最期の選択
章終了です。
「…………う……なん、え?」
目が覚めると、見知らぬ建物の中で倒れていた。口の中に何か甘い物が入っている。吐き出そうと思ったがこの甘さは口の中に張り付いて離れない。これを吐き出そうとすると何か水分が必要な上に、別に不味くないのでそもそも吐く必要があるのか。
左目の疼きが、収まっていく。
「ふー。危ない危ない。いやあどうなるかと思ったけど……ユウシン君が無事で何よりだよ」
ディースが四つん這いのまま俺の顔色を見ている。格好に違いはない。革ジャンにスカートに指ぬきグローブ。隣で腕を組んで立っているのも不審者だ。やはり格好に違いはない。
―――ゆ、め?
「そろそろ儂は限界ダ。早く……首ヲ。ああ、儂は。もう飢餓など味わいとうないナ」
「…………惹姫、様?」
位置関係からして、俺を起こしたのは椎乃の身体を借りたお姫様だろうか。無気力な笑顔はいよいよそれさえ通り越して空虚だ。お腹の音こそならないが、今すぐにでも頬がやせこけそうな雰囲気は感じる。椎乃の身体を奪った姫様は俺の肩に手を置くと、力のない挙動でぐらぐらと身体を揺さぶった。
「はーやーくーだーセー」
「いや、あの。え? ちょ、ええ? えっと……」
「誰も死なないデスゲームの正体は、単なるシミュレーションだ。良かったな、現実でなくて」
まだ困惑で盛れた単語の羅列しか発していないが、不審者が早々に状況をかみ砕いて教えてくれたので何とか落ち着く事が出来た。携帯を見ると現在時刻は午前四時。もうすぐ朝になるが、ギリギリ深夜とも呼べる微妙な時間帯だ。
「…………お前の仕業か。もしかして」
「そうだな。ウチの持ち物を盗んだ不届き者にお灸を据える意味で巻き込んだ。もう回収は済んだから用済みだ」
「持ち物……?」
「知る必要はない。そんな事よりお前には考えるべき事がある筈だ。デスゲームの正体は確かに昏睡状態に落とした精神を閉じ込めただけだが、それを夢と一蹴するのはどうかな。全員が同じ夢を見ていたんだ。言っただろう、シミュレーションだと」
「この人回りくどいから僕が答え言ってあげるけど、ユウシン君はさっきまであれを現実だと思ってたよね。他の皆もそう思ってるから、あそこで取った行動は再現行動……同じ状況になったらああするという証明だよ?」
「…………お前は、不親切だナ。話を聞いている場合なのカ」
「―――ああもう! 惹姫様は黙っててください! 俺はもう頭がおかしくなりそうで……必死に整理してるんですから!」
「しゅン」
同じ状況になったらああする……シミュレーションというくらいだから当たり前なのかもしれないが、信じたくない言葉だ。だってその言葉を信じてしまったら、喜平は……澪雨は…………柊木は…………。知りたくもなかった瞬間を垣間見たみたいで、非常に気まずい。
「―――と、とにかく。えっと。あ。そうだ。全員、死んでないん……だな?」
「誰も死なないからな」
「………………そ、そう、か。何処に居る?」
「上の階に並べてあるが、行くなよ。せっかく先に起きたんだ。もう少し話をしよう。左目の飢餓が原因で目が覚めるとは思わなかったが」
……すると、俺が目覚めたのは全くの偶然? 椎乃が起きているのは……本人と関係ない姫様が身体を乗っ取ったから起こしたのか。ああ、だから……デスゲーム内で柊木は椎乃が消えたと言っていたのか。
少し考えれば辻褄が合っていく。ゲーム内の『告発』で部外者の二人だけ情報が無いのは犯人がこの二人だからだ。当然、自分の情報など開示する訳がない。それ以前にデスゲームが始まった時、俺は眠っていた所から起きたのだから、まず夢と疑う事だって出来たのではないか……夢ではなくシミュレーションらしいが。体感としては夢だ。
しかしそうなると、やはり澪雨や喜平の反応も真実という事になってしまう。説得力が生まれるといよいよもって信じにくい。デスゲームがシミュレーションなら喜平を嫌う理由も澪雨を軽蔑する謂れもないのだが、このままだと俺は一方的に気まずくなるばかり。
「……ディース。シミュレーション内における行動は再現だって言ってたな。お前達が出鱈目な設定を吹き込んだとかじゃなくて…………本当、なのか?」
「残念ながら? いや、幸運にも? 僕には判断出来ないけど、本当だよ。幾らシミュレーションでも本人は現実だと思ってるんだ。持ってる情報、発した言動、状況別における精神状態。全て変わらない。だからデスゲームじゃないけど同じ様に追い詰めたら君が見たような光景が現実になる訳だ」
「………………不審者かディースか知らないけど。その持ち物をパクった奴は誰なんだ?」
「デスゲームを思い出せば分かる筈だ。わざわざ教えてやる義理はない」
「義理はあるんだけど、これも仕事なんだ。ごめんね? 本当はあんまり干渉しちゃいけないんだけど、どうしてもって」
「ディース」
「はいはいはいはいはいはい。ギブアップ~。もう言わないから許して、お願い♥」
ディースはデスゲームの内でも外でも相変わらずだ。お気楽な雰囲気がどうにも肩の力を抜かせてくる。夜に平然と外出している時点で彼女もまた只ならぬ事情を持っているのに。果たしてこの不思議が可愛さに由来するなら、可愛いは正義という事か。
「……さて。想定外の方法でデスゲームから抜け出したお前達に、私から最後のゲームだ。ヒメ様の空腹も限界みたいだし、お前としても早い所解決させた方が良いだろうからな」
「…………?」
不審者がコートのポケットから試験管に詰められた白い溶液を取り出した。
「これは記憶を溶かす薬だ。厳密に言うと脳みその一部をほんの少し変化させて記憶能力その物を悪化させる薬なんだが―――途中で起きたお前達にはまだ投与していない。一方、上でのんびり眠っている奴には全員投与するつもりだ。投与された奴はデスゲームの事を綺麗さっぱり忘れてしまう。今回の出来事は全て途中で起きたお前達だけの中に残る事となる。それはいいんだが……」
「だが?」
「お前は、このまま全員が生きて帰っていいとは思っていないな」
「………………」
「五分もすればデスゲームは終了する。勝敗はどうあれな」
椎乃にはまだ生きていて欲しい。
凛は殺したくない。
そして何より、今は夜。このまま目覚めれば、俺達は大人数で秘密を抱える事になる。誰か一人が秘密を洩らしただけで簡単に瓦解する様な秘密だ。それはもう秘密ではない。デスゲームの記憶が無くなっても今この瞬間が夜であるなら関係ない。誰か一人が己が身可愛さに俺達を売れば、澪雨と凛までまとめて一網打尽だ。それは夜更かし同盟の一員として、あってはならない事。
「…………………………………………………」
「手を汚したくないなら、私が代わりにやってもいい。今回、お前達は被害者だ。それくらいはしてやるさ」
「ユウシン君は特別扱いか。ちょっと嫉妬しちゃうな~」
「殺人の選択肢を強いたのは私だ。ヒメ様にでも頼らないと友達が救えなかったのも確かだった。ならこれくらいはするさ」
「…………………………………………………………ナイフ。貸して…………………………ください」
不審者に向けて手を出すと、大型の狩猟用ナイフを手渡された。
「辛いなら代わってもいいんだが……そこまでして人を殺したいか?」
「………………………………………俺と、椎乃と……惹姫様しか覚えてないんでしょ」
「儂は知らないナ。お前、もしヤ……」
「……………………夜更かし同盟がどうあっても壊れる………………こわ、れるくらいなら……………………証拠隠滅、しないと。椎乃が、死んじゃう。澪雨が。凛が。みんな、みんな俺のせいで死んじゃう。俺がやらないと。俺が。俺が。俺が。脅迫されてるから、仕方ない」
「ようやく、カ。この際、味には目を瞑るんだナ。早く、儂に鮮首を渡セ。首は幾つあっても困らぬヨ」
人を殺せば、戻れない。
俺の日常は、永遠に幻へと消える―――
夜更かしは好奇心から生まれる。
夜更かしには種類がなく、俺達はそれらを纏めて『夜更かし』と呼ぶ。
夜更かしは全て、ハイで無意味な非効率。
夜更かしをしていて、まともを謳ってはならない。
夜更かしをしている時、常識的な規範を考えてはいけない。
夜更かしは咎められるべきである。
夜更かしは戒められなければいけない。
夜更かしは続いてはならない。
――――――それでも、構わないという気がした。
日方悠心は脅迫されているのだから。
「………………」
「………………」
デスゲームに関する記憶は全て失われた。後に残ったのは漠然と夜に外出したかもしれない曖昧な記憶と、長谷河喜平が死んだという事実のみ。
「私……何で貴方に『輪切りねし』の事教えたんだっけ。何か知ってるかしら」
「俺も覚えてないよそんな事。お前の脅しについてももう忘れた。『輪切りねし』なんて怖くも何ともない。本当にどうでもいい話を聞いた気分だよ」
輪切りねしという謎の怪異については不審者に教える事で難を逃れた。どうせ手伝ってくれるならこっちの方がいいと頼み込んだ結果だ。アイツが死のうが死ぬまいが俺には知った事じゃない。不審者だし。本人も『その程度でいいのか……』とやや動揺していたし。
「……ま、いいや。それで? 体育館なんかに呼びつけた理由は何よ。下らない用事だったら先生に適当にチクるから」
「何でお前。そこまで平常点に固執してるんだ?」
彼女を殺さなかった理由は、ただその一点に尽きる。喜平を殺した理由は、『知られたくない事』の為に無二の友人さえ手を掛けてしまう、ただその一点に尽きる。あれ以来、サクモは元気がない。自分が殺された事などすっかり忘れて、何故死んだのかと今日一日はずっと曇っている。
「…………は? 貴方、知らないのね。平常点が私より高いのに。澪雨と同じ点数なのに」
「もう嫌味はたくさんだ。教えろよ。どうしてそこまで固執するのかさ。別にそれを教えた所でお前の点数が下がる訳じゃない。むしろ人助けしてるんだから上がると思うぞ」
「…………思うなんて言われても、信じられないわ。どうせなら保証して」
「そうだな。保証するよ。平常点が高いお陰で先生に口利き出来るんだ。満点まで引き上げるのは無理でも、少しは上げられる。プール掃除の件も報告してやれば結構いけると思う」
「………………なら、手伝った甲斐も生まれるか」
壱夏は体育館全体を見回すと、しきりに人の気配を気にしながら舞台袖の体育倉庫へ。ついていくと直ぐに鍵を閉められ、念入りに俺の耳元でだけ呟いた。
「平常点は普段の生活からも審査されるの。それで影響が学校だけなんておかしいでしょ。あれはね、町内会が決めたボーダーラインよ」
「ボーダーライン?」
「この町で生きていくにあたって決まりを守る、健康的で優等生で、大人の言う事に対して何の疑いも持たずに生活できるかとか、そういうの。ここまで両親に聞いた。ここからは私の想像だけど、正直確信してるわね」
「時期は不明だけど、一定ラインを下回った生徒は必ず行方不明になる。転校とか家の都合とかそんな理由を付けてね。そりゃ固執するわよ。こんな曖昧な基準がいつ引き上げられるかも分からない。点数が低ければそれだけ死ぬ可能性が上がるんだから」
ツイッターにて人気投票中。




