神聖なる⋯魂
最終話という触れ込みだったが後もう一話だけ。
「ただいま」
「…………悠心! お前やっぱり左目が!」
「そんなの今どうでもいい。あ、晩御飯も大丈夫だから。風呂も後で勝手に入るから今だけは俺に付き合わないでくれ」
「………………何があった?」
「関係ない。これは俺だけの問題だ。二人は関わらないでくれ。面倒なだけだ」
「…………お前」
今はそれどころじゃない。椎乃の発言には心当たりがある。いやいや、今まであんなに抵抗があったのにどういうつもりだ。分からないが、ともかく話し合いたかったので部屋に籠った。絶対に両親を部屋に入れようとは思わない。邪魔だ。背中で扉を抑えて直ぐに電話を掛ける。わざわざこんな言葉を残しに来たのだから、椎乃にも何か言いたい事があるに違いない。
電話は直ぐに、繋がった。
『何があった?』
『何かあったっていうか…………私が間違えてたんだ』
『…………予言なんて馬鹿らしいぞ』
『予言ってさ、もっと押し付けがましい物だと思ってた。実際、押し付けがましかったよね。でも予言が聞こえるようになってからは、違うなって思ったの。ヒキヒメサマは凄く優しくて。私に正しい答えを教えてくれた。ユージン。予言は怖くないよ。もし怖いんだとしたら、それは簡単に答えを教えてくれるから。悩みを持てなくなるから』
椎乃の声は落ち着いている。というか抑揚がない。あんなに元気一杯だった彼女からは想像もつかない無機質だ。まだ何も答えてもらっていない。まだ何も聞いていない。それでも背筋は凍りつつある。絶対零度は決して溶けない。
『…………ユージンは、私の悩みが何か分かるかな? ふふふ』
『は…………は? わ、分かる訳ないだろ。俺達はゲーム仲間だ。ゲームするだけの関係にそんな細かい詮索は要らない。そうだろ?』
『そりゃあね。悩みを忘れようと思った事もあったよ。でも駄目だやっぱ。私の悩み、解決しないよ。待ってても駄目なんだよ。解決には行動あるのみ。それがどんな悩みでも、正解を教えてくれる存在が居るなら大丈夫だって』
『……待て。何の話をしてるんだ?』
『みんな、馬鹿だよ。予言は特別な人間にしかやってこない。何もかも出鱈目。なのに信じちゃってる。神様はね、本当に悩んでる人の元にしか来ないんだ。ただ漠然と悩んでるような人の元に来るのはただのノイズ。それを信じるなんて。でもいいんだ。これも全て私を助け出す為。皆お人好しだから、助けてくれるのよ』
無感動な笑い、無意味な脈絡、無秩序な言動。
どこを取っても彼女は支離滅裂で、俺と話をしている様には見えない。何だ、確かに違う。今までの預言者は予言に対する信用のあまり意固地になって険悪になる事は多々あったが、それはこちらの言動を解しているという意味でもある。だが彼女はどうだ。まるでこっちの言動を気にしていない。会話には応じているが、その内容は自分の言いたい事をバラバラに語るばかり。
今までの奴らと状態が違うのは何よりも明らかだ。
だから俺も、どうすればいいか分からない。背中はまあ激しく揺さぶられており、何やら怒鳴りが聞こえるがそれどころではない。ただ見知った女友達が自分の知らない人間に代わっていくのをまざまざと見せつけられているみたいで―――髱槫クク縺ォ荳肴ч蠢ォ縺?。
『ヒキヒメサマはね、まだ生まれてないの。自分が生まれる事を知ってる、生まれる前なのに意思がある正真正銘の神様よ。私は選ばれた。選んでくださった。これでもう悩む事はなくなる。ユージンとゲームする事もなくなるけど……しょうがないよね』
『――――――なあ、待ってくれ。椎。ゲーム、楽しかっただろ? そりゃ一年くらい間はあったかもしれないけどまた再会してさ。楽しかったと思うんだ。俺、まだお前とやってないゲームたくさんあるよ。だから……何するつもりか知らないけど、やめてくれ。そんなバカな物に付き合うな。頼むよ』
『―――ユージン。じゃあ私の言う事聞ける?』
『何だッ?』
『予言を……今から伝えるけど、それでも聞ける?』
言葉に詰まる。
椎乃が正気なのかどうなのかも、判断がつかなくなってきた。そもそも俺は、アイツにそんな情報を教えた記憶がない。不審者との会話を聞いていたのだろうか。いや、それにしても妙だ。預言者は言う事を聞かせようと躍起になっていたのに、椎乃はご丁寧に警告までしてくれている。
―――試してるのか?
その一言さえなければ、俺に言う事を聞かせる事くらい簡単に出来たのに。それは卑怯だと言わんばかり。或いは……その一言を挟めば、お前は絶対に拒絶するだろうとでも? これまではそれを貫いてきた。 今ここでそれを曲げるのはつまり……えっと。
『……………………うん。私は、それでいいと思う。ユージン、嫌いだもんね。無理に従わせるつもりはないよ。ただ私には分かってた。ユージンは怪しい言葉には引っかからない。たとえそれを言い出したのが私でも、或いは喜平君とかでもね。大丈夫、怒ったりしない。私は強要するつもりもないよ』
『何がしたい? お前は…………俺を仲間に引きずり込みたいんじゃないのか?』
『違うよ。これはお別れ。私は神様の養分、土壌? とにかくそういうのにならないといけないの。ううん、私がそうしたい。ヒキヒメサマはそれを望んでる。こんな簡単な事なのに答えが出なかった。私は駄目な奴だよ』
『ま、待て。ちょっと待ってくれ。全然話が……俺の知ってる話とかみ合わない! 何する気だ、やめろ』
『ヒキヒメサマ、凄く喜んでくれたんだ。だから今更止めるなんて出来ない。私以外には誰もいないの。この役割は彼女が与えてくれた生きる意味そのもの。全うしないと駄目でしょ』
『おい人の話を聞けよ! 何でそうお前は勝手に…………』
本当に話が通じない。椎乃の意思は固いというか、それ以外に用意されていないというか。自由意志という言葉が存在するだけあって物理的に形として存在しえない物は柔軟であるべきだが、彼女のそれはまるで一本道だ。誰が何を言ってもそれしかないから選べない。それが生きる意味だなんて馬鹿馬鹿しいが、その馬鹿馬鹿しさが俺の説得を何度も失敗させている事は忘れてはならない。
頭に浮かんでくる言葉は全てが軽い。混乱している。彼女を少しでも止められるようなクリティカルさは持ち合わせていない。言葉に詰まって沈黙していると、電話越しに他の人間の声が聞こえてきた。
というか、火の音が聞こえる。
『…………おい。もう夜だぞ。お前、何処に居るんだ……?』
『……………………………………』
『答えろ! 家じゃないだろ!』
『そろそろ時間だ。バイバイ』
電話が切れて、俺の身体からも力が抜ける。
どうすればいい? 何処に居るかも分からないし、いくら夜でもこの時間帯は流石に両親が見逃さない。大した問題じゃない。明日になっても生き残ってる事を祈っていつものようにしていればいい? そうすれば何事も起きない?
何だその楽観論は。明日になっても生き残ってる事を祈るなんて、まず誰に祈る。神様か、ヒキヒメサマか。そんな祈りが届くなら『口なしさん』において誰かが死ぬなんて事はあり得なかった。そもそも神社での一件さえ円満に終わって誰かが夜に外出した事さえ悟られなかっただろう。
「縺ェ繧薙〒縺昴≧繧?▲縺ヲ菫コ繧偵?縺ィ繧翫⊂縺」縺。縺ォ縺吶k繧薙□……」
そんなに俺は、頼りないのか。
そんなに俺は、気を遣われているのか。
左目がないから? 臆病だから? 慎重すぎて面白みに欠けるから。
俺はアイツを巻き込まないように頑張ってきたつもりだ。流石に規模が大きくなってきて全く巻き込まないのは不可能だったにせよ、裏事情まで通した覚えはない。何で、どうしてこうなった。まだヒキヒメサマについて何も判明していない。そもそも予言の性質が全く違うのは一体全体どういう事なんだ。
背中が段々うるさく感じてきたのでドアを開けると、両親が険しい顔をしながらずかずかと入って来た。
「お前! やっぱり左目が見えてないんだ! そうだろ!」
「夜に出かけたのね」
「…………俺が夜に出かけてたとしたら、何で生き残ってるんだ?」
「何だと?」
「俺の学校で死んだ人達は夜に出かけたからって話だ。じゃあ何で俺は生きてる? それとも俺が殺してるのか? 死体を見てはいないけど、全員俺が出来そうな死因だったのか?この家にある包丁かナイフが持ち出されていてそこから血痕が検出されたとでも言うつもりか? 俺は出かけてない。出かけてないから何も知らない! 二人は知ってるんだな? だったら教えてくれよッ、夜に出かけたらどうなるって言うんだよ!」
「それは…………知らないが」
「左目左目って言うけどさ、他の原因は考えないのか? ずっと濡れ衣着せられてるこっちの身にもなれよ。冤罪ってそういうのから生まれるって知らないのかよ。お前がやったお前がやった。そうやって何回も何回も何回も何回も何回も抑圧するから本人もやったように感じてくるんだよ! それで、あれだろ。濡れ衣ならやってないって言えばよかったとか言い出すんだろ? もう言ってんのにさあ!」
「……さっきから黙って聞いてれば、お前えええええ!」
売り言葉に買い言葉。もしくは俺が喧嘩を売り過ぎた。父親が俺をベッドに押し倒し、体重をかけるように首を絞めてきたのだ。母親はどうしているかというと、別に俺を助けようとはしてくれない。
「お前は我儘だ! 親に対する恩を忘れたのか!」
「忘れてないから迷惑を掛けないようにしてるんだ! じゃああんたは……ぐ! 俺に迷惑を掛けて欲しいとでも思ってるのかよ!」
「迷惑を掛けないようにだ? お姉ちゃんが居た頃からお前は迷惑ばっかりだ。俺達を助けてくれたのはいつもあの子だ、あの子は優しかった。それに優秀だった。お前みたいな出来の悪い息子と違って、どんなにか本当の娘ならと思ってたよ!」
「…………!」
「だけど養子に出せるのはああいう子だけだ。お前みたいな奴は誰も求めてない。いいか? 俺達はお前が血の繋がった子供だから愛してるんだ。それでもお前と喋ってるとイライラする事がたくさんある! そんなだらしない奴を他の家に出せるか! 子供なら親の愛に配慮をしろ!」
「………………………………俺にはちっとも、配慮してくれないのにか!」
「子供が我慢するのは当然よ。皆辛いの。分かる?」
縺昴s縺ェ莠玖ィ?繧上l縺ヲ繧らエ榊セ怜?譚・縺ェ縺??諷ョ縺」縺ヲ縺ェ繧薙□諢帙▲縺ヲ縺ェ繧薙□菫コ縺ッ縺壹▲縺ィ謌第?縺励↑縺?→縺?¢縺ェ縺??縺ッ豁」縺励>縺ョ縺矩俣驕輔▲縺ヲ繧九?縺ァ縺ッ縺ェ縺??縺九←縺?@縺ヲ縺薙≧縺ェ繧倶ス輔〒縺薙≧縺ェ繧九←縺?↑縺」縺ヲ縺?k縺薙s縺ェ縺薙→繧偵@縺ヲ縺?k蝣エ蜷医〒縺ッ縺ェ縺??縺ォ。
―――ふと脳裏に過ったのは、サクモの言葉。
「……………………げぇぇ」
普段なら、この選択肢を選ぶ事はない。俺は真っ当な倫理観を持っている。高度な教育を受けている。優しい心を持っている。我慢していた。決して気軽に癇癪を起こす人間じゃない。それでも免罪符があれば……こちらが加減をしなくてもセーフラインを超える事がないなら。
「…………ごめッん!」
「ん?」
「いろいろ考えたけど、やっぱこの方法しかないや。配慮しようとしたけど、もうこれしかないから!」
俺は覚悟を決めると、父親の頬を力いっぱい殴りつけた。
「ぶっ!」
まさか息子に殴られるとは思ってもなかった様子。不意打ちは意識に効くだろう。この程度で気絶はしないと思っていたが頭の打ちどころが悪かったようだ。父親は気を失ってしまった。
「な、何! 何してるのあなた!」
「…………加護があるから怪我なんてしないだろ!」
『お前は転校生だから半信半疑って所か。だが俺を含めてこの町じゃずっとそういわれてきた。信じる信じないじゃなくて、当たり前なんだ。今は澪雨がそういう力を持ってるから、皆信仰してる訳だな―――これも信じられないだろうが、俺は生まれてこの方怪我とも病気とも無縁だ。転んでも怪我はしない。高い所から落ちても気絶が精々で、身体の何処にも怪我はなかったりする』
高所から落ちるのは一般的に自殺だ。それが気絶で留まるというならこれ以上のセーフティはない。机に差し込まれた椅子を無造作に持ち上げると、母親の顔に向かって投げつける。
「ぎゃっ!」
投げられたら普通防御する。気絶には至らなかったので再び椅子を持ち上げようとすると、母親の手がそれを食い止めた。
「やめなさい! やめて!」
「ちょっと気を失うだけだよ。それが俺なりの配慮だよ!」
その手を引きはがして、何度も身体に椅子を叩きつける。セーフティが掛かると分かれば俺は幾らでも暴力的になってしまう。だってこれで怪我一つしないのだろう。単なる無力化に留まるならこれ以上の手段はない。
「やめておけ」
三回ほど振り下ろした所で、部屋の窓から声が掛けられる。卵の表面みたいに白い仮面を被った不審者が、感情の分からぬ声で俺に制止をかけていた。
「お前の手段は有効ではない。やめておいた方がいいぞ」
「…………何?」
「ムシカゴは夜には効力を発揮出来ない。家族殺しがしたいのか?」
―――――――――。
「え」
「その様子だと勘違いしていた様だな。たまたま声を掛けてやったらこれだ。よく見ろ、女の方は恐怖で気を失っているぞ」
椅子が、手から滑り落ちる。セーフティが掛からないという話を聞いて、俺はようやく、感情が昂っていただけという事に気が付いた。
「あ………………ああ………………………ああ。お、俺はなんて………………じゃあ……………」
「そこまで気に病む必要はないんだがな。その二人は別に致命傷を負っている訳ではない。朝日が昇れば忽ち回復するだろう。取り返しがつかないのはもう片方の方じゃないか?」
「…………………あ?」
「既に多くの人間が夜を出歩き飾三大学に集合している。もうすぐ手遅れになるぞ」
椎乃…………!
「い、行かなきゃ。行かないと! ―――で、でも待って。お前何で……そんな事知ってるなら俺の所に来なくても」
「まだ助かるかもしれない奴を殺す趣味はない。そしてそいつを助ける為には人手が必要だ。暴力を振るった事を気に留めるのは勝手だが今は忘れろ。幸運じゃないか。気絶しているならお前が夜に外へ出た事も分からない。翌朝には勝手に治る」
「…………………………でも、俺は最低だよ。暴力でどうにかしようとした」
窓に近づくと、不審者が真っ白い手袋と共に俺の手を引っ張った。
「最低なのは、お互い様だろう」
「な、何?」
「人間、一つや二つ最低な側面くらいある。あまり気にするなという事だ。さあ、時間がない。暴力程度は幾らでも取り返しはつくが、死亡だけはどうにもならんぞ」
すぐに。




