絞首の印
一つ目の部屋には、棚が二つ並んでおり、部屋の奥には空っぽの台座が埃を被っていた。扉の死角になる所には敷布団一式が畳まれており、つい最近まで使っていたような、そんな痕跡が窺える。埃を露骨に被っているのは台座だけ。それ以外は至って清潔に使われている。
棚の中を漁ってみたが、中身は全て引っ張り出されているようだ。もしくは最初から空だったか。だが埃は被っていないのでやはり中身は入っていたのかもしれない。
―――こりゃ、最悪か?
台座の上に降り積もる埃は長年の蓄積を感じさせるが、それは自然的にはあり得ない形で積もっている。丁度中央を円形にくりぬいて、その周りに積もっているのだ。これは少し前まで、―――或いは随分長く物が置かれていた証拠。そして最近取っ払われた証拠でもある。
考えるまでもない。俺達のような部外者が動いている事に気づいて、移動させたのだ。引っ越された部屋を調べても収穫はない。次の部屋も同様の状態だった。やはり台座には何か置いてあったような痕が残っているし、それ以外は引き払われている。
「…………」
最悪だ。
扉を閉めた意味がない。広間に戻ると、二人が屋根裏へ続く階段を下ろすのに成功していた所だった。表の扉からは相変わらず叩く音が聞こえる。足音で俺が戻って来たのを知ると、澪雨ははしゃいだ様子で俺に駆け寄って来た。
「日方君、梯子が下りたっ」
「ああ…………そりゃ、良かったな」
「元気がございませんね」
「……俺達はやらかしたかもしれない」
奥の部屋の荷物が続けて何処かに移動されている事を伝えると、二人は顔を見合わせて―――首を傾げた。
「どういう事でしょう」
「うん。辻褄が合わないじゃんね」
「は?」
「言いたい事は分かります。私達の侵入を受けて、あったはずの物が移動したから今回は無駄足だったと言いたいのでしょう。しかしそれですと……何故今日もここに居たかに説明がつきません」
「あッ」
言われてみれば、その通りだ。用がないなら集まる必要がない。俺の結論は中々に急ぎ過ぎていたようだ。もしくは外がドンドンと煩いので、それで焦れていたか。
「……そういえば、こんな状況になってもあちらさんは声を出さないんだな」
「正体を隠したいのでは? 録音機の件ではありませんが、自分の考える事は相手も考えるだろうという思い込みは中々抜けられないものです。可能性自体は、ございますから」
「行こう。二階で何か見つかるかも。日方君はどうする?」
「…………残り調べたらそっち合流するよ。もうどうせ逃げられないからな」
バンッ! バンッ!
扉をたたく音が強くなった。何か固い物で叩いているようだ。籠城も無限には時間を作れない。別れも程々に三つ目の部屋に入って、中を確認する。大した変化がないので四つ目の部屋へ。
「え?」
壺が、あった。
一口に言っても様々な素材があるが、目の前にある壺は焼き物だろう。専門家ではないのであまり詳しい事は分からないが、全体として丸い袋のようであり、すぼまった上部に口が付いているタイプだ。差し込まれている木栓は後付けの物だろう。足元には前三部屋と同じように埃が積もっており、他の部屋にも同じ壺が置かれていた事が容易に想像出来る。
この壺について調べる前に、他の部屋も調べた方がいい。数えて五つ目と六つ目の部屋を覗き込んだ結果、恐らく撤去されたのはこの壺である事が分かった。
―――なんでこれだけ、置いていったんだ?
四つ目の部屋に戻ってきたが、全体を見回しても壺自体におかしな所はない。木栓を抜いて中身を確認しようと思ったがこれがどんなに力を込めてもまるで引っこ抜けない。なんだこれは。
「おーい。日方君」
上の階から声が聞こえる。やはり防音対策などはされていなかったか……とそんな話は良いか。何かを見つけたのだろう、慌てて部屋を出ようとすると、澪雨の声が続いた。
「あー部屋から出なくても大丈夫だよ。こっちから見えてるかんね」
「……何? え、何処から?」
「天井天井ー。今から叩くよ」
声を聴いてからトントントンと天井を叩く音が聞こえる。音の発生源を注視すると、そこには指先くらいの大きさののぞき穴が開いており、澪雨はそこから俺を見ているようだった。
「あ、気づいた」
「覗き穴があったのか?」
「うん、六つあってそれぞれの部屋の様子が分かるようになってるみたい。壺があるのはその部屋だけみたいだね」
少し考えを整理しよう。俺は鞄から手帳を取り出すと、携帯のライトを頼りに大雑把な地図と現在位置をたしかめる。
人に見せられるような画力ではないが、自分の考えを整理するだけならこれくらいで十分だ。下手な奴程謎の拘りを持つ事があるのでなぜか一ページ無駄にしつつも、現在の場所と全体の構造を地図に書き起こす。
俺は六つある内の数えて四つ目に居る。ここは唯一壺のある部屋で、他の部屋には壺があったような痕跡だけが残っている。凛と澪雨は梯子を下ろして屋根裏へ上った。まだ俺が合流していないのでその構造は未知であるが、そうおかしな造りではない筈だ。また、屋根裏の床には穴が開いており、そこから六つの部屋を覗く事が出来るらしい。
―――神社、じゃねえな。
表向きは装っていても、どころではない。内装があまりにも違い過ぎる。建築様式を無視したこんな珍しい神社があるならさぞSNSで盛り上がっているだろうに、そうならなかったという事は、普段から立ち入り禁止だという事か。初詣は基本的には外で済ませられるし、普段から立ち入りが制限されているならこの歪な構造が明るみに出ないのも無理はない、か。
「そっちに何かあったか?」
「んーお酒とかはあるよ。でもそれくらいかな。後は綺麗さっぱり持ってかれてるみたい。今日学校に行かなかったら持ち出す様子が見れたかもね」
「それは……お前には無理だろうな」
お嬢様が学校を休むなんて言語道断。いや、そもそも病欠で休む奴なんて滅多にいないか。ならば猶更怪しい。
「取り敢えず合流しないか?」
「そうだね。じゃあそっちに―――」
ズイイイイイイイイイイン!
初めて聞く騒音。それは油圧なり電気なりで動くそれは怪獣のような唸りを上げて静寂を破り―――間もなく、俺達を守ってくれた扉をも切断した。それが判明したのは、下りてくる二人を出迎えようと扉を開けた正にその瞬間行われた行動だったからだ。あれだけの頑強さを誇らしめた扉を切断した道具の名は、チェーンソー。回る鎖が誇る切断力は、木製の物体など易々と切り裂いてしまう。
「…………やべ!」
猫のお面をつけた謎の男にライトを照らされて視界を奪われるも、即座に扉を閉めて退避。背中で扉を抑えていると、チェーンソーの刃が頭上を刺し貫いた。
「いや! 離して! 離してって―――ばあ! 七愛! たすけ―――」
「澪雨さ…………んぐ! んんん!」
屋根裏でバタバタと騒ぐ二人の音と、それを押さえつける何人もの足音。それもチェーンソーの駆動音に間もなくかき消された。
「………………ッ!」
これ以上扉に固執していると俺まで身体を切られそうだ。慌てて扉から離れると、真っ二つに割れた扉を蹴り飛ばしながら、狼のお面をつけた男がずかずかと我が物顔で入って来た。一日目に凛が言った通り、顔の半分を黒い毛皮が包んでいる。
今度こそ完璧に、正体がバレた。
何せ俺は制服姿だ。ここを逃げおおせても、明日はどうにもならない。死んでも死ななくても詰んでいる。これは正にそういう状態。
」壺を開けて!「
天井から、澪雨の声が聞こえる。その言葉を聞くと同時にお面をかぶった男がチェーンソーを構えながらゆっくりと近づいてきた。
「ちょ―――」
」早く開けて!「
開けろと言われてもこの状況で落ち着けるか。さっきは試して開かなかった。木栓は真空に触れているのかというくらい固くてびくともしない。それでも何とか壺の栓を引っ張ってみるが、やはりどうにもならない。
」早く開けて!「開けろ」開けて「開けろ」開けて「あけろ」あけて「あけろ!
「あーもう! 煩いから黙ってろよ! 開けりゃいいんだろ! あけりゃああああああ!」
「それに触るんじゃねえ!」
目の前まで踏み込まれた、その瞬間だった。仮面の男が初めて声を上げて、俺の手を掴む。先行した死のイメージに本能が怯え、力任せに振り払うと手の甲が壺に当たって。
壺が。割れた。
とう」 「アリガ
割れた壺から液体のように出てきたのは、小さな女の子のシルエット。影のように厚みがなく、幻のように不確かな、影と呼ぶのも無理がある薄い薄い人型。
「……………ひ、ひい……!」
ソレは俺だけに見える存在ではないようだ。お面をかぶった男はソレを見るや即座に道具を放棄して背中を向ける。それを皮切りに、屋根裏で二人を抑えていたであろう人間もどたどたと足音を立てて逃げ去っていく。
部屋には、俺だけが残ってしまった。
触るんじゃねえ!」 「それに
男の発言を声帯そのままに、ソレは繰り返している。噛みしめるように繰り返し、繰り返し、繰り返し。部屋を出る直前に振り返って。
」 「
吸い込まれる様に夜の闇へと溶け込んでしまった。
「……………………」
どんな綺麗事も、決意も、全ては欺瞞。あらゆる感情の全てが空想のよう。真実は一つだけ。
今日という日を、後悔している。
俺はこの町の夜に、カイブツを解き放ってしまった。
もうちょっとだけ続きます。




