教育の始まり
ひとしきり質問が終わると、フィオナは漸く人心地付いた気がして、紅茶を口に含む。彩璃に至っては、満足そうにお茶菓子を口に含んでいた。
彩璃は、神琉や煉琉とは全く正反対の人というのが、フィオナの印象だった。恐らく、神琉は性格は父親似で顔が母親似なのだろう。顔のつくりは、どこか彩璃に似ている。
じっと見つめているのがわかったのか、彩璃と視線が合ってしまった。
「あ……その、ごめんなさい」
相手の顔をまじまじと見ることは、失礼なことだ。それは貴族に限らない。直ぐに謝罪をするが、彩璃自身は全く気にしていないのか苦笑するだけだ。
「いえ、いいのよ。大方、私と神琉の顔が似ていると思ったのでしょう?」
「えっと……はい。その、とても良く似ていると思いました」
「うふふ、良く言われることなのよ。あの子だけじゃなくて、壱琉も結璃も、私似なのだけれどね」
「?」
初めて聞く名前に、フィオナは一瞬誰のことを言っているのか理解できなかった。キョトンとしていることに気づいたのか、彩璃が説明してくれる。
壱琉は、神琉の弟。結璃は妹の名前。二人とも、顔のつくりは彩璃とよく似ている。違うのは髪の色くらいだという。瞳の色は、三人とも彩璃のものを受け継いでいるらしく、同じ色を持っているそうだ。
「婚約式を終えた時点で、フィオナは我が公爵家の花嫁。二人とも、神琉のお姫様には興味津々だから、そのうち会いに来ると思うわ」
「えっ?」
「今回も、一緒に来たがっていたのだけれど、私が来たのはあくまで花嫁修業を貴女に施すためだし、あの子たちがいたら集中できないでしょう? 神琉の邪魔にもなりかねないし……二人とも、本当によく神琉を慕っているものだから」
本当に困ったように笑う彩璃。フィオナも以前、燕から聞いていたことを思い出す。
神琉を慕っている弟妹だが、神琉自身はどこか距離を取ってしまっているという。一番身近であるはずの弟妹から、怯えられたという記憶は消えることなく、神琉の中に残ってしまっているからだ。恐らく、彩璃も知っていることだろうが。
「あまり失礼なことはしないとは思うけれど、会ったなら良くしてあげてほしいわ。特に結璃は、姉が出来るのをとても楽しみにしていたから」
「は、はい」
フィオナ自身も弟妹を持つ身だ。新たに弟妹が出来ること自体は楽しみに思っている。義理という形に不安はあるものの、フィオナは出来れば仲良くしたい。そして、可能ならば神琉がその二人に歩み寄るきっかけになれればいいとも思っていた。新参者でしかないフィオナにとっては簡単なことではない。しかし、兄から距離を取られる寂しさはフィオナにも覚えがある。同じような気持ちを壱琉と結璃が抱いているのなら、力になりたいと思う。
「さぁ、世間話はこのくらいにして……早速始めましょうか」
「はいっ。よろしくお願いします!」
こうしてフィオナの花嫁修業は始められた。
彩璃が最初に行ったのは、現段階でフィオナがどの程度までできるのかという確認だ。礼儀作法は勿論のこと、知識面においても同様だった。シュバルツという国の歴史、古代語、魔族に対する理解、そして魔法についてだ。婚約式を迎える前まで瑠衣に教わったことを必死に思い出して答えていった。時間はあっという間に過ぎ、途中で昼食休憩はあったものの、終わる頃には陽は沈み、夜が近づいていた。
「……基礎はちゃんと身についているようね。瑠衣、よくやってくれました」
「過分なお言葉ありがとうございます」
彩璃の言葉に瑠衣が頭を下げる。ここでフィオナが誤ったことを告げていれば、その評価はそのまま瑠衣の評価になるということだ。意識していたわけではないが、瑠衣が褒められたことにフィオナは安堵した。エルウィンとして生きることを強いられて初めて学問に触れたフィオナにとって、勉強するということ自体に慣れていない。村で学ぶのは、せいぜいが読み書き程度。それも女性は使用することもないという理由で、覚えない子どもたちも多かった。フィオナは本を読むことが好きで、自分で読みたいがために読み書きを覚えたが、それがなければ文字を書くことさえできなかったに違いない。
そんな環境で育ったからか、フィオナにとって学ぶということが苦痛に感じられることはなかった。新しい知識を吸収するのは、本を読むことと同じくらいに面白いと感じたのだ。だからこそ、瑠衣の教えにもついていけたと言える。
「フィオナも、よく頑張っています。これからは難しくなりますが、ちゃんと付いてきなさい。近いうちに、お披露目の場もあります。神琉の妻として、レヴィンに連なる者としての自覚を持って務めなければなりません……特に、愚かな考えを持つ者たちに負けてはなりませんからね」
「は、はいっ」
「明日から本格的に始めましょう。明日の朝食後に、ここに来なさい」
「わかりました……」
今日は終わり。その言葉を聞いて、全身から力が抜けていった。精神的疲労感で、ぐったりしてしまう。疲れた。それ以上の感想はないだろう。
「お疲れ様でした、フィオナ様」
「アンリ……」
フィオナを労わるように腰を落として微笑むアンリ。お茶を淹れたりする以外は、ほぼ立ちっぱなしであったアンリらの方が疲労を感じているはずだ。しかし、そのようなそぶりは見せずアンリはフィオナを気遣ってくれる。思わず、涙が出そうになるのをフィオナは必死に堪えた。
「……ありがとう、アンリ」




