3-16 学術国家の神と神
————その国には、この世界の全ての知識と技術が集まっている。
————その国は、二柱の神によって守護されている。
世界中の叡智が集うとされる国家の形をした超巨大学園、学術国家ゲーテル。
毎日数万人が出入りし、50万人の国民である教師と生徒が勉学と研究に励むこの国では、いつもどこかでトラブルが起きている。
これは、そんな学術国家を守護する二柱の神の、なんてことのない日常を描いた物語。
「しまった! この間まで人間女性の身体だったから今ムキムキマッチョの鬼族オスなのに女物の服着て歩いてた! 道理で視線が集まってると思ったー!」
「サイズの違いで気づかない時点で愚かすぎる。ここ100年で一番の失態が決定したな」
「4392年前の貴方の失態に比べたら可愛いものだと思うけど?!」
「メス犬獣人の姿になっただけだろう。何が問題だ」
「全裸で道端歩いたでしょ! 歩く猥褻物陳列罪!」
「その像が気になるのか?」
大通りの交差点に位置する巨大な噴水に、二体の像が対峙するように設置されていた。
塗装済みの木像に象られた人物は共に人間によく似た姿をしているけれども、片や二対の翼と竜の尾を生やし、片やエルフを思わせる長い耳を持っている。現代では見慣れぬ装束に身を包み、それぞれ杖と銃を掲げていた。
そんな像を見上げるように立ち止まっていたのは、幼い10歳にも満たないだろう人間の少女と、少女の三倍はあろうほどに背丈の高い大柄なリザードマンの青年だった。
「それはこの国を守る二柱の神……フアナ様とヘス―ス様を模した像だ。建国当初、元々この地を守っていたフアナ様とこの国の化身であったヘスース様は三日三晩の間戦い、戦いの末に友情を結んだんだ。まるで、創世神話に語られる神王と統一皇帝のようだろ? 以来、十七万年この国はお二方に守られているんだ」
第八市街地、神像噴水前広場。
学術国家ゲーテルが現在の形に区画整備された際に、二柱の神の姿を模した像が当時の理事長によって創られたとされている。以降、神像は国家の繁栄と安寧を司る象徴として観光名所となっており、多くの屋台や出店が軒を連ねていた。
国内からはもちろん、国外からも多くの観光客が訪れる。そのため、屋台を出している一人である焼き菓子屋の店主は二人を観光客だと思い、訳知り顔で解説を聞かせてきた。
しかし、その解説は二人の心を響かせることはない。店主から購入したばかりの大ぶりの焼き菓子を頬張りながら、冷めた目で像を見上げるばかりだ。
「その説明には誤りがある。二柱の神は三日三晩ではなく一か月の間に三度戦闘を行い、友情を育んだのではなく互いに殺しきれないと悟り協定を持ち掛けた。過去を美化するのは構わぬが、真実を虚構で改竄するのは頂けんな」
「は?」
「別にいいじゃない。あれから人間が何百世代積み重なったと思ってるの? 語り継がれるたびに主観が混じり、伝承は変容していくもの。本当に起きた事なんて、今を生きる命に正しく伝わってるわけないじゃない」
己の胴体よりも太いリザードマンのしっぽの上にちょこんと座りこみ、焼き菓子を両手に持って頬張りながら、幼い少女が見かけにそぐわぬ低く大仰な口調で店主を非難し。
在庫を全て買い締めて、抱えるほど大量に詰まった紙袋から焼き菓子を次から次へと口の中に流し込みながら、リザードマンは軽やかな少女のような口調でそれを嗜めた。
「他国の歴史書ならばそれも構わないだろう。だが、ここは世界全ての叡智と技術が集う学術国家なれば、真実を伝承していくのが本質ではないか?」
「歴史学専攻の子達ならともかく、一般市民にそれを求めるのは酷じゃない? 君も、こいつのいう事は気にしなくてもいいから。軽ーく聞き流してやって」
自分のしっぽを動かして物理的に少女を店主から離しながら、リザードマンは軽い調子で店主に告げた。
しかし、店主はどうにも腑に落ちず、困惑した表情になってしまう。目の前の二人が姿と声音がちぐはぐなことに加え、話している内容もどこか違和感がある。彼らが観光客ではなく教員か学生なら歴史に詳しいのもうなずけるが、二人ともそれを示す腕章も校章も着けていない。
「あんたら、一体……」
店主が誰何をしようとした、その瞬間。
ビ――――! ビーーーー!
日常の喧騒を食い破るかのように、異常事態を告げる警報が町中のスピーカーと通行人の持つ情報端末から一斉に鳴り響いた。
『第八市街地の皆様へお知らせいたします。現在、開発中の試作魔導機人が暴走し、第八教導地メインストリートを市街地に向け高速で直進中。警備委員が対処しておりますが、メインストリートを御通行の皆様は巻き込まれないよう、速やかに退避してください。繰り返します――――』
上空にいくつもの画面が現れ、放送委員の緊急放送が映し出される。画面には放送委員のアナウンサーと、小型の魔導機人が警備委員の拘束魔法や警備システムの防壁を打ち破り、地面を滑空している姿が映しだされていた。更に画面脇には第八学区の地図と共に、機人を現しているだろう光点が高速で動いている映像が流れている。
ざわり、と周囲がどよめいた。何せ、この場所こそが第八学区の研究地、教導地、そして市街地を真っ直ぐに結ぶメインストリートの市街地部分なのだから。
「おい、これ……こっちに向かって真っすぐ向かってきてるってことか!?」
「やばい、今すぐ逃げろ!」
「普段は情報非公開の新型魔導機人だと?! 近くで見る絶好のチャンス!!」
「さすがに市街地に来る前には、警備委員が何とかするんじゃない?」
放送を目にしてすぐさま避難する者、屋根の上にのぼり物見遊山を決め込む者、事態を重く受け止めず特段行動を起こさない者。通行人の対応は様々だったが、大部分は放送に従いメインストリートから大慌てで退避し、出店者達も急いで店じまいを進めていく。
しかし、この二人は。
「魔導具を使った現代魔法じゃあ、第五文明期の戦闘用機人を相手にしたところで無効化されるのがオチでしょうに。情報伝達がなってないわねえ」
「500万年前の事象など、今を生きるヒトで詳細に把握している者の方が少ないだろう」
「さっきのお前の言葉を借りるなら、世界全ての叡智と技術が集う学術国家の学生なら把握していてしかるべき、でしょ。絶賛研究中なのに非常時のマニュアルも作ってなかったみたいだし、担当教授は懲戒処分ね。……ま、その教授が戦闘機人に取り込まれて成す術もない状態みたいだけど」
あっはっは、とリザードマンが嘲笑を漏らす。
二人は逃げるどころかこの場から動く気配すらない。上空の中継映像を眺めながら、焼き菓子を口に呑気に歓談を続けていた。
目の前で人々が慌てふためき行動を起こす中、ふと、少女は振り返る。
そこには、逃げることなく仕込みを再開している店主の姿があった。
「何をしている?」
「何って、そっちの兄ちゃんが全部買い締めたから、新しいのを作ってるんだよ。午後のかき入れ時の前に用意しねえと、折角の稼ぎ時を逃がしちまう」
「放送は聞こえているだろう。アレがこの広場に到達するまで10分もかからんぞ。今のうちに退避することを推奨する」
「そうね。君なんて、アレが通りすぎる衝撃波だけで店ごとバラバラになるでしょうし」
自分達も逃げようとしていないのに避難を促す少女に対し、店主はなんてことないように菓子の材料を混ぜ続けている。
その顔には恐怖や怯えといったものが一切ない。己に危険が迫っていると分かっているはずなのに、彼はどこまでもいつも通りに振舞っていた。
「心配する気持ちはありがたいが、大丈夫だ。ここは神像噴水前。きっと、フアナ様とヘスース様が守ってくださる」
当たり前のように告げた店主に対し、少女は不可解そうに眉根を寄せ、リザードマンはきょとんと眼を丸くした。
「神様が助けてくれるって? それなら、この事態が起きた時点でとっくに解決してくれてるでしょ」
「神は万能ではあるが全能ではない。ヒトの営みはヒトのものであり、神は見守るだけで介入はしない。お前の期待は見当違いだ」
「お、おう。まあ、お前さん達の言いたいこともわかるが……」
二人の物言いにわずかに店主はたじろぐも、目と鼻の先にある神像を見上げながら、彼は過去へと思いを馳せる。
「俺のじいちゃんは昔この場所で、フアナ様とヘスース様の二人に助けられたことがあるんだ。俺はガキの頃から何度もその話を聞かされてたから、この場所で店を出すのが夢だった。だから、きっとじいちゃんの時と同じように、お二方が助けてくださると信じてるんだ」
何の疑いもなく、店主は語る。
少女はあまりにもまっすぐな店主の祈りに対し、呆れるように息を吐き、
それを目にしたリザードマンはにんまりと口角を吊り上げた。
「成程。……国民にそこまで祈られてしまっては、我の在り方ゆえに応えぬわけにはいかんな」
「やっぱりこの焼き菓子、私があげたの真似した奴かあ。懐かしい味を食べさせてくれたし、管轄外の休暇中だけど、たまにはこういうのもいいかもね」
「んん?」
再び、彼らは店主に意味の分からないことを語りだす。
少女が飛び跳ねるようにリザードマンのしっぽから降りると、ふわりと空中に浮遊する。着ていたシンプルなワンピースが端から解け、代わりに純白の制服へと置換されていく。
リザードマンは手にした紙袋から手を離すと、重力に従い落ちた紙袋は中身ごと虚空に現れた魔法陣に吸い込まれて消えていく。彼の身に着けていた衣服が淡い光を放ち、光が収まった時には漆黒の制服に身を包んでいた。
二人の制服と背中に刺繍された紋章は店主でさえ目にしたことがあるものだった。
「統括生徒会に、総合警備委員の制服!? あんたら、第一階梯の生徒だったのか!?」
「いいえ、違うわ」
「否、だ。我らは生徒でなければ教員でもない」
学生最高行政機関の白い制服と学生最高警察機関の黒い制服を身に纏った二人に店主が目を剥く中、二人は揃ってそれを否定した。
「私はフアナ・ダグ・ラナーウェルド。この国が出来る遥か前から、この土地を守護する神様よ」
「我の名はヘスース・ゲーテル。この国に生きる生命より誕生したこの国そのものであり、この国を守護する神だ」
「は…………、なあああぁっ!?」
告げられた名に、店主が半信半疑の悲鳴を上げる。
目の前にいるのが、自分が先ほど祈った二柱の神の名を名乗ったのだから当然だ。
困惑する店主を尻目に、二人は瞬きの間にその場から姿を消したのだった。





