第二十一話「国王、焦りを覚える」
統一暦一二一七年六月九日。
グライフトゥルム王国東部、ヴェヒターミュンデ城、城主館。国王ジークフリート
本日、船でヴェヒターミュンデに到着した。
王都を出たのは三日前の六月六日。航海自体は順調だったが、ここで足止めされることになった。
「リッタートゥルムの水軍はすべてラウシェンバッハ師団の移動に使います。陛下には申し訳ありませんが、ここでしばらくお待ちいただくことになります」
東部方面軍司令官ルートヴィヒ・フォン・ヴェヒターミュンデ大将が説明する。
魔獣が迫る中、可能な限り早期に援軍を送り込む必要があることは理解するが、ここに足止めされることになる。
「私もラザファム卿と一緒にエーデルシュタインに向かいたいのだが、どうしても駄目なのだろうか」
総司令官であるラザファム卿は連絡艇で急行する。小型のカッターボートだが、私と数名の護衛なら乗る余地はあるはずだ。
「陛下の安全を考えれば難しいと言わざるを得ません。帝国軍はともかく、エーデルシュタインに近づけば魔獣に襲われないとも限らないのですから」
「卿の懸念は理解するが、ここで無為に時間を浪費したくない」
今回に限ってはどうしても行かなければならないという思いが強い。そのため、食い下がってしまう。
「陛下のお言葉でもこの方面を預かる小職としましては認めることはできません」
以前なら国王の命令ということでゴリ押しすることもできたが、軍制改革によって軍事作戦においては国王命令であっても現地司令官の判断で拒否できる。
マティアス卿はその理由を教えてくれた。
『“戦場においては君命であっても受けざるところあり”という言葉を覚えておいてください。将は戦略に沿って作成した作戦を実行しています。そこに国王が独自の判断で横槍を入れるということは、現地司令官の手足を縛ることと同じです。ほぼ確実に作戦は失敗に終わることになるでしょう』
このことは軍制改革後の教育で徹底されており、私も理解している。
「マティアスがこうした方がよいと判断したのです。必ず理由があります。ですから、ここでお待ちください」
ラザファム卿にもそう言われてしまう。
もちろん、私が行ってもほとんど役に立たないことは分かっている。指揮はラザファム卿がいれば充分だし、帝国との交渉もマティアス卿に任せた方がいい。兵たちの士気もマティアス卿とイリス卿がいれば下がることはない。それでもどうしても行かなければと思ってしまったのだ。
城主館に用意された部屋に案内されても、焦慮感は消えなかった。
そのことに気づいている陰供のヒルデガルトが、心配そうな顔をしている。
「焦っておいでのようですが、何かあるのでしょうか?」
「理由はないんだが、何となく行かないといけないという気持ちが強い。私が行っても役に立たないことは分かっているんだが……」
「役に立たないということはありませんが、ルートヴィヒ卿のお考えも間違っていないと思います」
長年護衛として仕えてくれている彼女に心配を掛けたことで、これではいけないと気を引き締めた。
「ありがとう、ヒルダ。少し気が楽になったよ」
そこで近衛連隊長のアレクサンダーが話に加わってきた。
「明日には近衛連隊が到着します。ロルフたちはラウシェンバッハ領で魔獣狩りをしていたそうですから、彼らに対魔獣戦のことを聞いてはどうですか?」
大隊長のロルフ・ジルヴァヴォルフ少佐はラウシェンバッハ領の義勇兵団出身だ。他にもラウシェンバッハ領の出身者が多く、彼らはヴァイスホルン山脈から流れてくる魔獣を毎日のように退治していたと聞いている。
「そうだな。災害級の大物、合成獣とも戦ったことがあると聞いている。今回はその災害級と戦うことが主体になりそうだから、彼らの話を聞けば参考になりそうだ」
マティアス卿から災厄級や天災級は大賢者殿や四聖獣様が対応してくれると聞いており、帝国軍の兵士では対応しきれない災害級が相手になるはずだ。
災害級は数千人の町でも城壁がなければ簡単に壊滅するという危険な魔獣だ。
狩人組合では実質的な最高ランク、金級の狩人のクランが複数で対応することを推奨していると聞く。
「それに城壁での戦いの訓練もしておいた方がいいでしょう」
アレクの言葉に首を傾げる。
「マティアス卿の話では森の中での討伐になると聞いたが?」
「我々がエーデルシュタインに到着するのは十日ほど先です。魔獣が発生してから半月も経っていますから、エーデルシュタインに到達していてもおかしくありません。帝国軍の正規軍団が間に合えばいいですが、総督府軍では荷が重いでしょう」
帝国の第三軍団はザフィーア湖西岸で運河建設の準備に当たっている。そこからエーデルシュタインまでは約二百五十キロメートル。
大賢者殿が皇帝に会って話をし、第三軍団に命令が届くのは五日後、すなわち今日くらいだ。
そこから行軍に最短でも十日ほど、通常なら十三日は必要だから、最速でも我々とほとんど同じタイミングでしか到着できないし、その場合、行軍で疲労困憊になっている可能性が高く、到着直後に戦えるか微妙だ。
総督府軍は治安維持部隊に過ぎず、強力な魔獣を相手に戦える戦力ではないとマティアス卿から聞いている。そうなると、ラウシェンバッハ師団の一部が城壁を守っている可能性が高く、我々がそこに援軍で入ることは充分に考えられる。
「なるほど。では、連隊が到着したらヴェヒターミュンデ城の城壁を借りて演習を行おう。でも助かったよ。アレクのお陰で少し落ち着いた気がする」
アレクは私が焦っていると気づき、いろいろとやるべきことがあると教えてくれたのだ。
「マティアス殿ばかりに任せきりにするのは気が引けますからね。それに陛下が森の中に入ることを認めてくれるとは思えませんから、俺たちの主戦場は城壁の上になります。俺を含め、城壁での戦いには慣れていませんから、この機会に少しでも慣れておこうと思ったんですよ」
マティアス卿は私が出陣することに反対していた。当然、危険な森に入ることは許可しないだろう。そうなると、近衛連隊もエーデルシュタインに残ることになるというアレクの考えは正しい。
「そうだな。マティアス卿もエーデルシュタインから指揮を執るだろうから、彼の戦術に対応できるように準備しておく必要があるな」
翌日の夕方、近衛連隊が到着した。
彼らは王都シュヴェーレンブルクから街道を走ってきた。その距離は約五百キロメートルもある。
それだけの距離を僅か六日間で移動した。
移動に使った道は大陸公路と北公路という主要街道であったため、補給の心配はなかった。
しかし、軍事常識を大きく超える行軍速度に、ラウシェンバッハ師団に匹敵する精鋭だと感嘆する。
近衛連隊は疲れた様子も見せず、ヴェヒターミュンデ城内の広場に整列していた。
『今回の行軍で諸君らの練度の高さを改めて再認識した! まだ水軍が到着していないが、明日からここでエーデルシュタインでの戦いを想定した演習を行う! 諸君ら近衛連隊は大陸最強の部隊だが、マティアス卿の要求はいつもより厳しいものになるだろう! それに応えられるよう、一層の努力を期待する!』
急いで走ってきたのに、出発が遅れている。そのことに不満を持たないよう、マティアス卿の名を出して奮起を促した。彼らのほとんどがラウシェンバッハ領出身であり、その効果はてきめんで、不満を見せる者はいなかった。
翌日、城壁の上で演習を行うが、思った以上に苦労した。
近衛連隊には一騎当千の兵士が集められているが、組織だった戦闘は得意としていない。そのため、狭い城壁の上では部隊の入れ替えに戸惑い、何度もやり直している。
「アレクの懸念が当たったな。エーデルシュタインの城壁の上がどの程度の広さかは分からないが、これほど混乱するなら指揮のやり方を変える必要がある」
アレクが私の言葉に頷く。
それに頷き返し、一緒にいるルートヴィヒ卿に視線を向ける。
「ヴェヒターミュンデ城での防衛の要である卿の助言がほしい」
私の頼みにルートヴィヒ卿は満面の笑みで頷く。
「もちろんです、陛下。陛下とアレクには小職が助言いたしますが、連隊の各指揮官にも我が軍のベテランをお付けしましょう。城壁での戦いならヴェヒターミュンデ師団に一日の長がありますからな」
それから見違えるように動きがよくなった。
翌日も演習を行い、最初の頃のような戸惑いは完全に消えていた。
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