心を掌む決まり
何とか夜になるまでに俺の方も家に帰る事が出来たが、今日は何やらいつもと違う。両親が予言に影響されているだけならまだマシだ。帰るなり「話がある」と切り出され、俺は自分の部屋へ戻る事も許されずにリビングへと連れていかれた。
「まさかと思うがお前―――左目が、見えてないのか?」
隠し通すのにも無理があったとはいえ、この状況で問い詰められるのは最悪だ。晴も椎乃も気を遣って無視してくれたのだとは思うが、そのせいで俺も少し油断してしまった。もっと早く帰っていればまだ誤魔化せた可能性もあったが、夜になるギリギリに帰ってきたとあっては一言申されても仕方ない。
「―――眠いだけだよ」
「だったら開いてみろ」
目を刺された直後はまだ左目は見た目だけでも健在だったのだが、翌朝になったら閉じていた。なので誤魔化しが一切効かなくなっている。怪我している事の何が不味いかはこれまで話してきた通りだ。怪我している状況、それも失明という重傷が不味い。
「失明してたら流石に言うでしょ。病院に行かなきゃいけないし」
「嘘を吐かなくていいのよ、悠心」
「嘘なんて吐いていないって」
「だがお前が目を開いてる所を最近見てないぞ?」
「眠いだけだってば!」
自分でも苦しいのは理解している。だがこれしか言い訳が通用しない。そもそも無理だと分かった上でこれを言い張るしかない。瞼を切除してでもこの眼を開いた所で、その先には空っぽの眼孔があるだけだ。眼球がない感覚というのはこうもハッキリしている。見えていないが、手に取るように分かる。
「俺、部屋に帰りたいんだけど」
「仮眠を取りたいとでも言うのか?」
「そうそう。眠いからね、しょうがない」
「じゃあ起きたらこっちに来て、左目を開けてみろ」
――――――。
見えていた行き止まり。行き止まりだけの二択。壁に突き当たる距離の差でしかない。泣いてもわめいても俺の左目は刺されたせいで失われている。それでショック死しなかったのが不思議なくらいだが、今思うとあれこそこの町の不思議な加護とやらのお陰だったりするのか。
「…………やっぱその前にご飯食べようかな」
「は?」
「ちゃんと眠れなかったら眠気が取れないだろ。だからほら、リビングにも居るし丁度いいじゃん」
「お前なあ……正直に言ってくれよ。本当は失明してるんじゃないのか?」
「何でそう思うんだよ。俺は失明してないって言ってるだろ」
「嘘ばっかりね」
「嘘ってなんだ嘘って。俺の言う事が信じられないのか?」
「………………無条件で信じるって訳にもいかないだろうが」
父親は気まずい顔をしているが、俺の方はずっと気まずい。たとえこの場で喧嘩になろうとも両親に禁忌を破った件を漏らす訳にはいかない。どんな目に遭うかなんて知らないが―――『口なしさん』のノートの内容が引っかかっている。
俺一人だけがとんでもない目に遭うならそれもまだ良かったが、今は椎乃と晴を守らないといけない。だから駄目だ。あからさまでも何でも嘘は貫かないと。
「目ヤニ目ヤニって言うが、今までそんな事あったか? ここ最近、急にじゃないか」
「夜更かししてるせいだよ。そういう事だってあるだろ、人間が自分の体の中の活動全部コントロール出来る訳ない。大体さ、失明してるんだったら友達から真っ先に突っ込まれないか? だって失明なんてしてたら重傷だ、大騒ぎするに決まってる。俺だって友達が急に失明してたら聞かずにはいられないし」
「それは……そうだが」
「―――もういいわ。ご飯にしましょう」
母親の方はやる気を削がれてしまったようだ。台所に向かって夜食の準備を始めると、後はこちらの事なんて無関係と言わんばかりに背中を向けている。
「……もし失明してたんだとしたらお前、とんでもないからな」
「だからしてないって」
「もし、仮定の話だ!」
「してないんだから仮定の話はおかしいだろ! 自分の話の流れに持ち込みたいからって前提が滅茶苦茶だ!」
とにかく失明したという流れで話をしたくて話をしている内に仮定が事実にすり替わる。仮定だからと付き合えば、気づけばいつの間にか失明したと認めた状態―――自白したまま話は進むだろう。両親には転校させてくれた恩を感じているが、それはそれとして昔からあるこの癖は気に食わない。いつもならば不満に思うだけで口に出さずまんまと術中に嵌まっていたが、今回は事情が違う。ネエネが居なくても反抗しないといけない。
「仮定だ! もしもだ! いいだろ別に!」
「よくねえよ! じゃあ今からアンタが人を殺したという仮定で話を進めてやろうか!」
「関係ないだろ!」
「関係ない!? そうだね! 要するに同じ事なんだよ! 自分がとにかくその話をしたくて、消化不良だからって仮定って便利な言葉を枕にして話を続けようとする。俺は失明してないってのに滅茶苦茶だ! 俺に失明しててほしいのかよ!」
「…………………………そうじゃないが」
どうして険悪にならないといけないのか、俺が一番分かっていない。ああもう、最悪だ。失明なんてするくらいだったら『口なしさん』なんて―――その場合は時限爆弾で死んでいるか。
「ああもう……やめだ! お前、もしかして夜に出かけたりしてないよな!」
「―――ちょっと、アナタ!」
「まどろっこしいんだよ! 直接聞くのが一番早い!」
それを夫婦内の不和と捉えるか単なる癇癪と捉えるか。
俺は、怖気が走った。
初めてこの父親を怖いと思った。つまる所今までのやり取りは、誘導尋問だったのだ。夜に外へ出たらどうなるか、それを知る者は誰一人としていない。決まりを遵守している限りは当たり前の事で、何の問題もない。父親はあろう事か失明したか否かのみを追求して俺を煽る事で『夜』という単語を引き出そうと思っていたのだろう。実際問題、失明したのは『夜』に外へ出たから。だから失明したしてないのやり取りの間に一度でも『夜に外へなんて出てねえよ!』と言ってしまったら、それこそ真の行き止まり―――もとい落とし穴だった。
失明したかしてないかという論点だけを冷静に見れば引っかからない。しかし明らかに険悪な雰囲気は漂っていたし、俺は苛立っていた。何かの拍子に漏らす可能性はあったのだ。
「…………してないよ。何、その文脈だと夜に出かけると失明すんの? 必ず?」
「それは分からないが……ああ、もういい! 失明してないんだな分かった! 今回は信じる……嘘なんて吐いてないよな」
「信じてないじゃん」
「だからこれは仮定の――――――」
「縲?菫。縺倥※縺ェ縺?剿縺ォ閠ウ髫懊j縺ョ濶ッ縺?%縺ィ險?縺?s縺倥c縺ュ縺医h」
「…………んだと? もう一回言ってみろよ」
「諤偵▲縺ヲ菴輔〒繧よク医?縺ィ諤昴▲縺溘i螟ァ髢馴&縺?□縺」
「―――お前、誰に向かって―――!」
「ちょっと、もういい加減に!」
迷惑を掛けたくない。
その一心で、嘘を吐いて、反発して。その結果が喧嘩なんて、空しいだけだ。
晩御飯だけは何とか済ませる事が出来た。後は夜を待つだけだ。二人が来るかどうかは分からない。椎乃も今日の所はゲームを控えるようで、いよいよする事が無くなった俺は唯一のよりどころであるブローチを握り締めて、布団に包まっていた。
ピコン。
携帯の通知は、サクモからだ。一言目は『てめえ殺す』
『無事だったか』
『置き去りにするなよ。ふっつーに追い回されたぞ』
『予言を受け入れて難を逃れたか?』
『町内会のジジイ共に連絡してこっちに来てもらうつったら引き下がってくれた』
『やっぱり木ノ比良様様か』
しかしサクモの信仰心は俺の想像以上に上らしい。気難しい老人ばかりで固まっていると噂の町内会に連絡しようという発想が俺にはなかった。
コンコン。
今度は通知ではなく、現実の訪問。窓越しに凛と澪雨の姿が映っている。鍵は開けてあるので俺が動く必要はない。凛も単に礼儀として気づかせたかっただけだ。二人はスムーズに入室し、ぴしゃりと窓を閉める。
「今日は大変でしたね」
「知ってたのか?」
「流石にあんな大騒ぎになれば分かりますよ。クラスは違えど同じ学年ですからねー」
「……そういえばお前のクラスからは何にもなかったな。なんでそっちだけ聖域みたいになってるんだ……つっても、分からないか」
「いえ、簡単な話ですよ」
凛は日中に溜まった鬱を晴らすように、言い捨てた。
「話を合わせてあげれば何も起こりません。どうも予言の内容は統一されている訳ではなく―――個別のようですから」




