〘ワタシ〙を殺した日
こんな事の為にボイスレコーダーを使う事になるとは、最初は思いもしなかった。耳が良いという事ならおびき出す餌には最適だ。ただ呼び出すだけならこんなものを使う必要はないが、色々と調べておきたい。何が出来て何が出来ないのか。相手は未知の存在だ。しすぎて損はないだろう。
「ふん……!」
机を積み上げて入り口を軽く塞ぐ。即席バリケードを作ろうものならあの二人も入れないと思われるかもしれないが、俺の予想が正しければ「口なしさん』が壁を透けたりする事はない。というか少なくとも恵太に擬態している内はちゃんとした道を通るだろう。
―――もうバレてるのに同じ姿のままかは分からないけどな。
もし違うならそれはそれで構わない。ラジカセから歯軋りが聞こえてきた所でボイスレコーダーを再生。澪雨の声が流れて、ご丁寧に居場所を教えてやる。ラジカセの音は止んだが歯軋りは止まらない。徐々に大きくなって、教室の前で止まった。
ギイイイイイ! ギイイイイイイイイ!
気分はまるで生贄だ。自分からこの役目を買って出たとはいえ、相手はどんな姿か想像もつかぬ怪物。恵太のままで居てくれるならどれだけ楽だろう。死人の姿をひたすらに借りるというならどれだけ優しいだろう。そんな気が全くしない。廊下の奥に居る怪物は、確実に正体をむき出しにしている。
バンッ!
「ひっ……」
扉に叩きつけられる肉の音。教室全体が震えを刻み、俺の心臓を跳ねあがらせる。そうだ。こういう時に逃げ出さない為というのもある。俺は逃げない。逃げる訳にはいかない。逃げた先には何もない。時限爆弾がそれを許さない。
ドン!
ドン!
ドン!
「…………入るなら、早く来いってのに」
そこで気づいた。そういえば鍵なんてかけていない。なのに何故『口なしさん』はここまで入るのに手間取っているのだろう。良く分からないが、鍵は関係なしに入れないのなら開けてしまって、まずは誘い込まなければ。
何度も何度も扉に叩きつけられる重さにビクビクオドオドを繰り返しながら、どうにか指先を掛けて扉を開くと、真っ黒い人影のような……否。それにしては不安定で歪な影が机をなぎ倒して向かってきた。
「う…………」
机のバリケードはあっさりと突破され、『口なしさん』がその姿を現した。懐中電灯に照らされたその姿は紛れもなく『口なしさん』だ。覚悟していた。どんな存在が出てきても強気に振舞うつもりだった。しかし現実とは情けないものだ。脳内では無敵の勇者になれても、実際の俺は少し怖がりな人間。心の奥底から本音を言えば勝手に泣いてしまう様な、そんな人間だ。
男も女もない。人型を膨らませたような存在には口がなかった。
厳密には口だったらしき物体はあるが、崩れた下顎と切開された喉が開いたまま繋がっているので口というよりは裂け目に近い。骨なんてあってないような状態の顔は、だからか歩くだけで不安定に揺れている。『口なしさん』が一番不気味なのは、異形と化しているのは顔だけで、胸から下はまるで普通の人間である事だ。
と言っても人間っぽく見えるというだけで、それは絶対に身体ではない。腐り果てた指は皮だけで繋がり、足は踏みしめる度に崩れ落ちた肉を潰して、それで音をかき消している。
「あ…………ぁ」
出会って直ぐに殺されるような事は恐らくない。頭では理解していても目の前には怪物が居る。ズルズルと粘っこい音を引きずりながら、ゆっくり俺に近づいてくる。頭が回らない。どうすればいいか忘れた。
「ケイタノ名前ハ?」
尻餅をついて身動きを取れないでいる俺の前で、『口なしさん』は奈落に落ちているかのような声と共に質問をした。
俺ではなく、背後から忍び寄っていた澪雨に。
「…………!」
俺もまさか身体の向きを変えてまで澪雨に狙いを絞るとは思わなかったし、それ以上に本人が困惑しているだろう。猿轡をしているなら質問される筈がないと。矛先が他人に逸れたお陰か俺にも多少の余裕が生まれて―――原因に気づいた。これは俺が悪い。
ちゃんとした猿轡の作り方を教えていなかった。具体的にはタオルをただ噛んでいるだけ。後ろでどれだけ強く縛っても、あれでは喋れてしまう。見掛け倒しなのだ。
「―――ッ」
無視かどうかは故意で判定される物ではないとして。面食らった沈黙はどう扱われる。明らかに無視だ。『口なしさん』からすれば質問に答えられない様に見えるだろう。制限時間なんて物は分からないが、とにかく答えは分かる問題だ。答えればこの場はやり過ごせる? 分からない。だが死ぬ事はない筈だ。
一秒、二秒。いつまで経っても面食らったままの澪雨に苛立っている。代わりに俺が答えようと思ったが、他人が横やりを入れる行為はセーフなのかどうか。それは試せない。試さない事には分からないが、もし駄目だった場合澪雨が死ぬかもしれない。
「オイ」
「あ、さ、さわがねけいた……!」
力ずくで猿轡をずらし、澪雨が大きな声で言った。さあ、質問の答えだが、正解している。この後、彼女は質問をしなければいけないそうだがどういう流れでしなければいけないのだろうか。というか質問させるという状況がまず不明だ。今にも食い殺しそうな見た目の奴に一体何を尋ねようというのか。
「何ガキキタイ」
「あ、え、え…………あ」
心なしか、助けを求めるような視線。だが俺にはどうする事も出来ない。割り込んでいいなんて情報は聞いた事がないのだ。これでもし澪雨に何かあったらと思うと、責任なんて取りようがない。質問なんて何でもいい。何を質問しても俺は怒ったりしない。まずは『口なしさん』との駆け引きを知れればそれで十分だ。それと……鍵を狙うのは俺の役目になってしまった。
「く、『口なしさん』はどうやったら帰ってくれます、か?」
それは……………………いいのだろうか。
テストの答えを先生に聞くようなものだが、駄目な質問という概念もまた聞いた事がない。ただ常識的に考えた結果外れていた選択肢を、澪雨はよりにもよってこの状況下で試した。吉と出るか死と出るか。喉の底から「馬鹿野郎!」という声がでかかって、空洞のような声が全てを遮った。
「コノ学校ノ中ニアルノートヲアツメタラ帰ルヨ」
―――!
考えるのは後だ。返答が終わるか終わらないかの内に俺は懐に吊るされていた鍵束を奪取し、廊下に脱出。バリケードを勝手に壊してくれたお陰で手間取らずに済んだ。逃げようとして、澪雨の存在を思い出す。
慌てて振り返ったが、そこにはもう『口なしさん』の姿はなく、身体を小刻みに震わせた澪雨だけが佇んでいた。
「澪雨様!」
「み、澪雨! すまん。普通に置いて逃げようと……け、怪我はないか?」
「う、うん。そ、それより日方、聞いた!? 今の……聞いた、よね。聞いた。聞いた。聞き間違いなんかじゃないよね」
「私もはっきりと聞こえました。学校の中にあるノートを集めたら帰る……と」
「…………なら早速、役立つんじゃないか?」
奪った鍵束を二人に見せつける。このやり方が正攻法かどうかなんて分からないが、突破口が初めて見えた。考えてもみれば、有名どころの怪談の様な対策が『口なしさん』にはない。べっこう飴だとか、白の水晶だとか、そういったもの。あれはもしかすると、本人から聞き出す必要があるから存在しないのでは?
……素人がそれっぽく理屈を考えても時間の無駄か。とにかく、ノートとやらを探してみよう。どうやら一度質問が終わった『口なしさん』はその場から姿を眩ますらしいし、そこにはある程度インターバルの様な物があると信じたい。その間に探していけば……!
ギイイイイ。ギイイ。
希望的観測をあざ笑うような歯軋り。インターバルなんて、そんな都合の良い概念は存在しなかった。




