事実無根です。違います
馬車の空気は、非常に微妙なものだった。
騎士の彼──名前をケヴィンというそうだ。栗色の髪に、柔和な表情を浮かべている。流石、騎士というだけあって、がっしりした体躯をしている彼は、ニカッと歯を見せて笑った。歳は、私の二十ほど上、だろうか。
「お久しぶりです、ロイ殿下」
「……」
それに、ちらりとテオは視線を向けたものの答えない。
えっ。無視!!それに第三者の私の方が狼狽える。テオの素っ気ない反応に、しかしケヴィンは慣れたように苦笑する。
「お変わりないようで安心しました。それで、彼女は?」
彼女、というのは間違いなく私のことだ。 どう答えるべきか迷っているうちに、テオが端的に答えた。
「拾った」
「拾っ……!?」
「ああいえ、あの!川で流れていたところを救出してもらったようで……!!」
どんぶらこと流れる桃のごとく、川岸に流れ着いた私を引き上げてくれた時の話をすると、ケヴィンは明らかに引いているようだった。
なぜ、川に??という顔をされたが「事故で……」と答える他ない。
それに、ケヴィンは納得しているような、していないような、そんな顔になりながらも続けてテオに尋ねた。
「ロイ殿下。先程お伝えした通りです。アーロアでは賢者伝説を伝説ではなく、事実だと公表しました。わざわざ記者を呼び寄せて、ですよ。しかも大衆紙から、高級紙まで全て!信じられません」
「そうせざるを得ない事情が、向こうにもあったってことだろうね」
「賢者が攫われた……でしたっけ?あれ?そういえばさっき……賢者がどう、とか話していましたよね。確か、ロイ殿下が賢者をさらって国際問題に発展しかねないとか何とか──」
そこで、ハタと思いついたのだろう。むしろ、気付くのが遅いまであると思うが、彼も突然のテオの帰国に混乱しているのだと思う。
ケヴィンはカッと目を開くと、私に強い視線を向けて言った。
「賢者!!!!」
「……と思わしき人間だそうです。私は」
我ながら、賢者という自覚はあまりない。
確かに物心ついてから、魔法学が好きだった。独学で魔法の練習をしたし、魔法構成にのめり込んでいた。貴族の娘でなければ、学者の道に進んでいたかもしれない。
それほどまでに、夢中になった。
私が今の、魔法の知識を持っているのは賢者だからでは無い。
確かに魔力量は生まれつき豊富だった。
だけど、私が勉強して得た知識は決して、賢者だから与えられたものでは無い。私が、自ら学んだから得られたものだ。
乾いた笑いを浮かべる私に、ケヴィンが自身の両頬を挟んだ。
ガッチリしている体躯の男性がそうすると、ギャップがある。
おお、ムンクの叫びだ、と思っているとケヴィンが悲鳴をあげた。
「戻してきてくださいよ!!」
私は犬か猫か、という反応だけど、ケヴィンの言葉も一理ある。
(アルヴェールにいたら、テオに迷惑をかける……)
しかも、近いうちに私をアーロアに連れ戻そうとしている王家の方がやってくるのだ。鉢合わせるのは、まずい。
私がそう考えていると、テオがまたしても短く答えた。
「いやだ」
「いやっ……!?」
意外な反応に、ケヴィンだけでなく私も驚く。テオはちらりと私を見ると、ため息を吐いて言った。
「賢者なら尚更。手放すことは出来ないよ」
「ロイ殿下……それは」
取りようによっては、賢者を利用するためだとも聞こえる。だけど──
「……そうですか。それなら、まあ、仕方ありません……ね」
とボソボソとケヴィンが言った。気まずい空気が車中に落ちる、と思った直後。ケヴィンがぐわっとが顔を上げた。
「とでも!!言うと思いましたか!!」
ケヴィンの大声に、隣に座るテオはものすごく耳に響いたのだろう。あからさまに顔を顰めて、首を傾げて距離を取っている。
それに構わず、ケヴィンは距離を詰めてさらにテオに言った。
「いいですか。ロイ殿下。そちらのお嬢さんとエルゼ様は違います。同一人物ではないのですよ」
「──」
エルゼ、という名前に一瞬、テオは反応した。だけどすぐにそれを誤魔化すように、あるいは取り繕ようように彼は答えた。
「知ってるよ」
「それなら……!」
「あの」
そこで、私は割って入った。会話中だけど、彼らが話しているのは私のことだ。当事者である以上、話に参加する資格はあると思う。
そう思って言葉を挟めば、ケヴィンは非常に困ったものを見る目で私を見た。
「ま、まさか」
「な、何ですか?」
あまりに狼狽えた彼の様子に、私も困惑する。
なにかやらかしただろうか。いや、ケヴィンと出会ってからの行動に、思い当たることは無い。じゃあ何……!?と(テストの採点を待つかのごとく)ドキドキしていれば、ケヴィンはくるつとテオを振り向いて、またしても声をはりあげた。
「恋人ではないですよね!?」
「わあ」
「ゲホッ」




