死人に口なし生者に夜なし
時刻は十七時を回っていた。季節的に夜と呼ばれる時間はまだ先だが、そろそろ家に帰らないと夜間外出の禁を破ってしまう。元々破っているだろうと言いたいが、人目に付くとつかないとでは話が違う。バレなければ犯罪ではないのだ。これ自体は『犯罪はバレてもバレなくても犯罪』という正解の元に作り出された詭弁かもしれないが、罪は明るみに出て初めて咎められる。
「ただいまー」
「おう、遅かったな」
「まあちょっとね」
「夜に外出出来ないからって遊んでたんでしょ」
「そうそう。夜は……ゲーム。ああー。今日くらいは流石に休むかな。流石にちょっと睡眠時間削り過ぎた。早めに寝るかな」
「それもいいだろうな。首の痕がこれ以上深くなったら千切れそうだ」
「え?」
「お前がそんなに寝相が悪いとは思わなかったぞ。ヘッドホンが絡まって、そんな事になるなんてな! わはは!」
―――自分で吐いた嘘を、すっかり忘れていた。
その場しのぎの嘘だったから、後はどうなってもいいだろうというのは考えが甘いようだ。これからはもう少し考えて嘘を吐かないと。人間、何を覚えていて何を忘れているか分からない。夕食は準備中なので、それまでに着替えを済ませて、夜の準備を整えなければ。
家に入れば後はもう安全。入ってくる情報に集中して思考を整理していればいいだけだ。大丈夫。『口なしさん』の襲撃はあったが、帰るまでには何もなかった。俺は正しい対処をしたのだろう。
「…………はあ」
首の痣がこのまま消えないとは考えにくいのだが、薄まるどころか濃くなっているのはどういう訳だ。まずこの痣が出来た理由が不明で、何故ここまで痕跡としてハッキリしていなければならない。せめて一時的な物であってくれと。
「夜には気をつけろ……」
それは澪雨のお婆さんが自分の孫に向けて放った言葉。俺の存在など微塵も考慮されている道理はなく、だから気にしなくていい……本当にそうだろうか。確かにこの町の『夜』には何かがあって、俺はその何かの内、一つを解放してしまった。正体は見当もつかないが、あれがこの町の全てではないだろう。だって、俺が解放するその瞬間まで、あの人影は封印されていたのだから。
噂だって急に生えてきたのも、よく考えてみれば根本的におかしな事があった。噂の言い出しっぺなんて探すだけ無駄なんじゃないか。二人に頼んでおいて何だが、そんな気がしてきた。
一先ず、最初から流れを追ってみよう。
恐らく俺があの人影を解放したから、林山も周りの人間も死んだ(残る死体は神社に集っていた人間だろう)。そしてそれに呼応するように噂が出てきた。じゃあ誰が言い出したのかという疑問から俺達は噂を追うようになった。後々俺や澪雨には時限爆弾がついているのではないかという危惧も生まれたがそれはさておき。
前提は、死人の詳細。この町には夜間外出禁止が根付いている。町の大人達は皆その思想を掲げている。そして澪雨を信仰している。神社に居た奴らだって、少なくとも昼は同じ様な思想を掲げていた筈だ。
つまり、『誰』が噂を流したのか、は考えるだけ無駄。
『口なしさん』の噂は校内の誰かが流したものじゃない。仮に俺が都合の良い考え方をしていて、死んだ大人達は夜間外出の禁を破っていただけだとしても、それなら校外に噂が広まっている筈だ。校内にしか広まっていない『夜』の噂。妙だ。駄目だから駄目という理由だけで禁じられた時間帯。学生達は噂を確かめようと興奮して夜の外出を画策しているとか何とか……今がその段階なのに、『夜』についてこんな噂を流せる奴はいない。言い出す様な奴は俺達が手間暇かけて調べるよりも早く最初の一人に咎められるだろう。もしくはそいつが先生にチクってどうにかなるか。
「………………」
分からないという事が、分かった。
考えている内に自分でも訳が分からなくなってきたので、澪雨と凛にも共有して考えを聞かせてもらおう。
「ご飯が出来たわよー」
「ういうい」
それと、転校生としては先輩にあたる恵太からも色々聞かなければ。俺達には心霊の知識がない。とにかくその手の知識を少しでも借りなければ解決もままなるまい。
風呂も入って、歯も磨いて、準備はバッチリだ。二人とは夜を越した仲だが、女の子二人と密会するのは何度繰り返してもドキドキする。あの二人は俺を異性としては意識してないのかもしれないが、俺は違う。意識しているのを頑張って無視しているだけ。後は単純にそれどころじゃない。
「…………」
カーテンを開けて、夜に覆われた町を見渡す。住宅に阻まれてちっとも見通しは良くないが二人の来訪くらいには……いや、どうだろう。目の前にまで来てくれないと分からない気がしてきた。部屋の中ではあんなに明るく見える懐中電灯も、外では電池が切れかけのように頼りない。人の眼の構造上、光もないのに遠くを見るのは不可能だ。
「……」
夜になると、外出は禁じられる。このもどかしい待ち時間の間に出来ない事はないかと考えた結果、インターネットを使えばいいという結論に達した。『口なしさん』というワードを打ち込んで表示させてみれば少しは情報も広がっているだろう。
そう思ったのだが、実際の検索結果は全くのゼロ。
より厳密にいえば『口』『な』『し』『さ』『ん』の語句を含んだ謎のページが引っかかりはするが、俺の求めている情報は何処にもない。インターネットに出てこない噂とは、余程マイナーなのか……全くの嘘なのか。
嘘なら嘘でインターネットを使えばいいのに、とも思う。現代ではインターネットこそ何より噂の温床だ。お化けに限らず陰謀論や宗教論はインターネットを通じて拡散される。その信憑性や実際の所はさておき、情報伝達においてこの媒体の右に出るものはない。伝言ゲームを比較にしようとすると、ちょっと差がありすぎて可哀そうだ。
他にも気になるワードを入れてみようか。
夜は魔物が巣食うとか。
「……」
何らかのゲームの話題が出てきたが、これは違う。金午市には何の関係もない。そうだ、こんな漠然と検索していてはいつまでも近づかないだろう。もっと踏み込む様な検索をしていきたい。
木ノ比良とか。
「…………う!」
首が熱い。検索ページが急に重くなって、ただページを見つけるだけにも時間が掛かっている。一秒が永遠に引き延ばされ、永遠の様な時間、首の痣が化学反応を起こした様に熱されていく。それだけじゃない。首縄にかかったみたいにきつい!
「ご……ぐ、が……ッ」
ベッドから転げ落ちて、首を絞める何かに両手で抗う。何だこの鋭い物体は。力を籠めるだけで今すぐに皮が切れ肉が切れ、出血する。それでも辛うじて割り込めた指を離したら―――間違いなく、死ぬ。
「がああっ。た、たすけ……おとう……」
まともに身体を這わせる事も出来ない。扉に向かって手を伸ばすが、それも身長のせいで辛うじて届かない。ドアノブとの残り距離はおよそ五センチ。たった五センチが、まるで星のように遠い。
「ご、ぐ………あ゙…………!」
足をバタつかせ、頭を振り、身体を転がす。奇跡的に割り込めた指からはとっくに痛みも熱も感じなくなっていたが、それは手遅れという意味だ。自ら寿命を縮めない為にも顎を引く事はしないが、襟首の辺りから湿った感触がする。もう、あまり長くはもたない。
「ぐう、ぎぎぎぎぎぎぎぎぎぎ!」
「ひ、日方君?」
彼女の声がした瞬間に、俺を殺さんとしていた不可視の殺意は行方を眩ませた。指は無事の様だが、襟首には俺の物としか思えない血液が溜まりに溜まって服の生地を沈ませている。時計を見ると深夜の十二時。約束の時間、夜更かしの始まり。
「…………た、たすか……ったあああああああ~」
「え? ど、どうしたの? 分かんないんだけど」
俺の危機など知る由もなく、澪雨は不思議そうに首を傾げた。
もう一話出します。




