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蟲毒な彼女は夜更かしのような恋がしたい  作者: 氷雨 ユータ
弐蟲 死神に口なし

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立入禁止

 血の臭いくらい分かる。今までに感じた事のない強い刺激臭だ。こんなに人が不愉快になる臭いが血以外の何だと言うのだろう。死体現場などに遭遇しなくても分かる。それは確かに自分の身体を巡る命の源、見るのも嗅ぐのもきついが、それでも俺達になくてはならない物質。

「………………」

「………………」

「…………」

 視界が悪いのは、幸運だった。まだ臭いしか感じ取れない。引き返すなら今だ。何故血の臭いがするのかなんて考えずに帰るのも今しか出来ない。しかし俺達はただ三人で立ち尽くすばかり。頭が真っ白になって、どんな行動も取れなくなっていた。仮に今、歯軋りが聞こえても状況は変わらない。この血腥さに思考回路が痺れてしまって、何が最善であるか全く分からないのだ。

 痺れが収まって来たのは、丸々五分が経過してから。最初に凛が呟いた。

「…………入り、ます、か」

「…………」

「…………」

 不思議だ。テレパシーなんてこの場の誰も使えないのに、全員の発言が一致している。入りたくないという一言で通じ合っている。恵太はきっと別の部屋に居る。これはきっと何かの間違いで、俺達は何も視なかった。そういう事にしたい。

 恵太がいるなら直ちに姿を現し、この臭いについて説明が欲しい。どんな説明をされても納得するから出てきて欲しい。ここに彼は居ないと信じたい一方で彼がここに居ないなら猶更この臭いは何なのかと気になってしまう。

 心臓が、跳ねる。

 手足が震える。いつしか俺も歯を震わせながら。この暑さで心底から冷える寒気に身体をやられたみたいにぎこちなく歩き出す。頼りないライトを前方に当てながら。

「ま、待って……!」

 今度は、二人も扉を閉めなかった。

 第二化学室の言葉通り、ここは二年の選択授業で化学を選んだ場合に使う教室だ。つまり俺に縁はない。一年の頃は選択科目が無かったので多少縁くらいはあったがあまり良い思い出はない。血の臭いには劣るが、部屋全体がいつも妙な匂いに満たされていたのだ。

 ライトをせわしなく動かして、臭いの元を探る。三人で手分けして探せばすぐに見つかるだろうと思ったが、手応えはない。それも当然だ。凛も澪雨も、全く見当違いの方向にばかりライトを当てて、特定の場所には目を向けようともしていないのだから。流石に俺でも分かる。全員が分かっている。分かっていて探すフリをしている。見てはいけないモノがその先にあると、確信しているから。



 ―――歯軋りは聞こえない。



 行くなら今だ。異常事態に挟まれて正気で居られる自信はない。そこに可能性があるとしたら順番に処理するしかないだろう。俺は二人を呼び寄せると、ライトを消すように命じて、ついでに二人で手を組んで机の下に隠れるように指示を出した。

 必要なら理由も説明したが、澪雨はただ頷いて、隠れる。椅子が邪魔な様だったのでそれはどかしてあげた。これで懐中電灯もとい光源を使用しているのは俺一人になり、視界で臭いの元を確認出来るのも俺だけとなった。二人共手を繋いで隠れているのではぐれる心配はないし、さあ残るは俺だけだ。逃げ場はない。不安に曇る顔も、たまらなく気持ち悪い手汗も暗闇に覆われているから悟られずに済んでいる。男は俺一人だけだ。こういう時に率先して行かないのは間違っている。

 臭いがするのは準備室の方。よく見ると扉は締まり切っておらず、二センチ程開いている扉には、指定の上履きが挟まっていた。

「…………!」

 ゴクリ、と唾を呑み込む。歯軋りなんて次元ではない。謎の存在よりも前に、この扉の先には強烈な現実が待っている。俺はそれを見る事になる。ゲームで死体は見慣れているが、たかがゲームの死体如きで耐性を作り出せるかは微妙だ。イメージでは到底凌げない。都合の良い解釈が出来ないでいる。気持ちで負けるな、想像に負けるな。まだ妄想、まだ空想。俺は最強だ。大丈夫だ。学校にテロリストが来ても俺はなんやかんや全員制圧出来るのだ。大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫。大丈夫。





 扉を開けて中をライトで照らすと、見覚えのある色柄を着た人間が倒れていた。





 それはこの高校の制服だが、着用している身体は血の海に沈んでいる。片方だけ靴の脱げた足は綺麗なまま、痛みに悶える様に張りつめたまま固まっており、順を追ってライトで照らしていくと、そこには彼の死因が見える。

 沢兼恵太と思わしき男は、顔の下半分から声帯―――喉の辺りまでをごっそり剥ぎ取られて、絶命していた。

「――――――っぁ」

 喋れなくなる。その言葉の意味を実感している。そこ以外は綺麗さっぱり残っているという部分に、『口なしさん』の異常性ははっきりと表れていた。目が飛び出しそうなくらいに見開いているが、彼は何を視たのだろう。何故こうなったのだろう。俺達のような素人とは違って、彼には確かに、知識があっただろうに。

「―――――ぁぁ」

 手には職員室で手に入れたであろう鍵束。それは分かる。取らなければならない。だが尻餅をついた身体は言う事を聞かない。声も、何かが邪魔をして上手く出てこない。必死に叫んでも、それでも声になるのは小さな吐息ばかりだ。



「ぁ―――ぁ―――ああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」

  


 誰よりも音を気にしていた男の絶叫。一度火のついた恐怖は止められない。

「ああああああああああ! や、やああああ! いやだ! いやだ…………!」


 ―――ギイイイ。ギイイイイイ。


 音が近づいてくる。

「くるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなくるなああああああ!」

「日方! 駄目!」

 

 ――――ギイイイイイイイ。ギイイイイイイ。


 声が。声が。こえが。こえが。こえがこえがこえがこえがこえが。澪雨と凛が机の下から飛び出してくる。懐中電灯を消す。それが限界だった。歯軋りが聞こえていると分かっても、俺は恐怖に囚われたままだ。

「ああああああああやめろおおおおおおはなせえええええええええええむぐ―――っ!」

「澪雨様!」

「な、何か良く分からないけど逃げよ―――」



 ギイ。 



 歯軋りは。化学室の中で聞こえた。

 全員の声が、嘘のように静まる。それが手遅れだと知っていても、声を上げるなんて出来なかった。今から隠れた所で見つかると分かっていても、それでも恐怖は、声を殺す。人を喋れなくさせる。


「こっち」


 その時だった。聞き覚えのある声が準備室の扉を閉めながら聞こえたのは。

「扉を開けて」

 

 ギイ。


「死にたくないなら」


 ギイイイイイ。ギイイイイ。


「早く」


 歯軋りは刻一刻と近づいてくる。錯乱して身動きの取れない俺を二人で運びながら、俺達は準備室の扉を今一度開けた―――。



























「…………………え、え?」

 気が付くと、そこは学校の裏門。敷地外に出たからか、それとも脅威から逃れたかは定かではないが、自分でも信じられないくらい冷静になっている。あれだけ錯乱していたのが冗談だったかのようだ。

「か、帰………………った?」

「な、何が起こって…………」

 直前まで動けていた二人に状況が呑み込めないなら俺にだってどうする事も出来ない。三人はただ助かった事実にのみ胸をなでおろし、互いの無事を喜び合うように抱きしめ合った。そこには何の下心もない。そんな余裕があったなら、俺はもっと冷静に行動できた。

 身体を通して感じる心拍は、誰もが早い。気が気でなく、正気は狂気に、あの瞬間は間違いなく―――死んでいた。

「あ、有難う……助けてくれて。な、情けなかったよな。俺」

「何言ってんの! それはお互い様っ。七愛だって震えてたし」

「…………今夜は、帰りましょう。冷や汗なのか気温なのか分かりませんが…………日方君。シャワーを。貸してください。澪雨様を、このまま帰す訳には……」

「ああ、分かってる。使え。ていうか早く戻ろう。駄目だ。もう今日は無理。今日は…………ん?」

 二人が身体についた砂を払っている最中、俺はポケットに紙切れが入っている事に気が付いた。身に覚えがないので開いて、懐中電灯で照らしてみる。

「日方? どうかしたの?」

「…………いや、何でもない。帰ろう。案内する」

 紙切れをポケットにしまって、俺達は帰路に就く。二人を不安にさせたくはない。














 紙には、こう書かれていた。



『つぎはにげられない』

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― 新着の感想 ―
[気になる点] 要するにあの声の主が助けてくれたんだろうけど…なんとなーく謎の少女な気がするんだよなぁ… [一言] とりあえず生きて帰れた事に感謝した方が良いな…にしても次は無い…か。やっぱり夜は危険…
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