テオ、ご乱心②
思わぬ言葉に、私は意表を突かれた。驚いて顔を上げると、テオは真っ直ぐに私を見つめていた。その瞳に、他意はなく。
彼の青の瞳は真剣で、決して茶化すようなものではなかった。彼はそんなことをする人ではないと、既に知っている。
私は、ゆっくりと口を開いた。
「……テール様……婚約者とのことですか」
「そう。アン……エレインは、幸せになる、って言って塔から飛び降りた。貴族として死んで、ただのエレインとして生きたかったから。……それで、聞きたいんだ。……エレインの幸せは、なに?」
「私の幸せ……」
「これはただ、オレが気になった疑問だ。答えたくなかったら答えなくてもいい。だけど──気になったんだ。……エレインの年頃の女性が、何をもって幸、とするのか、オレにはわからないから」
「──」
私は、彼の言葉の意図を──その真意を、ほんの少しだけ。ほんの僅かだけど、目の当たりにした気がした。
(そっか……テオには、妹さんが)
テオは二十三歳。私と彼の妹は、きっと歳が近いのだと思う。私は、静かに自身のこころを見つめ直した。なぜ、テール様にそう宣言したのか。私は、何を持って自身の幸と言えるのか。
答えは、すぐに出た。
「わかりません」
テオは、私を真っ直ぐに見ている。
今、彼の瞳から目を逸らしてはいけない気がして、私もまた彼を見つめ返しながら、正直な胸の内を告白する。
「何をもって幸とするか、なんて──きっと、答えられるひとは少ないと思います。私も、例に漏れない」
「じゃあ」
テオの言葉を遮るように私は「だけど」と続けた。
「だけど、楽を享受し、苦労なく生きることを幸せとするか、と聞かれたらそれは違います。私は、苦しみを完全に排除したいわけじゃない」
テオは、黙って私の話を聞いてくれていた。私自身、まだ自分の感情は整理出来ていない。だから、私はゆっくり、考えをまとめるようにしながら言葉を重ねた。
「苦しさも、苦労も、嫌なことも、全部ひっくるめて、幸せになりたいんです。……幸せって、そういうことじゃないですか?……言葉を変えます。私は、満たされた人生を送りたい」
「結婚は、きみの幸福ではなかった?」
彼の言葉があんまりだったので、私は思わず笑ってしまった。
「ふ、ふふ、ふふふふ!そう、です。そうですね!私にとって、結婚は決して幸ではないんです。少なくとも、強制された結婚に価値は見出せない。私の幸せは、結婚ではありません。私の幸せは、私自身がみつけます!そのために、塔を飛び降りたのですから」
幸せが何か、なんてわからない。私は、きっとそれを見つけたかった。
そして、それと同時に──。
「テール様……彼には、私を忘れて欲しかったんです。私は、私で幸せになるから──だから、気負わず、次にいっちゃってくださいな!って」
でも、と私は言葉を付け加えた。
「彼の対応に長年振り回され、苦しんで、腹が立っていたのも事実です。最後くらい、度肝を抜かしてやりたい、と思った……のかもしれません。今、気付いたことですけどね」
「……エレインが正直に話してくれたから、オレも話すけど。最初、アンタ──と、こう呼ばれるのは嫌なんだっけ?」
「そうですね、あまりそう呼ばれたくはないです」
正直に答えると、テオは少し考えた素振りを見せてから、ふと思いついたように言った。
「あなた」
「は?」
「じゃあ、あなたと呼ぶ。それならいいでしょう」
「う?えっ……と、まあ、はい。あの、でもあなた……?」
今まで『アンタ』呼びだったのに。急にそんなていねいに呼ばれると戸惑う。しかし拒否する理由もないので頷くと、テオはそのままさらりと話を戻してしまった。
「あなたを見つけた時、厄介なものを拾ったと思ったんだ」
「…………まあ、そうでしょうね」
分かっていましたとも!!テオは分かりやすいものね!!私がそう思っていると、テオは不意にふっと笑った。
「でも今は、あんまりそう思っていない。むしろ──」
と、その時。ガララ、と浴室に続く引き戸が思い切り開けられて、私たちの視線はそちらを向く。そこには、化粧を落とし元通りのファーレがいた。彼は私を見ると目を丸くして。
「あれ?まだいたんですか?明日、早いんですよね?」
と、私に言った。
壁時計を見れば、既に十一時を回っている。五時十五分には船着き場には着いていなければならないのだ。逆算すると、四時半には宿を出た方がいいだろう。
明日に備え、早く寝た方がいい。
「たいへん、もう寝なきゃ!じゃあ、おやすみなさい。テオ、ファーレ!」
私が慌てて腰を浮かせると、テオに呼び止められた。何かしら?と不思議に思えば、彼は次にファーレを呼ぶ。
「エレインたちはこの部屋」
と、テオは驚くことをあっさりと言ってのける。
「は……はぁあ!?」
驚きのあまり、淑女として──いや、年頃の少女としてあるまじき声が出てしまった。しかし、気にしている余裕はない。
今、このひとなんて言った!?




