カイコドク
「…………なんか、喋り方おかしくないですか。貴方って、『口なしさん』の情報を教えてくれた人でしょ?」
「肉体を得ればこうもなるサ。……重いのナ、ヒトの肉ハ」
喋り方は大きく違うが、これは恩人とも言える存在に間違いないだろう。興味深そうに自分の身体を見回して、ぺたぺた触ったりしている。と思いきや、目の前で自分の胸を触りだした。
「な、何してんだ!」
「確認。何ダ、儂の憑巫に興味があるのカ」
「………………」
特別な力とかは一切働いていないが、見せつけるように念入りに自分の胸や腰、うなじを触る椎乃に釘付けだった。本人が絶対しそうにない行動だから物珍しいのだろうか。自分の事なのに客観視が出来ない。そしてこの謎の存在はただ本当に身体を調べたかっただけな様だ。一通り触って満足すると、ぼろぼろの鳥居に背中を預けて目を瞑った。
「ここは狭いナ。次は外で貸セ」
「俺に言われても…………じゃなくて! えっと。なんて呼べばいい…………ですか?」
椎乃の身体が目を開く。無気力そうな視線には微塵も敵意を感じられない。
「惹姫様」
「…………え?」
「儂が惹姫様だナ。貴様らの相手していた『ヒキヒメサマ』は紛い物。儂が大人しいのを良い事に、騙りを行った愚か者ヨ」
「いや………………え? えっと……え? ちょ、待って。全然理解が……じゃ、じゃあ予言は? 予言っていうか……助言。いや、もう何でもいいけど。言う事を聞いたらとりあえず良い方向に転がる的な話はどういう―――」
「口なしさんは耳が良いト。カイコドクは始まったばかりだト。死にたくないなら扉を開けろト。ずっと言ってきたナ?」
――――――言われてみれば、その通りだ。
『口なしさん』を退ける事に成功したのはコイツもとい惹姫様からの情報があったからだ。『口なしさん』との突発的な遭遇を回避出来たのは惹姫様の指示に従ったからだ。言う事を聞けば良い方向に転がる。確かにその通りじゃないか。あんなに予言とやらを嫌っていたのに、俺が一番その恩恵に与っているなんて。
「え、えっと。惹姫様。色々聞いてもよろしいです、か?」
「約束を忘れるナ」
「え?」
「コドクの夜に、鮮首を。儂は腹が減ったんだナ。闇夜に潜む害蟲に横取りされてばかりダ。首が欲しイ」
―――この人も、何か知ってるのか?
すると、やはり不審者が何故知っているのかについて改めて疑問が浮かんでくる。ともあれ惹姫様にあの不審者の情報を求めても望んだ成果は得られまい。不審者という概念がまず曖昧で主観的で、中身がスカスカだ。せめて名前だけでも分かればいいのだが、聞いた所で教えてくれそうな雰囲気はない。
「惹姫様―――カイコドクって何ですか?」
「蚕蟲毒、または怪異毒。読んで字のごとく、怪異を用いた呪いだナ。そもそもお前は、蟲毒を知っているのカ?」
「えっと…………たくさん蟲を入れて共食いさせて、生き残った一匹を祭ってなんか色々するみたいな……」
「蟲は虫けらのみを指さず。此町のコドクは主に無病息災、願望成就、子孫繁栄を主に行われているナ。犬神に近いと言えば分かるカ。他方で怪異毒は怪異を蟲に見立てた呪いヨ」
「えっと……ちょっと。整理させてくださいね。話を纏めると……その蟲毒ってのを行ってるのが木ノ比良家って事でいいんですね?」
惹姫様の首肯を見て、話を続ける。
「怪異毒が、怪異を蟲に見立ててるっていうのはつまり……材料みたいな事ですよね。呪いの材料。それで蟲は生物図鑑に乗っかってるような虫だけを指す訳じゃない。だったらこの町の蟲毒は何を材料にしてるんですか?」
「ヒトの子」
質問には律儀に答えてくれる。だが惹姫様は怠そうだ。空腹のせいかもしれない。
「ヒトの子……人間の子供?」
「今代の巫女は生き残りだナ。正に生き残り、コドクの女ダ。この女が儂の憑巫であるならば、ヒトを用いたコドクの憑巫こそ巫女の役割ヨ」
「…………………………」
何故知っているのか、と尋ねるべきか。
わざわざ身体を一時間貸せと指定してきたのだ。何故知っているのかと言われても本物の惹姫様なら何かこう歴史みたいな物があるのだろう。その辺りを明らかにする事で一体誰が得をする。ほんのちょっと俺がスッキリするだけではないか。こういった質問は先に知りたい事を全て知った上で補足情報として聞くべきだ。
「分かりました。人間蟲毒の生き残りが澪雨だって話ですね。じゃあすみません。怪異毒ってのは一体何なんですか? 怪異が材料なのはもう知ってます。でも惹姫様は俺と凛に『怪異毒はまだ始まったばかり』って言いましたよね。思うにこれは……俺達についてる痣の事だ。だけどそんな物に参加した覚えはないんです」
「………………腹が、減ったナ。今日は戻るとしようカ」
「へ? あの、ちょっと待って―――! まだ予言の件とか色々聞きたい事が」
「怪異毒は、本来あるべき呪い―――お前を殺す為の呪いダ」
「何か分かった? 私、意識飛んじゃってたみたいで」
「………………」
あの井戸の中は時間の流れがおかしいのか、それとも俺が狂っているだけなのか。確かに一時間経過している。夜空は段々と白んできて、もう椎乃には帰ってもらわないといけない。だからこうして、送り届けている。
「腹が減ったらしくて逃げられた。もっと知りたい事あったんだが…………機嫌を損ねたら教えてくれなさそうだ。空腹を何とかしないと駄目かもしれない:
「お腹空くのっ? だったらお供え物でも買ってくれば解決っしょ」
「いや……その。特別なお供え物だからな。おいそれとは捧げられないっていうか」
椎乃には言えない。誰かの生首を捧げるなんて。それは人間の倫理として大いに間違えている。だが俺だけは従わないといけない。そもそも彼女の状態は良く分からないのだ。惹姫様の機嫌を損ねて契約が破棄された瞬間、死んでしまうかも。もう一度言おう、何もかも分からない。分からないから最悪の状況を想定している。惹姫様の機嫌一つで椎乃がまた死んでしまうかもしれない状況こそ何より最悪なのだ。
家の前に到着した。彼女は自室の窓から外へ出たらしい。玄関から起用に壁を上って、屋根に足をかける。
「お休み、ユージン。もう殆ど朝みたいなもんだけどね」
「……ああ、お休み」
手を振ってきたので小さく振り返す。急いで戻らないと俺の外出がバレてしまう。そんな事はどうでもいい。問題は学校生活の何処で睡眠時間を確保するかだ。明日奇跡が起きて休日になってくれたら遠慮なく惰眠を貪るが、そんな祝日はない。
ああ、朝と昼と夕方がこんなにも憎らしく感じるなんて。もう俺は手遅れなのか?




