第11話 素晴らしき貧乳学園7 これは浮気/占い娘の陰謀
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俺たちは、何が起きても不思議じゃない世界に生きている。俺の肉体が不死身だったりするし、未来から来たと言い張るヤキソバ娘も存在するし、貧乳ばかりが集められた学校まである。
まるでフィクションみたいな異常さがある。
だから、そんな貧乳好きな俺にとって都合の良過ぎる世界があるのだから、心のどこかで、全てが思い通りになるとでも思っていたのかもしれない。俺と俺の好きな貧乳には、明るい未来が待っているんだと根拠なしに楽観さえしていたように思う。
だけど、違った。
それは突然だった。楽しい日々の終わりってやつが来た。
たぶん、偶然ではなかったのだろう。
全て誰かの意志が働いて、俺の身に降りかかったのだと思う。
それこそ、いかにもフィクションらしい筋書きだ。
だが、あんまりだろう。
俺にも悪い部分は数多くあったと思うけれど、それには目的があったからだ。
大好きな氷雨の貧乳が一番だってことを確かめたくて貧乳学園に通ってただけだ。他の誰かの貧乳に完全に目を奪われたことも無かった。
確かに目を見張る良い貧乳だと心から思ったことは何度もあったし、触りたいとも撫でたいとも言ってはみたけれど、それを実行する気もなかった。いい貧乳を見るたびに、いつも氷雨の貧乳を思い出していた。はじめて触るのは氷雨の貧乳と心に決めていたのだから。
とはいえ氷雨以外の貧乳と遊び歩いたのも事実だ。
これは、その報いなのかもしれない。
八月のある日のこと。俺は常連となりつつあった冷房の効いたファミレスで、篠原の相談に乗ってやっていたんだ。
男性目線からみて、アキラ先輩を攻略するにはどうすればいいっすかね。みたいなことを言って、メガネをクイクイ持ち上げる篠原は、さながら狩猟犬や愛に飢えたオオカミのような目つきであった。アキラという獲物を狩る気マンマンだ。
そこにまたしても偶然通りかかったアキラと夏姫が合流して、夏姫と篠原が視線でつばぜり合いを開始した。俺はそれを呆れ顔で見守っていたわけで。
そこまでは、良かった。
だけど、そこに氷雨が登場したものだから、俺はとても狼狽えた。
強い力で肩を叩かれた。何事かと驚き振り返ると、氷雨の顔があったんだ。
「…………ひ、氷雨っ?」
それは、五月に出会ってから何度も見てきた顔とは違っていた。怒っているのは明らかだったが、怒ってるだけじゃない。そこに、最大限のかなしみが塗り込められたような、複雑な表情だった。
「氷雨先輩!」と夏姫。
「誰っすか、この人」と篠原。
「…………」アキラはただならぬ雰囲気を感じ取ったのだろう、黙って事態を見守っている。
夏姫と篠原はもちろん貧乳娘だし、アキラは男とはいえ女にしか見えない。このファミレスの一角がスーパー貧乳ハーレムのように見えていても、おかしくはない。そういう面子が揃っていた。
雰囲気は全然ハーレムとは程遠く張りつめていたが。
「ひ、氷雨さん、何でここに?」
思わず震えた声がでた。
「最近こそこそしてるから怪しいと思ってたんだよ。何だよ、こんなとこで他の女どもと遊んで!」
そう言われた時、俺はどういうわけか、こんな言葉を返した。
「……何だ、恋人でもないくせに束縛するのか。まったく、何でお前みたいなやつの胸に最高の貧乳があるのか、本当にもったいないぜ」
強がりだったかもしれない。後輩たちの前で格好つけたかっただけかもしれない。
考えるよりも前に口から出てしまっていた。
当然、氷雨はついに怒りの表情をあらわにして、
「おもてにでろ!」
机を叩いた。
「氷雨先輩!」
夏姫が割って入った。ケンカにならないよう止めに入ろうとしてくれた。しかし氷雨は止まらない。
「誰だよ!」
今山夏姫は多少萎縮しながらも、平たい胸に手を当てて、名乗る。
「い、今山ですよ。今山夏姫。先輩にはとてもお世話になった……」
「今山……。あぁ、今山夏姫か。ことあるごとにあたしの胸に触ろうとしてきた」
「触っただと? そうなのか夏姫ちゃん。触ったのか? どうだった? 氷雨のおっぱいはどんな感じだ? やっぱり貧乳オブ貧乳だったか?」
「は? なんですこんな時に……。えっと、いえ、触ろうとしたんですが、先輩のカンが鋭すぎて、全部防がれましたけど」
「ほう、さすが氷雨だな」
「そんなことより! あたしさぁ! 怒ってるんだけど!」
「理解できないな、何で怒ってるんだ」
この時の俺の挑発的言動の方が今となっては理解できない。
どうして、もっと優しくしてやれなかったんだろう。どう考えても悪いのは俺のはずなのに。
あんな風に言葉を返したら氷雨がどんなに傷つくかとか、どうして考えもしなかったんだろう。
冷静じゃなかった。もっとも今までの人生で、冷静だったためしなんか無い気もするけど。
「来いよ」
氷雨は俺の腕を掴んだ。俺はそれを強引に振りほどいて、
「たしかに騒がしくするのは迷惑だな、外で話そう」
言い放ち、立ち上がった。外に出ることになった。
店員が、場違いに明るい、「ありがとうございましたぁ」を放った。出入り口のドアに取り付けられたベルが軽い音を響かせ、二人で出て行く。
殴り飛ばされると思ったんだ。ぼこぼこにされて、しねって言われて、その背中を見送ることができると思った。
だけど、ファミレス外の駐車場で、氷雨は、以前のように俺を殴ったりしなかった。あくまで話し合いを望んでいた。
それが、さらに俺を動揺させた。
「あたしは、好史に好かれてないのか?」
「そんなことは、ない」
氷雨はちいさな胸に手の平を当てて、
「あたしの胸、好きなんだろ」
「そうだな、お前の貧乳は好きだ。世界で一番素晴らしい貧乳だと思う」
「……じゃあ何で、他の貧乳と遊んでんだよ」
「あいつらは友達だ。お前は俺の友人関係にまで文句をつけるのか?」
「でも、あたしに内緒でこんな――」
「別に、俺とお前は、まだ正式に付き合ってるわけじゃないだろ。言う必要ないんじゃないのか」
氷雨の言葉をさえぎるように言った。さすがにここまで挑発すれば、殴ってくるんじゃないかと思った。
それでまた、冗談だぜ、みたいなこと言って、また蹴飛ばされて……。
それが健全な俺たちの関係なんだと思ったのだ。
だけど氷雨は、
「……もういい」
ぽつりと残して、俺に背を向けた。
とても寂しそうに、とぼとぼと、背中を丸めて去っていく。
「あ、あれ……氷雨……?」
俺の戸惑いの声に振り返ることもなく、やがて彼女の細長い背中は見えなくなってしまった。
すると、車の陰で会話を盗み聞きしていた今山夏姫が勢いよく飛び出て来た。
「先輩、さすがに、やばいと思います!」
「やばい? 何がだよ」
「好史先輩は、氷雨先輩のこと好きなんですよね」
「だから?」
「だったら――」
「――うるせえな! 引っ込んでろよ!」
イライラしてしまって、きつい声が出た。
びっくりした顔で、夏姫は固まって、黙ってしまった。
「あ……すまん……つい……」
「いえ、でしゃばってすみません。先輩たち二人の問題ですよね……」
今山夏姫は、ペコリと頭を下げる。彼女もまた、俯いたまま去っていった。
本当に何をやってるんだろうな、俺は。たくさんの貧乳を悲しませて。
夏姫が去った後、今度はアキラが近付いてきた。
「さっきの氷雨って人が、どんな子なのか、おれはよく知りませんけど、でもあの様子じゃ、きっと、すごく悩んでたと思うんです。連絡を待ち続けて、携帯とにらめっこしたりもしてたと思うんです。女の子なんですから」
お前も女じゃないだろう、と言いかけて、飲み込んだ。アキラは、続けて言う。
「……好史さんには、そういうことって無いんですか?」
「何だよ、そういうことって?」
「好きな人を独占したいとか、ほんの少しでも思うことって、無いんですか?」
俺は、天海アキラのぱっちりとした目から視線を外し、
「別に、最高の貧乳を独占したいと思ったことはあるが、氷雨の全てを独り占めしたいとは思わないな」
駐車場の黒いアスファルトを見ながらそう言った。ガキっぽく、強がるように。
アキラはいつもより低い声で、
「それ本気で言ってるんですか?」
たぶん違う。本気なんかじゃない。
氷雨のことは大好きだ。
だけど、俺は今まで誰からも「好きだ」なんて言われることが想像できなかった。だから氷雨から何度か「好き」と言われて、どうすれば良いのか、どう接するのが正解なのか、わからなくなってしまって、こわくなってしまった。
嫌いなわけがない。
むしろ……。
好きだと言われてどこか冷めたように感じてしまったのは、自信がないからなんだろうな。
尊敬される能力もない。金だって自分で稼いでない。意識低い系高校生。何もできやしないくせに、見栄張って、強がって、ちゃらんぽらんで、踏み込まれるのを拒絶して。こんな自分が、誰かから好かれるなんてことが、信じられないんだ。
さらに、今度はメガネの篠原がやって来た。
「好史さん。あれはないっす。絶対、あの人、傷つきましたって」
「そんな、あれくらいで傷つくようなヤツじゃ――」
「付き合ってもいないのに、あの人の何がわかるんすかね?」
そりゃそうだ。馬鹿だな俺は。
篠原の言葉は、俺の心を深くえぐってくれた。
「あと、もうひとつ」
「なんだよ」
「自分は今山先輩のことあんまり良く思ってませんし、時々、この人さえ居なければって思うこともあるんすけど、そんな自分から見ても、さっきの態度はさすがに無いと思います。どうして他人を傷つけまくって平気でいるんですか? 何ですか、引っ込んでろって」
はっきりした子で、助かる。
「今山先輩には、もう引っ込むところないっすよ」
篠原もひとのことは言えないくらい引っ込む余地は少ないけども。
思い返してみれば、これは篠原なりに気をつかって場を和ませようとしてくれたのかもしれない。けれども、普段なら笑えるような言葉も、その時にはもう、全く笑う気が起きなかった。
そして今に至る。家に帰って、自室のベッドで深く深く、海より谷より宇宙の闇より深く反省していたわけで。
何でああなってしまったのだろう。氷雨は俺に何を求めていたのだろう。どんな言葉を欲しがったのだろう。
よくわからない。
★
翌朝、いつの間にか寝ていた俺が鈍い頭痛と共に目覚めると、携帯に知らないアドレスからメールが届いていた。
深夜のうちに届いていたらしい。誰からだろうと思って開いてみたら、さらに頭が痛くなりそうな、長文のクソ真面目なクソメールであった。
件名は、『占い娘です。』とある。ヤキソバみたいな髪をした小さな女の子の姿が脳裏に浮かび上がる。
☆
好史さん。
昨日は、すみません。氷雨さんをあそこに行かせたのは私です。どうしても、好史さんと氷雨さんを引き離したいのです。
そこで今日は、好史さんに、貧乳に生まれたばかりにひどい人生になってしまった私の身の上話をお耳に入れたいと思い、こうしてメールをしてみました。是非これを読んで、「これから」を考える参考にしていただけると、さいわいです。
幼い頃から、どうしてか孤立することが多かった私ですが、その原因が小学校に入るまで、わからないままでした。小学生になって、祖母が貧乳だったことを知り、その時に「ああ、それで誰も私と友達になってくれなかったんだな」と理解できてしまいました。
未来の世界では、それくらい貧乳差別が一般的なのです。
そんな私を支えてくれていたのが、占いでした。といっても、本格的なものではなく、遊びみたいなものだったのですけど。
だけど、占いならば一人でできるし、誰に迷惑をかけるわけでもなかったので、私はそれに夢中になることで気を紛らわしていたのかもしれません。
そのまま中学校を卒業するまで、私には一人の友達もできませんでした。
だから、この過去世界に来て、ナツキちゃんや篠原や小川理央ちゃん、あとアキラくん、それから氷雨さんと好史さんと仲良くなれたことは純粋に嬉しくて、この過去の世界と別れがたいなって思うようになったんです。
すみません、話を戻します。
未来で所属していた高校に入ってしばらく経ったある日のこと、周囲の皆の胸が膨らんでいく中で平たい胸である私は孤立しているどころか白い目で見られるようになりました。やがてはイジメが開始されてしまいました。
貧乳は悪しき存在だったからです。お豆腐をぶつけられたり、足をひっかけられたり、下駄箱に巨乳用ブラが入れられていることもありました。
それで私は学校に行かなくなってしまいました。
自室に一人こもって、延々と色んな占いをやり続けていたのです。
そのまま部屋にこもっていたら、暗すぎる青春になるところでした。でも、なりませんでした。私を部屋から救い出してくれた人が居たからです。
その人こそ、私の師匠なのです。
師匠は、学校で保健の先生をしていて、見た目は巨乳でしたが、それは胸パッドによってそう見えるだけで実際は貧乳という詐欺師のような人でした。
とはいえ、私のもと居た未来においては、貧乳は絶望的なまでに就職に不利なばかりか、親族に貧乳が居るというだけで昇進に響いたり、結婚相手が見つからなかったりしたのです。
なので、巨乳を装わざるを得ない人というのはかなり多く居て、いざ本当は貧乳だったことが明るみに出ると、それこそ今で言う詐欺罪に近い罪状で厳罰。しかし貧乳のままでいると仕事なんて無いに等しかったのです。
そのくせ豊胸手術等で巨乳になる手段が法律で禁止されているというのが、また悲惨です。
幼少期に私と似たような境遇だった師匠は、私の部屋にやって来て、私と占いの話で盛り上がって、私を貧乳派平和系活動家連合〈HHKR〉のメンバーになるよう誘ったのです。
そして貧乳弾圧の歴史を細かく知った私は、迷わず一員になりました。生まれつきのものが、運命を決定づけるものであってはならないと。
やがて私は、より占いに詳しい彼女を師匠と呼ぶようになり、訓練を積んで、多くの不思議未来グッズの使い方をマスターしました。そして貧乳が蔑まれない未来を実現するために、たくさんの道具を持って過去世界に降り立ったのです。
すべては世界を良い方向に導くためなのです。
この過去の世界で、色んな人との出会いがありました。
最初の目標は、大平野好史と比入氷雨の出会いの阻止でしたが、それは失敗しました。
失敗したので次の目標が発生しました。それは好史さんと氷雨さんを別れさせることでした。これも失敗しました。
代わりに私が恋人になることで氷雨さんとの仲に亀裂を生じさせようとしたのですが、好史さんは氷雨さんの貧乳に夢中だったので、あっさりフラれて悲しかったです。
このままでは、にっちもさっちもいかないと思い、好史さんが別の貧乳と密会しているところを氷雨さんに告げ、あの場に氷雨さんを連れて行ったのです。
どうでしょう。ここは未来のために、このまま氷雨さんとお別れしてはくれないでしょうか。
なにとぞ、なにとぞ。おねがいします。
☆
つまり、昨日の一件は、占い娘の陰謀だったらしい。
読み終わった俺は、大事に使ってきた携帯をベッドに叩きつけるように投げた。
弾んだ携帯が床に静かに転げ落ちたが、そのまま拾わずに俺はベッドに飛び込む。
うつ伏せになって、枕に顔をうずめた。
まるでそれが自分への罰だとでもいうように息苦しさを感じてみる。
俺が悪い。そう思う。謝らなければ、そう思う。
だけど、何故だか謝りたくないんだ。
氷雨のことが誰よりも好きなのに、どうしてこんなことになってしまったのだろうか。
もしかしたら、と閃いた。
――もしかしたら俺は貧乳というものよりも氷雨の人格の方が好きだってことを、認めたくないのかもしれない。なんでだ。それは、今までの俺を否定することだからだ。
おい、そんなバカなことってあるか。
自分で自分が、嫌になる。
「何だよ、それ」
仰向けになって、手首のあたりで目を覆った。
俺が求める最大の幸いは、一体、どんなものなんだろうか。
「氷雨さん……」
今にも泣きそうな声が出て、自分で出したその声に、びっくりした。
【第三章に続く】




