壊れた␣「」
帰りのHRまで外出禁止を強調される事はなかった。教室全体の雰囲気がもううんざりと言わんばかりで、さながらそれはやる気を出した途端に怠けを咎められる偶然が如し。宿題をやるやらないと違って命が懸かっているものの、それを知るのは俺達だけだ。息を吸う、歩く、瞬きする。夜の外出禁止はそれと同じくらい根付いた常識……それ以前の問題か。常識よりも原始、生きていく為に必要な事。息を吸うのも歩くのも、生きていく為には必要だ。瞬きも目が機能するなら必要だし、夜の外出禁止はこの町で生きていく為には必要なのだ。
家に帰ると、俺は直ぐに夜の準備に取り掛かった。
ラジカセからはたまに妙な音が出るくらいで何の成果も得られなかった―――どころか周囲の席の人間に不審がられたが、どうでもいい。取った写真は現像し、階層別に並べて未使用のノートに貼り付ける。昼の誰も居ない写真というのは貴重だ。わざわざこんな事をしたのは、この町の夜の特性を校内でも懸念したからだ。
夜の町は、構造が変わる。
もし校内でも同じ法則が適用されるなら、この写真と見比べていけば変化点が分かる。もしかしたらそれが何かの役に立つかもしれない。
ザザ。ガ。ジ。ジ。
「…………?」
何の手がかりにもならなかったので壁に追いやったラジカセから音が鳴った。それは五分ばかり鳴り続けていたが、また静かになってしまった。
―――やっぱ持って行った方がいいか?
法則が分かれば、或いは。一人で誰にもバレずに行動する都合上、光源などは最低限でなければならない。月明かりなどあってないような暗さだが、暫くは懐中電灯を使わずに行動しなければ。隠密行動のプロではないので準備は徹底する。何があっても叫ばないように、俺は猿轡の作り方を調べた。布があれば基本的にはどうにかなるようだが、舌を抑える玉と口を覆う布地を両立出来る丁度良い長さのタオルを知らないので、別で用意しよう。ティッシュでいいかもしれない。『口なしさん』は音を頼りに動いている。間違っても声を上げては駄目なので可能なら喉も塞ぎたいが、普通に窒息する。
後は水分とか……と思ったが、猿轡を外した時に遭遇したら大変だ。それは出来ない今の内にたっぷり水分補給をしておこう。
――――――これで、準備は完了?
いいや、まだの筈だ。木ノ比良家については調べたくないが、他の怪談なら調べられる。有名どころで言うと口裂け女。その存在には弱点があるが、『口なしさん』には無いのだろうか。行かないと言った手前改めてサクモや喜平には聞けない。こればかりは……あちらサイドに頼った方が良さそうだ。
「うぐ…………ああああああああ!」
首の痣が脈動している。ラジカセの機械音に重なって、いつにも増して不愉快だ。やはり今日がタイムリミット。そうに違いない。そうでなくとも、俺はこれ以上痛みに耐えられない。
決行は今日の十二時。あちらと合流する前に二人とは一旦集まる手筈だ。とにかく今日で、どうにかしよう。
「七愛から聞いたよ。日方は別行動だって」
「ああ。でもそっちの様子は聞きたいから携帯で通話しっぱなしにしておいてくれ。電池は大丈夫か」
「あったりまえじゃん」
「うぇい」
ハイタッチの為に手を突き出すと澪雨にはそれが何か理解出来ていない様子。じれったくなって俺の方から無理やりタッチさせると、彼女は恥ずかしそうに手を引っ込めた。
「や、やめてよ。恥ずかしいじゃん」
「お嬢様は純真だ事で。早く行ってこい。俺はここで―――」
そこまで言った時、空気の読めないラジカセが静寂を破るように音を立てた。途切れ途切れだった機械音はいつになくハッキリ聞こえている。
ギイイイイイ……ギイイ……
その音を、俺達は非常によく知っていた。恐怖のフラッシュバックから全員が一旦黙り込んでしまう。
「ちょ、え。こ、これ…………」
「…………澪雨様。早く行きましょう。『口なしさん』ではない筈です」
「う、うん。日方…………もし生きてたら、今度はゲームで遊びたい。死なないでよ」
コクリと頷いて二人の背中を押す。返事をしないのは、ラジカセから聞こえる歯軋りが、まるで背後に『口なしさん』を纏わせているみたいで気が気ではないからだ。通話を掛けた携帯をポケットの中へ。鏡はないが夜までにしっかり練習したので、見ずとも猿轡は作れる。
―――これで、喋れなくなった。
仮に喋れてもこのラジカセから聞こえる歯軋りにかき消されるだろう。校舎の中に入って倉庫の裏から集団を観察している内に、ラジカセから音が聞こえなくなった。
『えええええええええ! 日方の代わりにええええええええ!』
『み、澪雨!?』
『よろしくお願いします、皆さん。 実は私もこの噂は気になっていたんです。勿論、お父様やお母様には内緒です。私だって、たまには悪い事をしたいのです』
『うおおマジか! マジか! 近寄りがたいとか思ってごめんなー澪雨! ってかおっぱいデカ!』
『サイテーなんですけど』
『うーん俺もちょっとノりたくないな。あ、一応自己紹介するよ。俺は岡田正弥』
『私は愛村美寿紀』
『仁井原海斗だ! よろしくなあ!』
『西藤政景だ。クラスが違うから知らないよな』
『や、谷野咲彩です……あ、あとでチクるとかやめてくださいぃぃぃぃ……』
後は澪雨と凛が自己紹介をして終わり。人数が足りない様な気がする。ラジカセがまた鳴り出して位置がバレないか不安になってしまったが、この為に距離を離している。余程耳が良くない限りは聞こえまい。
『実はまだ三人居るんだけど、もう学校ん中だよ。俺達はほら、やっぱ初めて夜に出て怖いから……さ。なんか空気も暑苦しいし』
『光もなんか弱いよねー。私の携帯最新機種なんですけど』
『まあいいじゃんいいじゃん! 澪雨がいりゃ怖くねえって! 行こう!』
肝試し集団が中に入っていく。ラジカセの音は暫くなりっぱなしだ。後を追いたいが、今はやめておこう。俺があの場に居たなら聞きたい事がいくらかあったのだが、あちらか話しかけられない限り俺も話す訳にはいかない。呼吸も苦しいが、我慢だ。予備のタオルで汗を拭いながら潜伏を続ける。
『つか~気になってる事があるんだけどー。いい感じぃ?』
『お、何だ?』
『みんなさー迷わなかったの? 私結構迷っちゃったんだよね~』
ギャル凛の質問は、正に俺が知りたい事だ。夜の町は構造が変わっている。ワープにしろ道路の封鎖にしろ、単純な変化でも初見で目撃すれば面食らうだろう。まさか奇跡的にそうならなかったとは考えにくいし、スムーズに行けた理由について問いただしかった。
心の中でリンを抱きしめながら、俺もようやく移動を開始する。昇降口の前に来ただけだ…………ちょっと待て。何故鍵が開いている? 一か所開いているならそこから入ればいいではないか。どうせ後で証拠隠滅をしないといけないのだから、二つも入り口があると面倒だろう。特に昇降口は、外側に居る状態で鍵を掛ける事は出来ない。窓は工夫すれば可能だが……単なる迂闊と親切だろうか。
『俺ら全員迷ったっつーか』
『ま、迷ってる最中に発起人の人が来てくれて~あ、案内してくれたんですよ…………』
『ほっきにん?』
『企画者、ですね。どなたなのでしょうか』
ギイイイ…………ギイイイイイイ……。
『沢兼恵太だっけ? 別のクラスの男子だよ』




