第九十三話
第九十三話
前半戦を終えたカイトは、妻のメリンダと共に会場を辞し、控え室へと案内された。
控室はそれほど広くない部屋だったが、ソファーに椅子、テーブルにベッドと家具が備え付けられていた。テーブルにはお茶のセットとお湯。さらに甘い茶菓子や、昼食用にサンドイッチやパン、果物も置かれている。
「ああ、疲れた」
部屋につくなり、カイトは倒れるようにソファーに座り込んだ。
もう何日も戦い続けた様な気分だった。以前広大なダンジョンを三日に渡って探索したことがあったが、あの時と同じぐらい疲労している。しかし決勝戦が始まってから、まだ五時間しか経っていない。嘘だろうと思いたい。
「大丈夫?」
メリンダが隣に座り、ポットにお茶を入れてくれる。茶器からは湯気が立ち昇るが、欲しいのはお茶よりも安らぎだった。
カイトはソファーから身をおこし、隣に座るメリンダに体を預ける。そしてそのままゆっくりと膝に倒れ込み、膝を枕にして横になった。
メリンダは拒否せず、手を頭に添えて軽く撫でてくれる。柔らかい膝に包まれ、頭を撫でてもらうと疲労が消えていく気がした。
しばらく何も考えず、頭を空っぽにして時間を潰す。何もない時間だが、幸せなひと時だった。
「ん、さて、起きるか」
長い間横になった後、カイトは一声かけてメリンダの膝から身を起こした。
「大丈夫? 辛いんじゃないの?」
メリンダがまた心配してくれる。だが、いつまでも倒れていられない。
「大丈夫だ。君に元気をもらったしね」
カイトはさっき淹れてもらった茶に口をつける。すでにぬるくなっていたが、一気に飲めたのでちょうどよかった。
「悪い、もう一杯淹れてくれ」
テーブルにあったお菓子をバリバリと食べながら、お茶を頼む。そして部屋に来る前にもらった、一枚の紙をポケットから取り出した。
紙には決勝戦後半まで残った四人の参加者の名前があり、その横には前半戦終了時の保有コイン数が書かれていた。
カイト 三千二百五十万コイン
サイトウ 二千六百二十万コイン
ジード 二千五百七十万コイン
マダラメ 二千四百九十万コイン
決勝戦後半では、十万以下を賭けることができないので、端数は切り捨てられている。それでも合計すると、一億九百三十万コインが決勝戦のテーブルに乗ることになる。
優勝者には優勝商品に加えて、獲得したコインも与えられるので、もし優勝できれば億万長者だ。もっとも、優勝商品である神剣ミーオンの前には、どのような大金も霞んでしまうが。
そもそもカイトに、優勝できる見込みなどまるでなかった。保有コイン数の上ではカイトは一位だが、組んでいたユーリスのコインを集めての結果だ。カイトが自力で勝ち取ったコインは千七百ほどで、堂々の最下位だ。
ユーリスが降りたことで予定は変わってしまったが、やることは変わりない。
ダンジョンマスターマダラメをなんとか倒すことだ。だが自分では不可能だろうから、そこはジードに任せるしかない。
問題はやはりジードが、マダラメとのサシの勝負にこだわるだろうと言うことだった。
後半の流れとして、マダラメは因縁のある勇者サイトウとの決着を望むだろう。そしてジードはその間にカイトを倒し、勝ち残った二人で勝負を決する筋書きを思い描いているはずだ。
その台本をどれだけ書き換えられるか。そこが後半戦の課題といえた。
カイトはメリンダが淹れてくれたお茶を飲みながら、果物を手に取り皮ごと齧る。
「着替えておいたほうがいいんじゃない?」
メリンダが着替えを差し出してくれる。
確かに、前半戦は緊張の連続で汗をかいた。肌着は汗で濡れていて、よく考えると気持ち悪い。
「ありがとう、そうするよ」
服を受け取り、着替える。
ダークグレーのジャケットと白のシャツ、それに肌着を脱ぎ、新しい肌着やシャツに袖を通す。服を着替えるとそれだけで気分が変わってくる。
着替えてから少しゆっくりしていると、扉をノックする音が聞こえた。
「カイト様、開始十分前です」
扉の向こうで大会の運営係が、後半戦の開始時間が迫っていることを告げてくれた。
「わかった、五分後にまたきてくれ」
ギリギリまでゆっくりしておこうと、カイトは扉に向かって頼む。
そして五分後、再度ノックされ、立ち上がった。
「さてと、いくか」
「カイト、悔いが残らないようにね」
勝負に挑むカイトに、メリンダが言葉をかける。
「そうだな、悔いだけは残したくないな」
カイトはうなずいた。
勝てるかどうかはわからない。しかし無様な負け方はしたくなかった。
カイトが会場に入ると、大歓声が出迎えてくれた。
テーブルを見ると、すでに勇者サイトウとジードが席についていた。しかしカイトが最後というわけではなく、ダンジョンマスターマダラメの席が空席だった。この大会の主催者でもあるし、最後に登場したいのだろう。
カイトはそう考えながら、決勝戦の会場に設置された扉をみる。
あの扉はダンジョンマスター専用で、あの扉からマダラメが出てくるはずだ。
カイトは席についてマダラメの登場を待つと、どうやらカイト待ちだったようで、奥の扉が開いた。
ダンジョンマスターの登場に、会場の観客たちが歓声と拍手で出迎える。マダラメは、前半戦と同じ服装で現れた。目立った変化はない。
「さぁ、始めましょうか」
席についたマダラメが声をかける。
その瞬間、カイトはある違和感に気づいた。
ダンジョンマスターマダラメが、以前とは、少なくとも前半戦の時とは違っているように感じられたからだ。
何が? と聞かれると、明確に言葉にはできなかった。しかし何かが違っていた。まるで顔がそっくりの別人と入れ替わったようだ。
カイトがジードを見ると、ジードもまた戸惑いながらマダラメを見ていた。
しかし勇者サイトウや、ディーラーとして立っている四英雄は、この違いに気付いていなかった。英雄たちが気づかないほどの微妙な変化だが、やはり何かが前半戦と違っていた。
まさか、入れ替わった?
顔が同じ人を使っての替え玉やすり替えなどは、たまにイカサマ師がやる手管だ。だがそんなことをする理由がマダラメにはない。そもそもここにいるのは遠隔操作で操られた傀儡で、入れ替える必要がない。もしかしたら操っている者が変わったのかもしれないが、この大会には本人が望んで参加しているのだから、別人と入れ替わる意味がない。
何より、入れ替わったにしては、本物に似すぎていた。
姿かたちが似ているのは当然として、仕草や話し方は、以前とほぼ同じだった。
だが対面するからこそわかる存在感。体から発せられる研ぎ澄まされた集中力は、前半戦とはまるで違っていた。
そうか、本体だ!
不意にカイトは答えに気づいた。
また別の偽物と入れ替わったのではない。本人が目の前に来ているのだ
このギャンブル大会に際して、ダンジョンマスターは自身と全く同じ姿をした傀儡を使い参加している。本体はダンジョンの奥深く、最下層で傀儡を操っているはずだった。
だが今目の前にいるのは、遠隔操作の傀儡などではない。間違いなく、ダンジョンマスターマダラメ自身がやってきている。
どうして?
一瞬疑問がよぎったが、我ながら愚問だった。
そんなもの、決まっている。
このギャンブル大会の決勝戦。最高のギャンブルに挑むために、自らここにやってきたに違いない。
カイトはこのことを四英雄に告げるかどうかを考え、伝えないことにした。
これが本体であるという保証はない。カイト自身は確信しているが、何一つ証拠はないのだ。
それにマダラメ自身、身を晒す危険性を熟知しているはずだ。当然、逃走の経路や方法なども万全の準備を整えているとみていい。ここでマダラメを討てる可能性は限りなく低い。
カイトは脳裏で、あれやこれやと言い訳を並べ立てた。
だが実のところ、カイトの考えは私欲に塗れたものだった。ダンジョンマスターマダラメが本気で挑むギャンブル。それを味わってみたかった。
おそらくカイトの人生で、二度とない大勝負となるだろう。
全神経をすり減らし、寿命を削り、火を飲むほど苛烈な時間となるはずだ。
一世一代の大博打。ただそれを味わってみたかった
「それでは決勝戦、後半戦を開始したいと思います」
灰塵の魔女ことアルタイル嬢が、目の前に仇敵がいると気づかず、後半戦の開始を告げる。
ついに決勝戦、最後の勝負が開始された。
マダラメ「来ちゃった♡」




