孤独
「げえええええええ……ううえええええ」
「…………身体を貸すって、こういうデメリットがあるんだな。俺が味わった訳じゃないけど、騙された気分だ」
じゃあ契約書をよく読んでから契約しよう、という話にはならない。あの時はとにかく切羽詰まっていた。俺に出来るのはカニバリズムに染まった椎乃の背中を擦って気分を落ち着かせる事だけだ。
『予言の件は、どうです? あれは何か蟲毒と関わりが?』
『あれは儂の知る所ではなイ。騙りはむかっ腹が立つがナ』
蟲毒の仕組みについては分かったが、予言は一切関係がないというのが分からないというか。ノイズになっている。そんな謎だけ残して姫様は引っ込んでしまった。どうも話している内に足元を見る事を覚えた様で、続きは次の食事を差し出したらとの事。椎乃を生かし続ける為には誰かしらに死んでもらうか俺が殺すかしないといけないのだが、お陰で更にそれを迫られる事に。
何かを吐き出そうとする椎乃をサポートする事数分。吐き出そうとする気力も失せた彼女を抱きとめて、廃墟を背中に休憩をする。
「……あの影な。俺が解放しちゃったんだ。凛と澪雨と三人であの神社に行って、壺が一つあって。その中にあれが居た」
「…………なあるほど。だからあんな怖がってたんだ。ユージンがあんな風に固まるなんて初めて見たからびっくりしちゃった。助けてくれてありがとね。怖かったのにさ」
「別に気にするなよ。あの状況で見捨てるのはおかしいだろ。逃げ道なんてなかったし」
「お、お、お? もーお礼言ってるんだから素直に受け取りなよー。ユージンって変な所で照れるんだからっ」
「照れてねえよ!」
「あははは! 照れんな! てーれーんーなっ。格好良かったって言ってるんだからさ」
今度は反対に俺が背中をバシバシ叩かれている。照れ隠しかどうかはさておき、椎乃は助かった。俺の隣で嬉しそうに笑顔を浮かべている。口から異臭がする事を伝えると、彼女は慌てて口を手で抑えた。
「……臭い?」
「臭いというか、異様な匂いだな。人の死体って……最悪だ」
「うっわー。最悪。うがい薬とかで治るかしら……身体貸すんじゃなかったわ」
「まあ今回は命を助けられたからその意見について賛同はしかねる」
こうしてふざけ合えるのも命あってこそだ。今回に限っては本当に姫様に助けられた。飢餓に悩むばかりか悉く不運に見舞われる貧乏姫には威厳もへったくれもなかったが、次会った時には少し敬いたくなった。急に足元を見てきたので、やっぱりせこくはある。
「……そういや、姫様が言ってたよな。あの影が俺に痕跡を残したって。……じゃあやっぱり自業自得なのか。校庭のバラバラ死体って奴もきっとアイツがやったんだろうな」
「どういう事?」
「俺達が夜に神社へ行ったときそこには大勢の大人たちが居た。でも夜に出歩いてるとまるで人の気配がなかった。今までだってそうだな。最初はさ、そりゃ全員決まりを守ってるからだって思ってたけど。あの影が夜と同化してるなら納得だ。アイツは暗闇の中ならどこからでも現れるって事だろ。アイツに殺されると思ったから、町内会の人間も外に出なくなった。辻褄が合うだろ」
「成程ね。でもさ、それなら何で私達は殺されないのさ。夜に外へ出てるわ、殺さないのおかしくない?」
「うーん。それはそうだけど……」
まだ何とも言えない、というのが今の所の結論か。しかしお陰様で俺達は遭遇に恐れず夜に活動する事が出来る。有難いのか何なのか。お化け屋敷には怪異の有無について調べるべく行ったのだが、その成果は最高に近い最悪だ。ともかく、俺の痕を消す為にはあの影をどうにかしないといけないと思われる。詳しい事は姫様にでも聞かないと分からないが、それは次の食べ物を渡した後になるか。
「椎。どっか行きたい所あるか? もう行く場所ないからな。家に帰るのもあれだし、行きたい場所があるなら」
「んー。ちょっと……待ってね」
そう言うと椎乃は俺の胸に頭を預けて、表情を隠すように俯いた。
「………………死ぬかと思った。もう死んでるんだけどさ。なんかもう二度とアンタと会えないのかなって思ったら……怖かった。怖かったよ、ユージン」
放り出された腕を掴むと胸の中で握り締め、椎乃は身体全体で組み付いた。
「怖かった…………………怖かったわ………………」
涙を流す程でもなく、しかしその声は震えている。
俺はどうする事も出来ないまま、ただ彼女の恐怖に耳を傾けていた。あんな瞬間に遭遇すれば誰だって怖い。姫様が『憑巫の身体に傷がつくのは気に入らん』と治してくれた腕も、ついさっきまで大量の歯形がくっきり残っていたのだ。俺の方にはまだくっきり残っている。首筋には、特に深い傷跡が。腕に至ってはもう、そういう斑模様みたいだ。
「―――そうだっ。行きたい所思いついた」
「何処だ?」
「ふふ。昼と言えばスイーツ。丁度この辺りの時間帯に割引をやってるお店があるのよね。人数割引だから、連れて行ってあげる」
「―――さっきまで怖がってた奴が、また随分と上から目線だな?」
剥き出しのお腹を擽ると、椎乃はお腹を撫でる手を抑えつけながら、身体を激しく揺さぶった。
「もーやだー! くすぐったーい!」
「ほらもっと笑え。笑うんだ」
「あははは! あはははひひひ! あー駄目! ギブギブ! ちょ、立てないから……!」
初恋の記憶が脳裏を過る。
アイツの笑顔にも、同じ眩しさを感じていた。唯一違うのはそのスタンスだ。彼氏は悉く奉仕すべしという価値観は、女友達には適用されない。気軽に笑ってくれるのは、椎乃がそういう子だからだ。俺にはそれが何よりも、嬉しい。
この瞬間だけは、俺も後悔を忘れ。選択は正しかったと確信出来る。
「わーお、奇遇だねー」
「凛!」
「あー。そう言えばそういう設定だっけ……」
話題のスイーツ店とやらに足を運ぶと、ギャル凛と遭遇した。軽薄な印象を出す為だろうが太腿丈のミニスカート、耳にピアスをして、前髪をウサギのヘアピンで留めている髪の毛も普段はストレートに伸ばしているのをわざわざウェーブまで掛けて。何というかいつにも増して気合の入った服装―――もとい軽装だ。
オフショルダーのシャツの胸元は第二ボタンまで開き、衣服を突っ張らせる胸が青色の下着をはっきりと透けさせている。衆人環視の中で見るのは露骨に変態と証明しているみたいで気が引けるが、それにしても周りに居る女子と比べて飛びぬけてスタイルが良いので視線が吸い寄せられてしまう。
なら比較をしなければいいと言いたい所だが、周りには大勢の女子がおり、中には凛と親しそうに話す子もいる。どうしても視界に入るのだから、それは難しい。
「ユーシンってー。こういうのに興味ないと思ってた~! 何々、実は甘党?」
「いや……えっと」
「私の付き添いよ。そういう凛は?」
「友達と食べに来た感じ? ほら、ね。人数割引じゃん!」
そう言って凛は普段の堅物な振る舞いとは正反対の動きで、二人の女子生徒の肩に手を回した。彼女らは嬉しそうに凛を見て「はずかしい~」と笑っている。以前のクラスで親交がある人間ってのはこういう事らしい。
「あ、そうだ~せっかくだし一緒に来た事にする? 割引って五人までだよね~。丁度いいじゃん!」
「……どうする?」
「まーいいんじゃない。私も食べたくてここに来たんだし。財布に優しいならそれに越した事はないわ」
一千万円を手に入れたのにこの節約ぶりだ。やはりあのお金は基本的には当てにしないというか。散財する方面で選択肢に入れてはいけないのか。
「決まり~♪ んじゃいこー!」




