無辜の悪意
時間が解決させてくれると思っていたが、その考えは甘かった。俺が何とか落ち着けたのは睡眠を挟んだからであり、夜から夜、校舎から体育館に移動しただけで感情はどうにもならない。特に愛村美寿紀の方は彼氏(西藤がそうらしい)が殺されて立ち直るとか立ち直らないとかそれ以前の問題だ。俺だって急に両親を殺されたら立ち直れない。時間が解決するのにも限度はある。
―――じゃなかったら俺も転校なんかしないしな。
泣いている人間の手前言い辛いが、いつまでも泣き声を聞かされているとこっちまで気が滅入る。泣くのを止めろとは言わないが、せっかく必死になって心を強く保っているのだから配慮して欲しいものだ。尤も、この場合配慮するべきは俺の方なのだろう。俺だって泣きたい。夜明けになったら死ぬかもしれない。死にたくないから必死に強がっている。どんな手段を使ってでも生き残らなければならない。
だって俺は、死にたくなんてないから。
ラジカセから歯軋りが聞こえなくなったので、仮説の立証をするように外へ出る。恵太こと『口なしさん』の姿は何処にもない。やはりというか、あの音にはちゃんとした意味があった。本当に煩いし今となっては聞くだけ心を蝕むような気味の悪い音だが、あれと対決するならこれからも持ち歩かなければいけなさそうだ。
「…………澪雨、大丈夫か?」
さて、俺が外へ出たのは仮説への検証も含めて、木ノ比良澪雨のメンタルケアを行う為だ。泣き声の響く館内では集中どころか苛ついてむしろ俺が発狂しかねない。夜更かし同盟と泣いている二人だけならまだしも岡田が居る。残る全員が生き残った場合、俺と澪雨の二人が露骨に親密にしていたら何処かでその噂が流れてしまうかもしれない。
命がけの事態を乗り越える予定があるなら彼の善性を信じてもいいが。理由があって俺は根拠のない仲間とか友達とかそういう関係に不信感がある。ゲームをするだけでこれらは取り払われるが、今はそんな呑気な事をしている場合ではない。
「…………ねえ日方。私、とんでもない事したのかな」
「さっきも言っただろ。お前は悪くない。自分を責めたくなる気持ちはわかるけど」
「仁井原君も西藤君も、良い人だったんだ。こんな所で死ぬなんておかしいじゃん。おかしいんだよ。でも、それなのに。私…………わ。たし」
「澪雨」
女子の慰め方なんて分からないが、とにかく抱きしめる事しか出来ない。寒くもないのに震える身体、蒸し暑いのに下がり続ける体温。異常事態ばかりで俺も気が動転している。目に見えて慌てないのは俺以上に周りが慌ててしまうからだ。
別に特別な性質ではないと思う。自分だけ低い点数を取ったら悲しいが、そのテストでクラス全員が低い点数だったら大して悲しくならない様なものだ。事実として『悲しいかどうか』ではなく、あくまで『目に見えた反応』として。
「―――それを言い出したらお終いだ。林山だって別に死ぬ様な事は何もしてない。悪い人だから死ぬとかじゃない。死ぬような目に遭ったから死ぬだけだ…………大体さ。そんな事言い出したら真っ先に死ぬべきは俺達って事になる。でも、死にたくないだろ」
「………………怖いよ」
「俺も怖い。女子が漏らしてくれなかったら俺が代わりにしてる所だ。本当にどうすればいいか分からない。でもやるしかない。特に俺達は。時限爆弾がついてる。逃げだしたくても逃げられない。だから先にアイツらは逃がしてもいいと思う。でも結局俺達だけは残らないといけない。だから落ち着こう。一旦」
「無理。無理無理無理無理無理無理。こわいこわいこわこわいこわいこわいよぉ…………!」
「死ぬ時は一緒だ」
それがある種の禁句である事自体、俺には何となく察しがついていた。時限爆弾が起爆するから当たり前、などとそんな単純な話では済まない。澪雨が死ぬなら死んでもいいとさえ言っている。死ぬのは怖い、痛いのは嫌い。自由を求めた一夜がある日最悪の流れを生んでしまった。非常に後悔している、自由を求めた結果だからと割り切れない。
それでも、一緒に死んだっていい。
ネガティブに陥った人間を一時的にでも立ち直らせるには否定して励ますのではなく肯定して一緒に堕ちる事。それが精神衛生的には何ら解決を生まないなど素人でも分かるが、今は立ち直ってもらう必要がある。今だけはまともでいてもらう必要がある。
胸の中で泣き喚いていた澪雨がぴたりと動きを止めて、俺の首に手を置いた。白い指先が肌を撫でる感触は、虫が身体を這っているかのようだ。熱の有無では生じない寒気がたまらなく不快感を煽ってくる。相手が女の子なので、突き放すに突き放せない。
「…………嘘つき」
「まだ嘘じゃない。それに俺は脅されてるんだ。約束を破る自由があると思うか? どうせお前達と交流してる内に脅しのネタは無数に増える。どの口が言うとか突っ込まれても言い返せないけど、特に両親に迷惑を掛けたくないんだ。少なくとも公にはなってほしくない。もう信じるとかそういう話じゃないんだよ。建前でも何でも、お前達に弱みを握られてるのは確かなんだ。普通の人はな、脅迫されたら従うんだよ」
「……………………突破口、あるの」
「今はまだないけど。糸口は見つかったかもしれない。どうせ時間で死ぬなら試す価値はある。協力してくれ」
澪雨は俺の胸から抜け出すように顔をあげると、泣き腫らした顔を無理に歪めて笑顔を作った。
「勿論っ」
その言葉を聞けて、今は十分だ。澪雨を先に帰した後、俺はボイスレコーダーの録音を停止した。少し時間を置いてから何気ない顔で体育館の中へ戻ると、岡田が俺に向かって突進。運動部の筋力に俺が抗える道理はなく、女子四人に見られる中で、壁に押されながら胸ぐらを掴まれていた。
「おい。何でお前がここに居るんだよ日方。お前さ、自分がいけないから代理を送ったって話だろうが」
「…………そうだな」
「何か知ってんだろ。言えよ。知らないなんて言わせねえぞ、西藤も仁井原も死んでんだ。二人も死んでる現状も全部知ってんだろ!」
「―――三人。いや四人だ」
自分では解決出来ないからと、単純に責任を擦り付けたい気持ちは非常に良く分かる。平時の俺が正にそれだ。成績が悪くなったら常に喜平かサクモのせいにしてやろうと企んでいる。だが今だけは許されないし、その責任を負うつもりもない。
自分の死以上の責任なんて負った所でどう果たせというのだ。
「は、は?」
「俺は…………沢兼恵太と、名前も知らないもう一人の死体を目撃してる。だから犠牲者は四人だ。でもそれ以上は何も知らない。知らないから何も出来てないんだよ!」
「―――ふざけんなよ! お前。お前のせいだろ! 何とかしろ! お前のせいであいつらは死んだんだ!」
『口なしさん』の事が何も分からないからって人のせいにするんじゃねえよ! 大体死にたくないなら外出しなきゃ良かったんだ! 何で乗った!? 夜は外出禁止だぞ!」
「―――そういうお前は何でだよ! お前だってこの町の住人だ! 外に出ちゃいけない事くらい分かってんだろ!」
「質問に質問で返してんじゃねえよ! アイツらが死んだのも、これから俺達がどうにかなっても、それは自分だけの問題だ。人に押し付けてそれで満足か? そんな事してどうなるんだ! 今、外に「『口なしさん』は居ない! 怖けりゃ帰れ!」
「ふざけんな! そんなもん信じられるか! とにかくお前、お前が全部悪い! だから出てけ! 今すぐにここから出てけ!」
「もうさ、いい加減にしてくれない?」
男二人、正しさはさておき譲らぬ主張を持つ二人が混じる事はない。それを止められるとすれば第三者しかいない。岡田の首筋にスタンガンを当てながらギャル凛が冷たい口調で吐き捨てた。
「あっちではずっと泣かれるし、こっちでは怒ってるし。もうしんどいんだよね。誰が出てくとかそんな躍起になる事? だったら全員叩きだしてもいい?」
「凛。お前…………」
「大丈夫。岡田の意見は尊重してるよ。ユーシンはちゃんと私が外に追い出す。でも私もついてくつもり。ミオミオも、多分ね」
「な、何で! 二人はこいつのせいで―――!」
「誰の責任とかどうでもいいじゃん。見苦しいよ岡田。死ぬかもしれない状況で責任とか言い争ってるのバカみたい。私知ってるよ、あんたがSNSでネガティブなニュースに物言いしてるの。責任って別に万能な言葉じゃないから。口だけになるのも万能じゃないからだし。大切なのは生き残るかどうかだよね。私、死にたくないんだ。だから悪いけど勝ち馬に乗る。アンタ達はここで閉じこもってればいいよ」
「………………そいつについていって死んでも、俺は責任なんてごめんだからな」
「またそれ? 話になんない。岡田って顔はかっこいいけど内面が駄目だよね。で、さ。そろそろ日方君を離してくれる? このままじゃ追い出せないし、無意味に痛めつけるなら今すぐスタンガンのスイッチ入れるけど」
十発程度殴られる覚悟はしていたが、凛の助け舟で何とかその場は事なきを……事なき、か? 道連れにされる形で夜更かし同盟の三人は体育館を退室。玄関を過ぎた所で鍵がかかり、入室が不可能になった(厳密には扉につっかえ棒が掛かっただけだ。鍵は俺が持っている)。
素に戻った凛が大きくため息を吐いて、俺に頭を下げた。
「申し訳ありません。こんな形で分かれるつもりは」
ギイイイイ。ギイイイイイイイイイイイ。
歯軋りがラジカセから聞こえているので二人の口を塞いでその場にしゃがみ込む。音は近くも遠くもならないので本体が至近距離に居る訳ではない。音が止んでから、改めてその謝罪に対応した。
「俺は願ったり叶ったりだ。あいつらを安全に隔離するにはどうすればいいかずっと悩んでた。ピリついて喧嘩売ってきたから利用出来るかもと思ったけど……殴られなかったのはお前のお陰だよ。有難う」
「七愛、やるじゃん」
「お褒めにあずかり光栄です。私達が解決するまで、あの三人は留まってくれるでしょうか」
「何処かで脱出するだろうな。いつまでも体育館にいる訳にはいかない。あそこには生活空間がないからな。あのまま朝を迎えれば取り合えず生き延びる事は出来るけど、夜間外出が誤魔化せなくなる。まあどっちにしてもいいんだ」
「どっちにしても?」
「ああいや、気にするな。ともかく三人になった所で今さっき立証された仮説についてお前達に聞いてみたい」
どんな手段を使っても、生き残る。俺は三人で生き残りたい。この考え方が大いに間違っている事くらい分かっている。それでもやはり……どんなに考えても、全員で生存するのは無理があると思っている。
生存者が多ければそれだけ全員が全員の弱みを握った状態になる。その場合、誰か一人に降りかかった面倒にまとめて巻き込まれる可能性が非常に高い。もう一度言うが、一般人は脅迫されたら従うのだ。まして夜に外出が発覚すればどうなるかも分からないような町では。
かといって端から切り捨てられる程外道ではないので、どっちでもいい。
途中脱出で生き残っても。途中脱出で死んでしまっても。
そこがハッキリするだけで、今後の気の持ちようが変わってくるから。
俺はラジカセを手に取って、二人の前に置いた。
「多分だけどこのラジカセは―――『口なしさん』の活動周期を示してる」
「活動周期?」
「『口なしさん』は耳が良い。最初にここへ来た時、俺達は足音で追跡されたな。勿論、眼もある程度は機能するんだろうけど、明かりがなきゃ暗すぎる。体育館に全員を避難させる為に俺は大声で行先を伝えた。『口なしさん』にも当然伝わった筈だ。だから本来は岡田の言う通り、脱出なんて無理だよ。あっちは俺達が出てくるまで待ち伏せしてればいいだけなんだから」
でも、居なかった。
それは何故か?
「このラジカセから歯軋りが聞こえてる間。これが多分レーダーなんだ。この間に物音を立てたら存在を気づかれるんだと思う。もしくは俺達にだけ向けてたか」
「待ってください。それでは説明になっていません。仮にそうでも、咲彩さんと美寿紀さんは泣いています。音を聞いても聞かなくても、やはり待ち伏せすれば良い事に」
「だから、この歯軋りが聞こえている間だけ、『口なしさん』は俺達に気を払ってるかもって事だよ。もしくはこの音の間だけ実体化してるとか。実際俺はお前達と離れて行動している内にかなり物音をたてたけど『口なしさん』はやってこなかった。思えばラジカセが鳴っている時は出来るだけ動かないようにしてたからな。本物と見分けがつかなくて怖いし。それで実際、『口なしさん』はお前達の方にばかり行ってただろ……それと」
「それと?」
「恵太は偽物だったとして、単独行動していた二人。一人は俺が図書室で死体を確認したが、もう一人は未発見だ。死んだだろうって思ってたけど……位置の明確な俺達を待たずにわざわざ離れたって事は、何処か遠くの場所で物音を聞きつけた可能性がある。つまりまだ、生きてるかもしれない。まずはそいつを探してみよう」




