黒い巨神 - 水瀬 友紀⑬
___その日、人間たちは思い出した。
この国で誰もが知っているであろう大人気マンガの印象的なセリフが頭をよぎる。
舞台の壁を壊して現れたのは、20メートルを超える人型の黒い影のような物体だった。
そもそも実体があるのか微妙なところ。何か小さい粒のようなものがたくさん集まってできているようにも見える。
多分、これが御影の能力だ。でも、彼女自身はどこにもいない。
いつからいなくなっていた?
猿渡とシリウスの戦いや景川に憑いた神の出現とか色々あったせいでいなくなってることに気づかなかった…。
日下部「神憑の対処は僕に任せてほしい」
僕は、そう言って1歩前に出ようとした日下部の袖を引っぱった。
「君1人で戦うのは危ない。みんなで協力しよう」
これだけ有望な特質持ちが集まってる。作戦を考える暇はなくても、一斉にかかったほうが絶対良い。
鬼塚「………ん? 何と戦うの?」
文月「鬼塚、よく目を凝らせ」
敵は20メートルを超える巨神。どんな能力を持っているかもわからない。そんな相手を日下部1人に押しつけるわけにはいかない。
彼は掴まれた袖を少し強く振って、僕の手を払う。
日下部「神憑同士の真っ向勝負は憑いてる神の位でだいたい決まる。シリウスが言うには、御影先生に憑いてる神の位は彼より低い……つまり、僕が有利ってことさ」
神の身分差で勝負が決まる…。景川にシリウスのオナラが効かなかったのもそれが原因なのかな?
景川に憑いた神はシリウスより上の位で、猿渡の神の方はシリウスより下って考えられる。
シリウスに対して、猿渡の技は1つを除いてほとんど通用していないから。
それと同じように、あの巨神の攻撃が日下部に全く効かないとしたら…。僕らが下手に出て怪我をするより、彼に任せたほうが安全かもしれない。
鬼塚「………あ! 見えたけど、何あれ!?」
琉蓮は黒い巨神を指さしながら、驚いたような声を上げた。
一度、日下部に任せてみよう。少しでも危ない目にあったら、みんなで助けに行けばいい。
僕が深く頷くと、彼はいつものように優しく笑った。
日下部「信じられない話だと思うけど、わかってくれて嬉しいよ。大丈夫、すぐ終わらせるから__宙屁」
彼は前を向き巨神を見据え、両足で床を思い切り蹴飛ばした。
………ぷ、ぷすっ。
しかし、いつものガスが抜けるような音は出ない。頼りないオナラの音が微かに聞こえただけだ。
多分、彼は床を蹴ってそのまま宙屁で飛びたとうとしたんだろう。
でも、オナラが不発して彼の身体は地面に叩きつけられた。
もしかして、また便秘…? いや、さっきまで絶好調だったからそれはないか。
墜落した彼自身も原因はわかってなさそうだ。全身を打ちつけて痛そうにしながらも彼はゆっくりと立ち上がる。
日下部「どうしてだい? あのとき以来、便秘にならないように毎朝青汁を飲んでいるんだけど…」
彼の発言から、毎日便秘対策していたことが窺える。なら、よっぽどのことがない限り、便秘にはならないと思うけど…。
もしかして…!
僕は神憑のこともシリウスや日下部の能力のことも深くは知らない。でも、1つだけ……思い当たることがある。
日下部「もういいよ。所詮、体育館内だ。飛べないなら走っていけば良いだけさ」
「………! 待ってくれ! 君のオナラが出ないのは……!」
彼は僕の言うことを聞かずに巨神の足元へ走っていってしまった。
まずい…。もし、僕の予想が当たっていたら…。
彼は巨神にお尻を突き出して身体全体を強ばらせているけど、オナラはいっさい出そうにない。
嫌な予想が当たってしまったみたいだ。
彼自身も原因に気づいたのか、汗だくになりながらこちらを見て身体をぶるぶると震わせた。
日下部「ごめん、みんな………どうやらガス欠みたいだ」
今日はオナラを出し過ぎてしまったんだ。猿渡や景川に憑いた神との戦いで使い切ってしまったんだろう。
彼の後ろにいる真っ黒な巨神に顔のようなものはない。
でも、オナラを出せないことを知ってなのかどこか嗤っているように見える。
バコッ!
そして、奴は日下部のお尻をその巨大な足で思い切り蹴り上げた。
彼の身体は勢いよく真上に飛ばされる。
天井には3つ目の穴が空いてしまった。まさか、親子そろって体育館に穴を空けるとは誰も思わない。
相当な威力だったのか、蹴り上げられた彼が戻ってくることはなかった。
“何かあったら助けに行こう”。
そんな暇なんてないくらいの瞬殺だ。そして、黒い巨神は振り上げた足を下ろしてこちらに向かってきた。
1歩踏み出すたびに地鳴りのような大きな足音が館内に響き渡る。
日下部は多分、死んだ…。死にはしなくても痔にはなってると思う。
ごめん、日下部…。僕のせいで2回も死なせてしまった。
目の奥が熱くなるのを感じて、僕は上を向く。
仲間の死を悲しんでいる暇はない。奴の動きを止めてから強い一撃を確実に当てて倒すんだ。
それができるメンツが揃っている。
怜の唾液で動きを封じて、ゴリラ化した陽と琉蓮の打撃を叩き込もう。そして、ダメ押しに立髪のモヒカッターだ。
これで無理なら、奴には多分勝てない。
迫ってきてるけど、まだ充分距離はある。図体が大きいからか動きは遅い。彼らにこの作戦を早く伝えないと。
僕は袖で目を擦ってから彼らの方に振り返った。おどおどしている琉蓮と、後ろに避難している皇以外は覚悟を決めた目をしている。
死線を何度もくぐり抜けてきたかのような面構え、これなら大丈夫そうだ。琉蓮は少し心配だけど…。
「みんな……冷静に。まずは奴の動きを止めたい。怜……頼めるかな?」
彼は一瞬、顔をしかめてから大きく頷いた。動きを止めるには彼の唾液が絶対に必要だ。
コンプレックスなのにこんな場所で使わせて悪いと思ってる。でも、君にしかできないことなんだ。
そして……、
「陽、立髪、琉蓮…。動きが止まったら総攻撃を仕掛けてほしい」
僕の作戦に対し、ゴリラ化している陽は満面に笑みと共にグッドポーズ。
立髪も自慢の髪 (角刈り) を触ってからのグッドポーズ。
そして、琉蓮は狼狽えながら慶の方をちらっと見て……、
鬼塚「わかった。僕らであの人殺しクソのっぽをぶっ飛ばそう!」
みんな、戦おうとしてくれている。
話してるうちに巨神の歩幅で後2、3歩のところまで迫ってきていた。
剣崎「タイミングを見計らおう。私の後に続くのだ」
彼はそう言いながら屈み込み、多分だけど唾液を靴の裏に塗りつけた。
唾液滑走の準備だろう。
そして今、奴の1歩が重々しく踏み出された。後2歩で僕らの目の前までやって来る。
奴がこちらに来るまで後……、
2歩……………
ズシンッ…
1歩……………
不知火「ねぇ、こいつ倒したら“ともだち”になってくれる?」
不知火は、ブロッコリーを頬張りながら巨神に背を向け、僕らの前に立った。
皇「おい! 逃げろ、バカ!」
かなり焦った様子の皇は、彼に手を伸ばす。
いきなり前に立たれたせいで、仕掛けるタイミングを失って固まる怜たち。
そして……、
ぐしゃっ!
不知火は、無慈悲な巨神の巨大な足によって踏み潰されてしまった。
大量の血や肉片が飛び散り、目の前にいた僕はそれのほとんどを浴びてしまう。
赤黒く染まった床が目に焼きつき、生臭い鉄の臭いが鼻を刺激した。
「う、うわあああぁぁぁぁぁ!!」
少し遅れてから僕の口から絶叫に近い声が上がる。
その口を反射的に手で塞いで、僕は視線を落とした。
死んだ……。人が……死んだ。目の前でグチャグチャに……。
お、落ち着け……敵はすぐそこにいる。まともに息ができない。足がありえないくらい震えて止まらない。
殺される……。僕もこんな風に…。次は僕の番だ。
剣崎「唾液滑走・急旋回」
僕がこんなに動揺してるのに対し、彼はいたって冷静だった。
彼は唾液滑走で、奴の周りを円で描くように一周して僕の元に戻ってくる。
パキパキパキ……
ただ高速で一周しただけじゃない。奴の動きを唾液で完全に封じたんだ。
速すぎていつ唾液を飛ばしたのか全くわからなかった。
剣崎「ごふっ…! 飽和凝結唾液。今、出せる唾液は全て使い切った。とどめを……刺すのだ! 日下部氏の死を無駄にするでない!」
黒い巨神は凝結唾液のお陰で、首から下は動かなくなったみたいだ。
やや辛そうにしている怜がそう言いきる前に、すかさず立髪が前に出てこめかみに両手を添える。
立髪「モヒ……カッター!」
放たれた三日月状の髪の斬撃。その後を追うように琉蓮とゴリラの陽が奴の顔を目がけて跳び上がった。
琉蓮は右手の拳を限界まで後ろに引く。
陽は両手の拳を頭の上に振りあげ、背中を大きく反った。
鬼塚「ワンッ……!」
唖毅羅「龍滅穿天……」
そして、モヒカッターが奴の首元を通過し、少し手前に首がズレたところで……、
琉蓮「ビートッ!!」
唖毅羅「兜割っ!!」
2人の攻撃が炸裂する。
ドカアアァァン!!
スドドドドドーン!!
そんな音がしそうなくらい力強い2人の一撃。
黒い巨神は顔面を貫かれ、静かに崩れるように消え去っていった。
倒したのか…?
見かけの割にあっけなかった。いや、奴以上に怜たちが強かった可能性も…。
鬼塚「や、やった! 化け物を倒せて風圧で床が砕け散らない程度の絶妙な威力。完璧な力加減ができたんだ!」
唖毅羅「ホーッ! ホーッ!」
2人は強大な敵を倒した喜びをわかち合うかのように、勢いよくハイタッチをした。
パチンッ!
唖毅羅「ホオオオォォォォォン!!」
琉蓮とハイタッチをした陽は、悲鳴を上げながら手を抑えてごろごろと転がっていった。
な、何が起きたんだ?
転倒した陽を見て、琉蓮が目に涙を浮かべる。
鬼塚「ごめん! 僕のバカ…。調子に乗るとすぐこうなる! 待ってて! 今、獣医さんを呼ぶから…………あ!」
陽は起き上がって両手を庇うように胸元へ近づけ、猛ダッシュで体育館を後にした。
いきなり転んだ彼に、なんで琉蓮は謝ったんだろう?
まさか、少し強めのハイタッチで僕らより一回りも大きいゴリラの陽を吹き飛ばした?
彼の特質は、そうとう強力なものに違いない。いや、そもそも力がむちゃくちゃ強いだけって可能性も…。
彼らのことをまた紹介しよう。生徒会との戦いではこっち側についててくれたけど、琉蓮はみんなと初対面だ。
多分、陽のこともただのデカいゴリラだと思ってる。
「中々やるじゃない。レベル2………いや、レベル最大でいきましょうか」
どこからともなく声が聞こえてきた。この声は、間違いなく御影丸魅のもの。
どこにいる? 声だけが聞こえて姿は見当たらない。彼女の能力…、いったい何なんだ?
僕らが辺りを見回していると、無数の黒い粒のようなものが割れた窓ガラスから一斉に入ってきた。
それらは僕らを囲い込み、5つの人型のようなものを象っていく。
そして、それはさっき倒した20メートルを超える巨神となり、僕らを見下ろした。
くそっ…、そういうことか。御影本体を倒さないと、こいつらは永遠に出てくるわけだ。
だから、彼女は姿を隠している。たとえ1体でも倒すのは難しいのに…。
怜は唾液の力を使い切って疲労している。もう同じ方法では止められない。
日下部はガス欠、陽はハイタッチで負傷。不知火はグチャグチャに…。
今、全力で動ける特質持ちは、立髪と琉蓮だけ。
ドゴッ!
そもそも……こんな悠長に考えられる余裕はなかった。
僕らは全員、5体の黒い巨神に蹴りだされ体育館の外へ。
かなりの距離を吹っ飛び、グラウンドに叩きつけられる。
ううっ…、あの巨大な足の蹴りをもろに食らってしまった。僕はもう死んでしまうのか?
うつ伏せに倒れている自分の身体を動かす勇気はない。
身体が原型を保っているのは奇跡だ。きっと内臓は全部、潰れてるだろう。
……………あれ? 痛くない?
不思議と痛みを感じなかった僕は、恐る恐る身体を起こした。
あんな攻撃を食らったはずなのに、平然と立ち上がれたことに驚いている。
全く痛くもないし、どこにも怪我をしている様子はない。
それは僕だけじゃなく、みんなも同じだ。誰1人として負傷した仲間はいなかった。
本当によくわからない能力だ。
でも、そんなことより…。
今、僕が見ているこの光景は現実なんだろうか…?
平和な日常がいつも流れているこの町に、地獄の扉が開いたように思えた。
数えきれないほどいるあの黒い巨神たちが学校や周りにある家を潰して回っている。
町中に響き渡る断末魔やサイレン。
全てを呑み込むように燃え上がる炎と暗い灰色の煙。
そんな中、御影の声がまたどこからか聞こえてきた。
御影「さぁ、存分に恐怖を味わいなさい」




