首枷の契り
首の痣が、段々と濃くなっている。
「…………」
登校中は首までボタンを閉めて誤魔化していたが、毎度毎度こういう訳にはいかない。体育の授業になるや急に首を痛めた事にして包帯を巻く俺の身にもなってほしい。そしてこれは、流石に毎度毎度やる訳にはいかない。もう少し季節が進めば水泳の授業もある。その時、俺はどうやって隠す。授業をすっぽかせば点数を差し引かれる。成績が悪化すればゲームに影響が出るかもしれない。
何より、首の痣が夜間外出を証明してしまうかもしれない。
両親と夜食を摂っている時も指摘された。
『お前その痣……変じゃないか?』
『え…………そ、そうかな。痣ってそんな簡単に治るもんじゃないと思うけど』
『それと、何か騒がしいわよねえ。ゲームではしゃいでるの?』
『……や、ごめん。盛り上がっちゃって。いつもそれで疲れて寝落ちして……それでヘッドホン絡まりながら寝てるのかななんて』
『………………』
ヘッドホンがこんなに首にきつく絡まった状態で眠れる訳がない。だけどあれ以上納得させられる理屈が思いつかなかったのだ。自分でもだいぶ無理があると思ったなら家族はかなり無理を感じているだろう。何とかして消したいが、まず原因が分からない。とりあえず、外出したのが原因なのは分かる。
「……はあ」
時刻は夜の十二時。隠していても仕方ないので、今は首元を緩めている。そろそろ二人が来る時間だ。窓を開けて到着を待っていると、コンコンと硝子を叩く音がした。手を挙げて入室を許可すると、外側から窓が開かれる。
「こんばんは」
「……おお。昨日ぶりだな。澪雨は後ろか?」
「はい。ですが先に入って欲しいとの申し付けで―――いいよね、入って」
からかうようにボタンの隙間を見せつけて赤い下着を見せつける凛。そんな事されなくても入れるつもりだが、たまに二人きりで会う時の合言葉みたいになっている。目の保養にしてしまっているのでいまいち断り辛いのも弱い。
だが何故三人で集まる時にもそれをするのかは謎だ。真面目な顔でそれをしてくるから、冗談なのか本気なのかもいまいち分からないし。
窓を超えて部屋に入ると、凛は予め俺が敷いた座布団の上で正座を。遅れてやってきた澪雨が俺のベッドに座ると、残った居場所は凛の正面か、澪雨の隣―――ベッドの上だ。悩んだ挙句に、ここは俺の部屋だろうと思い直し、ベッドの上に座った。
「昨日は楽しかったね。日方君を脅す新しいネタも撮れたし」
「そうですね。澪雨様の名案で、まさかあんな写真が撮れるとは」
「もういいだろその話は! ……今度はいつ消してくれるんだ?」
「何があっても消さないよ? ずっと使えそうだし」
澪雨の名案とは、ずばりツイスターゲーム。男女共同で絶対にやってはいけないと呼ばれるゲームだが、深夜テンションで俺はそれに乗っかって、それに二人が参加した。結果どうなったかというと、女子二人に挟まれる男子という怪しからん構図が誕生した。この二人は俺を男子と認識しているのだろうか。揃いも揃って胸元を緩めているから豊満で柔らかな感触が胸と背中にくっついて、興奮に気づかれたらその時点で人生が終わるのではないかという危機感が脳裏を過ったのは言うまでもない。
澪雨はまるで自分が考案したかのように言っているが、脅すネタだと言い出したのは凛だ。写真を撮ったのも凛。何なら澪雨は普通に真剣勝負のつもりで楽しんでいた。黒幕ぶるのは結構だが、このお嬢様には悪意が足りなさすぎる。
弱みを握ろうとするのも、凛任せになる訳だ。
「…………まあ、いいけどさ。それよりも、お前に確認したい事がある。死体の件、なんだけどさ」
脅されている事については、どうでもいい。女の子二人と過ごせて不愉快になる程女性にトラウマはない。俺は健全な男子高校生だ。普通の恋愛は少し苦手なので、こういう形で交流が続くなら是非もない。
「澪雨、どうするんだ? まだ夜更かしは続けるのか?」
「………………」
彼女は難しい顔をして、俯いた。誰も、何一つとして確かな事は言えないが、俺達が夜に出た事であの死体が生まれたのは間違いない。カイブツを解き放ったのは俺だが、俺を夜更かしに連れ出したのはこの二人だ。実際問題はさておき、責任を感じるのも自然な流れではある。
「林山君が、死んじゃった」
「……ああ」
「―――私が自由を楽しむのは、そんなに悪い事なのかな」
「別に澪雨様のせいでは」
「これ以上私のせいで誰か死ぬなら、もうやーめたって……言いたかったんだけどさ」
含みのある言い方に、俺は首を傾げる。どういう選択をしても尊重するつもりだったが、ここに来て話の流れに不穏が帯びてきた。凛に目配せで内容を尋ねてみたが、彼女も何を言い出すつもりかは把握していないようだ。
続きの発言を待っていると、澪雨が急に体の向きを変えて背中をこちら側へ。ブラウスを脱ぐと、傷一つない琥珀のように美しい肌を俺達に向けて露出した。何のつもりかなんて、尋ねる必要はない。彼女は俺に見せたかった。果たしてそれが全ての説明を担うと信じていたから。
背中に刻まれていたのは、合歓の木の葉っぱに似た黒い文様。
それはまるで円を描くように背中を這い回っているが、一部が欠けている様だ。葉っぱみたいとは言ったものの、これは恐らくムカデだろう。ムカデの入れ墨みたいな物体が、ゾゾゾと模様を震わせながら蠢いているのだ。
「げえ…………!」
「七愛。知ってるよ私。貴方の足にも変な模様が出てるって」
「え……」
二人はいつもの制服姿だ。まして凛はスカートを短めに履いていて他と比べると露出度もあるから、何か見えれば入ってくる時に気づいた筈。そう思って視線を移すと、彼女の足に影のような蛇が絡みついて、宿主を絞るように動き回っていた。
「……明かりに触れると、動き出すみたいですね」
「え、え!? ちょ……ま、待ってくれ。何だよ、それ。何だよ! 何なんだよ!」
「分かんないよ! だから調べたの。なんかバレたらまずそうだから、お父様やお母様にはバレないようにね。そしたらこんな文書を見つけたの。ねえ、ちょっとカーテン引いてくれる? 日方君も視た方が良いと思うんだ」
「は? 何で」
「首の痣」
たった一言を言い残して、澪雨はスカートと服の間に挟んでいた資料を床に放る。首の痣が何だ。これが一体何だと言うのだ。カーテンを引いて、電気の明度を一段階落とす。声は自然とすぼまって、三人の顔が資料の上に集まった。
これに何が書かれているかというと、闇に潜む魔―――怪異についての情報が記されている。ページの中には怪異に魅入られた人間がどうなってしまうかなどの概要が記されており、中には『絞蛇の印』をつけられる、消えない痣を残される等。心当たりしかないような情報ばかりが記載されていた。
「…………えっと、要約するとあれだな。俺の痣とかお前らについた印は怪異につけられた物で、放っておくと体が夜に適応していく、と」
「夜に引っ張られた身体は段々と昼を嫌うようになってまともに動けなくなる。完全に印が身体を覆ったらその時は……」
ここでページは途切れている。紙質が古すぎるので仕方ないか。触っているだけでも埃っぽさを感じるというか、干からびているというか。少し紙の端っこを引っ張ったら切れ目が入ったので相当繊細な文献である。
「……『絞蛇』はまあ、凛だとして。お前の変な文様については何も言及されなかったな」
「でも、これに関係あるのは間違いないじゃん。お父様の書斎をもう少し漁れば見つかったかも……鍵が掛かってる箇所もあったし」
「―――私と日方君は、尻尾をまいて逃げようにも時限爆弾がついている。恐らくは澪雨様も。そういう事でよろしいでしょうか」
「…………」
彼女の言わんとしたい事は分かった。死人が出るなら夜更かしはやめたい。だがやめてしまうと、いつか自分達が死ぬかもしれない。それ以上の意思表示がわざわざ必要だろうか。たった一夜の過ちが、文字通り取り返しのつかない所まで俺達を運んでしまった。
こんな本気の脅しがあるものか。澪雨からの脅しなんて、一緒に過ごさなければならないという建前だっただろうに。いや、本人がどう思っているかは分からないが、俺はそう思っていた。それで普通に、味を占めていた。
「で、これはどうやったら元に戻るんだ?」
「それは分からない。でもさ……死体が見つかってから、変な噂が立つようになったでしょ? 何だっけ。七愛」
「『口なしさん』の噂、ですね」
凛のクラスにもそれが伝わっているなら内輪の悪い噂では済まされない。誰かは必ずこの噂をしていると言われたが、あながち間違いでもないようだ。出所が分からないというのは少し気になるが、噂をしている人物が誰であっても、別に俺達には関係のない事だ。
―――本当にそうか?
「そう。それ。私も、多分放っておいたら死んじゃうと思う。そんなの嫌ッ。だから死体が生まれたと同時に噂されるようになったその噂を―――確かめたいと思ってるの。もしもこれが怪異? の仕業なら、解決しちゃえば戻るんじゃないかなって」
「成程」
「ちょっと待て。噂を追いかけるのは同意するが、噂の出所から探った方がいいんじゃないか?」
「どうして?」
「いいか、死体が出るまでこんな噂はなかった。前々からほそぼそと噂されてたとかでもない。死体が出てから、急に上がって来たんだ。そんなのおかしいだろ。噂の出所は絶対に校内の誰かなんだから、まずはそいつを見つけるべきなんじゃないか? 俺もその噂は聞いたよ。その噂の真偽を確かめようと夜外出しようとしてる奴がいるってのもな」
「それは私も聞いたけど」
「俺達が夜に出た時、神社に行くまでは空気が気持ち悪いのと道がおかしくなってる事以外、何にもなかった。でも今は、妙な怪物の噂があるだろ?何が起こるか分からない。噂の言い出しっぺは、もしかしたら夜について詳しい奴かもしれないぞ。そんな胡散臭い噂の前に、確実にいる奴を追うべきだ。違うか?」
「随分協力的なのですね」
「そりゃ命が懸かってるんだから協力的にだってなるだろ。俺じゃなくてもなるに決まってるからな!? …………まあ、うん。乗り掛かった舟だよ。どうせお前らにその写真を流されたら俺の学校人生は終わりだからな。ここはひとつ勇敢な姿を見せておかないと、自尊心が保てそうにない」
「……変なの」
「あんなに鼻の下を伸ばしていた人とは思えませんね」
「だーもう忘れろって! …………今日のところは、こんなもんか。今日もゲームしなくちゃいけないからな。ゆーて後三十分くらいか。せっかく遊びに来たんだから何かして遊ぼうや。トランプとか」
お嬢様は娯楽の「ご」の字も知らないから、何を誘っても新鮮な反応で付き合ってくれる。
そこが物凄く、可愛いと思う。下心マシマシで。
「ん? 待てよ。さっき背中で下着…………澪雨。お前今日もしかして」
澪雨は開けたブラウスを両腕で覆って身体を捻った。
「…………! 見るな! バカ! 変態! 違うから! これを見せるのに邪魔だと思っただけじゃん!ばーか! ばーか!」




