休みの日の誘引
「お、学校帰りかい? コロッケ一つどう?」
「結構です!」
もう誰が手先なのかも分からない。確実なのは今日に限って色々な人に声を掛けられるという事だ。だからもう全てが怪しい。あっちが善意であれ悪意であれ、あらゆる一切を拒絶する覚悟でないとやっていけない。
大体走るので精一杯だ。応答する余裕は元々あったりなかったり。足元から湧いて出てきた澪雨が話しかけてきたら流石に応じるが、それくらい突飛な事が起きないとこの足を止めるつもりはない。というかもうすぐ夜になるというのになんて商売根性逞しい奴だ。お店が自分の家だからって積極的過ぎる!
「あ、ここが私の家です!」
陸上部と肩を並べるなんて土台無理な話、かなり無理してペースを合わせた結果、俺と椎乃はバテバテ。アイツに関しては飲み物を求めて自販機を探しに行った。
「日方先輩は、これから緒切先輩をご自宅に?」
「そうなるな。まあ……体力、やばいけど。何とかする。何とかしないといけない気がする」
この状況は正直申し訳なく思っている。女の子のまともなモラルとして、大して交流もない先輩に自宅を教えるなんて、何だか俺が弱みに付け込んだみたいだ。秘密基地もとい廃墟で気分を持ち直した様子で、晴は至って元気に別れを告げた。
「それでは、失礼……しません!」
「は?」
「その前に、日方先輩……耳を、貸していただけますか?」
鞄を後ろ手に持って、晴が恥ずかしそうに頬を染める。わざわざ椎乃が居ない時にしてきたという事は、何だろう。もしかして彼女を疑っているのだろうか。俺の立場からすると疑いの余地ゼロのシロだが、後輩からすればもしかしたら怪しい……怪しい……かなあ。
客観的に見るという事が出来ないので分からなかった。素直に耳を貸すと、後輩は上半身をぐっとこちらに向けて、震えた声で囁く。
「れ、連絡先交換してくれませんか……」
顔を引いて、耳を疑った。
内緒話にするほどの事か、と。
「だ、駄目です、か?」
「いいけど……なんかもっと重要な話かと思った。俺は構わないけど、そっちこそいいのか? どうせこの一件が落ち着いたら関わり合いなんてなくなるぞ。お前には部活もあるだろうし」
「そんな事、言わないで下さい! 正直に言いまして、私、上級生に苦手意識を持っていたんです。陸上部の佐々来秀数って人、知ってますか?」
「………………あーシュウスウね。違うクラスだけど知ってる。悪名高いよ」
他人に対して異様に神経質という意味で、評判が悪い。じゃあ自分に対してシビアなのかというとそんな事はなくて、むしろ甘い。救いようがないのはその甘さで自分にも厳しいと本気で思っている所。
何故俺がこんな事まで知っているかというと、喜平が絡まれた所にサクモが割って入って大喧嘩になった。やる気になったアイツは口論が無駄に強いので、そのまま秀数を泣かせる事で奴の印象を下げつつ(やっぱり泣かせられるのは、場合に拘らず情けないと思う人間は居るのだ)その場を収めた。俺は遠巻きにそれを見ていたので知っているという訳だ。
「アイツ、陸上部なんだな。そっちは知らなかった」
「凄く当たりが強くて……私だけじゃないんですけど、一年生はあの人に一回は泣くまで怒られるんです。他の先輩も見て見ぬふりって感じで……だから、全然いい印象が無かったんです。でも、今日日方先輩とサクモ先輩に出会って、いい先輩も……居るんだなって! あ、勿論いい先輩というのは全員が……」
「もうそれはいいってば。心配しなくても揚げ足なんか取らねえよ。そういう事なら納得だ。交換するか」
「有難うございますっ! 頼れる先輩と繋がれて、私嬉しいですっ―――!」
屈託のない笑顔が照らされ、仄かな温もりを孕んだ夕紅が彼女の口元を粧して彩る。健康的な肌には眩しい日差しが似合うと思う。季節も夏だし、ここが波打ち際だったりしたら文句はない。何故か後輩に懐かれた事だけが釈然としないが、これはあれか。シュウスウに感謝しなきゃいけない流れが気に食わないのか。
「自販機どこおおおおおおおおおおおおお! 自販機やーーーーーーい!」
などと大声で自販機を探す奇行に及ぶ椎乃が戻りつつあった。晴は雷に打たれた様に思い立って、玄関に手を掛ける。
「今日は有難うございました! 日方先輩って、ちょっと口調はちょっと冷たいですけどとっても優しいんですね!」
「………………俺に損がないからってだけだよ。あんまり勘違いするな?」
「はい、勘違いしません! 日方先輩、大好きです!」
ドストレートに好意を表明して、晴は家の中へと入っていった。単に女性免疫のない男であれば聊か勘違いもしただろうが、後輩としての親愛である事を測り間違えるなんてあり得ない。脳裏に嫌な思い出がちらつくが、首を振れば誤魔化せる。
どちらにしろ口には出さないでほしかったがそれはこちらの我儘だ。俺の初恋の事なんて晴は知らない。知らない物を察しろというのは無理しかない。
「ユージン~。自販機ないんですけどー」
「俺に聞くな。っていうかもう時間ないから行くぞ。家で幾らでも飲めよ。冷蔵庫に何かしらあるだろ」
「そりゃ、そうだけどさ……意外と冷たいのね」
「この季節にあったかい飲み物頼むのはちょっと違うと思うが」
「もう自販機の話は終わってんですけど! ユージンが私に奢るとかって選択肢はないの!?」
「自販機がないんじゃ奢るも何も。後、バイトしてる奴がたかるなよ」
「ケチっ」
「小遣いしかないなら守銭奴にもなるわ」
また走るとなるとひたすらに億劫だが、夜間外出の禁には代えられない。目論見通りこの時間は夜ではないが、夜ではないだけだ。だから人通りなんてものは存在しない。一秒過ぎる度にこの町は死に絶えている。
「ユージン、今日はありがと」
「…………お礼とか、いいよ。俺が純粋な善意でやってるかと言われたら違うんだから」
忘れがちだが、時限爆弾がもう起動している。周りがどんな考えを抱いているにせよ、夜更かし同盟の三人は見当もつかないのでとりあえず『ヒキヒメサマ』に対処するしかないのだ。肝心要の対処法はまだないが。
「夏休みにさ、学年で参加者募って海に行くかみたいな話があるんだけど、ユージンは行くの?」
「ん? 誰が計画したんだそれ。夏休みくらいゆっくりさせてくれ。そんな大勢の中に紛れたくねえよ」
「じゃあ私が誘ったら、来てくれる? 大勢でじゃないの、数人くらいで」
「…………数人って誰だ?」
「それはユージンと私で各々誘えばいいんじゃないっ? アンタって友達少なそうだし!」
「事実だけど、お前は多いだろ」
「あーまあ、プライベートまで行くと少ないよ。それで、返事はどうなの? 夏の思い出作りましょうよ」
―――夏の思い出、か。
中学では作りそびれた。縺昴l繧ゅ%繧後b繧ッ繧ス螂ウ縺ョ縺帙>縺ァ。何もかも忘れたくて新天地を望んだのだから、やり直しという意味も込めて付き合うのはありかもしれない。
「分かった。行こう」
「ほんとに!? やっしゃー! っしゃいっしゃああああい! 私の勝ち~!」
「ゲームでレアドロ拾った時の喜平みたいだな」
「え! それは分かんないけど、去年は付き合ってくれなかったっしょ。だから嬉しい! 丁度新しい水着も買おうと思ってたから、一番に見せたげるっ。楽しみに待ってて!」
彼女は夜を知らない。
だから今回の事態も何となく解決出来ると楽観視している。俺には無理だ、そんな事。『口なしさん』であんな地獄を味わったからには悲観しか出来ない。
「あ、でもでもユージンの方は水着とか大丈夫なの?」
「んなもん幾らでも容易出来るっつの」
「そうじゃなくてさ、ユージンってインドアじゃん。体型とか服じゃ隠せないけどコンプレックス持ってたりしてない?」
「あーそういう事ね。確かに運動はしてないけど、それは本格的かどうかってくらいだ。ボディビルなんてとてもとてもだけど、腹筋を割るくらいなら出来る。そんくらい」
「へー。うん。まあ。抱き着いてたから知ってたけど」
「あれってそういうチェックだったのか」
「いや、あれは単にアンタに触りたかっただけ…………何でもない何でもない! あー何でもないよおおおああはははは!」
そんな風に顔を赤くしても、俺には夕日のせいか紅潮かなんて分からない。こんな楽観的な女友達だが、俺がまだ正気で居られるのは彼女みたいにまともであってくれる人が傍にいるからだ。
―――やっぱり、見殺しなんてとんでもない。
ゲーム仲間が減ってしまう。女友達が減ってしまう。割引を受けられない。逅?罰縺ッ縺ェ繧薙〒繧ゅ>縺。俺のせいで死んだなんて事はないように、椎乃にはまともでいてもらいたい。
「じゃあ今度、遊びに行ってやろうか?」
「へ?」
「水着、一番に見せてくれるんだろ?」
「~一番ってそういう意味で言ったんじゃ……ファッションショー的な感じだったら、考えておく、わ。来る時、一言入れてね。両親が居ない時の方が……恥ずかしくないから!」
「そういう問題だったのか…………」




