偽りの幸せ
恵太君はいつになく取り乱しているものの、『口なしさん』と見たと語る人が約一名。仮にもこの場に集まったのですから彼を嘘つき呼ばわりする人は居ませんが、実感として同じ恐怖を覚えている人が果たしてどれだけいるのでしょうか。
「わわわわわわわ早く逃げにげにげにげ!」
「落ち着けよ。お前が逃げてどうするんだ。発起人だろ」
「そうですよ。『口なしさん』は追ってきていませんから、大丈夫です」
岡田君と澪雨様に宥められて恵太君は何とか落ち着きを取り戻しかけている所。キャラとして私が慰めに行くのもどうかと思って傍観していますが、不自然ではないでしょう。他の皆さんも同じ様にしているのですから。
―――そういえば西藤君は、美寿紀さんの。
彼女の方を見ると、ただ一人だけ携帯を眺めている様子。携帯からメッセージを送ってリアクションを待っているのでしょう。彼氏の事が気になるのは不自然な事ではありません。戻って来たのが恵太君ではなく西藤君だったら、不安になる必要もなかったのかもしれませんが。
「おいおい、どうしたよ。楽しく行こうぜ楽しく! ……お前がそんなに取り乱すのなんて、なんか怖いじゃないか」
「だ、だから帰った方がいいって…………言ったのにぃ……」
「……ほ、本当に居るなんておもわおもわおもわなかったんだ! お、俺は確かに心霊が好きだ、だけど。あ、あんな事になるなんて……」
「あんな事、ですか?」
「何、何が起きたの! 何!」
周囲の流れを無視して恵太君に食って掛かるは美寿紀さん。同じ高校生でも男子は殆ど身体が成熟して大人の男性と大差なくなるのですが、そんな事には怯みもせず食って掛かっています。仁井原君が止めなければ私が止めに入っていたでしょう。ただ、今の美寿紀さんを完璧に抑えつける事が出来るのは筋力差から男性でなければならないでしょう。私は別に格闘技などはやっていませんから。
「落ち着け!」
「離せ! 政景は何処だ!」
澪雨様はおろおろしていらっしゃいます。どうすれば良いか分からないのでしょう。態度に出ないだけで私も同じ気持ちです。どうすればいいか分からない。恵太君は動揺し続けていますし、美寿紀さんは頭に血がのぼってそれどころではない。どうしろと?
「ひ、ひ、ひい…………!」
「…………もういい! 私が探しに行く! だから離せ変態!」
「ぐわっぷ!」
後頭部による強烈な頭突きに仁井原君が怯み、その隙に美寿紀さんは走って行ってしまいました。居場所こそ聞き出せていませんが、彼が走ってきた方向を探せば見つかると考えたのでしょう。
「ねえみんな~美寿紀ちょっと錯乱してるっぽいからさ、私が連れ戻して来ようと思ってるんだけど~誰か来ない?」
「……お前が仕切るの、なんか意外だな」
「そ、そっかなあ~? 私、単に怖いから付いてきて欲しいだけっていうかー、美寿紀一人じゃ危ないじゃん。そういう岡田とかどう? 男の子が一人いてくれたら頼りになるんだけどなー」
「やだよ。パスパス。仁井原とか……」
「鼻血が止まらん! 止まるまで待ってくれるなら行くぞ!」
鼻血が止まるまで待つような余裕はなさそうです、仁井原君の発言にはまるで実感が伴っていません。私も澪雨様も、学校であの歯軋りを聞かなければ同じような楽観に陥っていたでしょう。咲彩さんはその臆病な性格から誘っても無駄だとして、こうなるなら澪雨様を残した方が良さそうです。言い方は悪いのですが、人数が多いなら歯軋りが聞こえても澪雨様がピンポイントで狙われる事はない筈。
――――――そういえば、歯軋りは何処に?
入ってから、日方君の所でしか聞こえていません。最初に入った時は昇降口の時点で襲われかけたというのに。彼は大丈夫なのでしょうか。もしや彼がずっと引き付けているから私達の所には来ないという可能性…………どうなのでしょう。そこまで知識がないのは三人に共通した弱点の筈ですが。
「んにゃ~そんな事言ってる場合じゃなさそうだしー。一人で行ってくるよ。つー訳で岡田、後はよろしくねー!」
「お、俺か?」
「頼れそうな男子ってアンタだけだしー!」
廊下を曲がって、美寿紀さんの姿は何処にもありません。何処に行ったのでしょうか……。
『返答はなくても構いません。一緒に探して下さい』
『…………』
ラジカセの音がうるさすぎて殆ど聞き取れなかったが、それだけは聞き取れた。誰を探すのかは良く分からない。ラジカセから聞こえる音はそれだけ煩いのだ。いい加減破壊したくなる。蒸し暑い上に騒音もするなら俺の安らぎは何処へ。ノイローゼ一直線である。
―――誰を探せばいいんだろうな。
ラジカセが鳴っている間は喋れない、単純に声がかき消される。凛の様子から相当焦っているのは間違いないので協力するとして……まずは集団を探そう。アイツの周りから音は聞こえなかったし、電話越しに話しかけてくるという事はそもそもそれを咎められない位置に居るという事だ。つまり今の凛は一人であり、集団は別の所に居ると考えられる。
職員室の周辺は問題ない。一階の見通しは悪いが俺の存在が発見されるくらい近い所に居るなら声が聞こえる筈なので、居ない物とする。『口なしさん』は耳が良いとの事で俺は極力物音を出さないようにしているが、あちらの集団にそんな配慮はない。唯一詳しいであろう恵太が死んだのだから当たり前だ。
自分でも限りなく正しい理屈だと思っているが、それでも扉を開ける手は優しかった。懐中電灯で前方を照らしてもやはり見えない。これだけ光が弱いと気休めにもならないが、廊下に出るのは問題なさそうだ。
「きゃああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
絶叫が、校内をスピーカー代わりに響き渡る。
聞こえたのは三階の教室、そして丁度俺の真上なので三年A組だ。今の叫び声を聞いて全員が教室に行くものと思われる。すると俺は教室へ向かうべきじゃない。この見通しの悪さなら特別教室棟の三階に立っても向こう側は見えない。だが至近距離で何があったかは確認しておきたい。彼らの現在位置を把握する為にも、何が起きたかを知る為にも(全部凛に任せている様では負担が大きくなる)
結局俺は二階と三階を繋ぐ階段の踊り場で待機した。ラジオは邪魔なので遠くに追いやる。気のせいかもしれないが、流石に何の法則性もなく歯軋りを抽出するとは思えないので音だけはきこえるように。いざとなったら『口なしさん』だと勘違いされてもいいから逃げる用意だけはしてある。
「どうしたの!」
一番に到着したのは凛だ。耳を澄ませて上の教室の音に集中すると、凛の他にもう一人女子が居るようだ。反対側の廊下から大量の足音が聞こえるので、探してほしいというのは女子……美寿紀の事だったか。
ギイイイイイ。ギイイイ。
音が、近い。
「あ、あ、あ…………」
「…………ッ!」
扉を閉める音。廊下からは痙攣したような鳴き声と、凛が体内物を吐き出す音が聞こえる。間もなく多くの足音が止まって、二人に状況を尋ねた。
「何があった!?」
「な、七愛…………?」
「おぇ……ぅ……げぉぉぉ」
「ま、ま……ああ、えぐ。ぐ……はッ! うううう」
「…………そこの教室に何かあるんだな! よし、俺が見てやろう!」
教室の扉を勢いよく開く音。この暗闇では頼もしい威勢も、次の瞬間には直ぐに沈黙へと変わってしまった。
「………………!」
扉が開いたせいで全員がそれを目撃したのだろう。俺の為に、凛が絞り出すような声で呟いた。
『西藤…………が。し、んだ』
一気に進めます。




