寓話は誰のためのもの
「俺、思ったんですけど」
「何?もしかしてやっぱりおとなしく宿に居ればよかったわ〜〜って?それなら奇遇ね!私も全く同じことを思ってるわ!!」
私はヤケっぱちに答えた。
大体、ここどこよ!?
あの後。つまり、穴に落ちたあと。
ファーレと(ファーレに抱えられている)私は、彼自身が受身を取り無事着地したので、お互いに怪我はないようだった。
(ただ……)
真っ暗だ。何も見えない。
彼ら──私たちをここに誘導した男たちの話によると、ここは【賢者喰い】ジェームズ・グレイズリーの邸らしい。
他人に魔力を与えるだの、神を自称するだの、きな臭いにも程がある。絶対後暗いことがあるわ、と思ったものの。
(まさか私たちがここに来ることになるなんて……)
来る、というより落とされた、と言うべきかしら。
自分たちが落ちてきた穴を見上げてみれば、そこは既に封鎖されていた。もしかしたら落とし穴のような構造で、重みが加わった時だけ開くような仕様にしているのかもしれない。
頭上を見ても暗闇しかないのでため息を吐いていると、その間何事か考え込んでいたのかファーレが頷いたように言った。
「いえ、でもこれは良い機会ですよ。むしろ、絶好のチャンスなのでは?」
「何が??」
何がどう良い機会なのよ。絶対ピンチでしょ。
胡乱な視線を──見えていないだろうけどファーレに向けると、彼は至極真面目な声で答えた。
「テオの素性を知る絶好の機会です」
「素性を知る前に船が出そうなのだけど??」
「そこは……まあ、なるようになるということで!」
「絞めるわよ!!」
私は未だファーレの首に掴まったままである。彼の首を掴んで前後に揺さぶると、揺らされながらファーレが取り繕うように言った。
「冗談ですって!いざとなったら脱出しますし、心配しないでください」
「脱出って……どうやって?」
「そりゃー、俺は身軽な暗部の人間…………」
そこで言葉が止まったのは、今のファーレは身軽ではないからだろう。いや、身体能力で言えば身軽のままなのは違いない。
だけど、今の彼には私という文字通り大きな荷物があるわけだし、そもそもファーレひとり脱出したところで私が取り残される。
そこはどうなのよ、とファーレ(と思わしき影)を睨みつけていると、気配を察知したのか、ファーレが軽く笑った。
「…………ピンチはチャンスとも言いますからね!暗部の基本です!」
「おい!!」
思わずドスの効いた声で、ふたたびファーレを揺さぶってしまう。揺さぶられながらファーレが「揺れる揺れる、揺らさないでください落としますよ」と言った。
(こ、こいつ……!落としちゃいますよ、じゃなくて落としますよって言ったわね!?!?)
不可抗力ではなく、故意に落とすというのである。ここはもう、その長い髪を引っ張ってやるべきかと考えていると、そこで口元を覆われた。誰に、と言ってもこの距離だ。ひとりしかいない。
「ンンッ!?」
「しっ」
そして、私の口を覆ったあとで、ファーレが短く言う。その言葉に、この場に私たち以外の誰かがいる──あるいは、誰かが来たのだと知った。
この暗闇……暗闇?
いつの間にか、場には仄かな灯りが灯っていた。
そういえば、先程は真っ暗だったのにファーレの影が分かるようになったし、今は彼の輪郭もハッキリと見えるくらいになっている。
ファーレに抱えられたまま、周囲に視線を向けた。背後は壁。元々は通路だったのだろう。
だけど、今は、石で埋め立てられている。ほんの少しの隙間から、その先が見えるけど……
(魔法が使えたら、爆破してその先もいけるんだけど……)
今は、行き止まりと認識するしかないだろう。
その反対方向、つまり私たちが立っている先に視線を向けると、その奥は洞窟に続いているようだった。ファーレを見ると、彼は思いのほか真剣な顔をしていた。さながら、宝石を鑑定する職人のような集中力がある。
ぽつりと、ファーレが言った。
「……潮の匂い」
「え?」
「潮の匂いがします。……海に続いている」
その時、ファーレの話を証明するようにぴゅう、とひときわ強い風が吹いてきた。……洞窟の向こうから。その風は確かに潮の匂いを含んでいて──
(つまり……この先にあるのは、海?)
なぜ、ジェームズ・グレイスリーの邸の地下に、洞窟があるのだろう。
この先には、何がある?
じっとそちらを見ていると──コツ、コツ、と洞窟の向こうから足音がした。
固唾を飲んで見つめていると、現れたのはひとりの男性だった。
(…………誰?)
私に見覚えはない。
と、なると社交界によく顔を出す人間ではない。
その男性は、四十前後と見られる。遠目にもわかる、真っ白なシャツは恐らく絹。
ノリの利いたシャツに、袖口や襟に細かな刺繍が繕われたジャケット。
一目見て、裕福な人間だと分かった。そして、地位ある人間だとも。
男性は、気が弱そうな顔をしていた。
困ったように微笑むと、ファーレ──と抱えられている私に向かって、挨拶をする。
「初めまして、お客人……でしょうか?」
「……あなたは?」
ファーレが同じようににこやかに返答をする。
それに、男性は胸に手を当てると優雅に礼を執った。その動作で確信する。
彼は──
「私は、ジェームズ・グレイスリー。我が邸に、ようこそいらっしゃいました。歓迎いたします、お客人」
間違いない。この男こそが、ジェームズ・グレイスリー。セドアの街で【賢者喰い】と噂されている──悪名高い、伯爵だ。




