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この世で一番嫌い【フロレンツィア視点】

 私は休憩時間になると魔術研究所の副所長室に呼ばれ、殿下とお茶をするのがここ一カ月程のルーティンになった。


 殿下は私を太らせる気なのか、毎日それはそれはとても美味しそうな三種類のお菓子を用意する。


 今日はクリームとフルーツたっぷりのケーキ、チョコチップクッキー、オレンジソルベ。

 昨日は、クリームが添えられたシフォンケーキと濃厚なチョコレートムース、フルーツがたっぷり入ったゼリーだった。

 一昨日は、ラムが香るドライフルーツがたっぷり入ったパウンドケーキ、ホワイトチョコが挟んであるラングドシャ、ストロベリーアイスのミニパフェだった。

 毎日きっちり三種類。食べ飽きないように味のバランスが考えられた組み合わせで、私の好みにぴったりハマっていて実に素晴らしい。

 更に、甘い物に飽きた時用に、スモークサーモンやハムのサンドイッチ、チーズ、ナッツなども日替わりで用意されていて、甘いとしょっぱいの繰り返しで毎日完食してしまうから恐ろしい。


「美味しい?」

「はい。美味しいです……」

「良かった」


 殿下は私の答えを聞いて満足そうににっこりと微笑んでいる。

 相変わらず微笑みの中の甘さが凄い。

 もしも失恋を経験していなければ、パヴェルのことを好きになっていなければ、ただ恋に恋してる無垢な少女だったなら、私は殿下のこの甘い微笑みにコロッと一瞬で絆されていただろう。


 最初に話しかけられたのもデザートコーナーだったし、甘いものが好きな食いしん坊だと思われている気がする。間違ってはいないけど、たまに餌付けされている気分になる。


「そういえば、最近君が開発した化粧水。貴族から庶民まで大好評らしいね」

「ご存じだったのですか」

「勿論知っているよ。女性向け脱毛クリームに魔力風送機、魔力目覚まし時計。このソルベは君が開発したアイス製造機で作られている。それに、発熱腹巻は大ヒットして、今や靴下や手袋、襟巻きとシリーズ化しているね。冷え性の女性から旅人、野営の多い騎士まで重宝していると聞いている。今年から騎士への支給品に選ばれたしね」


 今殿下が仰ったのは全て私が開発した品だ。

 脱毛クリームは成獣になると無毛になる魔物から抽出した成分をクリームに混ぜてみたらできあがったクリームタイプの脱毛剤。

 魔力風送機は、筒の中に風魔法と火魔法を組み込んだ魔石を入れると、温風が出て髪を乾かしたり、衣類を乾かすことができる。風魔法と氷魔法の魔石を入れたら冷風が出て、夏に重宝する。

 魔力目覚まし時計は、時見木という太陽に対して正面を向くように回転をする魔物を使って作った時計。

 アイス製造機は、元々手作業でやっていたものを氷魔法の魔石を組み込んだ機械を作っただけだけど、菓子職人から有難がられた。

 発熱腹巻は、火魔法を組み込んだ魔石を粉末状にして繊維に練り込んで編んだもの。付けた瞬間からじんわり温かく、私が開発した品の中で一番のヒット作。毎年冬になると飛ぶように売れて、どんどんシリーズ化されてアイテムが増えていく。冬が終わったばかりだけど次の冬に向けてマフラーが検討されている。


「よくご存じで……」

「これだけの品を発明し、沢山の人の助けになっているんだ。今言った物だけじゃない。魔術品開発のセンスがあるし、君が開発した品は国民からの支持が高い。それだけでも充分王子妃として選ばれる資格がある。だから自信を持って」


 急に何を言い出すのかと思ったら、私がこの前サイラスに言った『私に務まるはずがない』という旨を殿下に伝えたのだろう。


「あぁ、もう休憩時間が終わりか。早いな」

「では、そろそろ失礼します」

「待ってくれ。送るよ」

「え、でも」

「今日はこの後に魔術師団へ行くんだ。ここを出なきゃいけないからついでにね」

「……ありがとうございます」


 いつも通りに一人でサササササーっと研究室まで戻りたかった。未だに私は注目されているらしく、ゆっくり歩いているとたくさんの人から見られる。

 それが嫌で王城内で移動するときはもはや競歩。

 だけど、殿下が一緒だと競歩は無理だ。むしろ、いつも以上に注目されるのは間違いない。


「春らしくなってきたね。風が心地良い」

「そうですね」


 ゆっくりと心地良い風を感じながら、サワサワと揺れる新緑の木の下を歩いていると、肩にポトリと何かが落ちてきた感覚が。

 ギギギと顔を動かして確認すると、肩の先にヤツが……。


「きゃーーー!!」

「なっ!?なに!?どうした!?」

「どうされました!?」

「きゃー!やだ!やだやだ!取って!取って!!きゃー!」


 この世で一番嫌いな生き物。

 私の平静を一瞬にして狂わせる生き物。

 それがクモ。

 私は咄嗟に、助けを求めた。

 幸いなことに今私の周りにはたくさんの人がいるから、誰か一人くらいは助けてくれるはず。


「クモ!いやー!!取って!お願い取って!!いや!取って!やー!」

「……取れました」

「本当!?ほんとに取ってくれた?」

「本当です。ご安心ください。もういません」

「……あ、あぁ…はぁ……っ!?」


 恐る恐る肩を確認すると、確かにそこには何もなかった。

 安心して脱力しかかった瞬間、ぐいっと肩が引かれた。


「……何故?何故サイラスに助けを求める?」

「え?」


 よく見ると、私はサイラスの胸に縋っていた。

 しかもサイラスの服を力一杯握りしめていた。

 急いで手を離したけど、胸元がシワシワになっている……。


「っ!ごめっ、す、すすすみません!」

「謝罪を聞きたいんじゃない。どうして私を頼ってくれなかったんだ。クモくらい私でも払える」

「それは、咄嗟のことで、自分でもよく……??」

「何かあった時、次からは私を頼ってくれないか」


 クモを取ってもらうのに誰かなんて選んだつもりも、選ぶ余裕も無かった。

 確かに、サイラスより殿下の方が近くにいたのに、私は殿下より遠くにいたサイラスに助けを求めてしまったのは何でだろう。


 なんで……?


 いや。だって、王族に飛びつくなんてできないよね。

 我を失っていても最低限、無意識にそこだけは回避したんだよ、きっと。

 それにサイラスはお城ではお互い面識のない他人のフリをしてるけど、あの場にいた人たちの中ではサイラスが一番気心が知れていて頼りやすいし。

 無意識に気心の知れた知り合いに向かって体が動いただけ。


 うん。きっとそう。


 ◇


 今日も定時で早々にお城を出てレッカーへやって来た。

 すると、暫くするとサイラスも来ていつも通り私の隣の席へ。


「クモが嫌いだったんだな」

「うん。この世で一番」

「魔物は研究材料に使うのに?」

「別物だもの。でも、ああいう形の魔物は無理」

「形が駄目なのか」

「うん。うぅっ。想像しただけで悪寒が。……それで、あの、昼間はごめんなさい」


 我を失っていたとは言え、抱き付いたりして嫌な気持ちになっていないだろうか。

 明らかに少し迷惑そうだったし、嫌だったのかもと心配になる。


「やっぱり嫌だった……?」

「あー、いや、もう大丈夫」

「そう?今後気を付けるね」

「うん。そうして」


『もう』ということは、私に縋られたのが嫌だったんだ……。


 ズキ――


 ん?なんか、胸が痛い?

 ………………?

 気のせいか。


 それに、殿下もあんな風に怒ると思わなかったな。

 あれって、もしかして嫉妬?まさかね。


「それにしても、あのぉ、怒ると思わなかった」

「……じゃない、……けだ」

「え?ごめん、聞こえなかった。なに?」

「いや。結婚を申し込んだ相手が他の男を頼ったら、そりゃ誰だって嫌だよね」

「そういうものなんだ」


 レッカーで会ってる時はお互いに平民のフリをしているから、『殿下』や『王子』という言葉を使えないけど、私が殿下のことを言ってるっていうのは伝わったみたい。


「誰だってそうだと思うけど。例えばレンツィは、あいつ、あの騎士がレンツィより他の女を優先したら嫌だろ?」

「うーん。確かにそうかも」


 立場や状況は全然違うし、今は多分そんなことは思わないけど。

 でも、失恋する前までだったら今まで幼馴染特需的に最優先されていたのに、急に私より優先する人がいたら、確かに少し嫌だ。


 私はパヴェルのことを好きだったから他の女の人を優先されたら嫌だと思うけど、その理屈で言うなら、殿下は私のことが好きってことになる。

 それとも好きじゃなくても独占欲って湧くのかな。

 王族の相手に選ばれたのに他の人を頼るのがダメだったのかな?


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