岐路の悪夢
自分でも反省しているが、俺はかなりその場しのぎの対処ばかりしている。根本的対処をする為の知識が圧倒的に足りないのもあるが、最近は何かと堪えるのも難しいような事ばかり起きて、心がどうにも疲れている。
今だってそう。逃げるだけ無駄な可能性の方が高いが、とりあえずクラスメイト同士が醜く争う光景が見てられなくてとりあえず引き離した。後の事なんて何も考えていない。これで状況が何の進展も見せなかったとしても俺に責任はないだろう。分からない物をどうにかしようとしているだけ、見苦しいあがきという奴だ。文句が付けられるならそれ自体無駄だったという事になる。
「で、連れてくるのがこことか正気じゃないわね」
「う、うるさいなあ。思いつかなかったから仕方ないだろうが……」
出来るだけ危険物がないような場所と言われても人間社会はその気になれば凶器になる物ばかりだ。相対評価でしかないが何もない事で有名な多目的室に連れてきた。黒板と壁と窓と棚くらいしか物がなく、多目的というよりは無目的教室だというのは有名な話だ。一応体育祭の時や文化祭の準備で使う事はあるのだが、そういう時でもないとやっぱりこの教室の使い道は殆どない。
「何で助けた? 平常点は貴方には不要な筈だけど」
「さっきから平常点平常点って………俺を多少なりとも見てたならちょっと分かるだろ。満点に心当たりなんてないんだ。そんなにコツが利きたかったら澪雨に聞いてくれ」
「目立つって言わなかった?」
「言ったし、聞いたけどな。確実な道だとは思わないのか? まあ聞かなくても見てりゃ満点なのは何となく分かるって言われたらそれまでだけど。成績も素行も良いしな」
「違うでしょ。木ノ比良の娘だからよ。平常点は普段の生活も含めて評価されるんだから」
「それは……ずっと勉強漬けって意味で言ってるのか? それとも依怙贔屓されてるみたいな」
「依怙贔屓に決まってる、じゃなきゃ満点なんておかしいわ」
依怙贔屓……本当にそうだろうか。依怙贔屓で何とかなるなら塾や習い事になんか行く必要はない気がする。あちらの裁量でどうにかなるのなら頑張らせる必要もないし、それを強いる必要もないし、澪雨が嫌になるくらい縛る意味なんてないだろう。
「それは……どうなんだろうな」
「そうに決まってるわ。少し考えればわかる事よ。満点なんてどうすれば取れるの? それなら私はどうして満点が取れないの? 何故私の努力は不当に評価されないの?」
「自分が取れないからって満点がおかしいってのは随分と暴論だな。お前は自分の行動が点数を加算するに値するって絶対の自信を持ってるんだな。そりゃ結構だけど、澪雨があり得ないなら俺なんかもっとあり得ないだろ。しかも俺は家柄なんて物は皆無だ。ちょっと前に転校してきただけの奴だからな。満点が依怙贔屓してるに違いないってんなら俺は何だよ。依怙贔屓を上回る優秀さだとでも言うつもりか?」
「…………随分澪雨の肩を持つのね」
「自分の想像外だからってその原因は贔屓って論法はあんまり好きじゃないだけだ。努力くらいは素直に認めろよ。澪雨だって嫌がってるよ。嫌がってるけど頑張ってるんだ。その結果が満点なら多少不服でも認めてやるべきなんじゃないのか?」
「………………へえ。随分澪雨の事情に詳しいんだ」
二人きりでなければ。否、二人きりでなくともとんでもない失言だ。敵視ではないがここまで澪雨についてやいのやいの言われると少しは言い返したくなるという物だ。別に、ここで言い返さないと全面的に彼女の名誉が失われる訳ではない。所詮は俺の自己満足に過ぎないと言われれば本当にそれまで。
本当に、やった。
「…………あれだ。勉強好きな奴なんていないだろ」
「動揺したな、随分と」
「……」
「もしかして、それが満点の秘訣だったりするのかしら」
ああ、やっぱり俺はその場しのぎの男だ。事態をかえって悪化させた。壱夏を助けたかっただけなのに、その彼女に追い詰められている。何故こうなった? 俺は何処で間違えた? 善意が裏目に出たとでも言うつもりか?
多目的室を小馬鹿にしたのだから何となく察しもつくだろうが、こんな場所に足を運ぶ人間は居ない。陰気な性格故にクラスで孤立というのも存在しない。例外は澪雨だけだ。だから鍵なんて掛けずともここは実質的に密室であり、また逃げる訳にはいかない。澪雨との関係がたとえ邪推でも広まれば、行動は大きく制限されてしまう。
「貴方って顔に出やすいのね。本当にそうなんだ。へえ」
「…………いや。待て。違う。違うぞ俺は」
「取引しようか」
身に覚えがないなら拒否すればいいのに。その言葉から先を聞いたのが何よりの答えだったかもしれない。壱夏は多目的室の扉を閉めてから、俺の耳元で囁いた。
「私達全員を襲ってる奴の情報、教えてもいいよ。その代わり―――」
「――――――! お前、何。言ってるんだ?」
その要求は、まともではない。平和な世界に生きる人間が思いついていいような対価とは思いたくない。何が最悪かって、これは取引という名の命令、或いは強制、それとも使命? 表現は何でもいいが、とにかく取引を呑まない選択はない。
だって俺達には、命が懸かっている。
タイムリミットは不明。一時的にリミットを解除する為のキーも不明。現状デスゲームが有力だが、その情報は断片的な物でしかない。何故彼女が情報を知っているのかはともかく、教えてくれるというならそうしてもらうべきだ。
命には代えられない。
俺だけならまだしも、澪雨と凛の命も込みで。その天秤は揺らがない。
「……………………………………………………………………………分かった。分かったから、教えてくれよ」
承諾こそ俺と澪雨に関係が存在する何よりの証拠。頷かない訳にはいかなかったが、頷いたが最後、俺は詰んだ。壱夏に弱みを明け渡してしまった。
「―――じゃあ、話してあげるわ。『輪切りねし』の事」
―――は?
「ちょ……ちょっと待った。『誰も死なないデスゲーム』の事じゃなくてか?」
「それは知らない。デタラメじゃないの? 大体誰も死なないデスゲームって言葉として矛盾してない?」
「………………ごめん。ちょっと待って。ちょっと。考えを整理させてくれ」
どういう事だ。凛が耳にしたデスゲームの噂こそ次に俺達が立ち向かうべき存在ではなかったのか。『輪切りねし』なんて聞き覚えがない。頭がこんがらがってきた。俺が立ち向かうべきはどちらなのか。両者が同一という可能性は低いだろう。もし同一存在なら壱夏の言い方に悪意がある。
俺は、どちらを追うべきなんだ?
デスゲームと『輪切りねし』。何故二つもおかしな話が出現するのだろう。それともこれが怪異毒が起こす異常だと。俺を殺す為の呪いだから、こんなにも理不尽なのか?
「いい? 話して」
「ああ。うん。大丈夫……大丈夫だ。話してくれ」
『怪異毒は、本来あるべき呪い―――お前を殺す為の呪いダ』
たった一夜の過ちで、何故俺はこうも報いを受けないといけないのか。たかが夜に出ただけで、少しこの町の仕組みを知っただけじゃないか。




