王女の虚弱体質の理由
「……こんな話を聞いたことがないか?
『大昔、賢者と呼ばれる人間がいた。賢者は、各地に生まれ、彼らは国を救う使命を背負わされた。やがて時期が来ると、彼らはその力を人々のために役立て、世界には平和が訪れた』
……アーロアに伝わっているものはまた少し違うかもしれないが、似たような寓話がそっちにもあるだろ」
テオの淡々とした声を聞きながら、私は頷いて答えた。確かに、その話は聞いたことがある。だけど──。
「アーロアに伝わっているのと、少し違いますね……。アーロアに伝わる寓話は、こうです。
『大昔、世界に破滅が訪れた時、立ち上がったひとがいた。それをひとびとは賢者と呼び、かの人間が興した王朝こそが、今のアーロア王家』……。
話の筋は同じだけど……」
「おおかた、王家が良いとこ取りしたんだろ。今の話において、重要なのはそこじゃない。……これは、アルヴェール内の仮説だが。その話は真実なんじゃないか、って言われてる」
「…………へっ!?」
私は思わず素っ頓狂な声を出した。
見れば、ファーレも難しい顔をして黙り込んでいる。テオはちらりとファーレを見たが、また私に視線を戻した。
(昔話が……実際に起きた出来事、っていうこと?いやいやそんなまっさかー!ギリシャ神話が実話でした、っていうレベルの話よ。だって賢者とか世界を救うとかそれってなんてファンタジー……)
と思ったが、私はここで気がついてしまった。
今私がいる世界、それこそがファンタジーの中のファンタジーだということに。
(……魔法もあるし!)
魔法がある以上、どんなオカルトや非科学的、ファンタスティックなことが起きても不思議ではない。でもまさか!
そんなまさか、『イザナギ・イザナミは実在してました』と言われている気分である。イザナギ・イザナミだけではない。酒呑童子やヤマタノオロチも実は過去にいました、と言われたかのような衝撃を受けている。
絶句する私に、テオはすっと目を細めた。
「アルヴェールでは仮説を裏付ける検証が長年続けられていた。この寓話は、各地に伝わっているものの、細かい部分はかなり異なっているようだ。アーロアのように王朝を興した、と終わっているところもあれば、賢者は禁を犯し、罪を償うために自ら土に還ったとするものもある」
「えっ」
「だが、多く点在する話の内容にも、似通っている部分がひとつだけある」
テオのその言葉の続きを引き継いだのは、意外にもファーレだった。
「それが賢者、ですか?」
「そう」
テオは短く頷いた。
ファーレは、あぐらをかいて座りながらも伺うようにテオを見ている。
「それがどうしたって、最近の異変に繋がるんです?寓話はただの寓話で、今の状況はただの異常現象かもしれないじゃないですか」
「だから、検証した……って言ったろ。もともと魔力は、聖なる気をまとっていると考えられている。【魔を祓う力】と言われているくらいだ。瘴気は、魔力を汚染し、その力を反転させる」
テオは、焚き火の火が弱くなってくると、そこに追加の薪を投げ込んだ。先程ファーレと私がそれぞれ拾い集めたものだ。
テオが追加の薪を投げ込むと、炎の勢いが強まる。炎を見つめるテオの瞳の色が濃くなった。
「……オレの考えでは、古の賢者、とはいわゆる供物の役割があったのではないかと思う」
「まさか」
思わず、私は声を出した。
そして、ようやくテオの言いたいことを理解する。さいきんになって瘴気の出現。
そしてそれは徐々に色濃くなって、国を汚染している。それが続けば私たちはどうなる──?
寓話は、漠然とした内容だ。
【世界に破滅が訪れた時】、【やがて時期が訪れると】。
どちらもあやふやで、具体的なことはなにひとつわからない。
だけど、アーロアとアルヴェールで共通しているのは、その危機とやらを【賢者】と呼ばれる人物が救ったことだ。
そして、テオがさっき口にした、他の地方で語られる寓話では『賢者は禁を犯し、罪を償うために自ら土に還った』と結ばれていた。
「あくまで、オレの仮説だ。昔の文献のほとんどが失われていて、どこまでが真実かはわからない。だが、アーロア王家ならある程度は掴んでいると思うんだが……アンタ、なにか知ってないか?」
テオの視線の先は、ファーレだった。
ファーレは、なにか考え込むように焚き火を見つめていたが、テオの自然に顔を上げる。そして、にこりと笑みを見せた。
「いやー、俺みたいなただの駒に、そんな大事な情報、寄越されませんって。残念ながら俺は知りませんね」
「でも、王城周り──あるいは、アーロア告内での異変くらいは知っていただろ?」
「……どうしてそう思うんです?」
今度はファーレが尋ねた。
なんだか、いやな空気だ。互いに互いを探り合うような、緊張感がある。
私はふたりの間に割り込むべきか、あるいはこのまま話を聞いているべきか少し悩み、少し様子を見ることにした。
ファーレの言葉に、テオが淡々と答える。言葉以上の意図はないとでも言うように。
「さっき、そんなに驚いてなかっただろ?……アーロア国の王女様。第五王女……だったか?彼女は体が弱い」
「!」
まさかここでエリザベス王女殿下の話になると思わず、息を呑む。しかし、テオはそんな私の反応を気にすることなく言葉を続けた。
「彼女は、過去類を見ないほどの虚弱体質らしいね。それも、生存に足る魔力すら不足しているとか」
「……そうですね。王女殿下はお体が弱くあらせられます」
ファーレはどこか慎重に言葉を選んでいた。テオはそれを聞いて僅かに頷いた。
「そもそも、それがおかしいんだよ。今まで、生きるのに苦労するほどの魔力不足……なんて、聞いたことがない。過去の文献も当たったけど、少なくともアルヴェールではその症例は確認されなかった。それなのに、この二十年、一気にこの手の話が増えた。ひどいところだと、魔力不足で実際に死んでしまった……とかな」
テオが静かに言う。
静寂が広がる。私は、ぱちぱちと薪が燃える音を聞きながらテオに尋ねた。
「……その、瘴気が増えた理由は何なの?」
結局は、そこに行き着く。
瘴気が増えて、魔力を汚染している、というのなら瘴気を消してしまえばいい。その方法が不明なのだとしても──いや、さっきテオはひとつの仮説を立てていたじゃない、と思い出す。
【供物】──。




