歴史 - 水瀬 友紀①
慶の鬼ごっこ騒動から数日。
あれから学校はだんだんと日常を取り戻しつつあった。
3日間という短い間だったけど、隔離されていたことへのトラウマやショックで精神が不安定になっている生徒もちらほらいる。
そして僕は今、みんなを救った英雄の1人として讃えられ平凡な高校生から学校中の人気者に。
………そんなわけはなく、相変わらず普通の高校生活を過ごしている。
ちょっとは人気者や英雄みたいな扱いをされても良いと思うんだけど。
唯一、讃えられているのは……
「あのゴリラ凄かったよな」
「うん、俺たちを警察署まで誘導してくれた。めちゃくちゃ頭良いゴリラ」
「あのゴリラがいなかったら俺らどうなってたんだろうな。マジで神だわ」
ウホだけだ。その裏で僕らが慶の鬼と戦ってたことは誰も知らない。
そして少し恐いのが新庄。彼は学校内で変わらず金属バットを常に持ち歩いている。
あれ以来、話してないから確証はないけど多分あのバットだよな。
慶の話によると普通の人は触れると感電死するらしい。うっかり誰かが触らないか心配で仕方がない。
今は休み時間、突っ伏して爆睡中…。
まぁ、休み時間とか授業中とかほぼ関係なくだいたい寝てるんだけど。
たまたまとは思うけど、彼の席は窓際の1番後ろにある。授業中寝てたり、スマホを触ったりしてもバレにくい場所だ。
ガラガラッ! ドンッ!
そんなことを考えていると、教室の後ろ側のドアが勢いよく開いた。
僕とクラスにいた数人の生徒は音に反応して振り返る。
ドアの前に立っていたのは学校で1番怖いと評判の村川先生。
ドスの効いた低くてオペラ歌手のような響きのある声、中年太りでお腹が少し出ていて小柄な体型が特徴的だ。
これだけ聞くとどこが怖いのかと思うかもしれない。
でも、怖いものは怖いんだ。校則に厳しく少しでも違反した人は職員室に呼び出されて怒鳴られる。
慶なんて可哀想すぎる。皇って奴に校章を奪われ、返してもらえないせいで永遠に呼びだされて怒鳴られていたんだ。
彼が政府にした要求をまだ僕は聞けてないけど、もしかしたら村川先生の解雇かもしれない。
政府を敵に回すくらい身体を張らないと村川先生の恐怖には勝てないと思う。
先生がドアの前に姿を現しただけで賑やかだった教室は静まり返った。
村川「おい、お前」
威圧感満載の重低音。身体を締めつけられているかのような重圧を感じさせるこの声を聞き、椅子に座った僕の身体は硬直する。
村川先生の目線は新庄を捉えていた。
新庄を見据えた村川先生がゆっくりと1歩を踏み出し、安心安全だった僕らの教室へ。
硬直した僕の身体は思うように動かない。
でも、恐怖そのものから目を離すわけにもいかないため、首だけが自然に動いて村川先生の様子をうかがった。
周りが静かなせいか、先生が一歩踏み出すたびに床の軋む音が鮮明に聞こえてくる。
この軋みにさえ圧を感じてしまうのは僕だけだろうか。
そして新庄が寝ている机の真横へ。さっきも言ったけど、彼の席は教室の端っこかつ窓際だ。
もう彼に逃げ道はない…。
さすがの彼も圧を感じたのか目を覚まし、眠たそうな顔をしながら口を開いた。
新庄「あ、お疲れ~っす。え? まだ休み時間すよねぇ?」
まさかとは思うけど、その態度…。村川先生を前にして恐怖を感じていない?
新庄、君は何者なんだ?
村川「お前、何しとんねん。その髪の毛」
みんなが村川先生を恐がる最たる理由…。吉波高校、恐怖の伝統、世界最恐の関西弁。
これを聞いた者は誰であっても人生最大の恐怖を感じ「はい、すみません」しか言えなくなると言われている。
しかし、新庄は全く動じることなく自身の金髪を指さした。
新庄「あ、これすか? いやぁ何かこの金属バット持ったら金髪になったんすよ、いや、マジで。でぇ染めても何か黒くならないていうかぁ…」
新庄、僕は君を兄貴と呼ぶことにするよ。
君は恐怖の伝統を打ち破った吉波校初の勇者だ。
しかし、村川先生もベテランの先生。今までの経験上、自身の関西弁に屈すると予想していたと思うけど、予想に反したくらいでは狼狽えない。
先生も負けじと腕を組み、眠そうな新庄の前にどんと構えた。
村川「お前、儂を舐めとんのか? 屁理屈言わんと染め直してこい」
とても見応えのある攻防が教室の端っこで繰り広げられている。
果たしてこの戦い、どっちが勝つのか。
僕の中にあった恐怖の一部が好奇心へ変わりつつあったんだけど…。
村川先生は、寝起きで頭が回ってなさそうな新庄を追撃する。
腕を組んだ先生の目線は、例の金属バットに移った。
「後この金属バットは何や? こんなもん教室で振り回してガラスでも割ったらどうすんねん。これは没収や。放課後、職員室まで取りに来い」
え、ちょっと…! これはまずいことになったぞ…。
その金属バットに触れてはいけない。いくら恐い先生でも莫大な電気には敵わないから。
でも、最強vs最恐を見てみたい気もする。
ダメだ! はっきり言ってただの中年太りのおっさんが電流に耐えられるわけない。
止めなきゃ…! 先生が死んでしまう!
僕は恐怖で強ばった身体を懸命に奮いたたせて席を立つ。そして、村川先生と新庄のいる方に身体を向けるけど…。
「……………ぁ………ぅ」
ヤバい! 恐すぎて声が出ない!
こうしている間にも村川先生の手は金属バットに向かっている。
まずい、ほんとにまずい!
だけど、僕はただ冷や汗をかきながら立ち尽くすことしかできない。
新庄「おう剣崎! どうした? ウンコか?」
席を立ったまま動かない僕を妙に感じたのか、新庄がそれに気づいて声をかけてきた。
僕は……。僕は……。
「僕は剣崎じゃない、水瀬だ! 何回も言ってるだろ!」
僕の急な大声に村川先生の動きはぴたりと止まる。
出た、声が出た! ありがとう新庄! 君の言葉は、僕にありったけの勇気をくれたんだ。
今なら言える! 先生の感電死を防ぐことができる。
そうだ、僕はみんなを救った英雄なんだ。言ってやる、言ってやる、言ってやれ!
高ぶった気持ちに任せて僕は、金属バットを触ろうとしている村川先生に呼びかける。
「先生、そのバットに触れてはいけません!」
僕は金属バットをサッと指さし、先生の目……は見ないで金属バットを見据えた。
「その金属バットには莫大な電気が流れている。それとも何か? 何の取り柄もない中年太りのおっさん如きがその電力に耐えられるとでも言うのですか?」
僕はできる! 僕は英雄なんだ! みんなのヒーローなんだ!
ハッハッハ! ハッハッハッハッハ!
言いたいこと以上のことを言い切った僕は、心の中で高笑いする。
………。
ヤバい、言いすぎた。
煽られた先生は僕の方に向いて、今まで感じたことのない最大級の重圧をこちらに放ってきた。
あぁ、恐すぎて震えるのを通り越して身体がいっさい動かない。心臓や血の流れすら止まってるような感覚に陥る。
村川「お前、先生に向かってそんなこと言うんか。そういや、お前にも注意せなあかんことあったわ。放課後、職員室来い」
「はい、すみません」
村川先生に面と向かって怒られたのは初めてだ。
噂通り、恐怖で思考が停止して反射的に「はい、すみません」しか言えなかった。
先生は新庄の方へ振り返り、再び金属バットを指さす。
村川「新庄、このバット、ロッカーにでも閉まっとけ。教室で野球とかくだらんことすんなよ」
そう言って村川先生は教室から出ていった。
ガラガラ……ドンッ!
勢いよくドアが閉められ、村川先生がいなくなった瞬間、クラスのみんなはホッと溜め息を吐く。
僕も緊張して強ばっていた全身の力が抜け、その場にへたり込んだ。
はぁ…何とか止めることはできたけど最悪だ。
多分、数時間に渡る説教コースだろう。注意したいことっていったい何だ?
心当たりがない。校則を破った覚えはないし。
キーン コーン カーン コーン
キーン コーン カーン コーン
憂鬱な気分でいると休み時間の終わりを告げるチャイムがなった。
今日の授業は次で最後だ。この授業が終わったら、僕は死の一歩手前レベルの恐怖を味わうことになるだろう。
次の授業は確か“歴史”。
重要なことを話すからできる限り出席してくれって言ってたな。
ガラガラ……
さっきのがさつな感じとは違い、黒板から近い教室のドアが丁寧に開けられた。
ドアを開けたのは、歴史を担当している先生。
チャイムが鳴り終わると同時に入ってきてすぐに授業が始まった。
「みんな、揃ってますか? それでは、授業を始めます」




