無い。あとは勘だけだ。
願えば叶うことだってある。
だから願う。心から。
もしも、はるか未来、占い娘が水晶玉で映し出した画面で、俺のこの行動を見てくれていれば、もしかしたら助けてくれるかもしれない。
イメージだ。
どこに行きたいか、目的の場所を、目の前で踊る糸たちに伝えるんだ。
嗅ぎとれ、感じ取れ。時空なんか越えてやれ。
目を閉じて、力をこめて、身体の血を全て沸騰させ切るようにイメージする。
意識を貧乳スコープに集中するんだ。
どんな微かな貧乳オーラでも、氷雨のものなら逃さない。
俺は氷雨を連れ戻すんだ! 絶対に!
「――これだ!」
手を伸ばした。




