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蟲毒な彼女は夜更かしのような恋がしたい  作者: 氷雨 ユータ
弐蟲 死神に口なし

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あの日、この時、その場所で␣んだ

「………………もう、行ったよな」

 完全に歯軋りが聞こえなくなった頃を見計らって声を出すと、緊張の糸が解れた澪雨が俺にのしかかって来た。

「な、な、何……? あ、あ…………」

「一体何が軋んでいたのでしょうか…………タイルが軋むとは考えられません」

「歯軋りだ」

「は、はぎし……え?」

 恵太である筈がない、という確信を得た。幾ら人間が歯軋りをしてもここまでの音にはならない。木材の軋みと勘違いする程の歯軋りとは、一体どんな口であれば実現するのだろうか。何も分からないが、ハッキリしているのはここで見つかったら俺達は死んでいたであろうという確信。澪雨は自分でも呼吸を整えようとしているが上手くいかないようだ。こんな彼女を連れて先には進めない。このままでは次も見つからずに済むという保障はないのだ。リスクがあるなら最大限には下げておきたい。下心というよりは単なる生存本能で、俺は彼女を抱きしめて、互いの心拍を突き合わせた。

「大丈夫、大丈夫だ。落ち着け。呼吸。ゆっくり」

「はあ、はあ、はあ、はあ…………」

「お前は大丈夫なのか?」

「…………この程度で、恐れていては。澪雨様の護衛など務まり…………手だけ、握らせてください」

 ここで強がる意味はないと思ったのだろう。正しい判断だ。プライドよりも命。前者は一度捨ててもまた手に入れられるが、命はどうにもなりやしない。ゲーム的にも消耗品と貴重品のどっちか捨てなければならないとしたらまず前者を捨てるだろう。

「はあ、はあ、はあ…………ひ、日方は怖くない、の?」

「心拍聞こえてるなら分かるだろ……男は俺一人だ。せめてしっかりしないと、誰が冷静な判断を下すんだ?」

 怖くても。恐ろしくても。タイミングは今じゃない。俺達を追い回してきた謎の存在は音を聞きつけてやってくる。こんな行き止まりで怖いからと叫んだり暴れたりすればそれこそ最悪手だ。大丈夫、俺の代わりに澪雨が怯えてくれているお陰で少しだけ冷静になれている。冷静かどうかは分からないが、取り乱す事はない。

「…………もう、大丈夫。ありがと」

「お嬢様には悪いけど、暫く裸足……いや靴下はあるか。靴脱ぎっぱなしで歩こうと思ってる。あれはどう考えても徘徊しながら音を聞いてる。変に足音を立てたらいつまでも追い回されて逃げるのが大変だ」

「日方君。本当にその詳しい人はここに居るのでしょうか」

「……つっても、手がかりがないんじゃな。俺達に時限爆弾がついてるってのが杞憂だったらいいんだけど、さっき俺は首の痣に殺されかけたからそうもいかない。居るかいないかだけでも確認するまでは、帰りたくないな」

「そ、そうだよ七愛? 日方の言う通り、行くしかないんだよ。行かなきゃ」

「…………………………」

 凛は遂に何も喋らなくなった。肯定でも否定でもない。なるようになれと言わんばかりの目線で、痛いくらいに俺の手を握ってくる。妙な存在に追い回された恐怖でそれどころではなかったが、神社とは違ってここは非常に暑苦しい。外の蒸し暑さを何倍にも凝縮した暑さだ。学校全体が密室状態にあるのも原因か。

 そんな異常気象とも呼べるような状態の中で、彼女の手は震えていた。鉄仮面の様な表情でも、おくびにも出さないは無理があるか。それを馬鹿にする勇気はない。許されるなら俺だってこの場で失禁くらいするのだから。

「い、行くぞ」

「何処に?」

「職員室だよ。鍵がないと教室に入れない。廊下だけでアイツから逃げ回るのは厳しいだろ」

「そもそも、開いているのでしょうか」

「開いてる筈だ。恵太がここに居るなら、学校の何処かに居るなら移動の為に必要だからな。もし空いてないなら恵太はここには居ないから帰ろう。開いてて鍵束がないなら学校の何処かは開いてるって事だ。その時はやっぱり探そう」

 女子トイレから出るだけでも、慎重に。勢いよく開ければ扉が軋む。壁越しに探知した感じでは近くには居ない様なので多少物音を出しても大丈夫だとは思うが油断は禁物だ。命が懸かっている気がする。実際どうなるかなんてこれっぽっちも知らないが。バラバラ死体と首を吊られた林山の死体が常にちらついて、どうしても大胆には動きたくない。

 扉を開けて素早く前方をライトで照らす。頼りない光だが、歯軋りも聞こえなければその主も見えない。先頭の俺が扉を抑えている内に二人もトイレを脱出。ここは特別教室棟であり、どんなに探しても職員室はない。一度本棟に戻らなければ。

「…………………い、行くぞ」

 靴下で歩く廊下は非常によく滑る。ゆっくりと足を前に前に出していくと、後ろの二人も出す足を揃えてまでついてくる。廊下の角には要注意だ。歯軋りを間近で聞くのは怖いが、居場所を教えてくれるヒントでもある。どうせ視界は大して役に立たない。聴覚に殆どの神経を集中して遭遇をあらかじめ回避する。それが一番安全な移動方法だ。

 昇降口まで戻ってきた。歯軋りは聞こえないから近くには居ないのだろうが、どの方向に向かったかくらいは知りたいかもしれない。音が聞こえたと思った時には背後を取られていた……本当に笑えない。

「職員室は……階段前から左に曲がって一番奥だな」

「う、うん」

「その筈です」

 当たり前の事さえ、疑わしい。二人に確認を取ってからゆっくりと曲がっていく。外とは違って構造は同じようだ。こんなにライトが頼りないと思った事はない。壁伝いに手を置いて一歩ずつ進んでいく。

 職員室の近くから歯軋りは聞こえないので、そのまま流れで入室。少し力み過ぎたかもしれない。扉を引く音が今日はとても大きく感じた。

「は、早く閉めなきゃ」

「もっと音がするからやめとけ」

「で、でもぉ……」

「気持ちは分かります。日方君、閉めないのはより危ないのでは?」

「…………俺は鍵を探すから、そっちの判断に任せる。俺も正解とか知らないからな……ただ、あんまり長居しない場所だし、出る時にまた開ける事を考えるとあんまり得策じゃないとは思うけどな」

 それでも閉めたいなら、澪雨に任せよう。俺だって素人だから、何が正しいかなんて分からない。それよりも怯えている二人に対して必要以上に抑圧する方が良くない。俺が教頭席の後ろの壁を漁っている間に二人は扉を閉めた。あんなに怯えてくれると、俺だけは多少まともになれる。感謝するのもおかしいが、一人で来るよりはましだ。

「……鍵、無いな。なあ凛。鍵ってここにあったよな?」

「え、私ですか? ……澪雨様、少し失礼しますね」

俺がライトを照らしている場所は金属製のフックが立ち並ぶ箱の中。フックの上には体育館や放送室と言った名前が書かれており、その下に対応する鍵がある筈なのだが見当たらない。凛も隣にやって来てライトを照らしたが、そこにある筈の物がない事に疑問を抱いていた。

「ありませんね。人のいる内に盗難されたと言うのは現実的ではありません。鍵は戸締りにも使いますから。それが無くなっているという事は……持ち出されているという事でしょうか」

「間違いない。恵太はここに居る。探しに行こう」

「全部の鍵が持ち出されてるの?」

「全部の鍵が持ち出されてるけど、特別教室棟の方は何も開いてなかった。っていう事は全部使った訳じゃないんだ。面倒だけど恵太を見つけてなお校内を探索するならやっぱり一回は探し出さないとな」

 音を聞いて歯軋りの位置を確かめる。扉の音は聞こえていなかったのか、近くにはない。

「しかし、あの変な奴が徘徊している中を探すのも簡単じゃないぞ」

 俺も会いたくないが、次にあの歯軋りを聞いて澪雨も凛も正気を保てるかが不安だ。冷静ぶっているが俺も次同じ反応ができる保障はない。極論だが目の前で二人が気絶したり、或いは殺される様な事があればとても冷静ではいられないだろう。

「……特別教室棟、鍵開いてなかったよな。で、一階は見た感じ恵太のいる気配がなかった。というか、他に物音が聞こえたなら歯軋りはそっちに行くと思うんだ」

「音を聞いてるなら、そうですね」

「最初に出会った時、アイツは本棟の一階を歩いてた。昇降口で騒いでた俺達に気づいただけとも言ってもいいけど、他に物音が近かったらまずそっちに行くと思うんだ。だから……本棟の二階か三階に居るかもな」

「その恵太って人を見つけたら…………隠れながら話を聞かなきゃいけないの?」

 職員室を探索していた澪雨が俺達の元に戻ってきた。あの音は二度と聞きたくない。そういわんばかりに声音は不安そうだ。しかしその気持ちは俺も同じなので、ちゃんと案は考えてある。

「恵太を見つけたら一旦脱出しよう。それでまた俺の部屋で話せばいい。そうしたら安全だ」

 部屋の中にさえいれば安全。根拠も確証もないが空気が違う。二人の存在を改めて確認した所で俺は再び職員室の扉を開けて二階へ。

 歯軋りも聞こえないのでとりあえず右手にある第二化学室に手を掛けると、その鍵は開いていて。









 血の臭いに、全員の足が、止まった。

 

 


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