第九話 不忍池は海だった
川久保信春は舞湖にどのくらいの考えがあるのかわかってなく不安だった。突然現れた謎の娘、不思議な格好をしていて水に詳しいという。妙高先生からも遠山の銀さんからも大事に扱うように言われてはいるが、前の奉行が左遷された原因は川久保の仕事の遅さだ。そこで今の大江戸の実情を話しながら舞湖の実力を測ろうとした。ぶっちゃけ胡散臭いとも思えない事もないのです。
「舞湖殿、それでは大江戸の水が今どのような状況かを説明しよう」
舞湖はさっきまでと川久保の雰囲気が変わったのがわかった。なんとなくだ。
「川久保様、舞湖でいいです。なんか、その殿っていうのがくすぐったくて」
川久保は不思議に思った。なんとなく意味は伝わったがくすぐったいと言う言葉をそういう風に使うものだろうか?現代の表現はこの時代では不思議に感じるのだ。
「どうも舞湖殿の表現が感覚的にはわかるのだが何というか。それでは舞湖と呼ばせていただく。今、大江戸には、正確には大江戸の城下町にだが五万の人が住んでいる。だが、水は四万人分しか供給できていない」
そうなんだ。それは焦るし左遷もされるわね。お父さんの会社だと窓際に飛ばされるとかあるって言ってたし。男は成果だ、ってお父さんが言ってた。
「それでは緊急で何か手を打たなければ」
「そうなのだが関白様が城下をもっと発展させて名実共に大江戸を京に変わる街にすると、人口をさらに五万人増やすように上様に命じられたのだ。世界に恥じぬ大きな街にしたいとお考えとの事。上様はそのご命令に対して海辺を埋め立てている」
埋め立てている?そういえば本で読んだぞ。ネズミーランドも昔は海だったそうだし、そういえば川の流れを変えていたね。荒川とか隅田川とか。今はまだその前なのか。舞湖は本で読んだのは覚えていたが、時代背景というか順番はよくわかっていない。神田川と隅田川はどっちが先だっけ?荒川の下流が隅田川だっけ?あれ?こんな事ならもっとしっかり覚えておくんだった。
江戸はあちこちに水があって埋め立てて土地を広げているという。人が住む所を増やすのだそうだ。
「それではその土はどこから運んできているのですか?」
「うむ、武蔵の八王子というところだ。土と一緒に水も運んできている」
それって多摩川だ!そりゃ大変だ。結構遠いよ!もっと簡単にしないと間に合わないよね。舞湖は現状把握しないとうまくいかないことに気づいた。
「川久保様。水はすぐに案を出しますがその前に地図を見せてくれませんか?どこが陸で川なのか。できれば高さもわかるように」
高さ。それを聞いて、この娘はやはりただものではないと思った。水は高いところから低いところへ流れる。それがわからずに今まで何度も失敗していた。せっかく堀を掘っても水が流れていかない。その知識は当たり前のように思えても実際に川の流れを変える時には壁になるのだ。
今の江戸の水源は小石川と呼ばれる川、それと平川と呼ばれる神田山大地から湧き出る川、その二つの川の近くの井戸から汲んだ水は飲む事ができる。だが、小川町を越えると海水が混ざってしまう。
また、小石川は雨の量によって水量が変わり、季節によっては水が少なく井戸が枯れることもあるし、大雨の時は川が溢れて近くの民家が浸水してしまっている。大川も海水が混ざり飲むことはできない。大川は大雨の度に氾濫もするし、水運でも使っているから何とかすべく幕府が別働隊で工事しているそうだ。舞湖は大川が隅田川だと言うのを思い出していたので話を飲み込む事ができた。
「舞湖。今ある地図は平面のものしかない。そうか、高さがわかる地図があれば。いい事を教えてくれた。すぐに手配しよう。おい、誰かいるか?」
この時代に高さがわかる地図というのは無かった。ここが山で、丘でというレベルのものしかない。川久保が家来を呼ぶと政という小間使いが現れた。ここは川久保の屋敷で家族と家来が住んでいる。
「直ぐに中村を呼んできてくれ。緊急で依頼する事がある、とな」
政が居なくなったあと、舞湖は地図を見る事ができた。大江戸の平面図だ。真ん中にお城があり、その中に禁裏と書いてある場所がある。その周りには堀が張り巡らされている。舞湖は皇居を思い出そうとしている。
「似ている」
川久保はそれを聞き逃さなかった。
「何とでござる?」
舞湖の知っているあれに似ていた。
「いえ、すいません。このお城の東を埋め立てているのですか?」
「いかにも」
これが皇居だとすると、東京駅の辺りから向こうはほぼ海というか湿地だ。一応陸だが沼なのか池なのかわからないのがあちこちに点在している。多分山手線の外側が今は人が住むのには向いていないというのか住めない。
「すいません。八丁堀のあたりはどうなっています?」
舞湖の水以外の知識はほとんどがテレビの時代劇なのです。江戸時代といえば八丁堀なのです。同心が住んでるのが八丁堀でよく屋台で蕎麦を食べているのです。地図だと八丁堀のあたりは沼と川が入り組んでいます。
「この地図は少し前の物だ。今は八丁堀、ん?八丁堀という名が付いたのはつい最近なのだがさすがは舞湖だ。何でも知っているな」
何、その評価。川久保は舞湖を信用できると思ったのだ。何者かなんてどうでもいい。この難題をなんとかしなければならない、民のために。
「八丁堀というのは堀の長さが八丁あるところからそう呼ばれている。海に繋がっている水路の事だ」
ああ、そう言えば名前には意味があるんだった。じゃあ何で同心の事を八丁堀って言うんだろ?舞湖の中では八丁堀イコール同心でしかない。
「先程川久保様が呼んだ中村の旦那のお住まいはどこら辺なのですか?」
「あやつは小川町の近くだ。奉行所に勤めている者はあのあたりが多いな。だが、八丁堀ができて水運が活発になるとあの辺りの治安が怪しくなる。大江戸が広がれば大名屋敷が城の周りや要所にできて同心は町民に近い所へ、そうか八丁堀にか。さっすが舞湖だ」
だからなんでその評価。そうかあ。治安維持だから同心が八丁堀にいたんだね。あの時代劇はもう少し後の時代で人が普通に住めるようになった後のお話なんだね。屋台のお蕎麦も今はないってことね。うん、一つ賢くなったし目標ができた。あのお蕎麦食べたい。そして再び地図を見る。この地図は現代の山手線付近しか書かれていなかった。小石川も大塚の辺りで途切れているし、平川は小川町から有楽町辺りで海に注いでいた。
「不忍池は………、これって海が池になったのか」
そう言えば川が繋がっていなかった気がする。今までは疑問に思わなかったけど、あんなところに池があるのはおかしいじゃん。と思ったらこの地図だと川が流れ込んでいる。
「さすがは舞湖だ。あの池の水はなぜか塩っ気が多くて飲めないと言われている。汚くて飲む気もせん。おそらくは舞湖のいう通り昔は海だったのかもしれない」
あの川は湧水みたい使えなさそうだ。案の一つが消えた。




