もう戻らない令嬢の話 ――偽物の聖女と断罪されたので
目の前で、婚約者だった男と家族だった男がひざまずいている。
窓の外では、魔鳥が掠れた声で鳴いている。
この人たちに愛されたくて必死だった過去を思い出す。
役に立てば、愛されるだろうか?
聖女として身を粉にして働けば、褒めてくれるだろうか?
可愛く着飾り、甘えるのが上手な義理の妹と、何が違うんだろう?
それは、ひたすら虚しい、報われない日々の記憶だ。
彼らはあの妹を信じ、私を追放した。
私に虐められたという証言だけで、私を断罪した。そんなことをする人間だと思われていたのかと、絶望した。
今はもうこの人達に「愛されたい」なんて、そんな気持ちは一片たりともない。
早く帰ってくれないかなぁと思う。
今日はお菓子を焼きたかったのに、突然の来客で時間が無駄に過ぎていく。
「聖女だと自称していた連れ子が嘘つきで、魔道具でごまかされていただけと?
まあ、大変でしたね」
気持ちのこもらない言葉をかける。
だって、自分は見る目がない、アホでしたと自白しているようなものでしょう?
同情する気も起きません。
何を勘違いしたのか、二人はぱあっと明るい顔になった。
「そうなんだよ。あの妻とは離婚した」
へー。継母がどうなったとか、私に関係ないですよね。
「あの嘘つきのおかげで、大変なんだ」
ええ? 運命の女とか言ってませんでしたか?
王子妃教育も、私ができたことなら、彼女なら簡単にできると豪語していたの、忘れていませんよ。――悔しすぎて、忘れられない。
「では、こんなところで油を売っている暇はないでしょう」
にっこりと笑ってやる。絶望――みたいな顔って面白いのね。
あの日の私も、こんな顔をしていたのだろうか……ちりっと胸が痛んだ。
暗に、早く帰れと言っているのだが、伝わっていないのだろうか。
お茶も出さずに「歓迎してません」と主張しているつもり。
私の方が、喉が渇いてしまいました。ここで一人だけ飲んだら、どうだろう。いや、そこまで強くなれないデス。
魔の森で採取した薬草のお茶。素朴な味を貶されたら嫌だから、この人達に出す気はない。
大きなため息が出た。
二人がびくりと肩を揺らす。
「も、戻ってきても、いいんだよ」と、父だった男が愛想笑いをした。
「それは、すでにお断りしましたよね」
にっこりと笑う私。
恩着せがましい言い方をされて、「誰が戻るか」という気持ちが強くなる。
「戻って、また物置で生活しろと?」
この部屋も飾り気がなくて、お貴族様からしたら物置みたいなのかもしれない。
だけど、ほこりっぽくないし、粗大ゴミが放置されているわけじゃないし、私にとっては楽園だ。
「いや、当然、お前の元の部屋で」と、もごもごと言っている。
これは、考えていないし、部屋の用意もしていないんだろうな。
「あんな女が淫行にふけっていた部屋なんか、気持ち悪いのでお断りします」
あははは。二人とも蒼白だわ。
「こ、国民が困っているんだ。いつ魔物の襲撃があるか……みんな怯えている。」
「国外追放されて国民じゃなくなった私には、関係ないですね。
それに、ここは魔物の生息地ですが? 私の命を脅かそうとして、ここに追放したんですよね?」
あっははははは。なに、その、ショックを受けたみたいな顔。
どの面下げて「怯えてるから助けろ」とか言えるんです?
昔は王族になる者として、国民を愛そうとしていましたけど。そんな少女はもういません。
「解決する能力がないなら、できる方に王位を譲るべきでは?
帝国の属国になるとか、軍部に所属している王弟殿下に譲位するとか、色々あるでしょう。
国王陛下はなんとおっしゃっているのですか? 王妃殿下は?」
「……みんな、反省している」
「かるぅい! なんて軽い言葉でしょう。
よってたかって一人の少女をいたぶって、追い詰めたんですよ。それを『反省』の一言で済ませる気ですか。
反省した後が大事ですよ。反省して、その後どうするおつもりか、具体的におっしゃって」
もう、私には関係ない世界の話を出して、まるで人質に取ったかのように話をするなんて、愚かですね。
国民がどうなるか?
追い出された国の国民なんか、どうなろうと知るものですか。
どうにかするために、国王がいるんでしょうが。
反省した後のことが思いつかないから、わざわざ魔の森の奥まで来たのでしょうけれども。
簡単に人を責め、反省もせずに「無かったこと」にしようとする卑劣な連中。
無能な上に、傲慢で。見るに堪えませんね。不愉快です。
もう、これ以上茶番に付き合わなくていいわよね。
「だまされた自分を擁護するだけで、『聖女』に責任を押しつけていたら軽蔑します。
彼女は、今、どうしているのですか?」
二人は気まずそうに目を見交わす。
「……処刑した」
元婚約者が、ぶっきらぼうに言う。
「まあぁぁぁ、『運命の番』とまで言い切ったお相手を殺してしまったの? さぞかしご心痛のことでしょうねぇ」
歌劇のように大げさ嘆いてあげた。
お前は、被害者じゃないだろう。なんだその反抗的な顔は。
「実の娘よりも可愛がっていたお嬢さんが、そんなことになってご愁傷様でした。
涙で足元もおぼつかないのではなくて?」
父親がぎりりと奥歯を噛みしめる。
怒鳴って殴れば言うことを聞いていた人間から、おちょくられているんですものね。
さぞ、悔しいことでしょう。
「もし、あなたたちの要望を受け入れて戻ったとしても、何か不都合があったら、私もあっさりと処刑されるのでしょうね。怖いわぁ」
手のひらを頬に当て、か弱く嘆いて見せる。
「そんなことはしない!」
元婚約者が叫んだ。どの口がそんなことを言うんでしょう。嘘くさい。
「まあまあ!
『そんなこと』をされたから、わたくしはこんな魔境にいるのですが?」
お黙りなさいよ。自分は悪くないと思っている、嘘つきどもめ。
私は「聖なる力を魔族に向けない」という誓いを立てたから、まだ、生きている。
誓わなければ、この森に着いたその日に魔物の餌食になっていた。
聖なる力で結界を張ったが、何時間も張り続けられるものではなかった。
つまり、お前達が都合良く利用しようとしている娘は、もういないのだ。
お前達が、「聖女」を殺した。
本物の聖女も偽物の聖女も、もういない。
言葉が尽きたのか、二人は諦めて出て行った。
「君の無事を喜ぶ言葉は一言も出なかったな」
部屋の隅から黒い煙が現れ、人の姿をとった。
「彼らにとって、私は『一人でも生きていける強い女』だそうですから」
一人で生きていける者などいるものか。いたら、超人だ。
そんなの、気を使わずに放置しておける人間という意味だろう。
魔族のこの男が差し伸べる手を、何度も拒絶した。下心なく、人間を助けるはずがないと。
だが、死の恐怖から命乞いをして、「魔族に対立しない」と誓いを立てて、バリアを張ってもらった。
次の日には、空腹に耐えられず食料をもらった。
一週間と保たずに、この家をもらった。
もちろん、私からの情報漏洩を期待し、人間の世界を征服する手がかりになるという下心ありの援助だろう。
だが、この男は約束したことは守ってくれる。
あの二人だって、下心満載でここまで来たのだ。
手土産もなく。ただ口先だけの「愛情」を交渉材料として。
形だけひざまずいたら、私が感動してほだされるとでも思ったのか。くだらない。
誇り高い人からの敬意なら嬉しいが、どうしようもない男のパフォーマンスなど見苦しいだけだ。
守られる確証がない約束など、ゴミ屑だ。
それどころか、守る気がない約束は「詐欺」と呼ぶ。
その場で調子のいいことを言って、都合良く働かせる駒としか思っていない。
そこに愛情はない。
いや、彼らは溺愛していた娘すら、全ての責任を負わせて処刑できるのだ。
信用できない。信用に値しない。
「悔しい。気持ち悪い。死ねばいいのに」
体の内側から、マグマのように熱く、抑えきれない感情があふれ出す。
「その気があるなら、奴らが森を出る前にやれるけど。どうする?」
魔族の男が囁いた。
「ああ、自分でやりたいかな?
君は聖なる力を注ぎすぎないように訓練させられていただろう。注ぎすぎたらどうなるか、試してみるのも面白いと思うぞ」
……なんという、誘惑。




