初恋ラプソディ
深夜であればいざしらず、まだ夜になって間もない頃合いだ。外に出ないだけで起きている人間は幾らでも居るだろう。そんなリスクは度外視で、俺は謎の不審者と共に部屋着のまま夜を駆け抜けている。
『という訳なんだが、来られるか?』
『……流石にこの時間帯は難しいですね』
『…………そうだよな。お前が駄目なら澪雨は聞くまでもないか』
『―――しかしその話が本当ならば、タイムリミットが近づいていないのはおかしな話ですねー』
『は?』
『ヒキヒメサマが再び時限爆弾を起動させたと見るのが自然な見解であった筈。しかし現状、そのような痛みは感じておりません』
凛の疑問は正しいが、だからといって行動しない理由にはならない。ゲーム友達が一人居なくなる。それは俺にとってどんな物を天秤にかけようとも譲れない大切な関係だ。タイムリミットがこれと全く関係ないならそれはそれで良い。今までの調査が全くの無駄骨だったとしても、その時はその時だ。これの謎と引き換えに彼女の命が失われるくらいなら、手探りでも自分達で解き明かしてみせる。
『どうやっても私の方では出られないでしょうが、ネット等で探ってみます。預言者がもしかしたら何か漏らしているかも』
『頼んだ!』
電話を終わらせて再度ペースを考えない全力疾走に戻る。これは遊びでもないし競技でもない。ペース配分などと素人の俺が呑気な事を考えていたら間に合うものも間に合わない!
「なあ、お前は何処まで知ってるんだッ!」
「走ってる最中にお喋りとは随分余裕があるみたいだな。黙って走れ、途中でバテても置いていくぞ」
そういう不審者は仮面越しで呼吸しにくいにも拘らず息を切らさない。だからこいつは本当に何者なんだ。言い方が癇に障るので反論したい気持ちはあったが、喋る余裕がないのも事実だ。色々聞きたい事があっても今は時間も体力もない。お預けだ。
「子供の首を絞める手段に出る親がまともとは思わない。お前は正当防衛をしたに過ぎないさ。身の危険を感じるなら誰でも反撃するだろう。法的な解釈をちゃんとするなら母親にも手を出してるから成立はしないだろうが、知人の命が懸かっているんだ。別にお前は悪くない」
「………………」
「おっと、慰めている訳ではないぞ。ただ暴力だからいけないという脳死はこれから先困ると言いたいだけだ。勝手にトラウマになったらそれこそお前の首を絞める結果になる。もうすぐ到着するが、再度言っておく。他人から聞いた予言には従うな。どんな事があってもだ」
そんなの、分かってる。
大通りに出ると、隣を走っていた筈の不審者が姿を消した。
「……は? え? えええ?」
視界の端に姿は映っていた筈だが、ワープでもしたみたいだ。一人取り残されて何をしていいかが分からなくなるものの、田舎にしては大きな建造物は、大学以外の何物でもない。正面口を探すのが面倒なので塀から直接侵入する。
異様な光景が、正門広場に広がっていた。
ランタンを持った大勢の人間が、行列を為して歩いている。それはまるで何処かに糸があって操られているかのよう。或いは徹底的に、人格を排除されてまで生まれた軍隊か。見知った顔もあれば知らない顔もある。年齢制限はない。足腰の弱そうな老人も、物事の何たるかも分からなそうな三歳くらいの子供も一律に歩いている。また、全員の眼はドロッと淀んで、焦点が合っていなかった。
「………………」
初めて、というか予言にはそれ以上の影響力はなかったのでは、と思う。だが実際に目の前で起きているのはあまりに奇怪な儀式……? 否、その前準備か。どうやって止めればいいかも分からないし、そもそもこれは何を目的にしているのか。俺には情報が足りなさすぎる。不審者が隣に居れば何をすればいいか聞けたかもしれない。いや、聞くべきだった。それは間違いか?
アイツがここに居ればいいだけの話じゃないか! 何で消えた!
途中で居なくなると分かっていたら聞いていたのにあの野郎!
―――落ち着け。
椎乃は何処だ?
ライトなんて持ってきていない。何故暗い所を走れたかと言えば、あの不審者の仮面が白くて目だったからだ……何でアイツはライトもなく走れたのかは謎だが、そんな目印を失った今では集団の持っているランタンだけが頼り。おまけに左目が使えない。
こんなコンディションと環境で目当ての人物一人を探せるのかと言われると難しいが難しいだけだ。列に近づいていくと、見知らぬ中年男性が俺に向かって叫び声をあげた。
「た、助けてくれええええええ!」
「え、うわあああああ!」
男性は見るに足を痛めている。そんな事などおかまいなしに近寄ってきて、俺を壁際まで追い詰めた。
「た、頼む! お願いだ! 助けてくれ!」
「た、助けるって何が……」
「このランタンを持って歩いてくれるだけでいいんだ! お願いだ、一生のお願いだ! 君の言う事をこれから何でも聞くし一生尽くすから頼むからこれだけは頼むから頼むからあああああ!」
「い、嫌だよ! 何で俺がそんな……」
「ああああああああああああああああああああああああああああ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だ嫌だやれええええええええよおおおおおおおおおお!」
拳を振り上げた側がたまたま失明していたので見えなかった。一発目を受けて咄嗟に防御を作る。見ず知らずの人間の頼みを断るのは当たり前だが、そんな事はお構いなしに錯乱した男性が俺を殴り続ける。
「ぐううぅぅ……!」
「死にたくないんだよ! たのむかああああああああうがああああらあああああああああ!」
身体を抱えるように閉じ込めていた腕を引きはがされる。痛い。ムシカゴとやらが発動していないからだろうか。痣どころの話だろうか、この人は間違いなく本気で殴っている。
「やめ」
「言うことをおおおおおおおおおおばあああああああああああああ!」
「やめ…………ろ」
「きけやああああああああ!」
後頭部を抑えつけられ、何かと思えば膝蹴りだ。反撃の余地はない。腕で防御しても関節は武器としてあまりに凶悪だ。大人がする全力の膝蹴りを、果たしてこの腕がどれだけ耐えられるだろうか。
「………………い」
突然、攻撃が止んだ。恐る恐る顔を上げると、男性は虚空を―――『右』を見て、震えていた。
「あ、いや! 違う違う! 死にたくない! 俺は……あともう少し! もう少しなんだ! やめ、やめて! やめてくださアアアアアアアアアアアアアアアアアア!」
それは一瞬の出来事だった。男の身体が激しく痙攣したかと思うと、目、鼻、口、肛門と言った、体内に通ずる場所から黒い液体がずるりと零れ落ちたのだ。それは血でもなく、骨でもなく、はたまた臓器の塊でもなければ老廃物でもなく。何か。身体に重要な物とは思えない。見たところそれは液体だが、漏れたからと言って眼球が零れたりしている様子もなく、ただ零れただけだ。
狂乱していた男性は、動かなくなってしまったが。
「ひ、ひいいいいいいいいいいいいいいいいいいいいい!」
これだけ騒げば、他の人間にも事の顛末は目撃されている。列をなしていた大勢の人間がどうにかなってしまった男性を見て、各々の反応で恐怖を露わにした。
「いや…………いやああ!」
「死にたくない……死ぬのは……死ぬのだけは!」
「うええええええええええええん! まーまーあああああああああ!」
理解に苦しむ。予言は今まで助けになっていたのではなかったか? 何故こうも怯えている。話が違うと言わんばかりに。たった一人の惨状を見ただけで列はある一定の場所から停止して泣き喚くようになった。
人間、本当に理解が追い付かないと頭が真っ白になって動けない。椎乃を探さなければいけないのは分かっているが、この状況を一パーセントでも理解しないと、進めない。分からないままにしておくともっと恐ろしい事がある。
「あ……………………あ」
「こっち」
淀んだ瞳、焦点の合わない目が潤んでいる。悲惨で哀れな衆愚のあられもない姿に、何故か残り続ける奇妙な美しさ。きっと、俺はそんな理解したくない感情に引きずられて見惚れていた。それを正気に戻してくれたのはあの時学校で―――いや、秘密基地で凛と聞いた声。
その少女は、この暗闇に溶け込むような着物を着ていた。
模様が動く不思議な着物。年端も行かぬ子どもが描いたような下手な花びらがひらひらと舞っている。舞っているだけで落ちはしない。少女はぼろぼろの翅をひらひら動かす蝶が乗ったヘアバンドと、黒真珠のピアスを片耳にだけ付けている。
その瞳に色はない。俺が少女を見ているのと同じように、瞳の中にはそっくりそのまま俺が映っている。どうもこの少女の視界は見ている物が外側から反映されるようだ。空を見上げると、瞳の中が満点の星空に彩られる。
「…………君は」
「儀式の時間」
「…………! そっちから行けばいいんだな」
「ほんとうのかみはここにはいない。忘れないで」
不審者と同じく、敵か味方かも分からない。ただ今は敵じゃない。それだけはハッキリしている。理由は予言に振り回されていないから。暗闇の中とはいえあまりにも不明瞭な身体とか、浮いた格好は気になるが、やはりそれを気にしている暇はない。大学を反対側から裏に回るように走り出す。地理的には列を回り込んでいるから、先頭が何をしているかが見られる筈だ。
「くおっ!」
左目の視界を失ったまま走っているのは最早慣れだ。平衡感覚は相変わらず不安定で、それがここに来て崩れた。原因は明白。膝蹴りの連打で感覚が狂ってきたから。だから転倒する。受け身なんて取れない。地面の状況も暗すぎて分からない―――
四つん這いになって、立ち上がろうとして、気づく。
ここは何処だ?
これは地面じゃない。コンクリートの感触ではない。ただ平面になった闇が空間的な闇と一体化している。怪我なんてない、する訳ない。闇に硬いも柔らかいも凹凸もない。何かがおかしい。ここは何処だ。本当に大学なのか!?
「ねえ」
声を掛けてきたのは、見ず知らずの中学生。目に涙を浮かべながら、俺ににじり寄ってくる。
「助けてくれませんか?」
「!?」
また、同じ質問? 願望?
「逃げられないんです……従わないといけないんです……夜に外へ出たくない! おうちに帰りたいの…………お願いします。お願いします……!」
闇の上で正座をして、あろう事か中学生は土下座を始めた。作法なんて物は分からないし、あっちも知らない。ただ必死という事はありありと伝わってくる。そして今度は攻撃なんてしてこない。ただそれだけを願っていると言葉通りだ。何度も何度も闇の中に頭を打ち付けながら、呪文のように繰り返し助けを求めている。
『他人から聞いた予言には従うな。どんな事があってもだ』
不審者の声が、ちらつく。
あんな奴を信用していいかは分からないが、二度も俺を助けてくれた奴を全く信用ならないとは言いたくない。これは予言なのだろうか。ここに居るという事は彼女は預言者なのでは? そうでもないと俺に助けを求める理由……いや、そうであっても助けを求める理由があるか?
「……帰ればいいだろ。家に!」
「帰りたくても……帰れないの…………予言が、予言が返してくれないの。従わないと人生が……でも、なんか、怖くなって……代わり、代わりに居てくれるだけでいいから。お願い……します! 帰らせてください……!」
押しに弱いと思われても結構だ。戸惑っている俺の足に中学生はしがみつき、なりふり構ってはいられない不細工な泣き顔で縋りついてきた。
「 私が間違ってたの! こんな……こんなの私の人生と何の関係もない! 全部嘘だった……騙されてただけ……だからお願い。助けて! 貴方が助けてくれたら、私はまだ間に合うの!」
「…………………………………………………ごめん。無理だ」
「………………!」
俺は最低だ。
螂ウ縺ョ蟄舌r豕」縺九○縺ェ縺?コ九′菫コ縺ョ菴ソ蜻ス縺?縺」縺溽ュ医〒縺ッ?
人間としての尊厳などとっくに失ったかのような表情で頼み込む女の子を、俺よりも年下の頼みを、こんな最悪な形で拒絶するなんて。
アンモニア臭は気のせいではない。足元に伏す女の子が漏らしたのだ。
「………………ああ…………………私、貴方のせいで、死ぬんだ」
身体中に漲る生気を雑巾のように搾り取られたか、そんな無気力な声を最期に、女の子は息絶えた。身体からドロっとした黒い液体を吐き出しながら。
「俺の………………………せい?」
液体は闇に溶けず、そのまま留まっている。触りたいという気持ちが微塵も沸いてこない。分からない物に触れるのはそれだけ恐ろしい。だがそれ以上に、俺のせいで人が死んだかもしれないという事実に、足が固まっている。
「俺の……せい………………この子が…………み、んな」
ではこのまま椎乃を死なせたら、俺のせいなのか。
そんなのは、駄目だ。
駄目である駄目である駄目である駄目である駄目である駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目駄目であるならば。
助けないと。夜を侵してでも、この身体を引き換えにしてでも。
「―――椎!」
足に引っ付いた死体を振り払って、走る。走る。走る。あらゆる死の責任が俺に向かうなら、せめて一人だけでも。決して巻き込むまいとしていたその責任を。巻き込んでしまった代償を。だから生きて帰って、戻ってきてくれないと!
先頭では正に、儀式みたいな奇行が行われている真っ只中だった。手に持ったランタンで囲われる数人の女の子。その中心に横たわる幼虫のような体系になった女性は、今日俺達が見かけたあの女性に違いない。意識はあるのかないのか、ただぐったりとして動かない。
「椎! やめろ!」
誰が椎乃かは分からない。とにかく走り出した。ランタンを手放した群衆が彼女たちを囲むように円陣を作る。中の景色が見えなくなった。
「椎! なあやめてくれ! まだなんだ……俺はもっとお前と話したいし、したい事たくさんあるんだよ! 悩みがあるなら聞くから! 俺が守るから! お願いだから……そんな奴の言う事なんて聞かないでくれ!」
「ああこれでやっと……始まる」
「私達の神が…………」
「生まれるんだ……!」
足元に散らばっていた大量の影の正体は、刃物だ。斧でも包丁でもナイフでも。円陣が崩れると彼らは一斉にそれを手に取って、ランタンに囲まれた女性に近づいていく。
「椎乃!」
刃物なんて恐れない。近づいて行ってようやく、俺の眼には知り合いの女の子が認識出来た。声もちゃんと届いた様だ。緒切椎乃はぴくっと声に反応すると、暗闇の中確実に俺を発見して―――
「ああ、来たんだ―――」
そんな、悲しそうな顔をして。
「じゃあね、ユージン♪」
俺に向かってピースをしたかと思うと、刃物が一斉に降り注がれる。
「ぁ…………」
声を出すよりも、助け出すよりも、一瞬の出来事。あんなに元気で、可憐だった彼女は無残な肉塊へとなり果てた。
「ぁぁ…………………………」
膝から体が崩れていく。他の女子も同じように刻まれて、細かくなって、踏まれて、砕かれて、また刻まれて。
その刹那。空間が胎動した。
「うあ、ア゙アアアアア゙アアアアアアアアアアアアア!」
いよいよ幼虫のように暴れ出した女性がお腹を押さえながら狂っている。周囲の人間はそれを見て作業を放棄したかと思うと、女性の両手足を解体し始めた。
「ギャ゙アア゙アアアアバアアアアア゙!」
筋肉が一瞬で擦り切れ、二度と戻らなくなるような、身体としての断末魔。聞く者全てを竦ませ、怖気を纏わせるような声を聞き、何を思ったか俺はぐちゃぐちゃに潰された椎乃に……だった身体に駆け寄って、顔を覗き込んだ。
「讀惹ケ…………」
あらゆる場所がベコベコで、何も分からない。
俺の知る彼女は、何処にもいない。これはただの死体、モノで。でも俺にとっては大切だった人の。
「お前の学校に隣接する林の中に、古い井戸がある。そこに行ってこい」
「…………ぇ」
姿を消した不審者が、俺を守るように背中を向けて立っていた。
「縺ェ繧薙?縺溘a縺ォ」
「気休めとだけ言っておく。ただどうしてもお前が……そいつに生きて欲しいと思うなら従え」
「縺ェ繧薙〒縺昴s縺ェ縺ォ縺上o縺励>繧薙□」
「それは言えないな。だがここまで付き合わせたから少しだけ。いいか、そいつは餌だ。『ヒキヒメサマ』は栄養を欲してる。だから逃げてくれないとこちらとしても困るんだ。栄養は五人。全員食べられたら手遅れだな。無事に明日を迎えるようなら、その内解説にでも出向いてやる。今はとにかく走れ。いいな」
「………………」
俺が肉塊を抱えて走り出すと、預言者全員がそれに気が付いた。達磨になった女性を放置して、今度は俺を追いかけようとする。
「はあ…………おい貴様ら。今から動いた奴は……あー、まあ言っても無駄だよな。知ってたよ」
ここから学校まではそう遠くないが、無限に距離があっても今の俺は疑わない。人間だった物体は非常に重く、それは物理的な問題だ。水の染み込んだ雑巾が重いように、血の染み込んだ肉は重い。骨は固形物、ぐちゃぐちゃになった頭蓋骨も、骨の集合体として最高峰の重さを誇っている。だが何より重く感じさせるのはそもそもの持ちにくさだ。何処に力を入れていいのか分からない。でもこの集合体は、一個たりとも落とせない。
「讀惹ケ?セ?▲縺ヲ繧榊セ?▲縺ヲ繧九s縺?縺槫勧縺代i繧後k縺九i縺ェ……!」
走っている最中に喋る余裕などないが、喋らないと自分でも目的を見失いそうだ。澪雨も凛も頼れない。俺だけが頼りだ。椎乃はもう、俺しか助けられないのだ。
「はあ…………ぁは……………ぁぁは………はあああああ!」
何も見えない。殆ど暗闇だ。何を頼りに歩いている。夜は町の構造が異なるので記憶を当てには出来ない。何処にも光がない世界で、俺はただ何となく、走っている。月の光は地上に届かず、のっぺりとした暗闇が地上に張り付いて同化する。壁もなければ床もない。漠然と暗く、辛うじてシルエットが作られるかどうかの境界世界。
幸い、学校が高台にあるので目印くらいには出来る。だがそれだけだ。道中の正しさも安全も保障されていない。手の中にある生ぬるくドロドロとした感触と、死後硬直に晒された肉の硬さだけが、確かな現実。
「見えない…………見えないよお…………見えない…………蜉ゥ縺代※繝阪お繝」
首のブローチを握り締めて、走る。林の中に井戸があるなんて聞いた事もないが、言いなりだ。だってそうでもないと助けられる可能性が……元々あったかも分からない概念が、生まれてさえ来ない。
夏の雑草は肌に鋭く、皮を切り裂いた。余計に足場は不安定になり、頻繁に転びそうになるのをわざと木にぶつかって整える。左肩を使い過ぎて痣が生まれたか。ジンジンと広がる痛みに、やっぱり泣きそうになった。両手いっぱいに抱えた友達は、もうそんな表現も出来ないくらい無残だというのに、俺は最低だ。
井戸は余程分かり辛い場所にあると思っていたが、すぐに見つかった。今時井戸なんて見かけないが、周辺に響く不可解な水音が確かにこの井戸の存命を示している。
―――行ってこいって、何だ?
行ってきた。到着した。目の前にある。何をすればいい?
井戸を覗き込んで判断に迷っていると、背中から勢いよく身体を押し込まれた。
「う、うわああああああああああああああああああああ!」
自由落下とあっては流石の俺も死体を手放してしまう。井戸の底は深く、暗く、地上から差し込む光の一切を遮断して―――井戸その物より広かった。
「助けたければ、契約を」
空間に響くのは少女の声。あの不思議な着物を着た女の子が何処かに居る。
「誰だ! お前は一体何なんだ!? 何で俺を―――」
「助けたければ、契約を」
「救いたければ、代償を」
「コドクの夜に、鮮首を」
「は…………は? は…………そ、それで椎は助かるのか!」
「選択は自由だ」
目が覚めると、何処とも分からない場所に居た。
「………………………し、い」
「………………ユージ、ン」
ユージン。日方悠心。私の大切な男友達。疎遠になってからずっと寂しかった。いつか忘れると思っていたけれど、再会して気づかされた。
「何で…………ここ、何処…………? あ、れ。私、何かしてた……かしら」
彼は首を振って、私を抱きしめるように顔を埋めた。顔はハッキリとは見えないけど、泣いてるんだと……思う。
「ユージン? 何が……」
「ごめん、ごめん、ごめん、ごめん、ごめん、ごめん、ごめん…………こんなつもりじゃ、無かったんだ…………ただお前を…………お前には、ぐッ。平穏に生きて……!」
平穏?
ただ寝ぼけていただけで、私は全てを思い出した。ちょっと前の私が変だった事、別れを告げたのに、夜に外へ出る決まりを破ってまで、助けようとしてくれた事。助からなかった事。何で生きてるのかが自分にも分からない。
でも。
「……………………ユージン」
「…………?」
「助けてくれて、ありがとね」
これだけは分かる。
私は彼とするゲームが好き。特に隣でするゲームが好き。昔からそうだった。心の底から楽しんでるような、純粋に娯楽に向き合ってるような、優しくて、楽しい顔。
だからこんな顔をさせているのは間違いで。
いつの日か。
自分の手で彼を笑わせる事が出来る私になれたらいいなって、思ってたんだ。
だって。
「―――また一緒に、ゲームしようね」
私にとって初めての。素敵な人だから。




