第21話 貧乳巨乳戦争3 巨乳学園
貧乳化の旅の中で、氷雨との思い出の場所であるハワイにも行った。ハワイ上空を自転車で駆け下りながら、氷雨に思いを伝えたんだったな。
「氷雨、いつかお前が貧乳に戻ったら、またこのハワイに来ような」
などと、氷雨の方にまったく目を向けず、視界に入れず、空を見上げながら言ったりした。
「うん……」
とか氷雨らしくない弱々しい声で、しみじみと呟いた。
何が言いたいかというと、虚乳になってしまった氷雨と一緒に時の止まったハワイに来たところで、悲しいだけだってことだ。
いつか、ちゃんと、あるべき貧乳に戻った氷雨と、ゆっくりできるシチュエーションで、砂浜に立ちたいと思った。
しばらく景色を眺めたのち、ビーチに寝転んでいる巨乳たちのうち元が貧乳だった方々を狙い撃ちして、再び未来自転車に乗り込んで、大海原に繰り出した。
世界を巡って全世界の虚乳を貧乳へ。
元の姿が貧乳であれば駆けつけて、本人の意思とは関係なしに貧乳化させていった。
とても長い時間が掛かった。
本当に長い時間。
時にはケンカをしながら、時には巨乳状態の氷雨から理不尽な暴力を受けて痛い思いをしながら、時には笑い合いながら、年単位の時間をかけて三人で世界を元の姿に戻していった。
ただ、体が成長したり、老いている感じは特になかった。
ある時、高いタワーの頂上で休憩していた時に、そのことについて説明してもらった。
占い娘によれば、停止した時間の中を動いたからといって、年齢を重ねることは無く、さらには腹が減ることもなく眠たくなることもないのだという。かわりに精神への負担は大きいらしいが。
「どういう仕組みなんだ」
「未来のテクノロジーです」
つまり、占い娘にも、よくわからない、ということだろう。わからないことを誤魔化す時に、こいつは、この言葉で煙に巻こうとする。
その時、俺はふと思い出した。
気の遠くなるような長い時間、ずっと目の前の貧乳を撃ち続けているうちに、いつの間にか、ものすごい大切なことを、すっかり忘れていた。
「それにしても占い娘よ、ずいぶんトントン拍子にうまくいくもんだな。このままだと、本当に全世界を貧乳に戻せるんじゃないか? たしか、当初は妨害が入るとか言ってたような」
すると彼女は、ハッとした表情になった。忘れていたようだ。
そもそも旅の目的は、「敵をおびき出す」ことだった。それが、いつの頃からか、「貧乳を元に戻す」ことに変わってしまっていた。
仕方のないことだ。本当に長い時間、眠ることなく貧乳を戻す作業ばかりを繰り返してきたのだ。
困難な作業も多かった。目の前のことに精いっぱいだった。それだけ真剣に取り組んできたってことだ……なんて、これは言い訳だろうか。
「言われてみれば、そうですね。飛んで火に入る夏の虫作戦のはずが」
嫌な予感がするといった雰囲気で、占い娘はヒビの入った水晶玉を見つめた。
「どうしたの、占い娘」と氷雨さん。
そして、水晶玉をしばらく操作した後、占い娘はこう言った。
「なんということでしょう。また私、油断して……すみません好史さん、氷雨さん。急いで学園へ戻らねばなりません」
「おいおい、どうした。何が起きてるのか教えてくれ」
「世界をめぐって、人々を貧乳に戻してきて、そして今、レーダーに世界全体を表示しても一つしか虚乳を示す点が存在しなくなっていたのです。それは氷雨さんが最後に残っているだけだ、あと少しなんだ、とか思っていました。その時に気付くべきだったんです。他の貧乳仲間たち……ナツキちゃんや篠原、そして小川ちゃんのことも思い出すべきだったんです……」
がっくりと俯く占い娘。
「まどろっこしいな。何が起きてんのかって」氷雨も、いらだった口調で言う。
占い娘は、語るよりも見てもらったほうが早いとばかりに、水晶玉を頭上に差し上げた。
白い雲をスクリーンに、長方形の画面があらわれる。
そこには、巨乳派の動きが映し出されていた。
★
事態は深刻だった。巨乳派は停止した時空への侵入など、とっくの昔に終えていた。
こちらにバレないよう、貧乳レーダーの監視をかいくぐり、着々と戦いの準備を進めていた。
タワーの頂上に置かれた水晶玉が映し出す画面の右下には、日付と時刻が出ている。
八月二十九日。まだ時間が動いていた頃のこと。
雨の校庭には、氷雨の姿があった。氷雨の姿しかなかった。
ということは、これは、俺が氷雨に抱きつかれそうになって、突き飛ばして、叫び声をあげながら走り去った直後のことになる。
あのとき、俺がいない間に、氷雨の身に何が起きていたのか。
氷雨の前に現れた黒猫が、渋い男のような低い声でこう言った。驚くべきことに喋ったのだ。
「比入氷雨、巨乳のままで居たくはないでござるか?」
この黒猫、やはり巨乳派だったか。
比入氷雨は呆然として、猫が喋っていることに驚く余裕もなかった。
力なくつぶやく。
「あたしは別にどっちでもいいけど、好史が何て言うか……」
「どちらでもよいとな。ならば、『肉体固定ビーム』発動でござる!」
猫は野太い声で言って、目を強く発光させた。黄色い光線が氷雨の胸に伸び、数秒間照射され続けた。光を浴びている間、氷雨の巨乳が小刻みにぷるぷると揺れた。
俺の愛する氷雨は、混乱のうちに巨乳のまま固定されてしまった。光線銃では、元に戻らない体にされてしまったのだ。
そして黒い猫は、俺の氷雨のおっぱいを固定したことで勝利を確信したようだ。「勝ったでござる」とジャンプして、学校の敷地を囲う塀に上った。かと思ったら、さらに跳躍を続け、民家の屋根をピョンピョン跳びはねて去っていった。
あの猫こそ、占い娘の新品の水晶玉を割ったり、占い娘のカバンを奪い去ったりした黒猫である。
次に水晶玉に映し出されたのは、天海アキラと小川リオの姿だ。これも、時を止める前の出来事だった。
体操服ポニテ巨乳と、女装男が手を繋いで走っていた。
小川リオのほうは自分の胸がゆっさゆさに揺れていることに戸惑っている表情だった。対照的に、アキラは興奮を隠しきれない様子だ。
やがて二人が、人通りがまばらな商店街まで来た時、「ちょっ、ちょっとまって!」と言いながら、リオちゃんがアキラの手を振り解いた。
「ねぇ、一体何がどうなってるの? わたしの胸がいきなり重たくなっちゃったり、他のみんなの胸も巨大化しちゃって、すごく変だよ。いきなり何なの? これはわたしの夢なの?」
リオちゃんは卓球部だ。学園内にある非常に立派な体育館で卓球部の練習が行われていた。そこを突然の巨乳化が容赦なく襲ったのだ。
「先生とか、他の人たちも、みんな巨乳になっちゃって、わたし、おかしくなっちゃったのかなぁ」
全力で戸惑う彼女は、なおも続けて、
「でもよかった、天海さんは天海さんらしい姿のままで」
天海アキラは男だから巨乳化するわけがない。
アキラはリオちゃんの言葉を耳にして、少し良心を痛めたようだった。曖昧な笑みを浮かべていた。
だが揺れるおっぱいが視界に入るや否や、すぐに興奮した。重症だ。見事な巨乳となったリオちゃんを前にして、アキラは湧き上がった感情を抑えられない。
「そんなことより、小川さん、いや……リオさん」
「え、何? 何で急に名前で呼んで……」
そしてアキラは、大きく息を吸って衝動的な愛の告白を――。
「好きで――」
その時だ。俺たちが時間を止めたのは。
訪れた無音の世界。画面の右下に表示された日付と時刻が、ぴたりと止まって動かなくなった。
占い娘が、傘型タイムストッパーを起動させたのが告白の瞬間だったわけで、なんという奇跡的なタイミング。いや、あるいはそれすらも、巨乳派の計画のうちだったのだろうか。
画面内の二人は、一ミリも動かなくなった。
アキラがリオちゃんの手を握ったまま、完全に停止している。
しばらく、そのまま見守っていると、何も動かないはずのその空間において、何か小さくて黒いものが画面の外からそろそろと入って来た。
本来なら、ずっと止まっているはずなのだ。世界中の虚乳が元に戻るまで、少なくともリオちゃんの偽りの巨乳が貧乳に戻るまで、絶対に動かないはずなのだ。占い娘の意志と関係なく動き出すはずがないのだ。
何が動いていたのか。
黒猫だ。
「ふむ、思っていたよりなかなかやりおる。時間を止めた世界で貧乳に戻していくとはな。だが、想定外ということもない。貧乳狂いどもの目をかいくぐる用意はしてきたでござるし、時間を止める波動から逃れる術も開発済みでござる。だからこそ、こうして拙者、動いているのでござる」
渋い声の猫は、まるでこちらに語りかけるかのように言い放った。
なおも続けて、
「ククク、あの学園内だけは、未来道具のサーチ能力には引っかからないように細工してあるというのに、全く気付かぬとは、間抜けなことよ」
この猫の声を受けて、占い娘が歯を食いしばり、悔しそうに俯いた。それでも、目を背けてはいけないと自分に言い聞かせ、顔を上げて空に浮かぶ画面を見据えた。
「タイムストッパーとかいったか……さすがに強力なようだ。すぐに停止時空に介入できたつもりでござるが、学園に避難させた巨乳たち以外は、軒並み戻されてしまっておる。あの娘の持っていた球体を破壊し切れなかったのは、拙者らしからぬ失策でござるな。まあよい、ひとまず同志を、時の檻から解き放ってやろう」
そして猫は、天海アキラの腕に体当たりした。繋がれていたリオちゃんの手を剥がした。
真剣顔の男と、びっくり顔のまま固まっていた女。二人は引き裂かれた。
そのうえで、猫は、前足を使って男の足を何度か踏んだ。するとどうだ、天海アキラは一人、止まった世界の中で動き出した!
「――す小川さん! おれと付き合ってください!」
アキラは告白の続きを叫んだものの、それが小川理央の耳に入ることは無かった。
この時間停止世界において叫んだことなどは、ただ一瞬のノイズになってしまうだろう。再び時間が動き出した時に止まっていた誰かの耳に入っても意味をなさないはずだ。
一世一代の告白は失敗に終わったわけだ。
だが、どうなんだろうな、この恋路は。リオちゃんにとって、アキラは女友達でしかない。そもそも男だなんて想像もしてないだろう。
仮に実は男子だったとカミングアウトしたところで「今まで女装してたんだ、変態女装男!」と言われてフラれてしまうんじゃないだろうか。
待てよ。
わざわざ二人を別々に離してから戻したってことは、同時に目を覚まされると困るということ。つまり、猫としてはフラれるのを阻止したということだよな。
だって、手間をかけてまで動き出す時間をずらした理由を考えれば、天海アキラが失恋するのを未然に防ぐためくらいしか思い当たらない。
アキラが巨乳相手に失恋すると、巨乳派にとって何か大いに不都合なことがあるのだ。
巨乳派にとって、天海アキラがカギを握る存在ってことだ。
俺は再び画面を注視する。
アキラは戸惑っていた。
「あ、あれ? えっと、小川さん、あれ? なんか止まってる?」
そう言って、止まってるリオちゃんを見つめ、次の瞬間、思いついた顔で小川ちゃんの大きく膨らんだその胸に手を伸ばした。
体育着の上から堪能しようというのだ。
「――待つでござる」
アキラは、体をビクッと震わせて、声のした方に振り返った。
「なんだ、喋る猫か」
再び小川理央の方に向き直り、顔を真っ赤にして、巨乳に手を伸ばした。
時間が止まっているのをいいことに、彼女の胸に対して色々なことをしようというのだ!
最低だ。
貧乳とか虚乳とか関係なしに最悪だ。
倫理的にどうかしちまっている。
しかし、おさわりは実現しなかった。黒猫がアキラの右腕をガリッと引っかいたのだ。
「痛っ!」
思わず、手を引っ込めたアキラ。
「今はマズイでござる。カッチカチでござるからな」
この時、黒猫がアキラを止めた理由は、正義に反するとか、紳士的じゃないからとか、そういう理由ではなかった。
止まった時間の中では、人間の身体はガラスみたいにカタくなっている。俺も停止した貧乳や虚乳に触って確認する機会があったから知っている。
彼が思い浮かべているフワフワでモチモチな感触を得るのは不可能なのだ。
そんな状態で触れてしまった場合、どうだろう。きっとあまりのカタさに落胆するだろう。
そして「巨乳って、こんなもんなのか、全然よいものじゃないなぁ」と感じてしまう。どうやら巨乳派にとって、それこそが大きな痛手なのであろう。
それでもアキラは視覚的に鑑賞するだけでは飽き足らず、時間が止まっているのをいいことになおも触ろうとするので、黒猫はしぶしぶ右前足の肉球でリオちゃんの美脚に触れた。
短パンから伸びているすべすべの美脚、その膝あたりに触れると、小川理央も止まった時間の中で動き出した。
アキラは瞬時に手を引っ込めた。
「え? 何? 天海さん。何か言った?」
さきほどの告白は聞き取れていなかった。
「いや、その……」
胸を触ろうとしてしまった罪悪感に加え、同じことを二回繰り返して告白というのは、気恥ずかしくて、やりずらい。アキラは言い淀んだ。
そして、リオちゃんが震え声で「巨乳になんて、なりたくなか――」と言いかけた瞬間、どす黒い黒猫が、今度は即座にリオちゃんを眠らせた。未来のテクノロジーらしきものを用いたようだ。
アキラは小川ちゃんが眠ってしまったのをいいことに、「あ、あぶない」とかいって抱きとめるふりしてポニテ娘の巨乳に触ろうとするものの、野良猫の群れが怒涛の勢いでやってきた。土ぼこりを立てながら、リオちゃんを乗せて運んで行ったところをみると、黒猫の協力者たちなのだろう。
ついでにアキラの肉体も別の猫の群れがニャーニャー言いながら運び去っていく。
アキラの、「わっ、ちょっと、おい、どこに連れて行く気? どこへ~」という声も遠ざかって行く。
ひとり残された黒猫は、
「見えているか、貧乳派よ。今更気付いても遅いがな。ふむ、それにしても本当に、こちらの嫌なことを的確にやってくるとは、やりおるでござるな。時間停止中の活動なぞ、肉体はともかく、精神的な負担が半端ではないでござろうに……」
猫は空を見上げた。鉛色の空を背景に、固まった雨粒がいくつも止まっていた。
「拙者の力で、巨乳化阻止を阻止するでござる」
水晶玉が映し出す映像が切り替わり、こんどは和井喜々学園の様子を映し出した。
巨乳派の策は、トップクラスの貧乳が集まる貧乳派の拠点を占領することだったわけだ。
敵に奪われれば、貧乳派の現代における影響力が消滅してしまう。
占い娘はレーダーが効かなくなっていたことと、それに気付けなかったことに対して大いに悔やんでいた。
フードをかぶって、「水晶玉が万全であればこんなことには……なんて、言い訳ですよね」とか言って、かなりダークな雰囲気を醸し出していた。
時間が止まった学園内には、和井喜々学園の生徒たちが次々に集められていた。もちろん、アキラを除いて、全て巨乳化していた。
忌まわしい映像すぎる。
そこには、篠原こやのも居たし、今山夏姫の姿もあった。巨乳だった。
篠原こやのは、プールサイドに居たので真夏らしく水着姿でサングラスを装備しつつ、足を伸ばして座った姿勢のまま固まっていた。
今山夏姫は、まるで夏休みの少年が虫取り網もって駆けている時のようなラフな姿でレンゲ持って立っていた。ビックリした顔に米粒くっつけたまま固まっていた。
学園の敷地内は、虚乳たちがそれぞれの夏休みモードの様々な格好で固まっていて、まさに蝋人形館の中のよう。
最悪だ。
この神聖な貧乳学園を、巨乳派の基地にして戦うつもりなのだ。
俺の貧乳学園を返せ!
ふと、裏庭が騒がしくなった。野良猫たちに運ばれて、リオちゃんとアキラがレンガの壁にあいた卵型の秘密の出入り口から入ってきたのだ。体育館前に置き去りにされた。
役目を終えた猫の集団は、ニャーニャー言いながら入ってきた穴から学園の敷地を脱出して行く。
そして、その後からトコトコと黒猫がやって来て、大きな胸を上下させている小川理央ちゃんを見つめた。睡眠中で、体操服姿で、ちょっと服が濡れている。真剣な顔の黒猫はトコトコと彼女の周囲を徘徊していた……かと思ったら次の瞬間!
「もう我慢できないでござるぅ!」
黒猫はそんな叫びを上げつつ、彼女の大きくなってしまった胸に飛び込んだ。なんてこった。
そして、体操服の上からとはいえ、前足で感触を堪能し、体を押し付け、胸の上で暴れ回った。最低だ。猫だからといって許されるものではない!
「あぁっ! ずるいよ猫ちゃんこの野郎。おれの小川さんに」
巨乳狂アキラも、そんな血迷ったことを口に出しつつ、リオちゃんに駆け寄っていく。
しかし、アキラは彼女の胸に触ることはできなかった。胸の辺りに違和感を覚えた小川理央がパチリと目を覚まし、むくりと起き上がったからだ。
そのはずみで、黒猫は恍惚の表情のまま地面に転がり落ちた。
リオちゃんのすぐ近くまで迫っていたアキラくんの視線がバチッとぶつかる。
そしてリオちゃんは、
「あ、さては天海さん、わたしに『巨乳モミモミ&アウェイ』でも仕掛ける気だったんでしょ。わたしだって、そんなイタズラばかりされるなんて嫌だかんね、やり返してやるんだから。えいっ! くらえ、『貧乳ナデナデ&アウェーイ』」
と言いつつ、天海アキラに技をしかける!
――貧乳ナデナデ&アウェイだと?
さすが貧乳学園だ。あの伝説の神技を使えるやつがいるのか!
音もなく背後から近づき、貧乳を撫でまわし、犯人が誰なのかわからないように華麗に逃げ去る必殺技だ!
リオちゃんは卓球で鍛えた俊敏なステップを用いてアキラの背後に回りこみ、思い切り抱きついた。そして、アキラの男としては筋肉の少ない胸板をナデナデした。
「えいっ、えいっ、どうだぁ」
「は、はわぁぁあああ!」
巨乳好きの変態女装男の興奮は最高潮!
これは胸をナデナデされているから興奮しているわけではない。背中に感じる巨乳の感触がたまらないのだ。ウブなおっぱい星人にとっては鼻血が爆発的に噴出しそうなほどの強烈な刺激!
アキラは女らしい悲鳴を上げた後、やはり幸せ過ぎて気絶してしまった。
「あれ、天海さん?」
少し、うらやましいと思った。巨乳と触れ合うのはごめん被るが、俺も氷雨の貧乳をピタリと背中に押し付けられたいと思った。
「天海さん大丈夫……って、えぇっ気絶してる! しかも息してない!」
リオちゃんが手を放した時に天海アキラはコンクリ地面に倒れこみ、全身をピクピクと痙攣させて、今にも死にそうになっていた。
巨乳派としては彼を生かさねばならない事情がある。黒猫は、目の前の事態を重く見た。「大変でござる、大変でござる」とか呟いていた。
小川リオはまだ取り乱している。
「どうしよう! どうしたらいいの? わたしの貧乳ナデナデ&アウェイのせい? 今山さんほど上手にできなかったから? どうしよう、どうしよう!」
心臓マッサージや人工呼吸という発想は、ややパニックになりかけの小川理央の頭には浮かばなかった。
もし彼女が人工呼吸でもしようものなら、アキラは興奮のしすぎでそれこそ命を落としてしまうだろう。そんなことになったら、黒猫としたら大失敗だ。冷静沈着を気取る猫も、さすがに焦りを隠せないでいた。
だが、焦ったところで猫である自分自身の肺活量では人工呼吸などできるはずもない。
「しかたないでござる!」
猫は、近くに居た巨乳の人間を動かすことにした。
「足りるでござろうか……。こんなところで、本当は使いたくないでござるが」
黒い猫は、肉球でもってティーシャツに短パンの女に触れた。夏休みの少年スタイルで固まっている今山夏姫を動くようにしたのだ。しっかりと応急処置ができる人間を動かしたつもりだった。
「――たし巨乳になってる! すげぇ!」
夏姫は、レンゲ片手に叫んだ。そして、いつの間にか自分が知らぬ間に違う場所に移動させられていたことに気付き、周囲をキョロキョロ見回した。
「あっれぇ? これあれかぁ、夢かぁ……」
落胆しながら、拗ねたようにレンゲを放り投げた。
これは黒猫にとっては計算外だった。今山夏姫が天海アキラのことが好きだからこそ夏姫を動かしたのに、夢と誤認されてはどうにもならない。
猫は仕方なく水着姿で寝そべる形で止まっている篠原のふともものあたりに肉球を押し付け、篠原を動くようにした。
「――わぁ、天気予報はずれて雨降ってきたじゃん。プールの屋根閉じなさいよ」
などと自宅のプールサイドに居た時の気分そのままに命令を下したが、ここに執事はいない。
「って、あれ、なんか胸重たいと思ったら巨乳になってるし。……先輩が死にそうになってますし!」
篠原は、夏姫と違ってすぐに女装男の危機に気付き、駆け寄った。猫はホッとした様子だ。
「シノ! シノ! 大変なの、急に天海さんが倒れて……」と小川リオ。
「むむっ。これは、人工呼吸が必要ですね。自分がやります。小川先輩は下がっててください」
篠原がしゃがみこみ、マウストゥーマウスをしようとサングラスを外して放り投げた。短い髪をそっと耳にかけ、目を閉じて唇を近づける。
「ちょっと待ったぁ!」今山夏姫が割り込んだ。「いくら夢だからって、アキラにキスしようだなんて卑怯だぞ篠原! それはあたしの役目だ!」
「あの、今山先輩、そんなことを言ってる場合じゃないっす、このままじゃ天海先輩が――」
「うるさい、この卑怯者!」
夏姫は篠原に掴みかかった。
篠原は、何だこの面倒くさい先輩は、と思ったに違いないが、下心が全くなかったとは言えないのも事実。
篠原こやの的には意地でも人工呼吸ついでに濃厚なキスをしたい。今山夏姫はそれを絶対に阻止したい。
二人は手の平を合わせて押し合う形になった。
せめぎ合う。
「いいじゃないですか! ちょっとくらい先輩とチュウしても!」
「おいこら篠原、相手は女子高に通ってんだぞ。変態かお前は」
「じゃあ今山先輩こそ何で天海先輩にキスしたがってんですか!」
「キッ、キスじゃねぇよ、人工呼吸だろ。アキラにエラでもあるんならそこに吹き込むけども、ないから口と口でアレしつつアレを入れつつするしかないだろ?」
「舌を……入れる気ですか、先輩」
「人・工・呼・吸! 入れるのは空気!」
「庶民は黙って指をくわえて見てるがいいですよ。あたしと天海先輩とのチュウを!」
「なんだってぇ? 成金のくせに! うちはけっこう血筋は良いんだからね。ひいじいちゃんが宗教にさえハマらなければ!」
「貧乏人と結ばれても先輩が不幸になるだけです! 百万円あげますから、どいてくださいよ!」
「うわ、むかつく! いくら夢の中だからって、お前みたいなやつにだけは、絶対アキラを渡したくないよ!」
双方、ゆさゆさ忌まわしい胸を揺らして組み合い、互いに一歩も引かない。
その時、黒猫の様子がおかしいことにリオちゃんが気付いた。なにやらぷるぷると怒りに震えているようだ。
「だ、大丈夫? 黒猫ちゃん」
巨乳になってしまっても心やさしいリオちゃんは、おろおろと心配して声をかけたが、黒猫はついに我慢の限界を迎え、彼女を無視して走り出す。
その走行ルートの延長線上には、争う二人の巨乳女子の姿。
「もう死んじまうがいいでござる! Sランク巨乳二人に愛されおって、許せないでござる!」
猫は十分な助走をとり、空高くジャンプ。争う二人を飛び越えて、アキラのみぞおちの辺りにジャンピングボディプレスを仕掛けた。
結果、それがちょうど程よい心臓マッサージの効果を発揮した。
天海アキラは、
「ゴファ! ゲホゴホ」
と激しく咳き込んだ後に呼吸を回復した。死なずに済んだのだ。
黒い猫はアキラの体で派手に跳ねた後、華麗に着地して、なんとも悔しそうに、
「ちいっ、まだ生きておるでござるかっ!」
完全に命を奪う気だった。
そして目覚めたアキラに、篠原と夏姫が次々に抱きついた。
「先輩!」
「アキラ!」
リオはといえば、その光景をとても冷めた目で眺めていた。
天海アキラは恍惚の表情を浮かべる。
「あぁ……おれ、巨乳に囲まれてる。しあわせ……」
こういった形で、俺の愛した和井喜々学園は、巨乳派に占領されたのだった。




