第24話 貧乳巨乳戦争6 真の絶望
「待て!」と野太い声が力強く響いてきた。
貧乳銃の引き金に手をかけたまま声のした方向を見上げる。
顔にキズのある男が、体育館のドーム型の屋根を、滑り降りて来ていた。何だこれは。
「親父?」と呟いたのはアキラ。
ということは、天海アキラの父親。
その筋骨隆々の中年男は、レンガの通路に華麗な着地を果たし、俺たち貧乳派の前に立ちはだかった。
危険なにおいがする。
全身の細胞が、「逃げろ」と囁いている気がする。
「好史さん、気をつけてください。世界巨乳化委員会の幹部と思われます。この男が、アキラくんを洗脳し、巨乳好きに仕立て上げ、転入生として送り込んだのです」
「そりゃ、すげえ悪いやつだな」
猫は男を歓迎する。
「おおう、間に合ったでござるか、天海ガルテリオ同志よ。我々の作戦は小娘に見破られ、多くの『新しい巨乳たち』は元に戻されてしまったでござる」
猫の声をきいたアキラは明らかに戸惑っていた。
「ガル……テリオ……? え、親父、そんな外国人みたいな名前だったのか。テルオって名前じゃ……」
息子にも本当の名前を明かしていなかったわけだ。
ガルテリオは猫に言う。
「時間停止には対策を立てていたと言っていなかったか?」
すると黒猫は、前足の肉球を持ち上げて男の方に向けながら、
「そのつもりでござったが、同志たちに仕掛けた時間停止対策装置が、どうも小動物にしか効かなかったようでござる。敵のタイムストッパーの威力を見誤った拙者の失策にござる」
「おかげで自力介入するはめになった。ひどく金を使わせられた。これ以上の失策は、勘弁願いたいもんだがねぇ」
「すまぬ。だがお主のおかげで、もう大丈夫。我々が優勢になったでござる。ガルテリオの圧倒的パワーで非力な小娘どもを蹴散らしてやれば、残った『新しい巨乳たち』を守れるかも知れぬ! たとえ数は少なくとも、守り切れば新たな世界巨乳化への歴史が開かれる可能性が、ギリギリ残るでござる!」
こちらにも戦闘力の高い氷雨が居るとはいえ、女の子である。鍛え抜かれた男、しかも巨乳派の切り札として登場した男に勝てるものだろうか。
猫は、まずは占い娘に視線を送った。
「さあ、手始めに、そこの貧乳もじゃもじゃの魔女を倒すでござる」
「ああ、わかってるぜ」
「そして、貧乳派とこうして全面対決することになった以上、大平野好史も用済みでござる」
「ん? そうなのか。消しちまうのはダメだと言ってた気がするが……」
「状況が大きく変わったでござる」
「だがよぉ、そこの貧乳大好き変態野郎には利用価値があるんじゃなかったか? ヤッちまったら、レア能力の『貧乳スコープ』とやらが手に入らないだろ?」
「生かしておくと、これから先も『貧乳スコープ』の力で折角の新しく生まれた巨乳たちを元に戻されてしまうでござる。ゆえに、もはや目の上のタンコブ。比入氷雨が巨乳になったことで絶望しかけて弱っておることだし、やってしまってもかまわぬでござる」
「ほう」
頷いた天海ガルテリオは、まずは占い娘を見据えた。
「アキラの友達の巨乳に手を出すとは、この不届き者が。やはり貧乳は悪だ。容赦はせん!」
まるで占い娘が悪いことをしているかのような物言いだ。こいつら巨乳派が悪いに決まっているのに。
占い娘は、後ずさりした。それでガルテリオは、周囲に動きがないか見回した。巨乳の敵を見極めるためであろう。
鷹のような鋭い目でにらみつけられた比入氷雨と小川リオは、危険を察知した。それぞれ捕まえていた巨乳から離れ、距離をとった。
占い娘は気弱な声を出す。
「好史さん、まずいです」
「わかってる」
「武力という意味では敵の方が上となりました」
「それもわかってるって」
「万能未来グッズである水晶玉ちゃんさえ手元にあれば、武力の差は簡単に埋まります……」
「だがもう……」
「ええ、もうすでに一代目と二代目は位牌となり、三代目も砕け散ってしまっています……」
そこまでピンチをアピールしなくても、誰の目にも明らかだ。
俺は何とかみんなを守ろうと、ガルテリオを倒す算段を立てはじめた。けれど、そんなものがすぐに思い浮かぶような上等な頭は持っていない。低スペックもいいとこだ。
手に持っている銃も殺傷力なんかなくて、ただ巨乳を貧乳にするための平和的なものだ。
だから、俺にできることといったら、盾になって皆を守るくらいだ。
だけど、敵は俺ごときの力などまったく無いものとみなし、道端の蟻を見るかのように扱った。
俺を無視して高速移動をはじめた。
目で追うことすらできなかった。
やつは、いつの間にか、占い娘を見下ろしていた。
最初の標的は……占い娘。なぜ彼女が真っ先に狙われるのか。
たぶんそれは、現時点で最も貧乳だからだ。
あいつは……天海ガルテリオは、貧乳の存在を認めない。俺にはわかる。貧乳があれば抹殺する男だ。
占い娘を消したら、次はリオちゃん、その次は全世界の貧乳の命を奪って回るのだ。
俺が撃ち抜いた貧乳たちを、ひとりひとり……。
見過ごせない。絶対に見過ごせないけれど、どうやって阻止すればいいのかわからない。
今にも占い娘に、大きな拳が襲い掛かろうとしている。
とにかく、俺が盾になって――。
そう思った時、ガルテリオと占い娘の間に、巨乳が割り込んだ。
氷雨だ。
俺の愛する氷雨さんは、自分よりも弱い占い娘を庇うように前に出て、戦闘態勢をとった。映画に出てくるような、拳法を真似た構えを取った。
そんな、ちゃんとした格闘術なんか使えない。氷雨にあるのは粗削りな自己流の喧嘩技だけだ。
「ほう、比入氷雨とかいったか。なかなか良い巨乳をしている」
天海ガルテリオは、そう言って、自らのゴツゴツした顎を撫でた。
「いい巨乳、か。そうかもな。……ただ、あたしは貧乳の方が良かったって思うよ」
「ほほう、それはまた何故だ? 巨乳の方が、他人から好かれるのではないかね? 身体は喜んでいるようにみえるぞ? 理想の肉体ではないのかね」
「かもしれない。もっと胸が欲しいなって思ったことなんて何回もある。だから、正直に言うと、あたしは巨乳になった瞬間、けっこう嬉しかったんだ。……でも巨乳になって少し経って、あたしは大事なものを失ってしまったんじゃないかって、思ったんだよ」
「は? 巨乳より大事なものとは?」
ガルテリオは呆けた顔で首をかしげた。
氷雨は、ゆっくりと語り出す。いつもより少し高くて、でも落ち着いた声だった。
「あたしのさ、好きな人ってのが困ったヤツでさ、毎日のように『お前の貧乳が好きだ』なんて言葉を浴びせてきた最悪のド変態なんだよ。だけどさ、あたしが巨乳になっちまったら、そいつ、あたしのこと好きって言ってくれなくなってさ。そりゃまぁ、あたしはこんなにスゴイ巨乳になっちまったんだから、あいつが『好きだ』たなんて言ってくれるわけがないんだけど」
「なるほど、巨乳を虐待するとは、貧乳派はやはり悪だ」
「それでさ、毎日『貧乳が好きだ』って言われてた頃は、むしろフザけんなって、そのたびに怒って殴り飛ばしてたんだけど、いざ言われなくなると何か物足りないって思ってさ。あと、そいつ、あたしが貧乳だった頃はヒマさえあればあたしの胸を凝視してたのに、巨乳になったら全然目を向けてこなくてさ」
「もったいない。いくら凝視しても足りないぞ」
「こんなんだったら、貧乳のだった頃の方が一億倍よかったなって思ったよ。あたしが巨乳であることで、好きな人に寂しい思いとか、悲しい思いとかさせてることに気付いたら、やっぱ、そいつにとっての一番の貧乳でありたいって、思った」
俺は感動していた。
それはつまり、俺を何より一番に選んでくれたってことだからだ。こんな、貧乳貧乳とばかり言い続けている、だめな俺を。
しかし、空気を読まない篠原が、挙手しながら割り込んできた。
「じゃあ、自分が巨乳好きの天海先輩のために巨乳になりたいって思うのは当然ってことになるじゃないですか!」
夏姫ちゃんも指を鳴らして、「そうだ、よく言った篠原!」と同調した。
巨乳派も次第にまとまりを見せ始めてしまった。今山夏姫と篠原こやのたちのような、残った虚乳たちを守るという目的が明確になったからであろう。
この時、敵がまとまるのを恐れたのは、占い娘であった。
彼女は声にこそ出さなかったが、視線にメッセージを載せて飛ばしてきた。
――かまいません、さっさと二人を撃ってください。
だいぶ長いこと世界中を一緒に旅したからな。言葉がなくても、かなり意思の疎通がとれるようになっている。
この隙を突いて『貧乳になる光線銃』を使って篠原やナツキちゃんを貧乳に戻してやろう。目の前でだらしない膨らみがしぼむさまを見せれば、敵も落胆するに違いない。
銃口を篠原に向けた。
しかし、今にも引き金を引こうとした瞬間、またしても邪魔が入った。
「甘いでござる!」
黒猫が俺の腕に飛び掛かり、ネコパンチを繰り出したのだ。
光線銃は不意を突かれた俺の手を離れて転がった。プラスチックが地面にぶつかるチャチな音を立てた。ボーッと突っ立っていた女装男のカカトの辺りにコツンとぶつかった。
違和感を覚えた天海アキラがカカトを持ち上げ、振り返りながら再びカカトを落とした時、あまりにも残酷な音色が響き渡った。
――ベキッ。
信じられない様子の占い娘が、「あっ……えっ……?」と戸惑い交じりの呟きを漏らした。
俺も、こんなのが現実なのかと疑いたくなった。
最重要キーアイテム。貧乳に戻すための道具。水晶玉が砕けたからもう作れない。この停止した時間上で、あれきり存在しない。貴重すぎる品。
「あ、なんか踏んだ?」とアキラ。
何というコンビネーションだ。ネコパンチで銃をふっ飛ばし、そこで待ち構えていたアキラが踏みつけて壊すという流れるような連続技だった。
あの銃が壊れてしまったということは、もう夏姫や篠原を元に戻すことができなくなったということではないのか。
おそるおそる占い娘ちゃんの方を見てみれば、死んだ魚の目をして立ち尽くしている。絶望に塗りつぶされていた。
なんてことだ。こんな簡単に終わってしまうなんて。
信じたくない。もう目の前の巨乳を元の貧乳に戻すことができないなんて。
夏姫も、篠原も、そして氷雨も、この先ずっと、巨乳のまんま……。
「……………………」
とても静かな世界が広がっている。既に時間は止まっているのに、その中でさらに止まってしまったようだ。
俺も、氷雨も、そこまで鈍感ではない。『貧乳にする光線銃』が壊れたことの意味を理解できる人間だ。だから、言葉を失っているのだ。
俺は無言のまま、動揺を隠せないでいる占い娘の黒い肩に手を置いた。
「これは、その……せめて水晶玉ちゃんさえ生きていれば何とかなったかもしれません。でも三代目は死んでしまったので、どうにも……どうにも……」
俺のせいか。
俺の責任が大きい気がする。
俺がネコパンチを受けなければ、俺が銃を手放さなければ……。
アキラは戸惑いながら、足元の青っぽい残骸を爪先でまとめ、呟く。
「おれ、何かまずいことしたかな」
ああ、したとも。
非常にまずいことをした。貧乳にとって致命的だ。
鍵となる銃が踏み壊された。
もはや水晶玉もない、何もできない。戦闘力の高い天海アキラの父親ガルテリオが敵側に加勢しに来た。氷雨は巨乳のまま。夏姫も篠原も巨乳のまま。
万事休すだ。
何だこれは。
俺の大好きな貧乳たちは、もう戻らないのか。
もう……もう氷雨の貧乳には、二度と会えないとでも言うのか。
俺は氷雨の胸を見た。
巨乳だ。
何で巨乳なんだ。
これは現実か。
目を逸らした。
この先も、ずっと、ずっと、ずっと氷雨は巨乳なのか。
巨乳?
ずっと、巨乳?
巨乳……巨
巨乳……巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨乳巨
不意に、ぷつりと意識の糸が切れる音がした。




