フィオナのお願い
神琉の姿をみて慌ててフィオナは立ち上がる。
「あ、あの! お忙しいところありがとうございます」
多少声が上ずってしまったが、神琉は気にするでもなくスタスタとフィオナの向かい側のソファーへと座った。
「別に礼を言われることでじゃないと思うが、まぁいい。それで俺に話があると聞いたが?」
「は、はい……」
落ち着いた声色。フィオナは深呼吸をして、ソファーに再び腰を下ろす。まっすぐ前を見れば、藍色の瞳がフィオナを捉えていた。考えてみればこうして二人だけになるのは、初めて会った時以来だ。その時は話というレベルではなかった。何も言わない神琉に、フィオナは膝の上に置いた拳を握り絞め、声を発する。
「あ、あの……お話、というレベルではないかもしれないのですが、そのご迷惑かもしれませんが……えっと」
「迷惑かそうでないかは俺が決める」
しどろもどろに言うフィオナに神琉はきっぱりと言い捨てる。その態度にフィオナは神琉へ少しばかりの恐怖を感じた。もしかしたら彼に近づこうとしているのは、彼にとって不都合なのかもしれないと。
(でも……伝えないときっとこのまま馴染めずに時間が過ぎていってしまう……それじゃあ何の解決にもならない……)
フィオナは両目をぎゅっとつぶる。祈るように脳裏に離れてしまった家族を思い浮かべる。
(私に勇気を頂戴ね……)
何かをしているようなフィオナを神琉はじっと見ていた。フィオナはそれには気づいていない。そうして力を両手に入れると、フィオナは目を開き、神琉へと告げた。
「神琉様、私に貴方の時間をください!」
「…………は?」
それは一瞬呆けたようにフィオナを見て、普段の神琉からは考えられないほどの間抜けなものだった。フィオナも自分が何を言ったのか理解をすると、瞬時に顔を真っ赤に染め上げる。
「あっ、その違うんです! その……いえ違わなくわないんですが」
「……どれだけの時間が必要だ?」
「えっ?」
「……時間が欲しいと言われても、一日の時間は限られている。いつ、どのくらい必要かいってもらわなければ回答しようがない」
「……そ、そうですね」
指摘され、フィオナもその通りだと納得する。突拍子もない言葉に笑いもせず、応えるその姿に、フィオナは自分がどう映っているのかが疑問だった。ふざけているとは思われていないだろうが。フィオナ自身にも変な希望だったという自覚はある。それを笑いもせず、淡々と答えられると質問の意図が伝わっていないのだという可能性があった。
「……その少しの時間でいいので、こうして毎日会っていただけませんか?」
「会うだけなら食事の時にも顔を会わせているが?」
「そうではなくて、ですね……」
神琉と二人で話をしたい。屋敷に馴染むためにも、まずは神琉を知っていきたいのだ。今までの反応から、目的をきちんと言わなければ伝わらないと判断したフィオナは神琉へ思うがまま伝えた。
「屋敷に馴染むなら俺以外の方がいいと思うが?」
「……そうしたいのですが、私は避けられています。私を避けずにいてくださるのは、瑠衣さんと神琉様、燕様と公爵様だけです。私はもう人間の国へは帰れません。ですから、ここでできる限り皆さんと近づきたいのです」
「そのために、俺と、か?」
「……私が一番近づくべきなのは、神琉様だと思いましたので」
「……」
打算的なことだと思われたかもしれない。だが、これは事実だ。公爵家の若様でもある神琉との距離が近づけば、少なくとも屋敷で孤立することはないだろう。おそらくこの魔族の国では、使用人たちの反応が一般的だということはフィオナにもわかっている。だからこそ、友好的である人たちとは仲良くしていきたい。瑠衣もだが、その主人は神琉だ。ならば神琉と友好を深めるのは第一目的となるだろう。仮にも婚約者となるのだから、仲良くしていきたい。それがフィオナだけの感情だとしても。
「……使用人たちには言い含めておこう。公爵家の者が、種族だけで人を判断することは合ってはならないことだからな」
「えっ?」
「毎日、は難しいかもしれないが、時間を作るようにする。それでいいか?」
「あ、あの、本当にいいんですか?」
考えているより簡単に希望が通ってしまったことにフィオナは意外感を隠せない。
「……打算的な考え、だとは思わない。この国の実情を考えれば、俺以外に姫と繋がりをもつ貴族はいない。社交界に出ることも踏まえて、お互いに知るべきことはあるだろうからな」
「社交界……ですか?」
「貴族同士の腹の探り合いの場所だ。人間の国でもあっただろう?」
「あっ……」
貴族の社交界。フィオナが社交界に出ているはずはない。フィオナは貴族ではないのだから、知らなくて当然だ。無論、エルウィンの身代わりとしても出たことはない。だが、ここで知らないとも言えない。咄嗟の言い訳も思いつかない。どうすればよいか困っていたが、神琉はさして気にする様子もなく続けた。
「社交界は婚約式の前にはない。式の後には出てもらう。それまでに婚約者らしくなっておくべき――」
「こ、婚約者⁉」
「と、言われたが、別に今まででも構わない。貴族の中には人間というだけで難癖をつけてくる者もいる。慣れることだけを考えておけばいいだろう」
「……は、はい」
どんな場所か想像もつかないが、この屋敷の人に避けられるというレベルではないことだけはなんとなく理解できた。それもまだ先の話だ。今は、神琉と話をすることができるようになったという目的が達成したことで何とか頭を納得させようと、フィオナは頭を切り替えることにした。




