目を覚ます死
死とは実感だ。
実感とは身近だ。
身近とは恐怖だ。
死とは概念である一方で、誰もが避けられない終末。もしそれを避けられる様な存在が居るとすれば地球外生命体か、死以外の特殊な運命を辿るかだ。どちらも存在しないと知っていて、例として挙げている。
俺はゲームでたくさんの人間を殺した。何処かの国の兵士、ゾンビ、民間人、マフィア、極道、聖職者、ゲームの概要として殺さなければいけないのだから殺しただけの話。規制の緩いゲームでは凄惨な死体もたくさん目撃した。リアル志向でなくてもそうでなくとも、その気になれば死体は幾らでも惨く出来る。現実的にあり得ないような死に方だって可能。全てはゲーム、架空だからこその業だ。
だが。
現実の死体は、どんな凄惨な架空よりも惨い。たとえその殺され方が喉から下顎にかけてを削ぎ落されるだけの死体であっても。架空はリアルに遠く及ばない。何故かと言われても説明に困るが、少なくとも今の技術ではまだ架空と現実の間には境がある。何よりも区別出来ている証拠ではないだろうか。
「あ、あ………………ぁぁ」
魂が抜けていくような声を上げる澪雨。現実を受け止めてきれていないのは声からでも何となく分かる。俺は決して人間心理に通じているとかその類の人間ではないが、先程まで彼女が楽しそうにしていたのは知っているから。
「………………まじ、か」
仁井原は何処までも今回の肝試しをエンターテインメントとして捉えていたが、死体が出るとなると話は別だ。それはどうしようもない現実、泣いても笑ってもそこにあるのは命が失われた肉塊で、かつて人間だった名残だ。それを娯楽に出来るような悪趣味は流石にこの町と言えども蔓延ってはいない。
「いやぁ……! いやぁ…………! 帰るぅぅぅ! 私帰るぅぅぅぅぅぅ!」
「咲彩待てって落ち着けよ! 離れたら危ないぞ!」
「やあああああああああああああああああああああああ!」
死体が出れば嫌でも現実を直視する。彼らも居るか居ないかのお化けを探すのではなく、確実に存在する化け物を探している事に気づいただろう。この計画の発端は『口なしさん』の捜索。その存在が確認出来たのなら大人しく帰るのは賢明な判断なのだが。居るか居ないか曖昧な状態だったからこそ今まで大胆に行動で来ていた訳で。
その存在を認めてしまえば、どうしても動きは鈍る。死体の存在で取り乱しているのもあるが、誰もその場を動こうとしないのが何よりの証拠だ。声だけで判断するのもどうかと思うが、錯乱して泣いている女子が二人。現実を直視して黙る男子が一人。凛と澪雨は正にその中間で、落ち着いているというのは岡田一人か。
訳ありな男というより、周りが取り乱し過ぎて相対的に落ち着いているだけだろう。俺と同じだ。
「はぁ…………ぁ。し、死体……です、か」
演技も忘れて凛が声を漏らす。この最中にそれを指摘出来る奴は居ない。女子二人が共鳴しながら甲高い声で泣いているこの状況、一体誰がこの空気に呑まれないのか。
「………………か、帰ろう、ぜ。俺達、何もみなかった事にしてさ。こんなのどうしようもねえよ!」
「……賛成だよ。でも恵太も連れて帰るべきだ。誰も連れてこなかったけどな」
「美寿紀…………だ、だいじょぶ……だいじょぶ……だいじょぶ、だから」
「まさ……かぇ…………う、うううう、ぐす。うえええええ……!」
帰る方針なら俺の居る場所を通るのが最短ルートだ。女子二人の泣き声に乗じて踊り場を離れると、ラジカセを回収して速やかに離脱。俺と澪雨と凛だけは、どうしても帰る事は出来ない。だがその他の人物には帰ってもらった方が都合が良い。その方がまだ『口なしさん』をどうにか出来るだろう。
「アイツは一人で帰ってこれるだろ。それよりも女子だ!」
「お、お前達。こんな所で何してるんだッ」
恵太の声が携帯から聞こえる。偽物なら猶更俺は離れないと駄目だ。今の内に行ける場所がまだ残っている。
「恵太……何してるって。見て分かれよ。さっきまであんなに取り乱してたのに、落ち着きすぎだぞ」
「…………みおさ……ミオミオ、こ。こっち」
「そうだ! 元はと言えばお前が取り乱したからこうなったんじゃないか! 『口なしさん』の噂について詳しいのはお前なのに、何で先に逃げるんだよ! お前だったらどうにか出来たんじゃないのか!」
「どうにかって…………じゃあ聞くけどさ。『口なしさん』の対処法を知ってる人がここに一人でも居るのか?」
「何言ってんだ! 噂では………………あれ? なあ岡田。噂に対処法とかって」
「俺に聞くなよ。咲彩待てって。一人だと危ない!」
「離して! 離して下さいぃぃぃぃ…………」
「オイ」
聞こえる筈のない声が携帯から漏れる。それは既に、死んだ人物。ついさっきまで元気だった男の声。
「無視スルナヨ」
「何を―――グガギャ!」
仁井原が問いただそうとした、その刹那。肉を剥ぐような音、絶叫、号泣。残る生存者による悲鳴の合唱が木霊して、校内に混乱が満ちていく。上の階でバタバタと足音が聞こえると同時に俺も走り出した。手に構えていた携帯を口に当て、凛に向かって指示を出す。猿轡は外した。
「全員体育館に集まれ。早くッ。それしかない」
鍵は恵太が持っているので、普通は隠れ場所が限定される。しかし死体は文字通り命と引き換えに体育館の鍵を奪ったまま息絶えていた。『口なしさん』としては鍵は全て掌握しておきたいのが本音の筈だ。鍵が奪われた事に気づいたなら回収されている筈。つまりこの鍵だけは唯一盲点であり、ここにさえ来てくれれば一先ず『口なしさん』からの被害は免れるという事。
五段飛ばしで階段を下りて、体育館に向かって一直線に駆け抜ける。校舎と体育館は廊下で繋がっているが、その廊下自体は外へ出ているのでそのまま脱出する事も可能だ。それなら脱出した方が安全なのではないかという話もあるが、俺達三人には時限爆弾があるのでそれだけは論外。他の人は分からないが、勝手に脱出されるとそれはそれでこちらにリスクがあるので、してほしくないという身勝手な事情はある。
今回に限った話ではないが、誰か一人でも生き残ってしまうと澪雨と凛は外出を知られたまま朝を迎える事になる。ここでの生存者=これから一生秘密を抱えるグループの人数だ。しかし秘密は複数人で共有される物ではない。それは簡単に何処かから漏れてしまう。それは非常に都合が悪い。悪いのだが……その一方で、血も涙もない理屈なのは自分でもわかっている。
だから脱出されても文句は言わない。彼らには自分の命を優先して欲しいと思う。俺達だって時限爆弾がないならすぐにでも脱出している。大人しく夜に外出しないで部屋に閉じこもっていれば安全だ。今日以降俺達はこの禁を破らない模範的な人間にさえなるだろう。それを許さないのが正体不明の時限爆弾。
部屋に居ても死ぬから、外に出るしかない。
たった一夜。それもあの変な壺を割ってから、俺達はそれを強いられつつある。とことんまで最悪だ。
体育館前で待機していると、火事場の馬鹿力か何かで見知らぬ女子を背負う凛が駆け込んできた。俺を見ると安堵したような表情を一瞬だけ浮かべて―――突撃するように体育館の中へ。
「何があった!」
「恵太君が仁井原君の顎を剥ぎ取りました! それと、何故か恵太君から西藤君の声が!」
・『口なしさん』の質問に無視をしたら喋れなくなる
つまりそういう事か。仁井原は故意でないにしろ沢兼恵太を装った『口なしさん』の質問を無視してしまった。その結果が死因……顎と喉を剥がされる事により、喋れなくなると。そしてなりすませる以上は当たり前だが、声も奪われるようだ。西藤も本物の恵太も質問に対して無視をした結果、あんな事になったのかもしれない。
遅れて澪雨がやってくる。扉の傍に控えた俺を見かけるや否や、人目も憚らずに飛びついてきた。
「日方っ!」
「うお……澪雨」
「ぅそ…………うそ、だよね。さ、西藤君と仁井原君が…………」
「………………」
どう答えても正解にはならないと思う。このままだと鍵をどうにも出来ないので彼女を引き離して扉の前へ。最後にやってきたのは女子を抱えた男子であり、顔も分からない俺には判断しかねたが、一人の女子を慰めながらこちらを見ていた凛が「早く閉めて!」と急かしていたので急いで鍵を掛ける。
耳が良いらしい『口なしさん』には俺達の居所など明らかかもしれないが、壁をすり抜けると言った真似は恐らく出来ない。家の中には劣るが、一先ずここは安全地帯だ。
「まさかげえ! やだ……やだああああ…………!」
「帰して! 帰して帰して帰して帰して帰して帰して帰して帰してええええええ!
女子二人は、共に失禁しながら泣き叫んでいる。感情に呑まれた様子の男子が「かえりてえよ……」と漏らしながら必死に背負っていた女子を慰めていた。とてもじゃないがこのまま彼らを助ける事は出来ない。落ち着いてからでないと、普通に巻き添えを食らいそうだ。
ギイイイイ。ギイイイイイ。
ラジカセからは歯軋りが聞こえている。俺にはまだ何の法則性も掴めていないが……もし静まるような事があれば仮説が立てられる。この騒音のせいで俺は感傷に浸る暇もない。みっともなく感情をむき出しにしないで済んでいるのはある意味これのお陰だ。
「…………私。とんでもない事しちゃった…………日方。私……」
「………………お前は悪くない。弱気になるな。俺達は生きて明日を迎えるんだ。だから絶対お前のせいなんて事はない。澪雨。大丈夫だ。大丈夫…………俺が守るから。大丈夫だ」
確証はない。
自信もない。
それでも強がるくらいはさせて欲しい。失敗すれば全員死ぬ。見栄も世間体もなく現実的に死亡する。恥ずかしいとかよりも、死んでしまう。死人に喋る口はなければ恥じらう顔もない。何もかも死ぬよりはマシ。死なない為ならどんな事をしても許される。
だから堪えろ。涙を。不安を。呑み込んで強い男になるんだ。
感情に呑まれても、きっと解決はしないのだから。




