幸せの在り処
そこでふと、私は思い出した。
というのも。
(テオに拾ってもらった時に一回、今回で二回目……)
九死に一生を得た回数である。
私はそこでふと、思い出した。
ある慣用句を。
三度目の正直、という単語を。
「もしかして──次、生命の危機に襲われたら、私は死ぬ?」
いやーまっさかぁ!という気持ちになったが、三回目はもう助からない気がする。
(いやいやいや、二度あることは三度あるっていうし!!)
次も助かりたい。
そんな気持ちで頷いていると、ファーレが首をかしげて言った。
「え、大丈夫ですよ!エレインってほら、殺しても死ななそうじゃないですか。なんつーの?悪運が強いっていうか」
「ねえ褒めてる??それ褒めてる??」
絶妙に褒められている気がしないんだけど……!!
ファーレを揺さぶりたい思いで尋ねると、不意にテオが言った。
「あのさ、ファーレ」
「なんですか?」
「殿下って呼ぶのやめてくれない?」
「えっ今?」
確かに結構前の話である。
私も同じことを思っていると、テオが肩を竦めて答えた。
「さっきは口を挟むタイミングがなかったでしょ。話の腰を折るのも悪いと思ったし」
「そういえば、ブラウグランツの話をしていたのよね……」
私が頷いていると、テオが言った。
「ファーレ。あと、エレインも」
おまけみたいな言い方だが、名前を呼ばれたのでテオの方を見る。
彼はいつもと同じように、淡々とした声で言った。
「オレのことは変わらずテオのままでいいから」
「えええ。俺は立場的にもちょっと、呼びにくいんですけど」
「じゃあ、なんでもいいけど。とにかく殿下っていう呼び方はやめて。好きじゃない」
テオはハッキリ言った。
(その理由ってやっぱり……)
私が考えたところで、ファーレが尋ねた。
「それってやっぱりあれですか?お父上と仲が悪いことに関係しています?」
「……」
ファーレのド直球な発言に、テオは一瞬ファーレに視線をむけてから、ため息を吐いた。
(うわ~~聞いた!!聞いたわよこのひと!!)
私も同じこと考えたけど!!
でもそういうのってほら、家庭の事情ってやつじゃない!
だから聞かないでいたのに!
と思っていると、テオがぽつりと答えた。
「まあね」
ただ一言。だけど、テオは否定しなかった。
それはつまり、そういうことなんだろう。
☆
その後、慣れない船旅に私が船酔いしたのもあって、話し合いは一時中断となった。
まだ聞きたいことも確かめたいこともあったけど、仕方ない。
船酔い中に考え事はしたくないものね……。
酔い止め薬が恋しい。ファーレが檸檬水を持ってきてくれたが、残念ながら劇的な効果は見られなかった。
ちびちび檸檬水を口に運びながら、私はすがる思いで窓際の椅子に移動し、窓の外に視線を向ける。
ほら、酔った時は遠くを見るといいって言うじゃない。
冬の海は寒々しい。
波立つ度に、ひやっとする。どことなく、怖いと思う。
椅子の背もたれに背を預けて、私は海を見ながら、ファーレとテオに聞こうと思っていたことを改めて考える。
(セドアで聞いた……四番通りの木材屋のサムってひとのことだけど。彼はあの後、どうなったんだろう)
結局、聞けずじまいだった。
(……いや、聞かなくても、分かる気がする)
魔力量が増えたということは、私のようにブラウグランツに手をかざしたのだろう。
それで、そこから魔力を吸い上げたのだと思う。
私はどうしてか命を取られることはなかったけど──普通、MGSが適合しない魔力を取り込んだら。
「……」
私は、太陽の光を受けてきらきらと光る海面に視線を向けながら、あの後、ジェームズ・グレイスリーの地下洞窟がどうなったのか思いを馳せた。
あの騒ぎだ。まず、間違いなく憲兵が駆け付けるだろう。地方司令官の耳にも入るはず。
調査が入るのは確定だし、ジェームズ・グレイスリーは取り調べを受けるはず。
そこでふと、思い出す。
宿で会った──実際には顔を合わせていないが。
テール様は、どうしてセドアにいたのだろう。
(彼は私を探しているようだったけど……?)
「私がセドアにいるって気づいて追ってきた?いや、まさかね。でも偶然にしては……」
考え込んでいると、ふと思い浮かぶのはあの、敵なのか味方なのかいまいちハッキリしないひとの顔である。
(ファーレ、だよなぁ。あのひと怪しいのよね……)
だいたい、仕えている主が王家だし。
でも魔法契約が発動しているようだから、私の居場所は密告できていないようだ。
「……っ!!」
その時、ハッとした。咄嗟に口に手をあてる。
吐きそうなのではない。
そうではなくて──
(めちゃくちゃ眠い……!)
強烈な睡魔に襲われたのである。
(そういえば昨日、あまり眠れなかったのよね……。深夜にファーレに叩き起こされたし)
それからは、あの賢者喰いの伯爵騒ぎだ。
そういえば、ジェームズ・グレイスリーはどうして賢者喰いって呼ばれていたのかしら……。
まあ、いいか。それは後で考えるとして。
「ふわああ……」
口を大きく開けてあくびなんて、令嬢であった時には考えられない仕草だ。
そのまま大きく伸びをする。
なんだか、すごい遠くまできたなーと思った。
王都で、エレイン・ファルナーの名前を捨てることを決意して、塔から飛び降りて。
その後はどこかでひっそり生きようと思っていたのに。
でも、悪くない、と思う。
魔法が使えなくなったのは痛手だけど!
そのまま、テーブルに突っ伏して、目を閉じた。
ふと思い出したのは、セドアの街の宿で、テオに言われた言葉。
『エレインは、どうして幸せになるって宣言したの?婚約者の、彼に』
どうしてか、なんて。
そんなの決まっている。
(だって、あの時の私は幸せじゃなかったもの。少なくとも、あの場所には私の幸せはないと思ったから)
だから、宣言も兼ねて、口にした。
我慢と妥協の日々に、幸福が待っているとは思えない。
嫌だという気持ちをねじ伏せて、耐えて、物分かりのいい女のふりをして。理解した気になって。
さながら、クライアントの前で愛想笑いを張り付ける社会人のように振る舞って。
私生活も、プライベートも、全て捧げて。
都合のいい女でいることが、理解ある婚約者として振る舞うことが、貴族令嬢の正しい在り方だというのなら。
耐え忍ぶ生活が、賞賛される生き方だというのなら。
(私はそんなものはいらない)
そう、思った。
ワガママ……そう、ワガママなのだろう。
貴族として生まれ、その権力を得て生きてきて、衣食住を保証された生活だというのに。
その義務を果たさずにわがままを言っている。
理解している。理解してるからこそ、すべて捨てようと思ったのだ。
貴族としての権力も、保証された生活の何もかもを。
テール様のことは、好きだった。好きだったのだ。
それは紛れもなく、初恋だった。
好きなひとと結婚できるなら、それでいいじゃない。
そう言われたら、確かにそうかもしれないとは思う。
それでも──
それでいいとは、思えなかった。
そこに、私の幸せはないと思ったのだ。




