紛い物のかみさま
ファーレは暗部の人間なだけって、身軽だ。
猫のように選ぶルートが読めないので、彼が飛んだり降りたりする度に、私は声なき声で悲鳴をあげることになった。
その繰り返しをいくつか繰り返して、辿り着いたのは──。
「館……ですね」
私はどんな衝撃が来るか分からなかったので、ひたすらファーレの胸元に顔を埋めていた。ようやく顔を上げ、周囲を見渡すことが出来る。
目の前には、バロック様式を思わせる横長の建物があった。かなりおおきな邸宅だ。いや、城、と言っていいかもしれない。それくらい規模が大きく、豪華で華麗。華やかな装飾に、凝った設計デザイン。
この街に、こんな広大な土地を持ち、さらには豪邸を建てられるのは──。
「あの男、裏手に回りましたね。……追いかけますか?」
ここにきてファーレは私に尋ねた。
私は、暗闇に浮かび上がる邸宅を前に息を呑む。テオは、この中に入っていった。
それはつまり──。
(テオは、この城の住人……持ち主と面識がある……?)
この城は、この邸宅の持ち主は。
きっと──。
「っしまった……!」
その時、ファーレがちいさく呟いた。
驚いて彼を見る。彼は、眉を寄せ、短く舌打ちした。彼らしくない振る舞いに、私も焦って周囲を見ると。
(いつの間に……)
私たちの周りには、黒のローブを纏った人間が数人、取り囲んでいた。フードを深く被っているため、顔は見えない。彼らのうちひとりが、足音もなく前に出る。
「依頼受理者か」
その声に、ゾッとした。
それは、本能的なものだったと思う。産毛が逆立ち、心臓が冷える。
どうして。
なんで。
なぜなの。
(どうしてこんなに──)
気持ち、悪い。
不自然だ。その声は、紛れもなく人間なのに。なぜか、ひとではないもの──幽霊や、この世のものでは無いようなものに思えてしまう。彼らは、人間なのだろう。生きているし、ひとの言葉を話している。
だけどそれは、粘土の人形が話しているような。
たくさんの魂を宿したマネキンが話しているような。
そんな、気味の悪さを感じた。
沈黙したまま答えない私の代わりに、ファーレがなんてことないように話しかける。
「あんたらは、何?依頼を受けた人間だとしたら、その相手にずいぶんな歓待だ。あんたらの飼い主はよほど礼儀知らずと見える」
(ちょっと、ファーレ……!)
取り囲まれたこの状況で、相手を刺激するのはまずい。そう思って彼を小声で咎めるが、彼はちらりと私を見るだけだった。
謎の集団は、ファーレの挑発に乗ることなく静かに答える。
「我が主は、誰であろうと拒まない。力が欲しければ、我らと来るがいい」
「──」
(……やっぱり)
私は、彼らの言葉に確信を持った。
この豪勢な邸宅。そして、依頼、という言葉。それから導き出されるのは──。
(ここは、ジェームズ・グレイズリーの邸宅……!)
セドアの街で【賢者食いの伯爵】と呼ばれていた人間だ。
しかしなぜ、テオは彼を訪ねたのだろう……?
もともと彼と交友関係があった……?
だとしても、なぜこのタイミングで……。
考えることは多いが、今はそれどころではない。
ファーレがちらりと私を見る。どうする、と聞きたいのだろう。
私は彼の視線を受けて、正面に立つ人間を見た。未だに、肌は泡立っている。
この奇妙な恐れ──いや、嫌悪感だ。
これは、生理的な、嫌悪感。なぜなのかは、わからない。
「誤って訪れてしまった、といったら解放してくれるのですか」
彼らは私の言葉に少し黙ったが、やがて静かに答えた。
「否。この場を訪れた、勇気ある人間よ。あなたの魔力の才は絶望的──だが、安心するといい」
相手の人間は、私の魔力量を推し量ったらしい。確かに今の私は魔力を持たない。魔法も使えないのだから。
警戒する私に、そのひとは驚くべきことを言った。
「あなたも、賢者となれる」
「なにを……」
「古の調べ、遠い過去の寓話。アーロア創世記を知らないはずがない。どんな無知蒙昧なやつであろうとも、賢者は知っているだろう。あなたも、賢者と呼ばれ、それにふさわしい魔力を手に入れることが出来る。嬉しくはないかい?」
「……なに、言ってるの。それって」
まるで、神様みたいじゃない。
それを言おうとして、ハッと思い出す。
伯爵は、【ひとから魔力を奪い】、【ひとに魔力を与え】ることができる──。
そう、大通りで聞いたことを。顔を青ざめさせた私に、相手の人間がクッと笑った。
「そうだ。伯爵は、神に等しい。ひとに魔力を与え、驕った人間から魔力を奪おうとした神と──同じ、存在なのだ」
この世界にも、神話がある。
国によって信仰する神がそれぞれいるのは、前の世と同じ。
だけどこのアーロア周辺国には【大罪神話】というものが存在する。
大罪神話とは、大まかに言うと──。
神はひとに魔力を与えた。だけど、力を得た人間は傲慢になり、それを咎めた別の神が、罰を与えた。また別の神はそれを哀れに思い、救いと導きをひとりの人間に与えた。その人間が、賢者だと言われている。
──そして、アーロア内では、その賢者こそが国を興した初代国王だと伝えられていた。
(……まさか)
他人の魔力に干渉する術などないはずだ。きっと、なにかからくりがある。そう思うも、そのからくりが分からない。
それに──数時間後には、私はこの国を出なければならない。ここで時間を取られるわけにはいかなかった。
私はちらりと、ファーレを見る。
「……抜けられる?」
「五分五分……ですね。相手が、ふつうの人間なら余裕なんですけど」
その言葉に、私は今の状況がかなりまずいことを理解した。彼らの話が真実なら、彼らもまた伯爵とやらに魔力を与えられているのだろう。その魔力量がどれほどのものなのか、魔力の流れを読むことが出来ない今の私にはわからない。
だけど、ある程度魔法を行使できるファーレがそういうのだから、きっと相手の魔力量はそうとうなものだ。
ここは──。
(一か八かに賭けよう!)
抜けられるなら、それに越したことはない。
「抜けるわよ!そもそも私、こんな格好なんだから……!」
バスローブにシーツ一枚というひどい格好だ。
およそ、外を出歩く格好ではない。私をこんな姿にした元凶は「確かに」と妙に冷静に納得したあと「了解!」と威勢よく返事をした。
そして──ファーレは高く、跳躍した。
道中、何度となく振り回されて耐性がついた私は振り落とされないよう彼にしがみつく。
いつの間に、彼の手には四本のペーパーナイフが握られていた。どこから取り出したというのだろう。
まるで手品師みたい、なんてどこか冷静な頭で思う。
そして、ナイフを彼らに向けて放ったファーレと、怪しげな黒ローブの集団との戦闘が始まった。




