カマ、襲来。
警察のところに行った先生が帰ってきたのは、夜遅くだった。
馬車で帰ってきた先生を待っていたのは、私たちと、もう一人。この近所に住むというマダムだった。
「まったー、怪我しちゃって、ヴィンツ」
予想外に恰幅がいいような、化粧臭いマダムに、兄さんと私はとっとと部屋に退散して、絡まれる先生と、ショウさんを扉を小さく開いてみていた。
暗い室内を照らすろうそくがゆらゆらと三人の影を部屋に落とす。
「すげえ、おばさんだな。あの人」
「……先生とどんな関係があるんだろう……」
「にしても、すっげえ、化粧のにおい」
俺でも鼻がむずむずするぞ、というそばで私がくしゃみをする。
兄さんより人狼の血が濃いからか、すぐに粉のにおいとかでくしゃみが出る。
しかも一度じゃ収まらない。
二度、三度、と重ねたところで、兄さんが扉を閉めてくれる。
「かわいい兄妹にはちょっと嫌われちゃったみたいだけど……」
「いや、あんたの化粧のせいだ」
「何よ、そんなに……」
「あの子たちは、鼻がいい子たちなんだ。そういうにおいに敏感でな。悪気があるわけじゃない」
そう先生がフォローしてくれているのに私たちは顔を見合わせて苦笑していた。
「あらぁ? そおなの? でも、化粧取ったら私、おっさんになっちゃうじゃない」
その言葉に、私たちは、ひっと息を吸い込んで固まっていた。
扉越しに聞こえる会話は、その場に居合わせたいほど衝撃的な話題だ。
「普通に男で来いよ。別に俺たちなんだから化けの皮いらねえだろ」
「いやあ、ショウちゃんのところにかわいい兄妹がいるって聞いたからぁ……」
「誰にですか?」
「ロスよ」
あいつ、と言葉に詰まった先生に、私たちは、また、顔を見合わせて、細く扉を開けて、居間をうかがった。
「次回は、男の姿でお願いしますね? うちの患者たちに、優しい姿で」
「……薄めでくるわ」
「したら地が見えるだろ。つーか、化粧落とし持ってんだろ。落とせ落とせ」
ショウさんが目で追えない速さで動いて、マダムのことを羽交い絞めにした。
先生は、マダムの手荷物から瓶に入ったとろりとしたものを取り出してマダムのバリバリ化粧してある顔面にそれを落とした。
「いやぁ!」
「いやあじゃねえんだよ、気持ち悪いぞ」
「襲わないでぇ、ショウちゃあーん」
「ヴィン。強制執行だ」
「了解」
殺気だったショウさんの低い声を初めて聴いたかもしれない。
先生の聞きなれない言葉とともに、ショウさんが一気に真横に飛び退ったと思ったら、びしゃりとマダムの真上から水が降り注いだ。
「ひどいわ、みんないじめて……」
「いや。あるべき姿に戻しただけだな」
「そうですね」
「ひどい……」
しくしくと、女もののドレスに包まれたきれいな手で顔を覆うマダムに、兄さんがそろりと扉を開けてショウさんを見た。
「もう着て大丈夫ですよ。化粧もすべて落としましたから」
「念のために、換気してくれないか? 俺は平気だが……」
「まあ、まだ粉っぽいもんな」
そういった先生が窓を開けて、夜風を誘い入れてくれる。
「ごめんねえ。普通に、化粧ぐらい、と思ったけれど」
「いえ。お気になさらずに」
「うん、いい男ね」
「ロベルト。私のそばから離れずに」
「……はいっ」
ぞわっと毛を逆立てた兄さんと、表情を冷やしたショウさんと、軽蔑の目を送る先生。どうして、兄さん、この中になじめているの。




