表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
ないチチびいき  作者: クロード・フィン・乳スキー
貧乳篇
16/80

第16話 俺はお前の、ないチチびいき1 戦いの果てに

「めでたし、めでたし。ですねぇ」


 占い娘が、夜の闇の中で水晶玉を光らせながら言った次の瞬間、占い娘は吹っ飛んだ。


 その場から消えた。


 かと思ったら、民家の塀にに叩きつけられ、うつ伏せに倒れているのが見えた。


 水晶玉が転々と遊歩道を転がり、やがて土の上に落ちて止まった。


「え?」


 あまりに突然のことで、俺は唖然(あぜん)とした。


 けれど、驚きながらも自然に足が動いて、倒れた占い娘に駆け寄った。


 まだ終わらない、ハッピーエンディングを迎えられるわけではないようだ。


 占い娘は、「あぐぅ……ぅぅ……」と呻きながら、震えながら、起き上がろうとする。


 できずに、またうつ伏せに崩れ落ちた。


「占い娘ちゃん!」


 俺は彼女を仰向けに転がしてから、抱き起こす。


 まさか氷雨が、彼女を殴ったのかとも一瞬だけ頭をよぎったが、全然違う。


 突然に、誰かが襲撃してきたのだ。


 氷雨は、闇に浮かぶ人影に向かって、「いきなり何すんだ!」と叫んでいた。


 ふと、甘い香りが鼻をついた。心地良い匂いだ。占い娘からもらった虫刺され薬に似ていた。


 もしやこれは未来の匂いってやつだろうか。


 人影は、氷雨と同じくらいの背丈であり、つまりは長身だった。よく見ると、闇に溶け込むような漆黒のローブを羽織っている。


 占い娘の着ているのと同じような形をしていた。


 占い娘の服が剥ぎ取られたわけではない。俺が抱き起こした女の子は、ちゃんと黒ローブを着ている。


「思ったより……はやかった、ですね……」


 苦しそうに声を出した占い娘。


 俺は戸惑いの中で周囲を見回しながら、


「何だ、何なんだ。何が起きてると言うんだ!」


 すると、俺の声に答えるように、正体不明の人影が言葉を発する。女性の声だった。


「指令をあれだけ無視しといて、何がめでたいって?」


「師匠……」と苦しげに言った占い娘。


 確か、占い娘ちゃんが以前、長文メールで言っていた。自分に占いを教えてくれた人が居ると。その活動家の師匠が、今ここに降り立ち、占い娘を吹っ飛ばしたのだ。


 黒いローブを着て、顔も隠した長身の女。


 手には茶色っぽい木製の杖を持っている。持ち手の部分が傘の柄みたいに湾曲した杖。街灯の明かりしかないから色はよくわからないが、見た感じ茶色っぽく見える。おそらくあの杖で占い娘ちゃんを打ったんだ。


 女は、呆れた声で、淡々と語りかける。


「あなたへの指令は、比入氷雨と大平野好史の接触を阻止すること。万が一失敗して出会わせてしまった場合は、二人を別れさせること。それでもどうにかならない場合は、比入氷雨を早い段階で消すことだったはず。それなのに指令を無視しまくり、挙句の果てには二人を仲直りさせて、あろうことか『めでたい』とは、何事なのかしらね」


「好史さん」占い娘は弱々しい声で俺を呼んだ。「水晶玉を……」


 視線の先には、土の上に転がった水晶玉。あそこなら、俺よりも氷雨が近い。


「氷雨! 水晶玉をこっちへ!」


 その声を受けた氷雨は、少々混乱した様子を見せながらも、水晶玉を拾い上げた。


「それだ。こっちへよこせ!」


「いくぞ!」


 氷雨が上投げで投げた水晶玉は、見事なバックスピンで俺のもとへと無傷で届くかに思われた。


 ところが、俺がキャッチしようとした瞬間、黒ずくめの女の杖から放たれた光弾が、水晶玉にぶつかった。深いヒビが入った。


 直撃ではなかった。真っ二つになったり砕け散ったりはしなかった。


 ヒビの入った透明の玉を抱きしめるように何とかキャッチして、すぐさま手渡す。


 立ち上がっていた占い娘ちゃんは水晶玉を受け取ると、よろめきながら、


「師匠の狙いは氷雨さんです。氷雨さんを、今のうちに亡きものにしようとしているのです。それは、私の望むところでは……ないのです」


 本当に苦しそうだ。まともに立っていることさえもできていない。よっぱらったペンギンみたいになっている。


「守るんです……」


「邪魔をする気? 弟子といえども、こればっかりは容赦しない。始末する」


 黒い布で顔全体を隠した女の目的は氷雨の命だ。しかし、先に邪魔者を排除することにしたようで、弟子の方へと黒い顔を向けた。


 対する占い娘ちゃんは、頭上に水晶玉を掲げて、「アイ」と言った。「テム」と言いながら、胸の前に水晶玉を降ろす。「クリエイ」くるり左足を軸に一回転。「ション!」胸の前にヒビ割れた水晶玉を突き出した。


 この動きは、アイテムクリエーション。そして叫ぶ。


「未来自転車、バイバイバイシクル!」


 するとどうだろう。俺と占い娘の目の前に、それまで夜の空気以外に何も無かった場所に、ほのかな光を放つ自転車が現れたではないか。


 それは、ほんのり光っていること以外は、普通の、そこらへんにあるママチャリタイプの自転車に見える。前カゴがついていて、ハンドルがグニャリと湾曲している。


 ひと仕事終えた占い娘は、その場に座り込み、また叫ぶ。


「好史さん! 氷雨さんを連れて逃げてください!」


「え、占い娘ちゃんは――」


「私はここで、師匠を説得してみせます!」


 覚悟の決まった顔をしていた。もうここで命を落としてもいいと思っているような雰囲気だ。放っておいたら自爆攻撃でもしそうな気がした。


「何を考えているのかしら」と黒い女は溜息交じり。「たとえ未来が取り返しのつかない暗黒に包まれても、あの二人は助かるべきだとでも?」


 ふと自分の右手を見ると、べったりと血がついていた。先刻、占い娘ちゃんを抱き起こした時に、彼女の波打った髪で守られた後頭部に触れたから、その時についたのだろう。


 ――頭を打って怪我した貧乳を一人残して逃げる。


 何だそれは。そんなこと、できるものか。


 それは、俺の人生哲学に反するものだ。


 将来うっかり立派に育ってしまう可能性があるにしても、今の占い娘ちゃんは貧乳だ。非常に素晴らしい造形をした貧乳だ。氷雨には劣るが、見事な貧乳なんだ。


 彼女を抱きかかえる。まるで子供を抱き上げるように、脇の下を手で支えて持ち上げる。小さな細い足がぶらぶら揺れる。


「え、え! な、なにするんですか、好史さん!」


 彼女のお尻を、バイバイバイシクルとやらの前カゴにぶち込んだ。


 占い娘は、「わぁぁ」という悲鳴を上げた。


 そして俺はほんのり光るサドルに跨り、ハンドルを握り締める。


 占い娘の身体は、俺の方を向いていて、占い娘ちゃんの顔が目の前に。彼女の持つ水晶玉のヒビが、大きくなっている。ローブからはみ出した細い足が揃えられ、カゴから飛び出している。


 ペダルを軽く漕ぐと、滑らかに移動することができた。


 氷雨と視線が合った。


「のれ!」


 声に反応して地面を蹴った氷雨は、野生動物のごとき俊敏な動きを見せた。飛び上がり、俺の肩をしっかりと掴んだ。自転車の後部に取り付いた。後部にはカゴがついておらず、平たい荷台がついている。氷雨はそこに座ることができたようだ。


 前カゴに水晶玉を持った黒ずくめの占い娘ちゃんがいて、かわいらしい顔が見えている。そして後部の荷台に座った白い服着た氷雨が、肩を掴み続けている。運転する俺のアロハの花柄食い込むくらいすごい力でしがみついている。痛い。


 しかも、占い娘が姿勢を正そうとしたのか、目の前で足が踊って俺の頬を蹴飛ばした。


「いってぇ」


「あぅ、すみません」


 故意(わざと)ではないのだろうが、ダメージが大きい。脳が揺れるほどの衝撃だ。何せ、人間の肉体の構造上、大地を支える足のほうが腕よりもパワーあるからな。殴られるより蹴られる方が与えられるダメージは大きい。だから自転車なんてものも、足で漕ぐ形になっているのだ。それに加え、足蹴にされる精神的ダメージもある。


 しかし、痛かったからなんてのは、この足を止める理由にはならない。氷雨や占い娘を狙う得体の知れないヤツから逃げなくては!


 重たいペダルを、深く踏み込む。


 踏み込んだ瞬間に脚部の筋肉繊維が体内でぶちぶちと切れまくっている感覚があった。そのくらい、異常に重い。


 もしかしたら、この自転車を漕ぎ進めるには、かなりの脚力が必要とされるんじゃないだろうか。あるいは、俺のような不死身の肉体なら、何とか漕げるというような、いわくつきのアイテムかもしれん。


「氷雨の……氷雨は、俺が守る!」


 スピードが上がる。学校が遠ざかっていく。


 黒ずくめの長身女は、「チィ」と舌打ちをした。


 視界の端で、次々と街灯の光たちが線になってゆく。


「もっとしっかり掴まれ、氷雨!」


「おう!」


 比入氷雨は俺の腰に手を回し、俺を後ろから抱きしめた。


 氷雨の上半身全体が、ピッタリと俺の背中に触れている。つまり氷雨の貧乳が背中に触れている。


 その事実だけで、俺は最強になれている気がした。


 逃げる。夜の市街地を。全力で。


「うぉおおおお!」


 本気で漕ぐ。体内細胞の破壊と再生を繰り返しながら行く。


 時に道行く人を危うく()きそうになりながら。ママチャリ型の未来自転車、バイバイバイシクルは進む。ほのかな光を発しながら、夜を切り裂いてゆく。


「好史さん、右へ!」


 響く占い娘の声。


 何だよと思いながらも反射的に右にハンドルを切った。


 もじゃもじゃの横髪が風になびく。遠心力で彼女のほっぺたの肉も引っ張られたようになっている。自転車を斜めに倒しながら、背後の風景が映ったカーブミラーを見る。今にも氷雨を杖で殴ろうとしている女の姿が見えた。


 これは、占い娘の声に従って右に急旋回しただけでは避けられない。


 ペダルを強く踏む。本当に、命を燃やしているんじゃないかってくらい全力で踏み込んだ。


 するとどうだ。何と驚くべきことが起きた。急加速しただけではなく、離陸したのだ。


 飛んでいる。空を。


 ぎゅるぎゅると回転する車輪は、弱い光を撒き散らしながら、空を走っている。


「おい、好史! とんでるぞ!」


 氷雨の緊張しながらもはしゃいでいる声が、俺の背中を振動させた。


「占い娘よ、どこへ逃げれば逃げ切れる? 占ってくれ」


「今のままでは無理です。師匠から隠れられる場所なんてありません。とにかく追いつかれないように、このまま全速力で逃げ続けてください!」


「よしわかった! 逃げながら次の策を練るわけだな!」


「その通りです!」


 踏むたびぶちぶちと嫌な音がする脚を時折叩きながら、何度もペダルを踏み込む。


 空を飛ぶ三人乗りの未来ママチャリで逃げる。


 ちらちら振り返って背後を確認する。


 なんと、黒ローブの長身女も空を飛んできた。スノボみたいに杖に両足で乗って下降したり、またある時には杖にまたがって平行移動したり、ヘリコプターの羽のように杖を頭上で回転させて上昇する形もある。型を目まぐるしく変化させながら空を飛んできている。


 どうやら、あの茶色い杖は見た目の地味さからは考えられないくらいに万能アイテムのようだ。あれも占い娘の水晶玉と同じように、未来道具の一つなのだろう。


 今のところは黒いやつとの速度は、ほぼ差がない。追いつかれず、引き離せもしない。


 顔を隠したまま接近しようとする黒ずくめの女は、たいへんおそろしい。


「もっとスピード出ないのか、この未来自転車」


「単純に脚力不足なのです。もっと鍛えてる人だったら、完全に逃げ切ることも可能かと思いますが――」


「残念、運転してるのは俺だ!」


「そうですね! しかし、今さら誰かと運転を交代しようにも、席交換の瞬間に生まれる隙で、おしまいです!」


「だったら早く対策をくれ! 少しずつだが、敵の貧乳オーラが近づいてきてる。このままじゃ、いずれ追い付かれるぞ」


「もうちょっと待ってください。あと少し。あと少しなのです」


 前カゴの占い娘は、だんだんとヒビが増えてマスクメロンみたいになっていく水晶玉に、手をかざしたたり、難しい顔をして指で叩いたりしている。


「さっきから何してんだ!」


「師匠を説得するのです!」


 そのための何かを、用意しているということだろう。


 そして、俺にしかきこえないような小さな声で、ぶつぶつと、続ける。


「師匠が求めるのは、貧乳が弾圧されない未来。もちろん私も、それは欲しいですが……。でもそれが、氷雨さんの犠牲や、好史さんの諦めによって達成されるものだと知れば、逆らいたくなるのが、当たり前の人間の感情なのです」


 とても静かに、安らかに。


「それくらい、私は皆さんのことを好きになってしまったのです」


 覚悟の色を込めた音色で。


「好史さん。いっしょに食べたヤキソバは、とても美味しかったのです。氷雨さん。同じ貧乳として、もっと、おしゃべりしたかったです。もっと、違う出会い方をしたかったです。もしかしたら、これでお別れになるかも――」


 小さな声を遮って、怒った声で言ってやる。


「うるせえ! そんなこと言うんじゃねぇ!」


「好史さん……」


 氷雨が、「好史、好史! うしろからきてる! きてる、きてる!」とせきたてる。


「くっ」


 不死身の俺といえど、さすがに脚が痛すぎる。


 漕ぐのが大変なだけではない。


 おそらく女が杖を振るっているのだろう。時折、背後から、黄色や赤の光の弾が右に左に飛んでくる。占い娘ちゃんが、「右です」だの「次は左です」だのと指示してくれているが、一度でもハンドル操作の方向を間違えようものなら、瞬時に若い命が失われるだろう。


 右へ、左へ、時に上や下へ。


 気付かぬうちに、アクロバティック未来自転車は、眼下に夜景を見下ろす高さまで上昇していた。


「なぁ、おい、好史、すげー、見てみろよ。こんな夜景はなかなか見れないぞ」


「すまん。今、それどころじゃない! 本気で漕がなきゃ、やられる!」


「上は、星が結構きれいだぞ。夜景が空に映ってるみたいだ」と氷雨。


「こんなときに何言ってんだ! お前は」


「現実逃避してるわけじゃないんだぞ。なんか、大丈夫な気がするんだ」


「女のカンってやつか?」


 なんて言ってはみたものの、氷雨はあんまり女っぽくないからな、どの程度アテになるのやら。


「好史。今おまえ、失礼なこと考えただろ!」


「心が通じてくれていて嬉しいよ」


「あとでぶっ飛ばすからな」


「楽しみにしてるゥ!」


 テンション高く言葉をぶつけ合っているうちに、やがて、下からの光も無くなって闇が広がった。夜空のあかりと海のにおいに満たされる。太平洋上に出たのだ。


 引き返したら黒いやつの餌食だ。このまま空を飛んで海を渡り続けるしかない。


 加速する。


 息苦しいくらいの向かい風だ。


 相変わらず、占い娘は水晶玉を操作している。


 暗い世界を進んでいく。


 もしかしたら、地上から見れば流れ星みたいになっているんじゃないか、などと思った。


 もはや下は船すらあまり浮かんでいない洋上だけど、誰かが俺たちを見ているかもしれない。たとえ、その誰かが俺たちを流れ星だと思って願ったとしたって、その願いが届いたとしたって、叶えてやる余裕なんか全く無い。


 星空を駆ける。雲を真っ二つにする。旅客機を追い越す。


 黒い女は、とてもしつこい。


 俺が氷雨に執着するのと同じくらいか、それ以上に、しつこいんじゃないかと思える。


 いや世界の命運が掛かっていると信じ切っているのだから、しつこくするのも当たり前か。


 占い娘が指を止めた。小さな溜息を吐いた。俺の目を見て、頷いた。


「準備できたか」


 占い娘は、力強い瞳で返事をしてきた。


 その時、下方に陸地があるのが見えた。いくつかの島が並んでいる。火山だろうか、煙を吐き出している島もあった。あれは……そう、ハワイだ。


「なぁ氷雨!」


「何だよ好史」


「氷雨。俺と付き合ってくれ!」


 言えた。やっと。本当にずっと、言いたかったことを。


「……ここで言うことなのか。そういうことは、もうちょっと落ち着いて、面と向かって言えよ!」


 背中からそんなことを言ってきた。


「今にも殺されそうだからな。死ぬ前に、言っておきたかった。さっき、好きだとは言えたけど、一生ずっと付き合いたいとは、まだちゃんと言ってなかっただろ?」


 追い詰められないと言えないなんて、俺は本当に臆病で。


 だけど、こんなダメな自分を氷雨は好きだと言ってくれた。最初は貧乳が切っ掛けだったけど……好きだと言われたら、もっと氷雨を好きになった。


 本当に本当に、氷雨が大好きで、年月を重ねて、いつか変わっていく氷雨も、ずっと見守っていけたらいいと思うわけで。


「実を言うと、お前が貧乳じゃなくなっても好きでいられるかどうか、わからない!」


 未来自転車は、降下する。夜のビーチを目掛けて旋回する。螺旋を描いて降りてゆく。


「だけど、氷雨。一つだけ言わせて欲しい!」


「なんだよ……」


「俺はお前の、貧乳なところが好きだ!」


 そう叫んだところ、


「しね、変態」


 ぼそりと小さな声で返してきた。


 そうして氷雨は、俺の腹が真っ二つにちぎれそうなほど力を込めて抱きしめてきた。


 上擦った声で、


「あたしは、今のあたしは、まだ自分のこの胸を好きになることはできない。でも……あたしの貧乳が好きな、お前が好きだ!」


 死ぬほど嬉しい言葉をくれた。


「だから、好史! 後で、お前のことを。あたしがまだ知らない好史のことを、いっぱい教えて欲しい! いっぱい!」


「え、おっぱいが何だって?」


 ちゃんときこえていたのに、わざと、ふざけた。


「うーわ、しね! ほんとしね! いまの絶対きこえてただろ!」


 うしろから、首を絞められる。


 貧乳の、これでもかってほど貧乳の、とても可愛い女の子。いつも怒れるワニさんの如く鋭い目で俺をにらんでいた。出会ってすぐに、重たい重たい拳をくれた。何十発もくらった蹴りだって常軌を逸した破壊力だ。


 本当に何度も死を身近に感じるくらいの攻撃力。


 だけど、まだ、それくらいしか知らない。


 氷雨のことを、もっと知りたい。


 抱え続けている問題を一緒に乗り越えたり、これから来る難題を時に笑い飛ばしたり、今みたいに一緒に逃げまくるのも悪くない。


 ずっと一緒に……。


 ヤシの木あふれる南国島。そのビーチに俺たちは墜落した。衝撃で細かな砂が夜空高くに舞い上がる。満天の星々の控えめな光を受け、砂の粒がキラキラと踊る。


 茶色い杖を踏みながら夜空を滑り降りてきた黒ずくめの女は、乾いた砂浜に華麗に静かな着地を決めた。女は杖を空中に蹴り上げてヒュンヒュンと音を立て、すぐさま回転する杖を掴み取った。湾曲した杖の柄を俺たちの方に向けた。


 また漕ぎ出して逃げることだって、もしかしたらできるかもしれない。


 でも、もう逃げ回る時間は終わった。


 太平洋に浮かぶリゾート島のこのビーチが、決着の場。


 顔まで隠した真っ黒の女が、布越しのくぐもった声で言う。


「何のつもり? 逃げ回ったりして」


 二人を(かば)うように立ちはだかる。


「貧乳は、俺が守るんだ!」


 黒ずくめの女は呆れた口調で、


「やっぱり史実通り。貧乳差別の引き金を引いた大平野好史。あなたのせいで、未来の貧乳はどうなってしまうのか、知っているはずよね」


「知ってたら、何だって言うんだ」


「比入氷雨の貧乳があなたの手に落ちないうちに、彼女を消すのよ。邪魔をするなら、そこの愚かな黒い子供にも消えてもらうわ!」


 絶体絶命。というやつである。


 女は素早く杖を振り回し、二つの紅の光弾を発射した。


 弾はそれぞれ氷雨と占い娘を狙って飛んでくる。


 俺は砂浜を蹴って駆け出した。


 並んで突っ立っていた二人に飛び掛り強く抱きしめた。


 背中で光の弾を受けた。


「ぐぉおおお!」


 光の弾が触れた部分のシャツが破けた。流血。氷雨の白いワンピースが、俺の汚らわしい血で汚れてしまった。


 その時だ。占い娘ちゃんが波打つ髪を揺らしながら歩み出たのは。


「やめてください、師匠!」


「師匠? 気安く呼ばないで。散々こちらの指令を無視して、そこの二人に肩入れした愚か者は、もう裏切り者ではないかしら。残念だけど、消すしかない」


 師匠は、もはや話し合いで解決するつもりは無いらしい。


「裏切り者……。そうですね。その通りかもしれません。ですが!」


「あなたは、こちらから送る指令さえこなしていれば良かったのに。すみやかに比入氷雨を消していれば、わたしが出る幕も無かったのに」


 占い娘が手に持ったぼろぼろの水晶玉は、すぐにでも崩れ落ちそうだ。


 玉を持つ占い娘ちゃんも軸がぶれた歩き方をしていて、今にも倒れそう。


「師匠、私は思うのです」


「何をです?」


 それは、最期の言葉をきいてあげましょう、とでも言うような、冷酷さ丸出しの声だった。


 それでも占い娘は真剣に、切実に、自らの師に訴える。


「師匠は、貧乳の未来を守るために、好史さんや氷雨さんを殺せとか消せとか、そういうことを平気で言います。でも、その先にあるのは、結局のところ全面衝突です。誰かを敵と見なして、倒し続けねば立ち行かない未来なのです。そんな未来が、本当に平和で、幸福に繋がるのでしょうか」


 占い娘の目から、ぽろりと涙がこぼれた。


 頬を伝ったしずくは砂浜に落ちて、吸い込まれて消えた。


「私たちが目指さなくてはいけないのは、寄り添いあって生きることだと思うのです」


 占い娘はぼろぼろの水晶玉を撫でた。


「師匠。これを、見てください。この映像が、私の行動の結果なのです。私が氷雨さんを生かしたことで、こんな未来になるのです」


 彼女の手にある壊れかけの水晶玉から、長方形の光が照射される。夜空に光が広がっていく。映写機のように、夜空のスクリーンに映像を、新しい未来を映しだす。


 俺と氷雨、占い娘とその師匠。四人で、その映像を見上げた。


 爽やかな氷雨の楽しそうな笑顔、おそらく遺影の写真だろう。それが、アップで映った。直後、すぐに画面は切り替わる。


『大平野好史さんですね。あなたにお渡ししたいものがあります』


 映像の中の三十代になった俺が、渡された箱を叩き落した。箱からは、撃たれた者を貧乳にする銃が落ちた。黒い服を着た男たちは、驚きの表情を浮かべる。


『こんなもので世界一の貧乳を手に入れたから何だって言うんだ!』


 スクリーンの中の俺は、世界で一番、怒っていた。


 未来が変わったのだ。


 もとあった未来では、銃を受け取った俺が道行く女性に向けて乱射する事件が起こしたために、貧乳差別が始まったという。その銃をたたき落としたということは、事件は起きないってことだ。


 またすぐに画面が切り替わり、中高生くらいの女子たちが体育の授業を受ける風景になった。


 明るい声が響いている。


 貧乳と巨乳が、仲良く体育の授業を受けていた。


 なんのことはない。なんてことのない。


 俺たちからしたら普通の映像。


 今いる学校でも普通に見られる、ありふれた景色。


 しかし、黒ずくめの二人は、泣いていた。占い娘は、可愛い顔をぐしゃぐしゃにしながら大量の涙を流していたし、顔を隠している黒い女も、目のあたりを押さえて嗚咽(おえつ)を漏らしている。


 おそらく嬉し泣きなのだろう。


 これこそが、彼女たちが追い求めてきた風景なのだ。


 映像の中、体育の授業風景を校庭の隅で見守っていた白衣の美女もまた貧乳だった。偽りの巨乳を装着することなく、貧乳のままに生徒たちを見守っている。その美女は、胸のオーラから察するに、ここにいる黒ずくめの女だ。


 そこで、ついに水晶玉が崩れ去り、映像も霧散(むさん)した。


 夜の闇が広がっていく。


「本当に、こんな未来になるの? 本当に?」


「はい師匠。なるんです」


 そうして二人は、終戦の握手を交わした。


「なあおい、これで本当に、めでたしめでたし、なのか?」


 俺がそう言うと、


「そうだな」


 泣いて抱き合っている二人にかわって、横に立つ氷雨が笑った。


 それは、またしても初めて見る笑顔で、闇を浄化するような、天使みたいな笑顔に見えた。


 俺のせいで服が血染めだったから、人によってはゾッとする笑顔だったかもしれないけどな。




評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ