三叉槍 - 日下部 雅&シリウス⑧
シリウス「了解、これ以上目立たれると参るから僕も全面的に協力するよ」
シリウスは口元から手を離し、僕を見据える。
自分に憑いた神との協力。他の神憑にはできない利点と、位の差で彼ら3人を圧倒するのさ。
僕は彼に頷いた後、真上にある地盤を再び指さした。
「赤い放屁であの地盤を除けてくれ」
この球状に囲まれた空間から飛び出て、すかさずある放屁を放つつもりだ。
その放屁は狙って当てる必要がないもの。これをシリウスから教わったのはつい最近の話だけどね。
尼寺の力で昏倒劇臭屁は効かなくてもこれなら…。
シリウスが僕の指さした先を見上げると、手の平に渦巻いている赤い放屁の一部が地盤へ向かっていく。
その赤い放屁が接触した瞬間、地盤は呆気なく押し出され吹き飛んでいった。
物理的な力を加える赤い放屁か。もし、その加えられる力に上限がないとしたら…。
「ありがとう、シリウス」
僕はホバリングのためにずっと吹かしていた宙屁を更に強く吹かして上昇する。
地盤が飛んでいったことで、もう彼らは僕に警戒しているだろう。
そして、ずっと吹かしていたからいつガス欠になるかわからない。
ここから出た瞬間に仕掛けて、すぐに終わらせないとね。
僕は吹き飛んだ地盤の隙間から外へと飛びだした。
ドクッ……!
「うっ……!」
な、何だいこの感覚は…?
地盤の中から出た瞬間、僕の心臓は激しく脈打ち出した。
シリウス「日下部! どうした?」
反射的に胸を抑える僕を見て、シリウスは焦った表情を見せる。
いったい何をされたのかわからない。僕の後ろから着いてきたシリウスも何が起こったかわかっていないようだ。
身体中から大量に吹き出る汗。
もしかして、暑い…?
氷堂「すげぇな、バレット! 俺ってこんなこともできるのかよ!」
視界にいるはずの氷堂の姿もかすんで見えない。
コンタクトを落としたのか、もしくはこの激しく脈打つ心臓と関係があるのか。
まずい、意識が飛びそうだね。宙屁でホバリングするので精いっぱいだ。
こんな状態で、あの放屁に切り換えるのは無理がある。
伊集院「でかしたぞ、ブロンド。絶対温度・灼熱凍土と名付けよう」
朦朧とする僕の背後から伊集院の声が聞こえてくる。
彼が氷堂に新しい力の使い方を提案したみたいだね。
伊集院「ファントムよ、ヒートショックという言葉を聞いたことはあるか?」
ファントム…? まさかとは思うけど、僕のことかい? 幻影の神憑とか言ってたからそこから来ている気がするね。
殺そうとしているくせに勝手に名前つけないでくれるかい?
絶対温度・灼熱凍土。勝利を確信したのか、彼はこれについて語り始めた。
伊集院「気温差が10℃以上ある場所への移動は時に死を招く。気温の大幅な変化によって血圧が急激に上昇するからだ。その状況を無理矢理作り出したのがこの技というわけだ」
ふらふらして視点が定まらない僕に伊集院は説明を続ける。正直言ってもう何を言ってるのか聞き取れてないけどね。
僕が今、こうなってる理由は氷堂の力にあった。
彼は触れたものやそれに接触しているものの温度を自在に変化させられる。
それを知っている伊集院は、あることに気づきそれを実行。
氷堂……いや、人は常に空気に触れている。
空気の温度も同じように変えられるなら、僕らがいる場所の温度だけを上昇させることなんて他愛もない。
僕が地盤の中にいる間、徐々に外の温度を上げていたんだろうね。
それを知らずに飛び出た僕は、寒いところから一気に熱気を浴びることになったのさ。
伊集院「現在、この空間の温度は30℃。ファントム、お前のいた地盤の中は10℃にも満たなかっただろう。20℃以上の気温差を味わったお前は良くて失神、悪ければ死ぬ」
彼の声はまだ辛うじて聞き取れてはいるけど、耳に膜が張っているような感覚だ。
視界は徐々に暗くなってきていて、手足の感覚もわからなくなってきている。
死ぬか失神か…。どちらにしても、ここで意識を失って落下すれば転落死は免れないだろうね。
後、ファントムって呼ぶのはやめてほしい。
そして、もう1つ。今30℃なら、君たち2人も厚着で汗だくなんじゃないのかい?
シリウス「なるほど、人間の身体は意外と繊細なんだね」
死にかけている僕の隣で、顎に手を当てて考える素振りをするシリウスの気配がする。
都合の良い状態で死なれたら困ると言っていたのに随分と余裕な態度だね。
……ということは、あのときと同じような感じか。
もう何も見えない真っ暗な視界の中、僕はシリウスの声がした方向へ首を動かした。
“__シリウス、バトンタッチだ。健闘を祈っているよ”。
心の声で彼に話しかけた直後、僕の意識は暗闇に吸い込まれるように消えていった。
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【シリウス】
“__シリウス、バトンタッチだ。健闘を祈っているよ”。
視点の定まらない日下部は僕にそう伝えた直後、意識を失った。
同時に彼のお尻から出ていた宙屁は止まり、彼自身の身体は真っ逆さまに落下しようとしている。
全く……世話の焼ける人間だね。
僕は右手の平に持っていた名も無き赤い放屁を日下部の身体へ纏わり付かせて落下を止めた。
この赤い放屁は力そのもの。加減を間違えると彼の身体は崩壊してしまうだろうね。
だけど、僕は力の神。力の制御を誤るなんてことは決してないさ。
彼は僕にバトンタッチと言っていたけど、身体を借りるつもりはない。わざわざ借りなくても注がなかった分の力を使えるからね。
氷堂「ハハッ! ついに死んだな!」
空中に仰向けの状態で動かなくなった日下部を見て氷堂は笑う。
ちなみにだけど、彼は死んでいない。死ぬ寸前の状態なら猿渡と戦ったときのように、僕が身体を借りることになっていただろう。
神を視認できない、自分の力でできることも理解していない知能の低い人間には死んでいるように見えるのかもしれないね。
伊集院「油断するな、ブロンド。奴は死んでいない。神の力を使ってまだ浮遊していると思われる」
僕らを挟んだ状態で2人は会話をしている。
単純な氷堂に比べて伊集院は冷静だね。
神に憑かれた人間が死ぬと、その力は全て憑いた神に戻る。死んでいたら日下部はそのまま落ちると。
やはり、日下部のように神に憑かれた人間を何人か殺しているみたいだね。
死んだ直後、神の力が作用しなくなるのを知っている。
覚えの悪そうな氷堂は知らなさそうだけど。
氷堂「あぁ、なるほどね~! じゃあ、跡形もなく燃やせば良いんだな!」
彼は安直なことを言い放ち、仰向けに浮遊している日下部へ右手をかざした。
彼の右手とその周辺はみるみる赤くなり、等身大の火球が生成される。
氷堂「炎獄球!」
ドンッ!!
ある程度大きくなった火球は彼の右手から放たれて、僕らの元へ向かってきた。
地上で最初に撃ってきたのと同じもののようだね。相殺されたのをもう忘れたのかい?
僕は空いている左手の平に白い放屁を生成して、向かってくる火球に振りまいた。
これは、日下部命名の相殺屁。
生と死の狭間にて彼が咄嗟に付けた名前だ。まぁ、なんだって良いんだけどね。
ごく僅かな量の相殺屁は、火球を音もなく相殺する。
跡形もなく消えたのは日下部ではなく火球の方だったね。
伊集院「そんなバカな…。失神しても尚、神の力を操れるというのか!」
僕の姿が見えない彼はとても驚いているようだ。
失神した状態で神の力を的確に使えるのもありえないだろうし、ましてや視えない憑いた神自身が力を使っているなんて微塵も思わないだろう。
氷堂「チッ…! 凍極球!」
パキパキパキ………ドンッ!!
氷堂は眉間にしわを寄せ、戸惑うことなく今度は左手をかざして氷の球を生成。火球同様に等身大。
同じように日下部へ放ったけど、空中に残っていたほんの僅かな相殺屁に打ち消された。
氷堂「えぇ!? なんでだよ!」
炎も氷も通用しないと思ったのか、頭を抱える氷堂。
彼は本当に学習しないね。炎も氷も関係ない。神の力そのものを打ち消しているんだと話せるなら教えてあげたいね。
伊集院「クソッ……六合念力、地盤を……動かせええぇぇ!」
何も効きそうにない失神した日下部に焦っているようだ。
全く動く気配のない球状の地盤に両手を伸ばしてそう叫んでいる。
残念だけどそれは無駄な行為だよ。名も無き放屁で地盤にかかる力を完全に制御しているからね。
さて、彼らが動揺している隙に、日下部の言っていたあの放屁を繰り出して終わらせよう。
伊集院「どうして……さっきから動かない? ファントム、これもお前に与えられた力なのか…?」
力んだ両腕を小刻みに震わせながら、仰向けの日下部を見据える伊集院。
戸惑う彼らに対して、僕は左手を広げて真上にかざした。
「派手に暴れてくれた君たちに、人間で謂う所の“天罰”を与えよう__蟲翬屁」
キィーーーーン!
これがさっき言っていた放屁。放屁というよりは音に近いものだね。
当てる必要はなく、この放屁の範囲内にいた対象の鼓膜を攻撃する。
色はなく透明。神憑でも視認するのは不可能だ。
氷堂「ぎゃああああああ!!」
伊集院「あ゛あ゛ぁぁ…!」
鼓膜を攻撃された彼らは恐らく何ものにも代え難い激痛を感じ、耳を塞ぐ。
2人は神の力に集中することができなくなった。
「ちなみに僕はファントムじゃない。強いて言うなら……シリウスだ」
まぁ、視えてないし聞こえてないだろうけど。
氷堂の氷の翼は砕け散り、耳を押さえたまま落下。
伊集院も自身の力で身体を浮遊させることができなくなって落下。
2人とも雲の下へと消えていった。
ちょっとやりすぎた気もするけど、まぁ大丈夫だろうね。
地上には尼寺がいる。彼の力で2人は守られるだろう。
僕らも下へ戻ろうか。そろそろ時間的にも…。
名も無き放屁で日下部を丁重に下ろすとするよ。
ヒートショックとやらの話を聞いて、人間は脆いって痛感したからね。
「戦いはほとんど終わりだ。日下部、そろそろ起きても……」
僕の足元付近で仰向けになっているだろう日下部に目を移すと、そこには何もなかった。
どこに消えたのかと思うと同時に、僕の右手から名も無き赤い放屁が無くなっていることに気づく。
ふっ…、僕としたことがうっかり生成し続けることを忘れてしまっていたようだね。
問題ないさ、まだ地面は遠い。再び生成して落下している日下部を確保しよう。
僕は右手を上に向け、丸いものを持つかのように指を曲げた。
…………。
おかしい、この感覚でできるはずなんだけど。
「ふんっ!」
僕は右手に力を込めてみる。
…………。
おかしいおかしい。
「名も無き放屁よ、我に力を授け給え」
いや、こんなこと言わなくても感覚的にできていたじゃないか!
まさかとは思うけど、これってもしや……、
ガス欠かい…?
ちょっと勘弁してくれよ。これは僕の力だぞ!
ガス欠って日下部限定の話じゃなかったのかい!?
「日下部えええぇぇぇぇぇ!」
恐らくこの現象は、日下部の言うガス欠や便秘に該当するだろう。
力を一時的に失った僕は、落下していく彼の身体を追いかけながらただ叫ぶしかなかった。
日下部側の性質が僕に影響するのは、力を一部しか注がなかったためなのかもしれないね。
僕が今、空に浮遊しているのは宙屁を使っているからじゃない。
神である僕は本来実体はなく、こちら側の法則に影響されないんだ。
だけど、日下部は違う。何もしなければ物理という法則に従って落ちていく。
「日下部! 死ぬなあぁぁ!」
僕はただ落下していく彼に手を伸ばし嘆くしかなかった。
地面はもうそこまで見えてきている。
どうやら僕らの都合の良い状態はここまでのようだね。
日下部、すまない。いくら神でもガス欠じゃ何にもできない。
このとき僕は完全に諦めていた。
次は誰に憑こうかとか、お尻にだけ力を注いで都合の良い状態を再現するにはどうすれば良いかとかを考えているくらい諦めていたんだ。
だけど、彼は地面に当たる直前のところで…、
シューーーーーー……。
残り少ない宙屁を振り絞った。
彼は目を覚ましたわけじゃない。恐らく彼の身体が命の危機を感じて反射的に力を発動させたんだろう。
ドサッ…
彼は宙屁を使って落下速度を緩和し、仰向けの状態でふわりと地面に着地した。




