女友ラバー
「うおーい! それ私のコインなんですけど!」
「このゲームは足の引っ張り合いだぜ椎。しかし悪いが、それはそれとしてお前の再起を防ぐためにこいつは貰っていく。素寒貧にしてやろうじゃないか」
「だーもう! そんなに言うならデュエルよデュエル! これ実は有り金無視して賭けられるのよね。おら、徴収しろ!」
「……お前、死にたいらしいな」
深夜二時。
今日は会議もやめて、椎乃の家に上がり込んでいる。学校の事なら心配しないでも、昨日から夏休みだ。
「―――だああああああ! まっけたあああああああああ! ぐやじいいいいいいいいい!」
「へっへーん。神様はいつだって私の味方なのよッ。思い知ったかー!」
「うわあああああ。勝者には何も言えないいいいいいいいい!」
「勝った者が正義ナノデース! ユージンってよわーい!」
煽り煽られ、熾烈な戦いの先に待っていたのは屈辱的な敗北。コントローラーを置いて床に寝転がると、椎乃は覆い被さってウザ絡みを続ける。
「ふふふっ。やっぱ不確定要素のあるゲームはユージンに勝てるから楽しいねー。もう一戦やりましょ? 運で負けたとか言い訳されたくないし、今度こそ完膚なきまでに叩きのめしてやるわ!」
「……もーむり。萎えた~。あーもう今日は運を使い果たしたから仕方ないかなー」
「あはは。ユージンから負け惜しみ言わせちゃったよ私。マジ最強? あー楽しー」
椎乃の両親は、自分の娘が死んだ事を知らない。
それに男友達を家に呼んだのも初めてらしい。かといって過剰に色めき立つ事もなく普通に歓迎してくれた。一年生の頃に仲良しだった話を娘からずっと聞いていたそうな。
俺が遊びに来たのがそんなに嬉しかったのか、椎乃は緩く藍色のパジャマを着て、無防備に太腿まで綺麗な足を放り出し、寝間着としての短パンを隠そうともしない。目のやりどころに困るかどうかと言われると凛や澪雨程じゃない。外が熱帯も斯くやという暑苦しさだからか決まって家に来る時はブラウスを胸元まで開けさせて、扇風機で涼む時にはわざわざ手で谷間を開いてまで風を入れようとする。
凛は脅迫材料を手に入れる為、澪雨は単なる世間知らずとして。椎乃は常識的なのでそんな事はしない。エアコンがきちんと効いているなら別に暑くもないし、至って健康的に過ごせるという理屈だ。
「……んー。風呂はもう入ったし、もう寝る? たまには早寝してもいいわよね」
「深夜二時で早寝は大分生活が終わってるな。肌荒れとか大丈夫なのか?」
「だいじょぶだいじょぶ。他の子だって家じゃ結構夜更かししてるけど、お肌ツヤツヤでしょ? 肌荒れがどうとかってテレビじゃ見るけど、この町じゃ見た事ないのよね」
―――ムシカゴの仕業か?
基本的に夜更かしが良くないのは健康上、もしくは人体の生活サイクル上の問題だが、ムシカゴでそれらが解決しているなら確かに何でもないのか。なら眠気もどうにかして欲しいが、無限に眠いだけで体が健康というのもそれはどうなのだろう。一種の生殺しなのではないか。
「…………今日も同じベッドで寝る? 一応、違うベッドも用意してるよっ」
「……凛や澪雨でも居たら、違うベッドを選んだんだけどな。やっぱお前と寝るの楽しいから、同じベッドで」
「寝るだけで楽しいってなーにそれ。ふふ、ユージンと寝るまでなんか指遊びしてるから? 他の子だったらえっちーとか騒がれても文句言えないわよ。逮捕略式裁判につき死刑」
「まあ澪雨に同じ事言ったら本当にそうなりそうだが」
「澪雨にもやるつもりだったってまーじー?」
同じ布団に入ったからって、別にいやらしい事はしない。ただ同じ布団で眠っているだけだ。説明するのも馬鹿馬鹿しくなるくらい、普通に眠る。お互いの顔を見ながら。
―――安心する匂い。
「ユージン。ネエネって誰?」
「………………誰からだ」
布団の中で椎乃は伏し目がちに目を逸らす。気まずそうに頬を上げると、申し訳なさそうに枕に顔を埋めて言った。
「何処かの変態さんが髪の毛の中に鼻突っ込んでスンスンしてた時って言ったら分かるよねー」
「………………起きてたなら言えよな」
「ごめんねー。あんまり夢中だったから気まずくなっちゃって。それで……教えては、くれない?」
「…………昔、転校する前。小学校の数年間くらいだな。俺の家に住んでた女性だよ。俺はネエネって呼んでた。ネエネも、俺を弟の様に愛してくれた」
「名前は知らないの?」
「ずっとネエネって呼んでたからな。凄く優しくて……頭が良くて、強かった。親に怒られる時なんかいつも庇ってくれたし、逆に叱る時も両親みたいに頭ごなしじゃなくて、なんか……妙な気分だった。俺にとってネエネは……安心の象徴なんだよ。丁度お前が変えたシャンプーを使っててな………………待て。もしかしてそれが理由で変えたのか?」
「あ。バレたか」
……………………。
何とも言えない表情を返してしまう。関係に亀裂が入る程でもないが、気まずい雰囲気を崩す為に彼女は茶化し気味に微笑む。
「や。違うのよ? ネエネって人の事は知らないけど。そんなに好きな匂いだったんだなあって思ってさ…………嗅ぎたければ、嗅げば?」
「……じゃ、じゃあ。失礼します……」
布団で更に身体を覆い隠す。椎乃がわざわざ顔を近づけて髪の毛を差し出した。首と肩の隙間に鼻先を差して匂いを嗅ぐ。何故言われてからやろうとするのか自分でも良く分からないが、ネエネの匂いがそうさせたのかもしれない。
元々ここに来たのは、喜平を殺した罪悪感を少しでも忘れる為だ。
実際、薄れた。
でも忘れてはいなかった。忘れられなかった。これからも忘れる事はない。積み重なる事はあっても、絶対にあり得ない。それもこれも、目の前の彼女を生かす為だ。俺の我儘で勝手に生き返らせた。死んでほしくないと思ったから何を代償にしてでもと考えた。
辛いなどという権利はない。選んだのは、俺だ。
「…………ユージン、私はそのネエネって人の代わりにはなれないけど、でも思い出させる事くらいは出来るからさ。今度不安になったら、いつでも抱きしめていいのよ」
「……え?」
「ほら、私一回死んだしさ……アンタが生き返らせてくれた訳だし。いいじゃん。少しくらい、アンタの為になる様な事しても」
「…………………元はと言えば俺が悪い。そこまでしなくていいんだぞ」
「元はと言えば、『予言』なんかに振り回された私が悪いんだよ。そーいうのはお互い様よ。ほらほら、甘えるなら今の内よ」
「甘えるって。もうそんな年齢じゃ」
「友達の前で嘘は良くないな、ユージン。私は別に、アンタの恋人でも何でもない。ただの女友達。アンタってさ、その場での格好悪さとかちょっと気にするタイプでしょ? だったら今の内に発散しましょうよ。うん、大丈夫。全部見なかった事にするから」
布団の中で、椎乃の手が背中に回る。エアコンの冷気など感じなくなるくらい熱烈に、深く息を吐いて、彼女は崩れた笑みを浮かべた。
「夏休みは始まったばっかり。色んな思い出、作ろうよ」




