第三十五話「軍師、敵の心理を突く」
統一暦一二一五年六月十八日。
グライフトゥルム王国中部王都シュヴェーレンブルク、王宮前広場。マティアス・フォン・ラウシェンバッハ子爵
私はマルクトホーフェン騎士団の兵に動揺を与えるため、マルクトホーフェン侯爵の腹心ヴィージンガー子爵を嘲笑した。
個人を貶める行為はあまり好きではないが、敵味方双方の犠牲を少しでも減らすためなので、あえて行ったのだ。
その結果、マルクトホーフェン騎士団の兵が動揺しているように見える。
「殿下、そろそろ敵が矢を射かけてくる頃です。本陣に戻りましょうか」
ジークフリート王子に声を掛ける。
ヴィージンガーは動揺しているため、射程に入っているにもかかわらず、攻撃の指示を出し忘れていた。しかし、そろそろ気づくはずだ。
「ファルコ、矢の処理は任せましたよ」
護衛である黒獣猟兵団のリーダー、ファルコ・レーヴェに指示を出す。
「はっ! お任せを!」
私たちがゆっくりと下がり始めると、矢が飛んできた。しかし、マルクトホーフェン騎士団には優秀な弓兵がいないのか、見当はずれの場所に飛んでいくものが多い。
それでも何本かは私たちに向かってくるが、すべてファルコたち黒獣猟兵団が叩き落している。
陣に戻ると、ラザファムが文句を言ってきた。
「その格好で矢の射程に入るのは危険だ。お前に何かあれば、王国にとって取り返しがつかないことになるんだ。もう少し自重してくれ」
「ファルコたちがいるから大丈夫だよ」
私の言葉にファルコたちが胸を張っている。
「それに敵兵にこの姿の私を見せることに意味があったんだ」
ラザファムは私の言葉を理解するが、それでも不機嫌そうな表情のままだ。
「黒獣猟兵団が失敗するとは思わんし、お前の意図も理解できるが、敵にユリウス並みの使い手がいないとも限らないんだぞ」
同期のユリウス・フェルゲンハウアーは“魔弾の射手”と呼ばれ、二百メートル先でも敵の喉を射抜ける弓の名手だ。
「マティアス卿の意図とはどのようなことなのだろうか?」
会話を聞いていたジークフリート王子が聞いてきた。
「先ほどの舌戦の効果を上げるためです」
「舌戦の効果を上げる? どのような意味だろうか?」
これだけでは分からなかったようだ。
「先ほど私はヴィージンガー殿の軍事的才能を否定しました。このような無防備な格好でも問題ないと無言でアピールしたのです」
そこまで言ったところで、王子も理解したようだ。
「なるほど。卿は言葉でヴィージンガーの能力を否定し、更に彼が指揮するなら防具など必要ないと言外に伝えた。つまり、卿は自身の言葉を補強するために、あえて歯牙にもかけていないことを見せたということか……マルクトホーフェン騎士団の兵士は目と耳から情報を得た。その方がより信じるということだな」
「その通りです。それにこれは兵士だけに限ったことではありません」
「うむ……そうか! ヴィージンガー本人にも見せつけたわけか! これで指揮官である彼が冷静さを失えば、我々に有利になるということだな!」
ジークフリート王子は私の意図に気づけ、喜んでいる。
「謀略にしろ、作戦にしろ、相手は人なのです。より効果的に行うためには、心を攻めなければなりません」
「相手の考えをこちらの都合のよい方向に誘導するということだな。勉強になる」
王子はうんうんと頷いていた。
私たちの会話を聞き、ラザファムが微笑んでいる。
「今の会話は完全に師弟のものだな。昔を思い出すよ」
そんな話をしていると、イリスが戻ってきた。
後ろにはがっしりとした身体つきの騎士、第三騎士団長のベネディクト・フォン・シュタットフェルト伯爵がいる。
イリスは王国騎士団の再編成のため、シュタットフェルト伯爵と協議していた。それが終わったらしい。
「王国騎士団の再編が終わりました。といっても、上級指揮官の抜けた穴を下級指揮官で埋め、大隊単位で数を合わせただけです。現状では第三騎士団が約五千、第四騎士団が約二千とし、第四騎士団はアルトゥール・フォン・グレーフェンベルク伯爵に指揮を任せております」
イリスが報告すると、シュタットフェルト伯爵が片膝を突いて頭を下げる。
「王国騎士団を預かっていた者として、殿下にお詫びいたします。陛下をお守りできなかったこと、王都及び王国の民に多大な被害を出したこと、マルクトホーフェン侯爵の専横を許したこと、すべて王国の守護者たる我らの失態。どのような罰も甘んじてお受けいたします」
シュタットフェルト伯爵は身体つきだけでなく、太い眉と角ばった顎、濃い髭から荒々しい猛将という印象を受けるが、実直な性格の将だ。戦死した王国騎士団長ホイジンガー伯爵と同じで謀略を好まず、マルクトホーフェン侯爵の専横を許した。
「私への謝罪は不要だ。それよりも王国騎士団の状況を知りたい。マティアス卿の予想では、レヒト法国の北方教会領軍が戻ってくる可能性が高い。その際、マルクトホーフェン侯爵の軍を抑える役を王国騎士団に期待したいのだ」
マルクトホーフェン侯爵が北方教会領軍の総司令官ニコラウス・マルシャルク白狼騎士団長と結託していることは確実だ。また、王都から何騎もの早馬が西に向かったことは確認しており、王都を包囲しているであろう我々に襲い掛かろうと戻ってくる可能性が高い。
「恥ずかしながら、王国騎士団の実力は大きく落ちております。何とか我が第三騎士団は軍としての形を保っておりますが、第四騎士団は大隊長以上がおらず、中隊長を急遽大隊長に任命した状況です。先ほどラウシェンバッハ子爵夫人が申した通り、二千の兵がおりますが、戦力として数えられるものではございません」
その言葉にジークフリート王子が考え込む。
「実質的には五千。それも以前の戦力には程遠いと……」
そこで顔を上げ、私の方を見る。
「王国騎士団をマルクトホーフェン騎士団の抑えとすることは可能だろうか? マルクトホーフェン騎士団の能力は思った以上に低いし、先ほどのマティアス卿の策で兵士たちが指揮官に不信感を持った。王国騎士団七千が王都にあれば、三千のマルクトホーフェン騎士団が打って出ることはないと思うのだが、卿の意見を聞きたい」
王子は自分の考えを伝えた後に私の意見を聞いてきた。
フリーな考えを聞きたい場合、上位者が考えを示さない方法もあるが、今回に限っては方針が決まっているので、自分の意見を先に言ったのだろう。
王子の成長に満足しながら、私は自分の考えを話し始めた。
「殿下のご認識で問題ないでしょう。唯一の懸念は王都の外にいるマルクトホーフェン派の貴族軍ですが、既に撤退し始めた軍もおりますので、数日以内に王都から去るはずです。万が一、貴族領軍が戻ってきたとしても、王宮の周りを固めておけば、侯爵と連携することはできませんし、攻城兵器を用意しておりませんから、城壁に守備兵を二千ほど配置すれば、問題はないでしょう」
「そうだな。それに卿が打った手が効いてくるはずだ。そうなれば、彼らも急ぎ領地に戻るだろう」
ジークフリート王子の言葉にシュタットフェルト伯爵が質問する。
「マティアス卿が打った手とはどのようなものでしょうか?」
「ノルトハウゼン騎士団とグリュンタール騎士団をマルクトホーフェン侯爵領に送り込んだのだ。現在、侯爵領にはほとんど兵力はいない。ノルトハウゼン騎士団三千とグリュンタール騎士団二千が攻め込めば、侯爵領と与する貴族の領地を占領することは難しくない。領地が奪われたと知れば、急ぎ戻るはずだ」
「しかし、ノルトハウゼン伯爵領とグリュンタール伯爵領は野盗が跋扈し、動きが取れぬと聞いておりますが」
マルクトホーフェン侯爵はノルトハウゼン伯爵領などに後方撹乱作戦を仕掛けた。多くの傭兵を雇い、更に帝国の士官らしき人物が指揮を執っていたらしく、両伯爵も手を焼いていた。
「その点もマティアス卿が手を打っている」
そう言って王子は私を見た。
「はい。我が領の精鋭、黒獣猟兵団を派遣し、野盗狩りを行わせました。彼らはこういった仕事も得意としておりますので」
黒獣猟兵団は八百人の戦士を擁している。現在、私とイリスの護衛として約百名、領都にいる父たちの護衛として約百名が決まった任務を持っているが、残りの六百名は近隣の貴族領での魔獣狩りや、街道での盗賊狩りなどを行っていた。
その六百名を闇の監視者の影と共に、ノルトハウゼン伯爵領などに派遣した。
「後方撹乱作戦は夫に一日の長がありますわ。帝国が支援していたようですが、一ヶ月ほどですべて排除しております。情報では五月末頃に両騎士団が動いておりますから、今頃はほとんどの領地を掌握していることでしょう」
イリスが得意げに説明する。
「そうでしたか……それほど前から手を打っていたと……」
シュタットフェルト伯爵は驚きながら頷いている。
「ですので、貴族領軍のほとんどが領地に戻るはずです。もちろん警戒は必要ですが、七千の兵で充分に王都は守れるでしょう」
「承知した。貴軍は北方教会領軍と雌雄を決するために出撃するということですな」
「はい。今頃偽の伝令が我が方の数が少ないという情報をマルシャルク団長に渡しているでしょうから、こちらに向っているでしょう。我々に有利な場所で決戦を行う予定です」
「偽の伝令……そこまで用意されているのか。卿には敵わぬということが嫌というほど分かった」
シュタットフェルト伯爵は半ば呆れている。彼は正々堂々戦うことを信条としており、私のやり方が有効だと思っても心情的に受け入れられないのだろう。
「私もその決戦の場に行きたかったですが、その資格はないようです。我ら王国騎士団はフリードリッヒ王太子殿下をお迎えできるように王都を守ります」
こうして王国騎士団がマルクトホーフェン騎士団の篭る王宮を封じることが決まり、我々は北方教会領軍と戦うべく、西に向かうこととなった。
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