理不尽を許容するなんて
反面、ファーレはそんなテオをじっと見つめ──やがて、手首を返して短剣を鞘にしまった。
緊迫した空気が、弛緩する。
「……そうしたいのは山々なんですが、魔法契約がある以上、今は無理ですね」
ファーレの言葉に、テオは【今気がついた】というような顔をした。
「……ああ、それ効いてるんだ?」
魔法契約を結ぶと、互いに害することが出来ないという制約がついてくる。見ると、ファーレの手首は小刻みに震えていた。
正式な魔法契約なら刃物を向けただけで制約が発動し、取り落としていただろうから、やはり魔法契約は不完全、ということなのだろう。
ファーレ、という急ごしらえの名前がいけないのか、テオが本名ではないのがいけないのか……。
恐らく、そのどちらもが理由な気はする。
「ご令嬢」
「だからエレインって呼んでって……」
「無理です。あなたには、エレイン・ファルナーでいてもらう必要がありますから」
ファーレの言葉に、私は腹が立った。
どうして他人にそんなことを決められなければならないのか。
そもそも、私はもうアーロアには戻らないと決めた。それなのに、ファーレは頑なに私を令嬢と呼ぶ。貴族であることは、やめたというのに。
私はファーレを睨みつけた。
「私はエレイン・ファルナーであることはもうやめたわ。それに、何度も言ってる。アーロアには……あの家には帰らない」
「それを止めるために、俺がいるんですよ」
「そんなの知ったことじゃないわ。あなたはまた私に貴族に戻れというの?それで、婚約者に振り回されて王女殿下に嫌味を言われて、それでも耐え忍ぶ女になれ、と?ずいぶん勝手なことを言うわね」
私の攻撃的な言葉を聞いてなお、ファーレは顔色を変えなかった。
彼はそのまま、真っ直ぐに私を見つめている。
「では、テール・トリアムとの婚約を解消し──その上で、新たな婚約を結ぶ、となったらどうです?」
「はあ?」
何言ってんだこいつ、というのが正直な感想だった。私は、いい加減いらいらしていた。
もう、終わったことなのに、済んだ話をいつまでも引っ掻き回されているような気分。
いや、実際その通りなのだろう。ファーレは、彼は部外者で、私たちのことを何も知らないのに──いや、知らないからこそ、そんなことを言えるのだろう。
なぜ、私が貴族をやめようと思ったのか。
なぜ、テール様との未来は考えられない、と思ったのか。
何も知らないから、そんなことを言える。
勝手だ。
賢者だかなんだか知らないけど、そんなもののために国にとどまれ、という。そんなの、冗談じゃない。
「……家族は、ろくに私の話を聞かずに王家に一辺倒。婚約者も同様で、私の話なんてまったく聞かない。しまいには、私が責められる始末。そんな環境が嫌で嫌で仕方ないから逃げてきたのに──またあの家に戻る?冗談じゃないわ。新たな婚約がどんなものかは知らないけど、あの社交界と家に帰るくらいなら──」
「お相手は、第二王子殿下です」
「…………なにそれ?」
低い声がこぼれた。
私は、ファーレを睨みつけた。
冗談も、休み休み言って欲しい。
(第二王子殿下と言ったら──婚約者がいたはず。婚約者のいる男性と新たに婚約?)
ファーレは静かに言葉を重ねた。
「ルフレイン公爵家のご令嬢とは、婚約を解消すると仰っています」
「ふっ……ふざけてるの!?」
私は思わず、ファーレの胸ぐらを掴んでいた。
彼に憤っても意味が無い。わかっている。
分かってはいても、とことん私をばかにしているとしか思えない態度に腹が立つ。
私は、きつくファーレの胸ぐらを掴みながら、彼の赤の瞳を睨みつけた。
「それで私が『それなら戻ります!やったー、王子様と結婚!』なんて言うばかに見えるって言うの!?」
それを提案する王家も王家だ。
あのひとたちは何を考えているのだろう。
元々の婚約者を切り捨てて、私と新たに婚約?どうしてそんな身勝手な振る舞いができるのだろう。
「私を……貴族を、なんだと思っているの!?王家の理不尽は、許容するのが社交界の常識?そうされるのが当然?なら……なら、そんな常識がまかり通る社会、こっちから捨ててやるわよ!」
私の大声に、木々がざわめいた。
その時、テオが静かに会話に割り込んでくる。
「あまり大声を出すと獣が寄ってくる」
「──っ……」
彼のその落ち着いた声に、ほんの少し冷静になった。私はパッとファーレの胸元から手を離したが、口にした言葉を撤回する気はなかった。




