もしかして:ブラック企業
不本意そうな彼がこちらを向いたタイミングで、私は手に取った顔料を目元に乗せた。目元に触れると、ファーレは少しびっくりしたように目を見開いた。
暗部の人間がふだんどんな仕事をしているかは分からないが、ファーレは肌が白い。
フードをずっと被っているからだろうか。私はまじまじとファーレを見上げた。
「うーん……。暗めな赤でもいいかもしれないわね」
「……本気で言ってます?」
「ここまできて冗談のはずがないじゃない」
私の言葉に、ファーレがあからさまに顔を歪める。
とても嫌そう。
彼に強制している身とはいえ、ほんの少し可哀想になった私はフォローするように彼に言った。
「大丈夫よ、よく似合ってるわ!あなた、体も華奢だし、女の子みたいな顔してるから、違和感ないわ!」
私の言葉に、ファーレが目を見開きながらあんぐりと口を開ける。この数日、彼とは一緒に行動しているが初めて見る表情だ。
驚いて瞬きを繰り返していると、ファーレは顔料が指先に付着したままの私の手首をぐっと掴んだ。そしてにっこり笑っていう。
「よーし帰りましょう。髪でも何でも切ります、それで解決!」
「何言ってるの?あなた、顔が知られてるんでしょ。それなら髪切っても意味ないじゃない」
「いやー、今思い出したんですけど俺仕事の時も基本顔隠してますし、そもそも俺の顔を知ってる人間なんか──」
と、その時。
バッと勢いよくファーレが顔を上げた。
その異様な様子に私は戸惑った。
「ファ、ファーレ……?」
「しっ。静かに」
ファーレはそのまましっかりと私の手首を掴む、突然私を抱き上げた。
来る時と同様だ。この体勢は道行くひとの視線を集めるためかなり、とんでもなく小っ恥ずかしいのだが、足首を捻挫している今、ほかに手段はなかった。
ファーレはフードを深く被っているし、私は肩に顔を埋める振りをして俯いていたので、顔は見られていないはず。金髪は、アーロアでよく見る色なので、そこまで記憶に残ることもないだろう。
唯一懸念すべきは、私の意識がないと怪しんだ街のひとが誘拐だと思わないか、だけど──。
万が一、王家がその情報を入手したとして、誤情報に錯乱されてくれれば幸運だ。
どちらにせよすぐに私は染色粉を用いて髪の色を変える。
明日の朝には船に乗る予定だし、憲兵が情報入手したとして上に報告が上がるまではそれなりの時間を要するはずだ。
(軍ってこういう時、不便よね……)
今回はそれに助けられるかもしれないが。
かなりギリギリの橋を渡っている自覚はある。
どうにか国を出るまで、橋は保って欲しいと思うばかりである。
(それに──)
わざわざ、私が外に出たのは理由があった。
(こんなに大きい街なんだから、きっとあるはず)
そう思っていたのだけど。
ファーレに有無を言わせず抱き上げられてしまい、私は強制的に店を出ることになった。
(な、何?どうしたのかしら?)
ファーレは先程、何か目にしてから様子がおかしくなったように思う。
彼の視線の先には何があったというのだろう。
私はふと、ファーレが視線を向けた方向を見たが──そこには女性が数人、商品棚を見ているだけだ。
「…………?」
首を傾げながら店内を後にした私たちは、そのまま大通りを通り抜けて、宿屋近くの路地に入った。
ずいぶん店から離れてしまった。ここまで彼は無言だったし、こちらを一切見なかった。彼の不審な様子に私はふたたび彼に声をかける。
「ファーレ?」
呼びかけると、彼は一呼吸間を開けてから、おおきく息を吐いた。
「っはあああ……焦ったーー……すみません、ご令嬢。店内に知り合いがいました」
「えええっ!?」
──店内に、ファーレの知り合いが?
彼が見ていた方向にいたのは、女性たちだけだ。いや、そんなことよりも。
「……さっきあなた、自分の顔を知っているひとなんていない、って言ってなかった!?」
その直後に出会うとは、なんとも出来すぎている、というか。いや、ファーレがそんなことを言ったからフラグが立ったのかしら……。
私の胡乱な眼差しを受けたファーレは、路地裏の壁に背を預け、ため息を吐いた。
頭をがしがしとかきながら言う。
「俺も想定外ですよ。なんであの女が……」
「女?」
「……情報戦を得意とするやつですよ。おおかたご令嬢探しに駆り出されたんでしょう」
やっぱり、王家は追っ手を差し向けているようだった。国境は閉ざされ、手配書こそ出されていないようだが、それも時間の問題だろう。
(……早く、この国を出なきゃ)
全ては明日の朝だ。
ひとまず今は、しなければならないことがある。
私はそう思いながらファーレを見上げた。
「よし。それならファーレは、やっぱり変装する必要があるということね?」
「……それ、本気で言ってます?嫌ですよ、俺」
「でもあなたの顔を知っているひとが、この街にいるわけでしょう?だったらやっぱり、変装は必須だわ。任せて!こう見えてこの手のことは得意なのよ。顔見知りだろうが友人だろうが、たとえ恋人だったとしても!一目ではあなたとわからない化粧を施してみせるわ!」
私はようやく自分の得意分野だ、と拳を握って語った。
なんといっても前職はアパレル勤務!
職業柄、流行の最先端を常に把握するのは当然。販売員として、ブランドのイメージを壊さないコーディネートから、パーソナルカラーに合わせたお化粧まで身についておりますとも!
(なぜなら本社研修でみっちり仕込まれたもの……!!)
アパレル勤務とはここまできついのか&ここまでする必要はある?とやけになりながらも猛勉強した。懐かしい。
正直、社訓&社歌の暗唱、起業の経緯、経営者一家の家族構成まで覚えさせられたのは絶対間違いなくおかしいが、それでも私はやり遂げたのだ。
一度始めたことは最後までやり遂げたいというよく分からない使命感に燃え、闘志が湧いたのよね……。
(あの時は夢にまで研修ビデオの内容が出てきたな……)
しかも未だに社歌、歌える。
それは今後間違いなく不要なものだが、それはともかくとして。
化粧知識は覚えていてよかった……!
力強く言った私に、彼は半ばたじろいだようだった。
彼はまだ納得のいってなさそうな雰囲気だったが、しかしこれ以上の名案があるわけもなく。
結果、私はファーレにお化粧を施すことになったのだ。




