苦くて甘くて空しかった恋の記憶
澪雨と別れると、今度こそ俺達は目的地へ、十分涼しんだつもりだが人間の身体は勝手で、日陰から出た瞬間もう暑くなった。しかし今更澪雨の所には帰れないので予定通り直行する。これ以上寄り道をすると無限に時間が過ぎて行って、気づけば夜になっていたなど笑えない。
「は~あっつ! あっついの何の。エアコンほし~」
「だからってくっつくなよ。俺も暑いんだから」
「いやもう身体支えるのも怠いわ。記録的猛暑よこんなの。早く冬になって欲しいわね」
「でも冬になったら寒いから夏が来いとか言い出すんだろ」
「お~そうかな。そうかも」
椎乃は決して俺に何かを求めない。へその上から服を扇いで中に風を送っている。見えそうで見えない谷間付近に視線が吸い込まれているのは気のせいだ。真昼間に町の構造が変わる様な事は起きないから、よそ見をするだけの余裕があるだけ。もしくは椎乃の楽しそうな顔があんまりにも可愛いから、ついつい見てしまうだけ。
椎乃と、目が合った。
「ん? どした?」
「…………いや、可愛いなって」
「ああ……ああああああああん!?」
暑い暑いと言っているから無理もないが、彼女の顔は真っ赤になっている。しかしその身体はわなわなと震えており、俺は壁に追いやられ、今から脅迫でもするのかという勢いで椎乃は隣の壁に手を突いた。
「な、何言ってんの!?」
「いやあその…………む、昔の名残というか」
「昔の名残ぃ?」
「可愛いと思ったら素直に言えって…………言われたんだよ昔。照れ隠しするのも変だろ。顔見てるだけってのもさ」
そんなに気に入ったなら今目の前で物凄い剣幕で立っている訳だが。これについてはどうしたものか。顔を真っ赤にしているだけで可愛いというのもどうなのだろう。だって彼女は十中八九暑くてこうなっているだけだし。
「…………もう、びっくりさせないでよ。急に変な事言い出すから壁ドンしちゃったじゃない」
「壁ドンって男の方からやるもんじゃないのか………」
「うーん。私はあんまり好きじゃないけど」
気を取り直して、お化け屋敷へ。先程の興奮冷めやらぬ様子で椎乃は何度も頬に手をつけてしきりに顔の熱を確認している。
「……聞かないんだな」
「ん?」
「俺の昔の話。ちょっと身構えてたつもりなんだが」
言いたい訳ではないが、彼女の顔を見ていた理由を正直に述べた以上はどうしても過去を語らないといけなくなる。隠し事とは言っても無理をしてまで隠す程の事じゃない。苦い恋は遠い昔。その傷は癒えずとも、とっくに身体の一部だ。
「ん~。そうね。昔だったら気になってただろうけど、私ってもう死んでるのよね。そのせいかな、昔の事なんて気にするだけ馬鹿らしいなって。昔がどうでもユージンはユージンでしょ。それに、今まで話さなかったって事は、まあまあ気まずい話なんじゃない?」
「…………まあな」
「ならいいよ話さなくて。楽しい時間に水を差すなんてしたくないし」
――――――。
過去は誰だって気になるもの。そう思い込んでいたのは俺だけだったか。自分でもこんな事を気にするなんて下らなくなってきた。
そうだ、昔の話なんて下らない。昔がどうでも今が最高ならそれでいいじゃないか。忘れる為に引っ越したのだから、引きずってどうする。忘れよう。あんな事はなかった。あってはならなかった。頭の中が真っ白になる様な衝撃は人間が知っていい感情ではなかったのだと。
ピロン。
駄弁りながらお化け屋敷に向かっていたら携帯にメッセージが入った。ながら見は衝突の危険性があるので椎乃に牽引してもらう。同伴者の正しい使い方だ。
『日方君。何処に居ますか?』
―――?
『お前から聞いたお化け屋敷に向かってるが、何か用か?』
『町内会の動きが妙なのです。話にはどうも喜平君が関わっているらしく……彼が一体何をしたか心当たりは?』
「…………悪いが、俺は殺してない」
「でも、貴方くらいしかいない。喜平が前までゲームしてなかった事くらい分かってんでしょ」
「……」
莱古と別れてから私は容疑者の一人と待ち合わせて、何処かの会社が使ってるコンテナの間で顔を合わせた。左雲は私が連絡先を知っている事に驚きを隠せてなかったけど、ある程度察したみたい。質問が質問だったし。
「…………お前、何処まで集めたんだ」
「クラス全員分くらいは把握してる。喜平に少し頼れば良かっただけだもの。それで、貴方が殺してないなら誰が殺したの? まさか日方とか言わないわよね? アイツが人を殺すとかないから。そんな奴だったら後輩に好かれる訳もなく」
「だが俺は違う。アイツがゲームをしてなかった事については知っていたが、楽しければそれでいいだろ。来る者拒まずだ。ただ…………妙だとは思っていたけどな」
「へえ?」
「俺はこう見えても他の奴らとだってゲームをする。深夜に決まってアイツらと遊んでただけだ。だが喜平は俺か悠かしか遊ばない……特に悠と遊びたがってた感じはあったな。俺とは共通の付き合いみたいな」
「それだけで妙だとは思わないわ。単なる人見知りの可能性だってある。クラスメイトって言うけど、所詮他人だわ。特に高校は、アイツみたいに外から来る事もあるし」
「……証明は出来ない。もう盗まれたからな。まあ、信じろとは言わん。俺はお前に信じてほしくて来た訳じゃないからな。あんまりにもしつこいからうんざりしただけ。だから率直に言って……喜平が町内会に通じてチクりを行っていた事は知っていた。噂自体は小学校の頃から知っていたが、確証を持ったのは最近だ。悠が転校してきてからだな」
「ふーん。何で?」
「普通に、見たからだ。だが悠に教える訳にもいかんだろ。アイツはいつかの寝落ち通話で言ってたよ。俺は裏切られたから転校したんだって。俺達三人は友達だった。なら喜平が何をしていてもそれを伝えて関係を壊すのは如何な物かな。だからずっと、守ってたつもりだ」
「いいだろ、友達なんだから。俺にとっての一日は四八時間。都合が悪ければもう一回だけやり直せばいい。そうやってずっと、喜平を良い奴だと思わせてきたんだから」
左雲は携帯を取り出して一枚の画像を私に転送してきた。丸い形状に鎖が繋がっているそれは懐中時計だ。頭のてっぺんに歪な形のレバーがついている。
「……これは何?」
「デスゲームが終わった頃にはもうなくなってた。白い仮面と白いコートを着た奴が、多分持ってると思う。少なくとも『前回』はそいつが奪った」
「誰? ていうかデスゲームって何?」
「デスゲームの噂を調べてみろ。俺から言えるのはそれだけだ。『今回』の事は覚えてないが、俺は行動を変えてないからな。きっと今回もやったし、奪われたんだろう。俺の話を信じるかどうかはお前に任せるが、それを見つけられるなら信じられるんじゃないか」
「…………」
とてもとても信じられない。そう言いたい所だけど。確かに私も記憶を失っていて、私の知らない内に喜平が死んだのだから、何かあるのだとは思っている。これでも点数を稼ぐ為なら手段は選ばない。気軽にやり直せる方法があるあら、たとえそれが嘘だったとしても一旦は追いかけたい。
「ありがと。黙っておくわ」
「…………結局何が目的なんだ?」
「私は点数が欲しいだけ。使える手札は多いに越した事ないわ。例えば、あの日方は平常点が満点だ。絶対何か秘密がある。貴方が使ってたこれがあればそれもやりやすいでしょ」
そう。あり得ない。
澪雨以外が満点なんて。
分からないというのも嘘だ。
アイツは絶対。隠し事をしている。




