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そんなことってありえない【フロレンツィア視点】

 殿下の指示通りにサイラスがお茶を新しいものに入れ替えてくれた。


 今は魔術研究所の副所長室でサイラスとふたりきりだ。ドアは薄く開いているけど、殿下に付いて行ったので護衛の騎士たちも室内にはいない。


 コリーさんは副所長室の前で待機しているだろうけど、――サイラスが帰国したら殿下に言って貰えるように伝えようと思っていたのに、結構護衛がいることに慣れてきたし、ずるずる機会を逃していた――小声で話せばコリーさんには聞こえないだろうから、今夜レッカーに行くかどうかを確認するくらいはしても良いだろう。


「サイラス」

「なにか?」

「今夜って、行く?あの……昨夜のこととかもあるし、その、どうしても話したいことがあるんだけど」

「申し訳ございませんが、私にはオルモス伯爵令嬢が何を仰っているのか、分かりかねます」

「え?」

「昨夜のこととはなんでしょうか?私は昨夜は遅くまで執務室で仕事をしていましたし、行くとはどこに?どなたかとお間違えでは?」

「そ、んな……」


 それって、昨夜のことは無かったことにしようって意味?

 雰囲気に流されただけで、殿下の求婚相手に本気になる訳がないとか、話し合うまでもないってことなの?

 もしかして、遊びだったのに私が本気になったから、……見捨てられるの?


「なっ!?オルモス伯爵令嬢!?どうなさったのですか!?」

「待たせてすまな……っ!?ど、どうした!?何があった!?サイラス!!」

「わ、私は何もいたしておりません!」

「では、何故彼女が泣いているのだ!?」

「分かりかねます」

「もういい!出て行け!」

「それは……」

「出て行け!命令だっ!」

「しかし」

「聞こえないのか。自分の足で出て行け。それとも私の手を煩わせるか?」

「……はい。失礼いたします」


 サイラスに突き放された私は、自然に涙がぽろぽろと零れていた。

 私の隣に腰掛けた殿下が、そっと手を握ってくる。


「や、やめてください……」


 こんな所で泣いておきながら、殿下に慰められるのだけはしてはいけないと思った。

 手を引き抜こうとすればするほど強く握り込まれて、振り解けない。


「どうして泣いてるの?この短い間に何があった?」

「…………」


 フルフルと首を横に振るのが精一杯だった。

 サイラスとのことは知られるわけにはいかない。

 もしも、殿下に知られたらサイラスが罰を与えられてしまうかもしれない。

 上手い言い訳も思いつかず、何も説明できない。


「……レンツィ。俺にはなんでも話して欲しい」

「…………え…………なん、で……」


 どうしてその呼び名を殿下が知っているのか。

 まさかサイラスが話した?どういうこと?


「泣かないで、レンツィ」


 そう言うと、そっと肩を抱かれ頭を撫でられた。

 それは何故か、最近私が覚え始めた手に良く似ていた。

 私が覚え始めたのはもっとガシガシと髪が乱れるくらい少し乱暴な撫で方で、殿下はそっと優しさに溢れたような手つきの撫で方。

 全く違うのに、どうしてか頭に馴染む感覚はよく似ている。

 手の温もりも撫でる場所も、手を動かすたびに香る香りも、撫でるたびに手のひらが少し耳を掠めるところも……。


「………………」

「レンツィ?」

「……あなたは……誰、なんですか?」

「えっ?……――――あっ!?もしかして、レンツィ気付いてなかった?」

「………………?」

「あー……そうなのか。てっきり気づいててそうなのかと思っていたのに。ってことは、城にいる間はサイラスを意識してたってことか!?え。それは、いやだな。なんだ。気づいていると思って。だけど城の中では王子の面が外せないから。だからレンツィも分かってて、城では反応が薄いのも完璧に協力してくれようとしてるんだと思ってたのに。なんだ……あ〜そうか。なんだ。なんだよ」

「な、な、…………なん、どう…………?」


 殿下が何かに気づいた後から、殿下の口から怒涛のように良く知っている声と話し方が紡がれ始めた。


「レンツィって、結構鈍かったんだね」


 唖然と見つめる私と目を合わせ、殿下が形の良い唇がゆっくりと弧を描いて、そして口角を少し歪めた。


 とても見覚えのある口元。

 でもまさか。

 だって、色合いが全然違う!


 殿下の髪はシルバーで瞳はグレー。

 サイラスの髪は茶色で瞳はブルーグレーだった。

 フードの下は一度しか見ていないけど、レッカーではお城で見かけるサイラスと同じ色をしていたし、名前も同じ。


 だから、そんな。

 そんなことってありえない。


「………………そんな訳……」

「レンツィ、城で働く者に渡してある認識阻害反射ネックレスは?」

「え?認識?…………あ、肩が凝るからネックレスは苦手でいつも白衣のポケットに入れてあるます」

「いや、もう敬語使わなくて良いよ。分かったでしょ?俺のこと。レッカーでレンツィと会ってるサイラスってのは俺だよ。白衣のポケットの中ってことは、城の外では携帯してないの?」

「はい、う、うん。お城の中で間者に騙されないようにするために渡されていると思っていたんだけど……だから白衣のポケットに入れっぱなしで」

「なるほど。だからか。――レッカーで顔を見られた時、茶色の髪にブルーグレーの瞳に見えてたんだ?」

「うん……」

「サイラス――レッカーで会ってた男は側近のサイラスだと思っていたんだ?」

「う、うん」


 なんだか徐々に怒っていってる?

 音声に怒気がはらんできたような……?

 殿下はシルバーの髪にグレーの瞳で硬質な色をしているから、怒ると迫力が……。


「そう。サイラスをよく見てると思ったら、レッカーで会ってる男だと思っていたからか。だからサイラスを気にしてたんだ?」

「………………う、うん」

「なるほどね。よくはないけどそれは今は置いておこう。で?サイラスと何があった?何で泣いたの?」

「その……サイラスのことを、す、好き、に、なっちゃったから、」

「は!?」

「……サイラスからは好きって言われてないけど、でも会えなくなるの寂しいとか言ってくれてたし、同じ気持ちかなって。て、手を、繋いだりもしたし。それで、殿下に優しくされればされるほどこのままではいけないと思って、婚約できないと思って……。さっきサイラスとふたりきりになったから、ちゃんと話したいって言ったんだけど、知らないふりされて、急に突き放された気がして…………」

「あー。そういうことか。びっくりした。サイラスは知らないからな。俺が外でサイラスの色合いになるように認識阻害の魔術を使っていることも、レンツィと会っていることも」


 認識阻害の魔術……。

 殿下がシルバーの髪を茶色に、グレーの瞳をブルーグレーに見せる魔術を使っていたってことなのか……。

 だけど、認識阻害の魔術って、高等魔術だよね?

 短時間ならできる人は多いけど、長時間相手を騙すには相当魔力が必要だったはず。

 レッカーでフードから見えている髪はいつも茶色だったから、魔術を使っているなんて思いもしなかった。

 それに、名前まで容姿と一致する偽名を使わなくても。

 紛らわしい。


「好き?」

「え?」

「俺のことを好きになっちゃったんでしょ?」

「っ!?」

「真っ赤になって、可愛いな。――俺も、好きだよ」


 ひいぃ。

 蕩けるような甘い笑みを浮かべて囁かないで!

 漏れ出る色気に心臓がもたないよ!


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